1983/02 五月会だより No.16 | ホーム/主張目次/たより目次/前へ|次へ |
今こそ政治の夜明けを! 江田氏力強く宣言
岡山社民連・江田五月会 新春パーティー開く
岡山県社会民主連合と江田五月会は、一九八三年の年頭にあたり、恒例の新春パーティーを催した。ハガキによる一報のみの案内にもかかわらず各界各氏からの参加者は、三百人に及び、「八三年政治決戦の年」と言われるだけあって、新春パーティーというよりも、江田五月を中心とした関係者の決起集会の様を呈していた。
主催者を代表して挨拶に立った江田五月も、今年のエト発亥になぞらえて、「このエトの年は大異変の起る年、六十年前には関東大震災があった。国民にとって不安な異変は困りますが、一つ政治的に大異変を起し、政界再編と政治倫理の確立もめざしたい。昨年末には岡山一区から衆議院をめざすと宣言した。政治の大変革のために是非力を貸して欲しい。皆さんと共に政治の夜明けを迎えたい。」と訴え、満場の喝采をあびた。
来賓の諸氏の中にはまなじりを決して奮斗中の黒瀬岡山市長候補、岡山二区の林衆議院議員などの顔もみられ緊迫感を一層盛り上げていた。
ママさんコーラスやチビッコのど自慢もでて
とはいうものの、そこは新春パーティー第二部に移るや、可愛らしい五月ファンの子供達が舞台に上り、次々と自慢の声で得意の歌を彼露し、会場の雰囲気を一気にやわらげ、初春にふさわしいムードを作り上げた。江田五月夫人京子さんが所属する地元旭操小学校のコーラスグループも友情出演。カラオケとは又一味ちがった格調高い空気が会場に広がり、美事にハーモナイズされた音色に一同うっとりと耳を傾むけていた。その他琴の演奏あり、トランペットのソロありで会場はすっかりパーティー気分になった。
県議には佐古信五(倉敷) 市議には寺田あきお(岡山)
パーティーも終りに近づく頃、県社民連書記長の大亀幸雄が壇上に立ち、「六月に予想される衆議院選挙に先だち、四月の統一地方選には倉敷選出の佐古信五県議予定候補、岡山市議予定候補の寺田あきお、この二名の江田五月秘書を選させて欲しい、両名の勝利の余勢をかって一気に江田選挙の大勝利に結びつけたい。両名をよろしく」とのあいつがあり、両名が深々と頭を下げた。
最後は、知る人ぞ知る河原昭文弁護士のフレフレ社民連、フレフレ江田のエール声が会場にひぴきわたりさすがの東大応援団長の声もあがる。なごやかな中にも緊張感をただよわせて幕が閉じられた。
政治に始まり政治に終った八三年新春パーティーであった。
中曽根外交にストップを! 江田五月
●中曽根外交の大暴走
中曽根外交がいよいよスタート。「戦後政治の総決算」と張り切り、新年早々からの訪韓と訪米で、日米韓の強力な軍事的枠組みを作りあげた。
戦後しばらく、米ソの冷戦時代が続いた。両国は共に核実験をどんどんやり、ベルリンでもキューバでも、核戦争も辞さずとケンカ腰で対立。しかし、その愚かさに気付き、米ソとも陣営内での力が弱まったこともあって、世界中が緊張緩和のために努力しようという時代になった。
「戦後政治の総決算」はこの緊張緩和を確かなものに仕上げることだ。アジアも西欧も、そのために努力している。それなのに、中曽根外交は、冷戦時代へ逆戻り。ひょっとしたら、レーガンさんも軌道修正を考えているのに、日本だけが大暴走で、世界の孤児になるかもしれない。大変な時代錯誤だ。
今はまだ約束だけだが、これを実行し始めると、いくら軍事費に金をかけるのか、大変な重荷になる。
そのうえ中層根さんは、はしゃぎすぎて、日本は米国と「運命共同体」だからソ連に対し「不沈空母」になると言った。ほとんどビョウキだ。
●真の外交手腕とは何か
世界は、米ソだけで動いているのではない。西欧もアジア諸国も中国もある。それぞれの国が、独立国として自国のことを考えながら、同時に仲良くすることも考え、複雑なやりとりをしている。
それぞれの国内にも、いろんな考え方があり、政治の流れがある。レーガン政治も動くし、ソ連の政治も動く。
こうした動きを冷静に見ながら、国のカジとりをしなければならない。「レーガンさんに首ったけ」という外交は、「ソ連のすること全部好き」というのと同じで、独立国の外交ではない。中曽根流は外交音痴だ。
「運命共同体」というなら今世界は、核戦争がボッ発すると人類全滅という意味で、又盛んな経済活動でジリジリと地球の自然が壊れているという意味で、人類全体が「宇宙船地域号」に乗った共同体なのだ。だから日本は、「不沈空母」でなく、世界に平和な秩序を作り地球の自然を守るための知恵と資金の宝島になることが大切なのだ。
●中曽根総理に反省を求める
中曽根さんは、大変な自信で、解散をチラつかせて野党をおどしながら、国会を強引に乗り切ろうとしている。
確かに歯切れはよく、目標に一直線に進む点では、これまでにないリーダーだ。しかし、その目指すものは、国民の願う目標と逆なのだ。
財政危機を理由に、福祉や教育の予算はケチる。授業料は増やしても、減税はしない。しかし、軍事費だけはきちんと別枠で増やす。田中型金権政治は、ドーゾドーゾ。
むつかしい時代だ。政党も政治家も、謙虚になって知恵を出し合わなければならない。
中曽根流の「敵は幾万ありとても…」は、到底ついていけない。強く反省を求める。
史上初の“総理の犯罪”、戦後最大の構造疑獄・ロッキード事件で、元首相田中角栄に懲役五年の求刑があった。角栄は当然議員を辞職すべきだが、その気配はない。野党各党は足並みそろえて辞職を迫る“反角行動″を強くおし進めることが大切だ。
田中への求刑は受託収賄では最高刑で、丸紅の桧山は四年、大久保、伊藤は二年六ヶ月、田中秘書官の榎本は一年のそれぞれ懲役。検察側は「国政の頂点に立つ者による本件のごとき行為は、公務員一般の綱紀のみならず、国民全体の道義の維持に深刻な影響を及ぼし、政治・行政に対する国民の信頼を著しく低下させるもの」と、田中の責任を厳しく指摘。「厳正な処分を欠けば、ひいては民主政治の根幹を謡るがす恐れがある」と、田中に懲役五年、追徴金五億円を求刑した。
この事件で問われているのは、単に角栄一人の犯罪にとどまらない。金権政治の体質が同時に問われているといえる。田中は列島改造論をぶち上げ、裏で金脈づくりに励んだ。その結果が、金力による政治支配、すなわち“闇将軍”の政界君臨だ。
だが、中曽根首相をはじめ政府・自民党は、自らの金権体質、腐敗構造に気がついていない、というより一向に目を向けようとしない。単に求刑の波紋が政局に及ぶことのみを懸念している。国会、統一地方選、参院選とあわせて予測される衆院選と、とにもかくにも“選挙の年”を乗り切り、今秋の田中判決に備える考えのようだ。
今こそ、社民連をはじめとする野党は、腐敗しきった自民党長期政権を倒し、政界浄化へ向けて取り組みを進める必要がある。国民も政府・自民党の腐敗に厳しい目を向けねば、日本の“角汚染”は広がる一方だ。
近づく統一地方選挙 江田陣営も候補
寺田あきおの歩み
・昭和一六年四月十七日父の赴任地朝鮮で生まれる。同二〇年敗戦とともに帰国。
・岡山市立旭中学、同県立朝日高校、岡山大学(夜間)を経て、昭和四二年中央大学法学部法律学科を卒業。同大在学中傍ら岡山市役所に勤務す。
・昭和四二年四月東京会計専門学校へ専任講師として勤務。会社法、手形小切手法を担当。
・中大在学中より市民運動集団「声なき声の会」に参加。中心メンバーとして活躍、卒業後も一貫して活躍。
・昭和五二年市民主義を標ぼうする江田三郎の社会市民連合の結成に参加。
・昭和五四年親友江田五月の秘書に就任、四月市議選を戦うも惜敗。引き続き江田秘書として現在に至る。
・岡山市湊に居住し妻と三男の五人家族。祖母の氏を名のり本名を横山明生と称す。
・地元町内の副会長、旭操スポーツ少年団後援会幹事。旭操小学校PTA学年幹事。
寺田あきおの約束
★参加が保障される手づくりの市政
今や市の行救は複雑多岐になりすぎ、わかりにくく、お金のかかるものになっています。もっと市民の力を借り、市民の市政への参加の機会をふやし、同時に情報を公開して参加政治の契機にします。
★福祉と教育を大切にする心豊かな市政
財政の困窮から福祉切り捨て論が勢いを得ていますが、これは間違いです。しかしバラマキ福祉もいけません。福祉のあり方検討委員会を設置し、より効果的で公平な、しかも血の通った福祉行政を実現します。又教育は国の礎、抜本的再検討をします。
★ボス支配と利権あさりのない清潔な市政
長い間の悪習で、地域ボスと行政の癒着が、市民に不公平感を与えています。行政監察のための第三者機関(オンブズマン)を設置し、一つでも市民の疑惑を解き、市政に清潔感をとりもどします。
★道義と正義をつらぬく自主的な市政
最近の市政は、綱紀は乱れ、横車を押す団体には弱腰、国や県には無批判に追従、と全くいいところがありません。地方自治は民主主義の学校といわれます。今こそ市政に道義と正義と自主性を!と訴えます。
300人集めて発会式
昨年十一月「寺田あきお友の会」は、四月に行なわれる岡山市会議員選挙に再び排戦する寺田明生の支持母体として、発会式を兼ねた「励ます会」を、青江みよしので開いた。二週間たらずの準備期間にも拘らず三〇〇人に及ぶ参加者があり、「今度こそ寺田あきおを市政の揚に!」という熱気が会場をうめつくした。
前回寺田明生は、告示の三ケ月余り前に、急拠東京から十七年ぶりに帰岡、立候補の声をあげたが、時間切れで惜敗(四〇〇票余り不足)、今度こそ前回のてつを踏むまいと早々の旗あげとなったわけだ。
寺田はこの場で、「日本国中をおおいつくした汚れた政治を一掃するには、住民と直結した地方自治の場からただして行かなければだめ。岡山市政の掃除人として働かして欲しい。政治の浄化は岡山市から」と力強く訴えた。参加者一同残された期間、全力をあげることを誓いあった。
小さな力、正しい怒りのまとめ役
若い情熱をみなぎらせて、今こそ伸五はばたく
二度と味わいたくない 二票差の屈辱
四年前の五十四年四月八日午後十一時四十五分、息づまる緊張した事務所の空気を破り歓声が上がった。報道関係者による勝利の吉報が入ったのである。勝った勝ったのうず、一生懸命走り廻った支持者が手を取り合って感激の場面が展開する。しかし幸福の女神は我に味方せず、二十分後には無情にも六票差で次点と云う選管最終発表となる。一瞬の歓喜は悲劇の谷底へと崩れ去ったのである。以後、県選管に対し異議申し立てを行い、再調査の結果六月二十三日二票差で次点と云う決定が下された。我々は再調査決定に対し不満の意思を表明し、高裁控訴を検討するも「さこ」君が若くこれからの厳しい人生に立ち向うべき時であり、我が陣営の力不足、「さこ」本人の不徳のいたすところとこの現実をきびしくふまえ、一歩からやり直すペきとの方針を打ち出し岡山県議選史上かつてない僅少差で惜敗した屈辱をからだ全体に秘めて、その時から“四年後”を想定して活動を続けて参りました。
超党派の大声援
こうした二票差で涙をのんだ前回の選挙を支持者の皆さんは決して忘れておりませんでした。今度こそはを合言葉に、頑張っています。
瀬戸大橋時代を迎える岡山県の将来像は着々と進行していますが果して倉敷市が県政の中でしめる役割は現行の計画設計で充分でしょうか。全国的に広がる経済不況の中で市民生活はどう守られて行くのでしょうか。
地方自治の重要性を自覚し、地域代表的性格をもった議員が必要との認識が盛り上り、佐古信五はまさにそんな議員にピッタリの男と、今や爆発的支持が各地域に広がっています。選挙体制と幹部陣は地元を中心とした人達で固く結束され、その内容は政党政派に片寄らない超党派の体制が確立されつつあります。
“東奔西走の大活躍”
その中で、この期待裏切れないと「さこ」自身連日支持者の挨拶廻りを始め後援会の集りにと日夜疲れも見せず三十三才の若さと持前の健康体で飛び廻っています。
事務所体制も事務長を始め専従職員は、日、祭日も臨戦体制で休みなく、四月十日の美酒を期待して頑張っています。
“金権政治の火消役”
日常生活の中から一人一人の寄り集りで出来上っている「さこ」陣営にも“組織がない。金がない”という大きななやみがあります。大きな組織の上にあぐらをかいたり、金をばらまく候補者のマネは出来ませんし、したくありません。支持者の方々の善意にすがって、足となり手となって助けて下さる方への甘えしか方法がありません。
選挙に必要な経費は止むを得ないとしても、金の力で政治を手中に納めようとすることが問題であります。清潔な選挙こそが、正しく、きれいな政治に通ずる道です。「さこ」信五は金権政治の火消役としての役割を果たします。しかし何如に節約をしても必要緯費はかさみます、きれいな政治をさせるために皆様のご浄財のカンパを事務局は、大歓迎です。
“必勝体制確立を目指して”
四年前の屈辱を思い起し、地域住民の強烈な燃え上がりに支えられ、本人も日夜寝食を忘れて飛び廻り、これで勝てなければと云う万全の体制が確立されて来ましたが、本当の選挙はこれからであります。
倉敷市全体に「さこ」信五と云う人間を知ってもらうことです。「さこ」と聞いただけで県会選挙と云う話題になる位にして頂き度いのです。
「さこ」の選挙事務所は他候補に比べて、古く、小さい物ですがみんなが汗を流して作って下さったものですので是非一度は友人を誘い、立ち寄って下さい。支持者の皆さんが気付いた点をどしどし注文を出して頂きたいと思います。後援会にご加入下さった方々一人一人が自分の力で「さこ」を当選させてやろうと云う御気持になって頂くことが「必勝体制の確立」であります。 最後までのご支援と御叱責御激励が最後の勝利を克ちとる鍵となるのです。
“お願い”
さこ信五の選挙地区は、倉敷市全般と早島町です。
この地区にお知り合い、ご親せきのある方は是非ご紹介下さい。
ごいっしょしませんか! 旭川児童院のおむつたたみ
私たちアゼリア会(江田五月を支える女性の会)では、毎月一回の割で旭川児童院へ「おむつたたみ」の奉仕に行くことにしています。
同児童院にあるおむつは約三万枚。一万枚はその日に使い、一万枚は洗濯、残る一万枚をボランティアの手にゆだねて一日がかりで折りたたんでもらっているとのことです。同院を訪れたボランティアはこの十五年間で七万人近いそうですが、このボランティアの人々の労力提供で、一つの部門がまかなわれており、子供たちに、清潔で気持ちのいいおむつがまちがいなくあてがわれているわけですから、とても素晴しいことだとお思いにはなりませんか?
ボランティアといっても、一度いきだしたらあてにされるわけですから、そうさいさい気軽には行けないでしょうが、月に一度程度なら、障害を持つ子供たちの為に私たちの時間と労力を提供してもいいのではないでしょうか。
旭川児童院はその名のとおり旭川の中流のほとりの、環境のすばらしいところに位置しています。祇園地先というところで龍の口の附近です。
奉仕を終えたあと、近くを散歩するのも一興かと思います。他人のために労力を提供したあと、清流を眺めながらの散歩はきっと素晴しいと思います。ご一緒しませんか。
江田五月の生い立ち (4)朝日高校時代
先日東山の国際ホテルで加藤六月さんの国務大臣就任を祝うパーティーが催うされた。その時閣僚経験のある保守系国会議員さんから、文伍郎さんが執筆されている「五月君の生いたち」が仲々好評のようだから、ウチのも何か書いてもらえないだろうか」とのお話で面目はほどこしはしたものの伝記や生いたちとなるとその人の人物像を浮き彫りにできる程本人をよく知っておかんことにはオイそれと書けるものではない。一気可成にというわけにゆかない。
ところがどういうわけであろうか、五月君を語る場合スラスラと想いが湧いてくるからアラ不思議である。彼の青春時代(朝日高校−東京大学)から今日までズーッと共に過した思い出の日々というのがあることや、京子夫人と私が遠縁にあたる仲であったり、五月君のお母さん光子未亡人が私たち兄弟の幼ない頃からの恩師筋にあたられるなど因縁浅からぬものがあるからであろう。それかあらぬか折にふれ、市内山崎の新居を訪ねて手にする彼のアルバムのひとこまの中には、高校時代の部活動で山や川、海など自然の中で彼の級友たちと私もいっしょにカメラに収まっているのが多い。
話はかわるが彼が生徒会の総務をしていたころ朝日高校ではファイヤーストーム事件というのが起きている。朝日高校には秋の運動会が終ったあと校庭の真中でファイヤーをたく旧制第六高等学校時代からの伝統を受け継いだ火の行事があったが、大映スターの本郷功次郎君や黒住教教主の黒住君、整骨院長の小合洋一君たちが高校三年生の時お祭り気分の延長で表町に出たヤンチャの高校生たちが旧制六高マン気取りのホウバの下駄で一升びんをさげて呑み歩いてヒンシュクを買い私が赴任した年の昭和30年から在職中の35年まで中断されていたものを復活させようという議が持ち上り、生徒会と当時の学校長原田親先生を頂点とする教師側との間で「やらせえ」「やらさねえ」で大モメにもめ抜いた時彼が精力的に奔走し全面的対決が避けられたことを思い出す。
「強行するならしてみよ。君たちは全員退学にさせてワシもやめる」という強硬派の教師に「それならよろしい。私も退学になるから先生もいさぎよくやめられい」と開き直りの精神を発揮したのが五月君の朝日高校―東大を通じての親友河原昭文君(現在岡山で弁護士を開業している)であると彼は出発のためのメモランダムに書いている。当時世間では朝日高校といえば進学一点張りのエリート好みのする高校のように思われ勝ちの中で五月君や河原君のような青春のもやしかたをやった朝日高校生もいたのを今でも微笑ましく思う。現在五月君の秘書をやっている寺田君も当時の仲間だ。遊びの誘いは一切ことわらず、ガリ勉でなし、他人の見ている処では勉強を絶対しなかったという五月君が難しい東大と早稲田の政経ふたつとも合格しているのである。そこら辺りにも彼の真価がチラッとうかがえるようである。
(次号は東大時代) 湯浅文伍郎
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