1980/10 五月会だより No.5 | ホーム/主張目次/たより目次/前へ|次へ |
ヨーロッパの現況
江田五月氏 一ヵ月の欧州旅行から帰って江田五月氏の主催する「21世紀サロン」第二回例会は、去る九月二十九日、東京・平河町の都市センターで開かれ、江田氏が「再近の欧州事情――欧州旅行から帰って」と題して講演を行いました。江田氏は、八月十九日からイギリスのシェフィールド大学で行われた『日本シンポジウム』に出席、北欧のオンブズマン制度研究、西ドイツ社民党視察などのため、欧州諸国を回り、去る九月十九日、帰国したものです。(以下は講演の内容を記録したもの)
お忙しいところお集まりいただきましてほんとうにありがとうございました。八月十九日に日本を出まして九月十九日まで、スイス、スウェーデン、フィンランド、デンマーク、西ドイツ、フランス、イギリスとまわってまいりました。
もともと用事は、イギリスのシェフィールド大学で「現代日本についてのシンポジウム」を行うから、これに是非こいということで、独協大学の白鳥教授が計画されたものです。
このシェフィールド大学は、田中角栄さんがイギリスを訪ねたとき、これで日本研究をやれといって、三億円ポンとだした。その金を使って日本研究をひきうけたのがシェフィールド大学で、したがって今、イギリスの日本研究では、このシェフィールドが全体のセンターになっているのです。
ここで有史以来はじめて、日本というものを、まとまった形で紹介するのではなくて、日本のいろいろな意見の違いをそのまま表してみようではないかという試みで、日本の政党の代表それぞれ一人ずつが出席しました。自民党―海部俊樹さん、社会党―横路孝弘さん、公明党―酒井弘一さん、民社党―大内啓伍さん、新自由クラブ―小杉隆さん、共産党―正森成二さん、そして私。
それが九月十一日から十三日までで、その前に、実は別途に、スイスでMRAという団体のコンフェレンス(会議)があるのでこないかという話がありました。MRAというのはどちらかといえば、全体主義反対の運動というような感じでして、人間同士の信頼をもう一度つくっていこうじゃないかというところに原点をおいた運動で、どの程度意味があるかどうかは別にして、決して毛嫌いするような運動ではないと思います。
この会にでてこいという話で、それならばいっしょに行ってこようと。これが八月二十日から二十三日。間が二十日ばかりあったものですから、その間を利用して北欧、西ドイツ、フランスと行ってきたわけです。
北欧では主としてオンブズマンを研究し、西ドイツはもっぱら、社会党の横路君といっしょに、ドイツ社民党の見学をしてきました。
スイスから北欧へ
オンブズマン(行政監察官)とは
オンブズマンというのはもちろん皆さんご承知かと思いますが、行政機構の外に行政から独立して行政監察の権限をもったものを置く。行政機構の外ですから、行政機関によって任命されるのではなくて、国によっては議会が任命したり、国王が任命したり。そしてかなり権威の高い、必ずしも裁判官出身とは限りませんけれど、実際問題としては裁判官出身の人が多くあてられる。国民からかなり高い権威を持ってみられる人をあてて、行政を監察させる。
国民の方からいろいろ苦情がくる。例えば自分に課せられた税金はどうも納得がいかない。新しい機械を購入して当然経費でおちるはずなのに、おとしてもらえなかった。これは法律の適用とか解釈に関する争いになりましょうか。
あるいは戸籍謄本をとりにいって、十二時をほんの一分まわったばかりなのに、もう昼休みだといって扱ってくれなかった、ということがあるかもしれない。一時すぎているのに、窓口の人が編物ばかりやって扱ってくれないというようなことがあるかもしれない。こういうのは事実行為ですね。これは法律の適用とか解釈の問題ではぜんぜんない。あるいは、夜中に警察官によびとめられて、怪しい素振りはなにもないのに、鞄を見せろと言われて、開けなかったら、とうとう警察まで連れていかれて、一晩泊められて、コレコレの損害をこうむった、ということがあるかもしれない。
そういうような行政に関することは、およそ何でもオンブズマンの所へ持っていけばよい。ただオンブズマンというのはどこもだいたいそうですが、直接にそういう被害に救済を与えることを目的とはしていない。いろいろな苦情を審査して、行政のあり方に落度があればこれを批判し是正の勧告をするけれども、行政機関の方はそれに従わなければならない義務があるわけではないし、ましてオンブズマンが行政機関に代わって別の決定をするわけでもない。
裁判所とだいぶ違うわけです。裁判所の場合は行政機関のした決定を取り消します。そして新たにもう一度行政機関が決定をしなければならない。そういうことではない。
したがって、市民の不満、苦情の申立を媒介にして、それを触媒にして行政の監察をし、行政のあり方を一人の有識者が提言をしていく。こういう機構と考えていいかもしれません。
これがスウェーデンには非常に古くからありまして、この制度がフィンランドとかノルウェー、デンマークとひろがって、北欧三国では共通の制度になっている。そしてさらに、一九六〇年代でしょうか、北欧からとびだしまして、ニュージーランド、アメリカの各州、カナダ、そしてイギリスにもどって、それから大英連邦にひろがっていって、最近ではスイス、あるいはフランスとかで、世界の一種の流行になっているわけです。
日本も中曽根長官が積極姿勢をうちだしたような動きがあります。まあ積極姿勢と言えるのでしょうが、どこまでいけるのか、まだわかりません、というような動きがある。
こういう制度ですが、北欧では、その他の国でもそうですが、行政監察のオンブズマンのわくを越えて、今では他のところにまで同じ思想が広まりまして、私が見てきたのではスウェーデンでプレス(新聞)オンブズマン。
新聞がジャーナリストの倫理を逸脱しているじゃないか、というようなことの申し立てを受けて勧告する。これは新聞協会というところが新聞オンブズマンを設置している。そして各新聞社に対して勧告等の権限を持っているわけです。
言い忘れましたが、行政に対するオンブズマンの場合は、行政機関の方はいかなる秘密もオンブズマンに対して主張することができない。もちろんオンブズマンはこういう権限を持っている代わりに、その権限の行使によって知り得た本当の意味での秘密を外にもらすことはできないわけです。
日本の場合には、行政の秘密があるべきかあるべきではないのかという、どっちかという議論になってしまって、外交文書の公電は秘密にしておかなければいけないのか、こんなひどい裏取引は少々の犠牲がでても公にしなければならないのかという、ワッと真正面から衝突する議論になるんですが、オンブズマンというものは、そういうものの議論にクッションをおく役割を果たしていると言えるかもしれません。
それからコンシューマーズオンブズマン、つまり消費者オンブズマンというのに会ってきました。こっちは新聞協会というものではなくて、消費者団体が作っているのでもなくて、国の法律によって消費者オンブズマンというものができております。これは消費者からのいろいろな消費財に対する苦情を受けて調査をしていろいろ勧告する。
例えば私が説明を受けたのでは、乾電池の広告が、自分の所の以前の製品と比べて何倍ものパワーを持ったキングパワー○○乾電池ですよと広告する。自分の所の前の製品と比べて何倍の出力ですよということが、その広告の文字の中身なのですが、写真でみると、よそのメーカーの乾電池も一緒に並べてあって、いちばん前にキングパワー○○乾電池を置いてある。よそのメーカーと比べたのかというとそのテストはやってない。それはおかしいじゃないですかという苦情がでて、これは是正の勧告をした。
ということでありますが、そういう是正の勧告が新聞オンブズマンにしても、消費者オンブズマンにしても、パーラメント(議会)オンブズマンにしても、比較的よく受け入れられるわけです。なぜかというと新聞がそういうものをどんどんとりあげる。新聞でオンブズマンの見解というものを大きくとりあげられることが、相手方にそうしたオンブズマンの勧告を受け入れさせる力になっているということです。
特に強制力ではなく、社会が動いていくあり様をここに見るわけですが、その他に、つい最近、男女平等法というのができまして、男女平等オンブズマンなんていうのもできているという話です。こういうオンブズマンを北欧でみてまいりました。スウェーデンでもフィンランドでもデンマークでも、制度のたて方はそれぞれいろいろ違いますが、同じような思想のオンブズマンが働いているのをみてきました。
社民党を訪ねて
さらにいずれの国も社会民主党が政権をとっているか、あるいは政権に非常に近い。スウェーデンの場合は四四年には社会民主党が政権をとってまして、今はもう野に下っているわけですが、それでも第一党が社会民主党であるには違いない。この北欧三国で、デンマークはちょっと時間ありませんでしたけれど、スウェーデンとフィンランドで社会民主党の人に会ってまいりました。
旅行者がちょっと会ってくるというのでは本当のところまではわからないのかもしれませんが、スウェーデンの社民党の人と話した印象では、社民党の方が日本でいえば自民党のような感じになっている。例えばこういう話です。
福祉国家はこれからどうなっていくのか。福祉国家というものが、労働意欲を阻害しているようなところがでてきているのではないか。
「そんなことはありません」――と。福祉国家のさまざまの福祉給付というものが有効需要を作り出していくわけで、資本家にまかせておいたら需要を作り出さない。資本家の投資はなかなか自発的に大きくなっていかない。そこで国がどんどん福祉の面での給付を行って、需要を喚起して経済を大きくするんで、これが正しい生き方である――。
それはそれでいいわけですが、物事の発想が福祉における人間的な側面というものからはなれて、非常に経済主義になっているんではないかなという感じがしました。今、有効需要を作り出すために福祉をどんどんということで、経済発展を考えるというような手法では救えない人間の悩みみたいなものに、北欧の各国がつきあたっているのではないか。それを社会民主党はどこまで本当の意味で意識しているのかなという不安を感じた次第です。印象という程度ですが。
フィンランドの印象
フィンランドについて多少感じたことを言いますと、フィンランドは、日本では、ソ連の圧倒的な圧力のもとでソ連の属国になりさがった国というようなイメージがあります。フィンランド化してはならない。日本はフィンランダイゼーションという方向にいっては困るんだということが言われるわけですけれど、どうもフィンランドはソ連の属国ではないという感じが非常に強くしました。
スウェーデンから船で行って、上陸して、パスポートを見る人もいないんですね。はじめから。フリーパスもフリーパス、人もいないんです。だいたいヨーロッパは、パスポートを見る人はいるけれど、横むいてぜんぜん見ないというのが普通だけれど、見る人さえいないというあり様でして、いくらでもどんどん入っていける。
もちろん税関だって何も見やしない。新聞にしても、言論の水準にしても、あるいは職業の問題にしても、ここはまごうことなき自由社会でありまして、ソ連のようなあるいは東欧のような体制とはぜんぜん違う。移動の自由だってあるわけです。
そしてフィンランドがこれほどソ連のすぐ近くによりながら、ソ連の影響ももちろんあるには違いないんですけれど、それでも自由社会として独立を保って、しかも今、フィンランドは社会民主党が政権をとっておりますが、しだいに保守党が強くなりつつあるというんですね。
実はMRAの会議でフィンランドの保守党の人に何人か会って、「強くなりつつあるというが、あなたがたが政権をとったらソ連が攻めてくるというような心配はないんですか」と聞きましたら、「自分たちはそんな心配はぜんぜん持っていない」という。なぜですかと言うと、フィンランドという国はソ連の脅威になっていないし、ソ連が攻めても何もソ連に得にならない。むしろ国際世論からつまはじきをされて、ソ連が損をするだけという。
かなり公式的な感じもしないでもないけれど、保守がソ連の脅威を主張し、ソ連と軍事的に、あるいはその他の意味で対抗することを主張して勢力を増やしているというのではない、ということは確かであります。フィンランドの国民全体がソ連の脅威というものを感じているわけではない。
なぜフィンランドがソ連の脅威を感じていないのか。それにはどういうことがその裏にあるのか。私はフィンランドの外交だと思う。
どういう外交であるか具体的にいろいろ細かく把握してはいないのですけれど、例えば国境の問題、フィンランドというのはソ連にかなりの部分の領土を取られてしまったわけですけれど、これを取られることをあえて忍んで、そのかわりソ連が取った領域にいるフィンランド人全部を引き上げさせてしまった。ソ連の方はそこに人を残しておいてくれといろいろ強く要求したにもかかわらず、荒地にしてソ連に渡して、さあどうぞというようなことを方針としている。あえて全部国民を引きはらって、残りの領土の中で自分たちの国を作っている。そして、さらにいろいろな形でソ連と裏の行ききがあるわけであります。
フィンランド人にいろいろ聞きますと、確かにソ連と往き来をしてソ連に依存している面はある。しかしイギリスがアメリカに依存しているよりも、われわれがソ連に依存している度合の方がはるかに少ないよ、と胸をはって言っている。
日本がおかれている位置は非常にフィンランドとは違いますから、同じソ連のすぐ近くといっても、国際的な影響力とか国の大ききとか領土問題の有無とか、いろいろ違うんで、フィンランドの真似をすることはもちろんできませんし、フィンランドのようなやり方ができるわけではありませんが、しかし外交というのが一枚岩ではなくて、非常に視野の狭い単眼思考でできるものではなくて、外交には複眼思考が必要なんだ、いろいろなあの手この手が必要なんだと、つくづく感じました。
複眼思考の外交感覚
あの手この手が必要なんだということについてはドイツも同じでして、ドイツは今ももちろん、皆さんご承知のとおり、NATOに入っているわけです。一九八三年ですか、ソ連がSS20という新しい兵器の体系を開発していく。これに対してNATOの方も、八三年に軍拡をやろうと、これを西ドイツも決定しているわけです。
西ドイツの人たちは、遅れた軍拡とか後からついていく軍拡、つまりソ連の方が先にやるからそれに後からついていって同じレベルまで、という意味で軍拡ということを言っているようですけれど、こういう軍拡でソ連と軍事バランスを作っていくことが、ヨーロッパの安定と西ドイツの安全を守るためにどうしても必要なんだと、社民党のシュミット氏をはじめ、皆さんおっしゃるわけです。
西ドイツ社民党のこうした行き方を、頭からけしからんと決めつけるわけにはいかないと思います。どういうことかというと、軍事バランスを度外視した安全というものはなかなか難しいんで、軍事バランスは軍事バランスとして、それなりに現実の世界の中で大きな意味を持っている。
それでは、西ドイツというのは軍事バランスだけで外交をやっているのかというと、そこはなかなか、もっと違うところがあるのではないか。つまり、西ドイツは、十月五日の総選挙を前にシュミット氏が東ドイツへ出かけて、東ドイツ首脳、ポーランド首脳と会談をするということがセットされていたわけです。これが、ポーランドのあの労働問題が起こって途中でやめになっだ。シュミット氏がボンに着いた日に、シュミット氏の街頭演説を聞きに行ったんですが、シュミット氏がそこで言っているのは、もうああいう国々と会談を持つことをやめたという言い方ではない。この会談は、一時状況が非常に流動的だからやめているだけであって、将来必ず会談をやるんだ、ということをはっきり大衆の前で言っている。
いつやるかということが決まっていないのですから具体的に進むかどうかはわかりませんが、具体的に進むかどうかの問題ではなくて、東欧とかポーランドの人たちと話をどんどんやっていかなければいけないんだということを、大衆の面前ではっきりと言っているのですね。
そこらへんを考えると、西ドイツの外交というのは、軍拡いっぽんやりの、手段を一つしかもたない外交じゃなくて、SS20とバランスをとる軍拡というようなことをやりながら(そういう軍拡は八三年におこってくる)、同時に、やるぞということをひとつの材料にして、そのことをやめ、さらに軍縮を行うための機会をどうやってつかめるか、つかめないだろうかということに一所懸命外交努力をはらっているのではないだろうか。つまり軍事というものを軍事の論理で展開していくのではなくて、軍事を政治の道具にしていこうというようなしたたかさを持っているのではないだろうか。
私はそういう意味で、西ドイツの外交の手腕というものをわれわれは学んでいかなければならないんじゃないだろうか、という感じがしました。そういう印象です。
西ドイツの選挙戦
ドイツでは、横路君と一緒に、ボンでシュミット氏の街頭演説を聞き、それからドイツ社民党の(ちょうど選挙直前ですから国会議員の方には会えませんでしたが)、いろいろと実務担当の若い人たちとお話をし、ドイツ社民党の現在を作った――いわゆるマルクス主義からの決別といえるでしょうか――ドイツ社民党の社会民主主義的な基礎を築いたバードゴーデスペルグ綱領の起草にあたった、スザンナ・ミューラーという人(この人は相当の女傑のような感じですけれど)と会って、いろいろバードゴーデスペルグ綱領について話をしてきました。
それからエーベルト研究所の人たちに会ったり、ハンブルグに飛んでハーバート・ベーナー氏の個人演説会に出席してきました。ベーナー氏というのは戦前からの長いドイツ社民党の歴史の中で指導者としてトップの位置にあったおじいさんです。
それからドルトムントヘ行きまして十万人集会というのに出席してきたわけですが、この中で感じたことを二、三。
十月五日が総選挙の投票日です。したがって日本でいえば、投票日がきちんと決まっているわけですから、七月八月あたりは政党の関係者は皆、選挙運動で大わらわだろうと思いますが、シュミット氏は九月二日が第一声だ。その前は何をやっていたかというと、五週間、自分の郷里へ帰って休暇をとっていた。ブラント氏も、野党の側もまた同じで、どっちかが休暇返上で何かやりだしたら大変なことになるんでしょうけれど、皆が休暇をとっているから休暇を安んじてとれるわけでしょう。結構なことだと思いました。そうでなければいけないんじゃないかという気が強くしました。
それから西ドイツには政党法があるわけです。それによって、五%の得票率のない政党は国会に人をおくることができない。わが身にてらしてこれはえらいことだという感じですが、しかし政治の安定のための一つの知恵であることにはまちがいない。西ドイツの政党法は、ニュー・ネオ・ナチズムの政党がだんだん力を持ってくるときに、なんとかしてこれを抑えていこうということで作った制度です。
そして五%が一つのくぎり。その下の○・五%以上は、政党としては認める。そして得票率に応じて、有権者一人につき何ポンド何マルクという金を出す。政党の活動というものが議会制民主主義にとって不可欠のもんなんだ。政党というものは公の利益のために活動してもらわなければいけないんだ。したがって国が助成していくということは当然なんだ、という考え方から政党に金を予算で出していくわけです。得票率を基準に金を出していくんですが、その金は選挙のときにドサッとでるのではなくて、毎年毎年出していく。そういう金で政党は党活動をやり、選挙活動をやっていくわけです。
良識越えない選挙風景
選挙の活動も日本のように選挙カーが大きなマイクを使って朝の七時から夜の八時まで連呼連呼でがなりたてるというのではない。街頭演説はありますが、街頭演説というのもあまり数はないそうでして、会場での演説会、個人演説会、それからいろいろな政策発表というような、マスコミを通じての活動、党員による個別訪問、それと文書――。
いろいろな宣伝の文書をくばり歩く。ポスターなんかは特に制限があるんですかと聞くと、それはない。選挙法による制限ではなくて、町の美感とか、交通規制とか、そういう面からの制限があるだけのようです。町かど町かどに大きなポスターが貼ってありましたが、日本というのはどこも過熱をするんですけれど、そういう過熱がないですね。ビラについても同じようなことのようでした。
こうやって十月五日投票ということになるわけですが、おもしろいことは、社民党は絶対多数を目標にしていないんですね。「相対多数でいいんです。今社民党は自民党といっしょの連立政権を組んでいるわけですが、自民党との連立はくずさない。絶対多数はいらないんです」というようなことを言いました。政党が絶対多数はいりませんとはじめから言っていて、それで勝てるのかな、という感じはしますけれど、そこにドイツ社民党の一つの知恵があるのかという感じもしたわけです。
社民党の戦略
つまり、二つの理由から、絶対多数をとるのは得策でないわけです。一つは、絶対多数をとったって、どっちみち社民党はまだそこまで国民の支持を得ているわけではない。世論調査では四十数パーセントなんですね。そして党員が百万人いる。人口が日本の半分ですから、日本にひきのばしてみれば二百万人の政党、それにもかかわらず、国民の半分以下の人にしか支持されていない党であるということを自分で自覚している。そういう政党が政治をやっていく場合、自民党と合わせて国民の過半数の支持のうえで政権を運営していく方が、国民の全体のあり方と政治の構造とがよりうまく対応するのではないかという考え方が一つあるだろうと。おもに想像ですけれど。
もう一つ、ここでドイツ人の政治手法に気がつくんですが、ドイツ社民党も中にいろいろな潮流をもっています。日本社会党の社会主義協会というようなのがあるかどうか、あれほど強いかどうかわかりませんが、青年部というのがあります。ユウゾーというのですが、これははねあがりでして、かなり強烈な行動をときどきとるわけです。こういう左の勢力を抑えて、国民全体に支持されないまでも受け入れられる政治を行っていこうとすると、自民党との連立という方が都合がいい。自民党との連立があるから、おまえたち左の言うままにはいかんのだよということを口実として使える感じですね。そういうことを行っていくことが党内操縦にとって非常に有益だという、そのことが社民党の政策を大きな意味で実行していくことに有益だという政治判断があるのではないかという感じがしました。
十万人集会と個人演説会
やはり一筋縄の政治家たちではない。それだけのしたたかさがあってはじめて政権をとれるんだなと感じたしだいです。十万人集会も相当なものでありまして、百万党というのはいいなとつくづく思いましたが、ブラント氏が各会場をずっとまわって、それぞれ行く先ざきでビールを飲んで、顔を真っ赤にしてわれわれののぞいた会場に現れました。そこはキリスト教民主・社会同盟の強いバイエルン地方の会場ですが、「バイエルンでキリスト教民主・社会同盟に勝てないまでも善戦してくれれば、この選挙は勝てる」という演説を手短かにやって、ワッとビールを飲んで「さようなら」と出ていった。たいした役者だという感じです。
ヴェーナーの個人演説会。これはまたおもしろい。ヴェーナーという人は七十歳くらいのお年寄り。頑固者で有名なのですが、一時間四十分にわたって演説をして、聴衆から質問がおこる。ハンブルグの郊外の会場なんですが、そこは果樹地帯なんです。ハンブルグの工業地帯がどんどん押し寄せてきて果樹の作付け面積がだんだん減っていく。「農業問題というものをいったいどうしてくれるんだ。西ドイツの農業、大変じゃないか」――という質問が出る。
ヴェーナーさんの答えは、農業についてはずらっと人の名前を二十人くらいあげて、「こういう人たちといままで話をしてきた。ドイツ農業はECの中で考えていかなければならない。ECというとフランスがある。ECの中で社民党はいろいろやっているけれど、EC全体のことを考えなければならないからなかなか思うようにはいかん」――。あんまり中身のことにはふれない。
次に教育の問題が質問にでて、「三十何人のクラスではとてもやっていけない二十数名のクラスにしてくれないか。」答えは、「そんなこと言ったってドイツは分権の国であります。教育は州の管轄ではないか。連邦政府はそんなことは知らん」――。
社民党の州の議員もそこにいるんですよ。そういう答えに、とうとう質問者が怒りだして、「あなたは農業だといえばECだといい、教育だといえば州だといい、いったい連邦政府は何をやるんだ。私も週何十時間も働いている。ヴェーナーさんあなたも同様に働いているでしょう。しかしあなたの方が私より給料がずっと多いというのは何たることだ。」
すると今度はヴェーナー氏が怒りだしまして、「おまえは何を言っとるか。人それぞれに仕事があり給料が違うのはあたりまえだ」という。選挙民を指でさして怒鳴りつけるという頑固者のそれが一つの人気なのでしょうが、日本でそんなことをやったらえらいことで、たちまち落選の憂きめということになるんでしょうけれど。そういうものを見てまいりました。
もう一つおもしろいことがありました。クライスティーというオーストリア社民党の党首が、ドイツの十万人集会に現れて応援演説をした。ヨーロッパというものの一つの同質性というのでしょうか、日本では考えられないことです。そういうドイツ社民党のことを見てまいりました。
イギリスの日本シンポジウム。ここでは、私は社民連の話をしてきたんですが、シンポジウムの中身は日本のことを論じあったのですから、とくにとりたてて言うことはないんです。
イギリスの苦脳
イギリスは今大変な状態です。経済状態は非常に悪い。失業率が八%で二百万人というんです。日本が二%で百万人ですから、八%で二百万人の失業は、日本では四百万人の失業ということになるんです。失業までいかなくても操業短縮が大変な度合いです。シェフィールドというのは工業地帯ですが、この近所の工場で週休二日どころか週休六日、週一日しか来なくていいですよという工場がある。とにかく非常に不況のどん底にあえいでいる。
しかもサッチャー政権がそういう不況にあえぐ国民にむち打つ政策をとっています。社会福祉をどんどんカットしていく。子供の牛乳代が毎週上がるというようなことで。
私はイギリスではずっと友だちの家に泊めていただいたのですが、そこの奥さん絵が好きで成人学級の絵を習いに行っている。その成人学級の絵の月謝がどんどん上がって、今では月に二万円とか三万円とか。これじゃとても趣味で習いに行くようなものじゃなくなっている。
サッチャーのやり方というのはある人が評していわく、「アダムスミスにもどそうというんだ。」そこまでではないのでしょうけれど、とにかく今まで労働党、保守党、ニュアンスの違いはあっても、国有化したりまたはずしたり。教育のことでもいろいろやりますけれど、一つのわくの中で動いてきた。所が、サッチャーはそのわくを越えてしまった。彼女はとうとう土俵を割った。これで二大政党は今後いったいどうなっていくのか。労働党がまた政権をとっても、これも土俵を割って、今後フラストレーションが大きくなりすぎるのではないかという話がありますが、そういう厳しい鉄の女サッチャーの政策も相まって、イギリス人は今、非常に厳しい毎日を余儀なくされている。
ところでイギリス人はその厳しさにいったいどう対応しているかということですが、不思議なことに保守党の政策は好きじゃない。支持するというところまではいかないが、サッチャーは好きだ。美人が好きだというだけの話ではない。イギリス人それぞれに、イギリス病がいかに病こうもうにいっているかということを認識し自覚しているわけです。よほどのことがないとわれわれのこの病気は直らない。絶食療法でもとって、目の前にご馳走が並ぶととてもよだれがでてたまらない。目が回りそうにお腹がすいて、それでもなおかつ断食を続けるというようなことでもやらないと、とてもこの病は直らないということを自覚している。
サッチャーの政策が厳しければ厳しいほど、やがてくる明日は健康な体に戻って、昔のイギリス、もうちょっといい状態のイギリスに戻ることができるのではないか、その日を楽しみにということで一所懸命我慢しているという感じですね。イギリス人は自分たちが今、我慢することが必要なんだということを十分自覚しているようなことをいろいろなところで聞きます。確かにそうだと思うんです。その意味でサッチャーが好きなのか、言葉は悪いですがマゾヒズム的サッチャーに対する愛みたいな感じで……。サッチャーの方はサディズムかどうかわかりませんが。そんな感じがしました。
はたしてその結果イギリスが立ち直ることができるのかどうか。経済学者は皆ちょっとまゆつばものだがなというところなんで、どうなるかわかりませんが。しかも三年ちょっと先には選挙がありまして、やっぱりサッチャーさん、選挙の一年前くらいからは手綱もゆるめなければならないだろうし。またゆるめたら元の木阿弥ということになるのかもしれないし、いずれにしてもイギリスは今そういう状態で、第二次世界大戦後、戦勝国とはいえ非常に疲弊して、困難に耐えた時代を思い出して一所懸命頑張っているという状態です。
日本車に神経過敏
ところがそういうイギリス人の目の前に、まさに絶食療法をやっている人の前でご馳走が並べられるということと同様、日本の車が走りまわるわけです。やれトヨタ、ダットサンと日本の車が走りまわる。
シェフィールドの地元テレビが、私のところへインタビューにやってきました。質問は、イギリス人が日本の車がどんどん入ってくることに非常に神経質になっているがそれについてどう思うか――。
私としては、ここは日本人の物の考え方なり立場なりをイギリス人に説明しておくことが私の役割だと思いましたから、「自分としてはイギリスに二年も勉強させてもらって、イギリス人は非常に有能だと思っている。しかし当時イギリスの車に乗っていたけれど、必ずしも満足すべき車ではなかった。今もイギリスの車はどうなんでしょうか。日本の車はそれに比べると日本人が努力を積み重ねて、正直いって質がいい。そのことを認めるからこそイギリス人は車を買うわけで、賢明なイギリス人が自分のことをたなにあげて、これほど人のことを責めるのは非常に悲しい。イギリス人は本来能力があるのだから、もうちょっと頑張ってほしい。もっと日本の車に対して競争力を持ったものを作りだしていくように頑張ってほしい」と答えた。
私はイギリス人に対してこのように言ったわけですが、しかし同時に、私たち自身がそこで考えなければならないことがある。
日本の車が入らなければイギリスの経済は立ち直るのかといったら、そうではないんです。日本の車が入らなかったらドイツのメルセデスベンツにしてもホルクスワーゲンにしても、フランスのプジョーにしてもシトロエンにしても、どんどんイギリスに入るわけでして、いずれにしてもイギリスの車がどうしようもない状態にあるわけです。ところが、イギリス人はドイツとかフランスとかから車が入ってくることにはそんなに神経をとがらせない。日本の車が入ってくることに神経をとがらす。
なぜだろう。やはりそこに、イギリスにとって日本とは何なのかということがあるのではないか。ドイツなりフランスなり、あるいはアメリカの車もどんどん入るわけですが、これらの国はイギリスにとってそれなりに必要な、いろいろと軋轢はあるにしろ、なくてはならない国なんですね。ところが日本というのは地理的に遠いということも一つあるけれど、この世の中に、あってもなくてもどっちでもいい一国で――。
しかしこの石油ショック。世界を震撼させたのに、器用だかなんだか知らないが日本はうまくやった。経済を発展させている。地球の向う側でどんどん経済を発展させていくのはかまわないけれど、何も自分のところまでやってきて、絶食寮法やっている目の前でご馳走をちらつかせることはないじゃないか、という感じなんだと思いますね。
国際化時代と日本人の感覚
そこで私たちが考えなければならないことは、日本という資源のない一国、貿易立国では、世界と仲よく腕を組んでいく以外にやっていく道はないわけです。そうすると、近くの東・南アジアの国にとってもそうですが、地球の反対側ヨーロッパの国々にとっても、その人々にとっても、日本というのはなくてはならない国になっていかなければ、こういう国際化の時代に生きる道はないんじゃないだろうか。
国際化がどんどん進むのは時の勢いでありまして、時の勢いどころか国際化の中で生きないと生きていく道はないのでありまして、そういう国際化の中で日本人がやらなければならないことは、やっぱりそれぞれの国にとって、日本というのは“国際社会の一員として大きな役割を果たしている”、“国際社会の一員としてなくてはならない国なんだ”―― そういう信望をそれぞれの国にもたせることが、日本にとってこれからどうしても必要なことなんじゃないかと思うんです。
そのことが欠けているから、ドイツやフランスの車が入ってくることは甘受できても、日本の車が入ってくることは非常に神経にさわる。そして犬に石を投げたからといって文句を言い、鯨を殺すからといって文句を言う。そういう状態から、日本はもっと国際社会の中で大きな役割をしめる国になっていかなければならない。
したがって今までは、日本は世界を相手にして何ができるかということを考えていればよかったわけですが、これからはそうじゃない。日本を含んだ世界のために日本は何ができるんだろうかということを考えなければならない時代が来ているわけです。何ができるかということはいろいろあると思います。
私がもう一つ感じたのは、そういうような見方から二つのことが今でてくる。軍事という面において二つの方法が考えられると思うのです。
一つは日本は世界にとってなくてはならない国になっていかなければならない。そのためにソ連という危険で獰猛な国を相手に、日本は日本の軍備を強化してソ連に対抗できるものにならなければならない。そういうようなところから日本の軍備拡張方向が強くうちだされていくわけで、それはそれなりに論理ではあると思います。
しかし私はシェフィールドのシンポジウムでつくづく感じたのですが、日本でわりかし無神経に軍備の話を謳歌しており、日本の国家が核武装することが日本の権利だというようなことをいっておりますけれど、そのことが外国にどういうふうに波紋をひきおこしているかということを考えなければいけない。イギリスには東南アジアで日本に相当いためつけられた者がまだかなり社会の中枢にいるわけで、そういう人たちは、「極東の端から伝えられるニュースによりますと日本は……」 という論調が非常にさかんであることに、非常に神経をとがらせています。そういうことを日本の国内でわりに無神経に話すことが、世界にどういう影響を与えているかということを考えながら言わないと。
アメリカの要求もあるにしても、アメリカだっていろいろな意見があるわけで、日本に軍備の拡張を求める意見ばかりではないわけです。しかも逆に日本というのは、アメリカが手を離して日本の軍備にすべてを委ねてしまうとまた危いんだよというような意見も強いわけですから、そのこともわれわれは考えていかなければならない。
そうすると日本はやっぱりそこらは賢明にならなければならないし、さらに、国民一人ひとりとして、いったい先ほど言いましたような、世界にとってなくてはならない国になるために何ができるだろうかということを考えなければならないだろう。そうすると、例えば今、日本は難民条約も批准していない。難民受け入れ千人がわくで、その千人のわくもみたしていない。そういうようなことでいいのだろうかということが一つある。
また私たちはそれぞれに、中小零細企業の方にしても、あるいは普通のサラリーマンの人々にしても、今は外国といろいろなつながりを持っている。例えばジャルパックで新婚旅行へ行くというようなことであっても、やっぱり外国とのつながりなんです。そういう、外国とつながりを持つときに、日本人だけでワッと行って、日本人だけでグッチのお店に入りこんで買いあさってくるということだけではなくて、外国人に、その接触を持った外国人と友だちになって、信頼関係を作って、お互に信じあえる仲になって、もう二度とあなたとは武器をとりあって殺し合いをすることはないという関係をいろいろなところで作っていくこと これが国民一人ひとりに今必要なことではないだろうか。
国際化していく世界の中で、日本がどうやって世界の人々から信頼されて、世界にあることが必要な国と思われるかというようなことを日本人が考えて、もっと国際舞台で、一人ひとりがいろいろな活動をやっていくことが必要だし、そのことを政治家もわすれてはならないんだと思います。
“国境なき医師団”の活動
その他、フランスでMSF、日本語でいえば、国境無き医師団。つまり国境を越えて、医療が必要なところに医師を派遣しようではないかという組織があります。ビアフラの事件を契機にフランスの医師、看護婦、X線技師、その他の医療従事者が組織をした団体で、今、三千五百人の医療技術を持ったものを組織している。これが東南アジアからアフリカから中近東から、医療が必要なところにボランティアを募ってどんどん医師を派遣しているということでして、つまりこういう行為が結局その国を世界の人々に必要な国として知らせる行動だと思います。日本もそういう行動ができればいいと思いますが、そういう人たちに会って話をしてきたり、多くの人々に会って有益だったと思います。
こうした見聞を文書にして多くの人々に知っていただきたいと思いながら、なかなかまとめることができず、散漫になりましたが、一ヵ月の経験の一端を披露させていただきました。
1980/10 五月会だより No.5 | ホーム/主張目次/たより目次/前へ|次へ |