投稿者: 江田 五月
7月16日、選挙13日目、事務所、赤磐演説会
昼過ぎまで自宅で電話連絡などをし、14時半に出て法律事務所に入り、15時から2時間弱、デスクワークなどをしました。
その後、帰宅して一息入れ、18時過ぎに妻とともに出て赤磐市に行き、19時から1時間強、立憲民主党公認・野党統一候補の原田謙介候補の個人演説会に出席しました。東備という広大な地域が対象で集まり難い条件にも関わらず、200人ほどが集まってくれ、赤磐市の原田素代市議の司会で、冒頭に高井崇志さんが総括的な訴えをし、応援弁士として連合岡山の鳥越範博副会長と中川雅子県議が挨拶し、駆け付けた市議らの紹介と一言挨拶があって、津山市の小野陽子医師が応援挨拶をし、その中で私を指名して壇上に呼び上げました。そこで私が沖縄のかりゆし姿で登壇して、短く災害対策などに触れた挨拶をし、マイクを原田候補にバトンタッチしました。
原田候補は声がかなり枯れていましたが、次第にいつもの滑らかさを取り戻し、18歳選挙権実現の前と後とで若者の投票態度が変わったこと、しかし政治は相変わらず若者不存在のままで変わらないこと、さらに年金などの社会保障改革、憲法9条や原発ゼロなどに触れ、「過去は大事だが、問題は未来だ」と強調して「教育子育て最優先」を掲げて岡山から政治を変える決意を述べ、満場の大きな拍手で終わりました。その後、ご夫人が短く支援を訴え、真庭市の柿本健治市議が情勢報告をし、ハラケンコールで締めくくりました。その後、懐かしい皆さんと言葉を交わし、帰宅は21時になりました。
7月15日、選挙12日目、ピアノ発表会、倉敷演説会、選挙事務所
9時半前に妻とともに出て、10時から2時間強、孫のももちゃんと一生君が習っているピアノ教室の発表会に行きました。私は小学生の頃、4年生の3学期から2年間だけバイオリン教室に通ったことがあり、怠けてばかりでしたが、その経験は決して無駄ではありませんでした。私の体験から言うと、孫たちはなかなかよく練習を積んでいると思いました。ジジバカですが。
その後、一度帰宅して昼食を掻き込み、14時過ぎに迎えをいただいて妻とともに倉敷市民会館に行き、15時からほぼ1時間、立憲民主党公認・野党統一候補の原田謙介候補の個人演説会に出席しました。会場は次第に人が集まって300人ほどで溢れ、倉敷市の藤原薫子市議の司会で、後援会の石田篤史会長、連合岡山の金澤稔会長、柚木道義さん、難波奨二さんと続いて、香川県から駆け付けてくれた小川淳也さんから明快で歯切れの良い応援演説をいただきました。そして原田候補が20分弱、元気一杯で説得力に満ち溢れた決意表明をし、母親からのお願いがあって、私も紹介されて頭を下げました。最後に鳥井良輔県議の音頭でハラケンコールをして、会場の決意を確認し合いました。
多くの皆さんと言葉を交わして久闊を叙し、妻とともに岡山市に帰って17時過ぎから原田候補の選挙事務所で作業を手伝い、18時から30分ほど、選対事務局会議に出席しました。いよいよ最終盤となり、力を振り絞らなければなりません。
7月14日、選挙10日目、ブッポウソウ保護フォーラム、選挙事務所
10時に妻とともに出て、岡山県の全県域の中心部にある吉備中央町に行きました。13時から日本野鳥の会岡山県支部の主催で「ブッポウソウ保護フォーラム2019in吉備中央町(岡山県)」が開催され、私は同支部顧問兼公益財団法人日本鳥類保護連盟会長として来賓挨拶を依頼されており、11時半ころに到着しました。全国から同好の皆さんがお集まりで、時間があったので、ブッポウソウ観察に案内されました。田の畔に立つ柱に架けられた巣箱に間もなく巣立ちする雛がいるとのことで、待つこと数分、近くの林の枝先に姿を現し、安全を確認して巣箱近くの電線に移動し、再度確認の上巣箱に止まって給餌し、直ぐまた飛び去りました。暫く待つとまた飛来し、フライングキャッチで餌の昆虫を捕まえ、給餌を繰り返しました。「森の宝石」と言われるその姿に、妻も私もすっかり魅せられてしまいました。
12時半に会場に戻ってお弁当をいただき、13時から2時間ほど、フォーラムに出席しました。まず支部長の丸山健司さんが開会挨拶をし、山本雅則町長の歓迎挨拶があり、私が来賓挨拶を述べました。前回は13年前で、高円宮妃の久子さまがご臨席くださってお話し出来、以来私の現職当時はお会いするたびにその話題に花が咲いたことなどから、国境の概念がない渡り鳥を見習って私たちも国境を越えた発想を持ちたいことなど、思いつくことを10分弱話しました。さらにバードライフ・インターナショナル東京の澤祐介さんの来賓挨拶があり、山階鳥類研究所の仲村昇さんの渡りの追跡に関する基調講演がありました。
続いて三人による発表に移りました。まず黒田聖子さんが子育てについて、次に中学3年生の楠ゆずはさんが「ひきうす」について、最後に合田延寿さんが鳴き声について、それぞれ研究発表をし、15時の休憩となりました。その後も18時までの予定で事例報告や意見交換などがあるのですが、私たちはそこで中座し、1時間半かけて岡山市内に戻りました。
16時半ころに立憲民主党公認・野党統一候補の原田謙介候補の選挙事務所に着き、暫時スタッフと打ち合わせなどをして、18時に帰宅しました。
7月13日、選挙9日目、総決起集会、緊急選対、選挙事務所
終日雨模様で、時に激しく降りましたが、朝方は小雨で傘がなくても大丈夫でした。ちょうどその時間帯に、立憲民主党公認・野党統一候補の原田謙介さんの総決起集会が岡山市中心部の野外の公園で開かれ、9時に妻とともに出て10時前から1時間強、傘なしで出席しました。広いスペースが時に傘で埋まり、500人ほどになりました。中川雅子県議ら女性の司会で、まず中谷一馬代議士ら若手議員数人が演壇に上がって一言挨拶をし、連合岡山の金澤稔会長とチーム連合の若手が続きました。次に私、津村啓介さんと高井崇志さんがそれぞれ一言挨拶し、さらに女性ボランティアチームが登壇しました。大塚愛県議はブルー、その他の皆さんは皆ピンクと、ここから一気にカラフルになりました。
続いて全員が黄色で、原田後援会の石田篤史会長と女性チアリーダーの皆さんが登場し、若者のエネルギー全開となって、原田候補が登場し、いつもの元気さで15分ほど決意表明をしました。その間、私たちは舞台裏で鬼チームの衣装に着替え、まず司会女性二人が為せば成るのナス衣装で登場し、続いて鬼の私、犬の高井さん、サルの津村さんとキジの鳥井良輔県議が登場。ここでは鬼も法被姿で桃太郎になった原田さんの仲間です。そして参加者全員で「ハラケン、やるけん、頑張るけん‼」と気勢を上げて決意を一つにしました。その後、桃太郎を先頭に私たちがみな会場に降りて参加者の皆さんとハイタッチをして回り、みんなで不在者投票に出掛けました。エネルギーに溢れた若者と女性が前面に躍り出たカラフルでリズミカルで未来の希望を象徴する良い企画でした。
11時半から1時間弱、いよいよ残り一週間となったところで、原田選対の緊急拡大合同選対会議に出席しました。原田候補も出席して冒頭挨拶をして街に飛び出し、続いて津村さんも一言挨拶をして飛び出して行き、高井選対本部長と金澤会長を中心に最後の詰めの協議を行い心合わせをしました。その後、スタッフらとうどん屋で昼食を食べ、原田候補の選挙事務所に寄って皆さんを激励しました。妻はその後も事務所でお手伝いをし、私は帰宅して一息つきました。
7月12日、選挙9日目、呉越さん、日展、総社演説会
午後まで自宅で電話連絡などをし、14時半に出て法律事務所に入りました。15時前に入口に来客が待っており、一緒に入って30分強、懇談しました。中国明代の芸術家の呉昌碩の曾孫で上海の呉昌碩記念館館長をしている呉越さんとご夫人で、旧知の間柄で、あれこれ思い出話をし、お土産もいただきました。
15時半過ぎに一緒に出て天神山文化プラザに行き、開催中の日展の書の部を鑑賞しました。そこでお別れし、さらに日本画やお隣の県立美術館で開催中の洋画や彫刻を鑑賞しました。共通の友人の高木聖雨さんが「韜世」と大きく書き、小野玲華さんや石田宗之さんの作品もありました。
17時過ぎに帰宅し、17時半にお迎えをいただいて妻とともに出て総社市に行き、19時から1時間、立憲民主党公認・野党統一候補の原田謙介候補の個人演説会に出席しました。円形に並んだ椅子が演壇を囲む設営で、若者たちが大勢集まってくれ、古くからの支援者も含めて150人程度となる中、小西利一市議の司会で、まず石田篤史後援会長が開会挨拶をし、私が10分弱、参議院の役割と経済と政治の役割の違いを話し、さらに連合岡山の金澤稔会長がアベノミクスの陥穽を突いて、それぞれハラケンへの支持をお願いしました。続いて原田候補の夫人が紹介されて一言挨拶しました。
そこで、原田候補がマイクを持って15分程度、新しい社会保障の制度設計に取り組むことや教育子育て最優先を掲げることなどに触れて熱のこもった決意表明をしました。会場に熱気が溢れたところで、選対本部長の高井崇志さんからの情勢報告があり、最後にハラケンコールで気合を入れて締めくくりました。帰路、21時に番町文庫で夕食となりました。
毎日新聞政治プレミアに登場しました。ご覧ください。 https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20190711/pol/00m/010/002000c?pid=14511
7月11日、選挙8日目、事務所、独立書展、玉野演説会
妻は朝から近くの公民館のコーラス練習に出掛け、私は留守番がてら電話連絡をしました。14時半に出て法律事務所に入り、暫くデスクワークなどをしました。
16時過ぎから1時間弱、天神山文化プラザで開催中の岡山県独立書展を拝見しました。いつもながらの意欲的な作品揃いで、松嶋碧山さんの「極」が目を引きました。
17時半前に帰宅し、18時に妻とともに出て玉野市に向かい、19時から1時間弱、立憲民主党公認・野党統一候補の原田謙介候補の個人演説会に出席しました。直前の土砂降りにも拘らず、会場は150人に手が届きそうな聴衆で立ち見も出る超満員となり、後援会の石田篤史会長の開会挨拶から始まり、支援をいただいている国民民主党の本部副代表の津村啓介さんら来賓挨拶があり、私や住吉良久県議ら地方議員も紹介されて一言挨拶をしました。
そして原田候補の決意表明となりました。声は枯れていますがしっかりと出ており、話の運びも次第に手馴れてテンポ良く、締めくくりもしっかりと支援のお願いをして盛り上がりました。その後、母親からのお願いと高井崇志さんからの情勢報告があり、最後は全員起立でハラケンコールをして閉会となりました。私も、長くご支援いただいていた皆さんに、大勢お会いして言葉を交わすことが出来ました。
7月10日、選挙7日目、水島演説会
夕方まで自宅で電話連絡などをし、18時前に迎えをお願いして妻とともに出て、19時から1時間ほど、倉敷市水島で立憲民主党公認・野党統一候補の原田謙介さんの個人演説会に出席しました。
原田候補のビデオ映像が流れる中、円形に並べた椅子を増やすほどにどんどん人が集まり、開会時には250人ほどが中央の演壇を囲んで膨れ上がりました。時尾博幸倉敷市議の司会で、まず後援会長の石田篤史さん、連合岡山の藤井さん、柚木道義さん、難波奨二さんと応援弁士が続き、難波さんに促されて飛び入りの私も壇上で挨拶をし、1950年の参院選で私の父・江田三郎が最初に参院選に当選した時から半世紀を超え、連綿と続いた非自民の議席を原田候補に引き継がせてほしいと訴えて、マイクを原田候補にバトンタッチしました。
原田候補は18歳選挙権実現から話を始め、「過去は大事だが、問題は未来だ」と強調して、若者の参加で若者に目を向けた政治を実現することを、さらに「教育子育て最優先」を掲げて岡山から政治を変えることを訴えて、支援の輪を広げるようにお願いしました。最後に鳥井良輔県議が情勢報告をし、ハラケンコールで締めくくりました。帰宅は21時になりました。
7月9日、選挙6日目、枝野代表街宣、演説会
朝はゆっくり電話連絡などをし、15時過ぎに妻とともに出て法律事務所に入り、デスクワークをしました。
短時間で切り上げて岡山駅西口に行き、16時15分から参院選岡山に立憲民主党公認・野党統一候補として挑戦している原田謙介さんの街頭演説会に出席しました。高原俊彦県議の司会で、まず立憲民主党の高井崇志さん、次に国民民主党の津村啓介さんが挨拶し、私も紹介されました。そこに原田候補が到着し、多数並んだテレビカメラの束になったマイクを握りしめて力強く未来に向けた政治への思いを語りました。心配された声は落ち着き、最後は良く通る声を張り上げました。
その途中で立憲民主党の枝野幸男代表が到着し、駅ビルのデッキを埋め尽くした聴衆に生活重視の政治への転換を訴え、野党結集で駒を進める原田候補を支援するよう、有権者一人ひとりから始める未来への選択を訴えました。
17時ころにお迎えをいただいて、妻とともに一般道を北上して津山市に行き、19時から1時間強、原田候補の個人演説会に出席しました。原田候補のこれまでの活動がビデオで流れる中、次第に人が集まって300人を超える超満員となり、秋久憲司津山市議の司会で開会しました。まず立憲民主党の高井崇志さん、長野県選出参議院議員の杉尾秀哉さんと難波奨二さんが激励挨拶をし、出席地方議員の紹介と連合岡山の金澤稔会長の挨拶に続いて市民代表の小野陽子医師が応援の挨拶をして私を呼び出し、私も一言挨拶をして原田候補を円形の会場中央の演壇に呼び上げてバトンタッチをしました。
そこで原田候補が15分ほど、18歳選挙権から説き起こして若者の未来や政治参加につき、さらに年金などの社会保障新しい設計や教育子育て最優先につき話しを進め、強い言葉で支援を求めて満場の大きな拍手を受けました。その後、原田候補の父親と夫人による親族からのお願いと柿本健治真庭市議の情勢報告があり、原田候補と弁士らが演壇に上がって手拍子でハラケンコールをして、閉会となりました。
その後、久し振りにお会いする皆さんと言葉を交わし、数人で夕食を食べて23時半過ぎにやっと帰宅しました。