昼過ぎまで自宅でゆっくり電話連絡などをし、14時過ぎに妻とともに出て所用を済ませ、妻は夏の参院選岡山に立憲民主党公認で挑戦する原田謙介さんの事務所へ行き、私は法律事務所に行って16時半ころまでデスクワークをしました。
その後、私も原田事務所に向かいました。そこへ、原田さんのご両親の原田仁史さんご夫妻が寄られたので、選挙情勢やご両親の動き方などについて話し合いました。17時半には原田さん本人が帰ってきたので、私と二人で懸案だった流し街宣用のテープを録音しました。
昼過ぎまで自宅でゆっくり電話連絡などをし、14時過ぎに妻とともに出て所用を済ませ、妻は夏の参院選岡山に立憲民主党公認で挑戦する原田謙介さんの事務所へ行き、私は法律事務所に行って16時半ころまでデスクワークをしました。
その後、私も原田事務所に向かいました。そこへ、原田さんのご両親の原田仁史さんご夫妻が寄られたので、選挙情勢やご両親の動き方などについて話し合いました。17時半には原田さん本人が帰ってきたので、私と二人で懸案だった流し街宣用のテープを録音しました。
運転免許証の更新手続きをしました。既に認知機能検査と高齢者講習は済ませており、残る更新手続きは短時間で済むと思いながら、10時過ぎに自宅を出て所用を済ませ、11時半過ぎに県運転免許センターに行くと、午前中の受け付けは11時までで、次は13時からとのこと。仕方なく2階の食堂で昼食を食べ、12時半過ぎには既に行列が始まっていたので並ぶと、超大型連休後で長蛇の列となるので、13時10分前ころから受付再開となり、受付、証紙購入、視力検査、写真撮影と手際よく進み、13時5分ころには新しい運転免許証を手にすることが出来ました。1961年以来の運転歴で、次回は2022年です。
14時前に法律事務所に入り、2時間強、デスクワークをしました。連休中は事務所も休みで、未済案件はそれほど溜まっていませんでした。
16時過ぎに出て夏の参院選岡山に立憲民主党公認で挑戦する原田謙介さんの事務所に顔を出すと、原田さんと高井崇志さんの両母親や私の妻をはじめ大勢の女性の皆さんが、柏餅を食べながら鳩首協議中でした。今月22日が私の誕生日で78歳、原田さんの誕生日が10日で33歳、合わせると111とゴロの良い数字になるので、22日に事務所で金を掛けずにお料理持ち寄りで楽しい企画を催して、気軽に立ち寄って貰える場所にしようということ。期待が膨らみます。
連休の始まりに前歯が外れ、連休後の最初の仕事として9時に三船歯科に行きました。長い使用で接着が限界に来たとのことで、直ぐに付け直してくれ、事なきを得ました。
10時過ぎに妻に送って貰って岡山駅に行き、昼食を買って12時前の新幹線で上京しました。快晴の中、岡山県三大河川の旭川と吉井川が、いずれも豊かな水を湛えていました。昼食後にうとうとしていると、浜名湖を通り過ぎました。しかしそこから曇天となり、富士は姿を現しませんでした。
15時過ぎに着いて移動し、16時前から45分間ほど、「フォーラム平和・人権・環境(平和フォーラム)」の福山真劫代表とお会いして参院選を控えた最近の政治状況などにつき意見交換し、特に岡山選挙区に立憲民主党公認で臨む原田謙介予定候補の選挙情勢につき説明して支援をお願いしました。野党間協力には様々な形があり、力を合わせる知恵が必要です。
次に17時から30分ほど、私が顧問としている(公財)日中友好会館の事務所に行き、職員の皆さんに声を掛けて、荒井克之理事長や鄭祥林中国代表理事と懇談しました。最近の日中関係の改善を反映し、会館の仕事量もかなり増加しているようです。
17時半に荒井さん、鄭さんとともに出て、18時前に中国の程永華大使離任レセプション会場に着きました。厳重な警備のせいか、18時半開会なのに入場は長蛇の列で、私も30分ほど並んでやっと程大使と汪婉夫人にお会いでき、直接言葉を交わして会場に入ると、中も厳重警戒でVIPのそばには近寄れませんでした。やがて程大使夫妻と安倍首相夫妻とが入場し、程大使が心のこもった9年3か月に及ぶ勤務の回顧談と謝辞を述べました。日中外交関係で断トツの長期間となりました。次いで安倍首相に続いて福田元首相の送別のスピーチがあり、さらにスピーチが続いたのですが、時間切れで中座し、東京駅で夕食を食べて20時過ぎの新幹線で帰岡しました。
山陽新聞朝刊「平成政界回顧」 平成31年4月29日
(山陽新聞社様から許諾を得て掲載しています。)
10時に大慌てで出て岡山駅前に行き、駐車場に車を入れて立憲民主党枝野幸男代表の列島縦断大作戦の街頭演説場所に行きました。既に用意が整っており、10時半過ぎから高原俊彦県議の司会で開会し、まず県連代表の高井崇志さんが現在の安倍政治の失政を鋭く糾弾する話をし、次いで夏の参院選岡山に同党公認で挑戦する原田謙介さんが民主主義の原点である国民主権につき分かりやすく話をしました。憲法第12条にいう「国民の不断の努力」の必要性ですが、国民に主権者意識を忘れさせる試みが権力によって行われることも珍しくなく、常に有権者が意識して原点に立ち返ることが大切です。
11時過ぎに枝野代表が到着し、10分過ぎからほぼ25分間、主として内政に関し立憲民主党が考える現状の問題点と政策につき話をしました。それは、超高齢化、人口減少と貧困で、具体的で説得力に溢れ、ほぼ200人の聴衆から大きな拍手を受けました。最後に原田さんに寄せる大きな期待を披瀝し、必ず何回か岡山に応援に来たいと話して締めくくりました。難波奨二さん、柚木道義さん、鳥井良輔県議と森山幸治市議も参加しました。
12時に帰宅して昼食を済ませ、再び出て13時半から原田謙介事務所で会議を行いました。まず立憲民主党岡山県連合の常任幹事会で、鳥井良輔県議の司会で高井代表の挨拶と活動報告などがあって15分程度で終わり、次に原田さんの選対会議に移りました。夏の参院選に向けた各種の活動や選挙期間中の数多くの課題につき、事項を示して順次協議を進め、16時にエール交換で気持ち合わせをして終了しました。
妻とともに政治活動で大変にお世話になった故人のご自宅に弔問に出掛け、それぞれご位牌に線香を手向けて手を合わせました。まず10時から故・大亀幸雄さん、さらに18時から故・森本徹磨さんで、いずれも奥様が居られ、生前のご活動を偲びました。
12時から16時ころまで、吉田良子さんのお招きでご自宅を訪ね、ご自慢の手作りロシア料理にワインを堪能し、楽しいおしゃべりであっという間に時が過ぎました。ご主人のロシアについての深い学識に、大いに啓発されました。
18時半ころ、沈む夕日に照らされた麦畑が奇麗でした。間もなく麦秋です。
終日自宅でゆっくりと、夏の参院選岡山に立憲民主党公認で挑戦する原田謙介さんの資料作りでデスクワークをしました。途中に短時間、庭に出て草取りで気分転換を図りました。
妻は今日も9時に出て、夏の参院選岡山に立憲民主党公認で挑戦する原田謙介さんの支援活動をしました。私は15時ころまでゆっくりテレビを見ながらデスクワークや電話連絡をし、15時過ぎに庭に出て、木々の枯れ枝を切り取り草むしりをしました。長く放置していたスズランもヒメライラックも、花付きが極端に悪くなってしまいました。
夕食後、19時に出て原田事務所に向かい、19時半から23時ころまで、原田さんの講演会活動のための資料づくり会議に参加しました。プロフィルから始まり活動歴、理念、政策など、細かく文章表現に至るまで協議を重ねましたが、最後は原田さん本人に委ねる箇所も多く、宿題山盛りで大変だと思います。
妻は9時に、夏の参院選岡山に立憲民主党公認で挑戦する原田謙介さん関係の挨拶回りに出掛け、私はゆっくり起きて妻が作っておいてくれた朝食を食べ、昼過ぎまで溜まった郵便物の整理などデスクワークで過ごしました。
13時半ころに出て、近くの「秀やす」でラーメンの昼食にしました。大変美味しく満腹になりました。帰宅後、さらにデスクワークをし、夕方になって庭に出て草取りをしました。よく見ると、冬眠から覚めたばかりなのか、アマガエルがゆっくり休んでおり、カメラを近づけても動きませんでした。自宅前の用水には、25センチもある亀がじっとしており、その近くには50センチもありそうな鯉が2尾、悠々と泳いでいました。草むらの中には、孵化したばかりの小さなカマキリがたくさん動いていました。
昨夜は改元の瞬間をテレビで見て床に就きましたが、今日もテレビは朝から改元一色で、しかも剣璽の承継を国事行為で行う事態にも何の疑問も示されず、異論を許さぬ一色振りにいささか気味悪さを感じました。
9時半に出て10時から1時間強、今夏の参院選岡山に立憲民主党公認で挑戦する原田謙介予定候補の選対事務局会議に出席し、具体的な取り組みにつき協議、決定しました。時は矢のように過ぎてゆくのに、取り組みは圧倒的に遅れています。終了後、事務所前に出て拳を振り上げて必勝を誓いました。
その後、自宅に戻って午後はゆっくり過ごしました。17時半に妻と出て、18時から2時間ほど、私の参院議長時代のスタッフだった立命館大学の大西祥世教授を迎えて夕食をご一緒しました。現在はサバティカル休暇でジョージタウン大学で研究中で、やっと完成した憲政研究会の報告書を持ってきてくれました。三権の長からのヒアリングを網羅した研究は初めてのようです。