除夜の鐘を聞いて床に着いたら、「朝まで生テレビ」が始まり、ほとんど眠りながら聞いていると、明け方になってしまいました。菅首相に対する批判は強烈で、自民党の皆さんも同調せざるを得ない雰囲気でした。
10時ころに起き、妻とともにお屠蘇とお雑煮をいただいて新年の挨拶を交わしました。「明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。」
その後は終日何事もなく、ゆっくりしました。新型コロナウイルスの一日も早い終息を期待しますが、まだまだ先は見えていません。
除夜の鐘を聞いて床に着いたら、「朝まで生テレビ」が始まり、ほとんど眠りながら聞いていると、明け方になってしまいました。菅首相に対する批判は強烈で、自民党の皆さんも同調せざるを得ない雰囲気でした。
10時ころに起き、妻とともにお屠蘇とお雑煮をいただいて新年の挨拶を交わしました。「明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。」
その後は終日何事もなく、ゆっくりしました。新型コロナウイルスの一日も早い終息を期待しますが、まだまだ先は見えていません。
いよいよ2020年も終わりの日が来ました。日本海側の大雪をよそに、岡山県も県南は快晴ですが、気温はぐっと下がって寒い大晦日となりました。終日自宅でゆっくり過ごし、注連飾り等を飾り付けカレンダーを変えて、新年の用意は終わりました。15時ころに福田玄さんらが来て、玄関先で挨拶しました。広島県選出の森本真治さんの秘書をしていますが、元々の地盤である浅口市で市長を目指して明るく頑張っており、勇気付けられます。
夜は妻手作りの年越しそばで、腹いっぱいになりました。現役時代は神社やお寺を回って除夜の鐘を突いたりしましたが、今はそれもなく、自宅でゆっくりテレビを見て新しい年を迎えました。新型コロナ感染者数は、東京では遂に1000人を大きく超えました。人種も国籍もすべてを乗り越えて、人と人の絆を強く厚くしなければならないと、痛感しています。
夜中の雨は朝にはすっかり上がり、快晴となりましたが、気温はぐんぐん下がり、おまけに突風が吹いて落ち葉が舞い、昼過ぎには小雪が舞い散りました。11時半に、知人二人が「江田五月書道展」の案内ハガキを持って訪ねて来てくれ、若干の打ち合わせをしました。
13時半過ぎに妻とともに出て、郵便局や銀行で所用う済ませ、さらに若干の買い物をして、14時半過ぎに戻りました。そこに15時に立憲民主党岡山第1区総支部幹事長の森山幸治岡山市議が同党県連事務所の職員らと訪ねて来て、1時間強、お茶の時間にしてあれこれ懇談しました。20時過ぎに、素晴らしいお節料理が届きました。いよいよ明日は大晦日です。
妻は午前中、暮れの買い物に出掛け、私は終日自宅で、電話連絡や若干のデスクワークに追われました。羽田雄一郎さんの急死に至る経緯が次第に分かってきました。今日は、県北で長年の労組関係の活動家が急逝したとの報が入ってきました。痛ましいことです。合掌。
国会には衆参両院にそれぞれ議員専門の医務室があり、年一回程度希望する議員全員の検尿、検便から採血や透視も含む健康診断をしています。これを活用して全議員のPCR検査を行おうとの意見がありましたが、国会がパニックに陥ると大変だからと実現に至らなかったようです。しかしこの際、感染発見が遅れて国会全体にウイルスが蔓延する方が、よほど危険ではないでしょうか。国会議員を優遇するのでなく、国政麻痺を怖れるのです。
15時に、母方の従妹が息子とそのフィアンセととともに来て、小一時間お茶にして楽しいひと時を過ごしました。来春に結婚届を出すそうで、ご多幸を祈ります。
夜半の雨が明け方までにすっかり上がり、快晴の朝となりました。朝食後、11時から12時半過ぎまで、立憲民主党岡山県連の常任幹事会に出席しました。と言っても対面ではなく、オンラインによる開催で、初めての試みですが見事に成功しました。
時刻通りに開会し、県議の鳥井良輔幹事長の司会で、難波奨二代表の挨拶から始まり、本部の羽田雄一郎参院幹事長の急逝の報告がありました。後に新型コロナウイルス感染症によるとの報道に接しました。痛恨の極みです。享年53歳。合掌。その後、県連関係の会議等の報告があり、各選挙区からの報告が続きました。いくつかの点で質疑もあり、私も何回か発言しました。
午後は、妻とともに14時半過ぎに出て若干の所用を済ませ、16時過ぎから1時間半ほど、ももちゃん宅に寄ってママとももちゃんと一緒にお茶にしました。パパと一生君は留守で、新たに家族となった子犬のリーベが元気に走り回っていました。
妻は午前中、美容院に髪を整えに行き、私も12時過ぎころに合流して髪を切って貰いました。本当に久しぶりで、少しすっきりしたと思います。
1月16日から2月28日まで、木金土日の各曜日と祝日に、岡山市北区高松550-3のカフェスイーツいちぢくで、私の書道展を開くことになりました。これまで展覧会などに出品した全紙の作品がたくさんあり、いずれも拙いものばかりですが、友人に背中を押されてご批判を仰ぐことになりました。その案内ハガキが届いたので、16時に妻とともに出て、若干の知り合いに配って回りました。どうぞご鑑賞ください。
妻は午前中に準備の買い物に出掛け、14時ころから二人で一緒に出て、国道53号を北上して岡山市最北端に行きました。途中で先ず和田知矩さんの仏前に、次に岸本康男さんの仏前に、それぞれ線香を手向けて手を合わせました。いずれも私の親族で、生前に大変に世話になった恩人です。
15時半ころに福渡の妙福寺境内の墓地に着き、早速両親の墓石に水を掛けて墓掃除をし、線香を手向けて手を合わせ、今年一年の感謝を捧げ来年のご加護をお願いしました。16時過ぎに出るころには日が傾いて寒くなり、17時半に帰宅したころには外は真っ暗になっていました。
昨日の雨から一転、快晴となりました。12時半前に妻とともに出て岡山市中心部に行き、13時から所用に取り掛かりました。待ち時間もあり、全て終わったのは15時過ぎになりました。いささか草臥れたので、自宅に直行し、15時半過ぎに帰宅してテレビを点けると、ちょうど参議院議院運営委員会で立憲民主党の福山哲郎幹事長が安倍前首相を追及しているところでした。
16時に、山崎晴惠さんの母親が来られ、1時間ほど懇談しました。父親と私とは中・高生時代の同期生で仲が良く、彼は地元のテレビ局に職を得て県北で活躍していましたが、61歳で急死しました。晴惠さんは父親の思いを受けて、勉強を重ねて弁護士となり、今は宝塚市で開業しています。50歳ですからまだ若手で、現職の中川智子市長の意を受け、来年4月の市長選に無所属で立候補します。今日は本人に代わって母親が、私のアドバイスを聞きに来たのです。頑張ってみんなの期待に応えてくれると思います。
本当に長く晴れが続きましたが、今朝から待ちに待った雨で、夕方まで小雨が降り続きました。これで庭の植物が、一息付けばいいのですが。そんな中で終日自宅で、電話連絡とデスクワークに追われました。
クリスマスイブは、県北の友人から送られた可愛いクリスマスカードを見て過ごしました。モミの小枝に飾られたたくさんの小さな明かりが音楽とともに点滅し、何だか嬉しくなります。
安倍前首相が18時から記者会見を開き、桜を見る会前夜の後援会懇親会の会計につき、国会での説明が虚偽であったことを認め、そこに至った事情を説明しました。これまでの国会での説明はすべてその会議録に正式の記録として残っているのですから、これを正すには、国会の権威のためにも後世の検証のためにも、国会の公式の場で事情を述べ、前の会議録と同様の会議録に残る形で残さなければなりません。しかしそれでも、虚偽を繰り返し述べていた人が、今回だけは真実を述べていると納得させることはできません。やはり偽証罪の制裁のある証人尋問が必要なのではないでしょうか。
冬至を過ぎたところで、ちょっと暖かくなりました。午後まで自宅でゆっくりし、14時半に妻とともに出て、15時から民事法律相談を受けました。下請け関係が複雑に入り込んだ土木工事の代金債権の案件で、他の当事者はそれぞれ弁護士に依頼しており、江田剛所長にも加わって貰い、問題点を洗い出して今後の方針を協議しました。1時間の予定が2時間となり、岡山弁護士会の憲法委員会の会議にオンラインで参加するつもりが、終わってアクセスすると既に会議は終わっていました。