寒さが少し緩んできたようです。今日も終日自宅でゆっくり、テレビを見たり電話連絡をしたりしました。15時前に総社市の山田雅徳市議がご夫人の恵さんとともに来られ、総社市名産のセロリドレッシングをいただきました。出来たばかりの新製品だそうです。新たに出発した立憲民主党岡山県連は、これまでの事務所が手狭になったので、街中に近く少し大きなところに引っ越し、恵さんはそこでお手伝いいただくことになりそうです。
投稿者: 江田 五月
12月21日、歯科、工房地球村
寒さは続き、夕方まで自宅でゆっくりしながら、デスクワークや電話連核をしました。17時半前に妻とともに出て、18時から1時間半ほど、二人とも歯科の処置を受けました。次回は、妻は年内にもう一回、私は1月中旬となりました。
美味しいクッキーが届きました。宮城県山元町にある(福)山元町社会福祉協議会の「工房地球村」という精神障がい者施設の皆さんが、東日本大震災後に始めたお菓子作りの商品で、実に素朴で美味しいのです。コロナ禍の鬱陶しい雰囲気を吹き飛ばすのに最適です。
12月20日、コロナ、吉田さんら
寒波はまだ居座ったままです。よく晴れているため、放射冷却で朝の冷え込みは相当のものです。終日自宅で、テレビを見たりしながらゆっくりしました。岡山県の新型コロナ感染者数が今日は111人というので、びっくりしました。
15時ころ、吉田浩岡山大准教授と良子さんが寄られ、玄関先ですが短時間懇談しました。学術会議に関する企画でご一緒して以来です。
12月19日、道文会お祝いの会
相変わらず寒い一日でした。昼過ぎまでゆっくりし、15時半ころ妻に送って貰って東区西大寺に行き、ホテルで開かれた道文会の今年の入賞入選のお祝いの会に出席しました。かな書道の同人の会で、初代の小野桂華会長時代に私は顧問となり、二代目の小野玲華会長になってからも続いています。今日は、玲華会長の日展15回目の入選、寺谷和子さんの5回目の入賞に加えて、大川秀華さんが初入選となり、さらに日本書芸院展と菁筆会展の入賞入選の皆さんのお祝いの会です。30人程度の集まりで、万全のコロナ対策が取られており、私もフェイスシールドをいただきました。
定刻に開会し、まず玲華会長の挨拶があり、私が顧問として挨拶をしました。次いで玲華会長から各賞受賞者の紹介があり、特に大川さんの紹介ではマスクの向こうで会長ご自身も涙ぐんでいるような表情が浮かんできました。そして、まず私が大川さんに花束を贈呈し、記念品の授与に移りました。40分程度で終わり、そこから会食となるのですが、私はそこで中座し、帰宅しました。来年の皆さんのご活躍を祈ります。
12月18日、地震速報
寒い一日で、終日自宅から出ず、電話連絡や若干のデスクワークのほか、テレビを見たりしてのんびり過ごしました。小川淳也さんのコロナ感染経験はもちろん、コロナのニュースを筆頭に、気になるニュースがいろいろありましたが、何度も地震の緊急速報が入ったのが不気味でした。
12月17日、相談、ラッシュ
岡山では珍しく寒波に襲われ、寒い朝でした。昼過ぎまでゆっくりし、13時過ぎに妻に送って貰って出て、若干の所用を済ませて法律事務所に入り、15時から30分ほど、社会保障給付の関係の相談を受けました。
その後、短時間で未済箱に溜まっている書面に目を通し、17時前に出て帰宅しました。帰宅ラッシュには早いのですが、年末の慌ただしさなのか、道はかなり混雑していました。
12月16日、日弁連web会議、学術会議
寒さが一層厳しくなりました。午前中は自宅でゆっくりし、13時から1時間半、日弁連によるWeb会議に参加しました。「日本学術会議に関する勉強会」で、講師は東京大学の大西隆名誉教授です。まず40分ほど、講師による今回の任命拒否についての講演があり、その後は出席者との質疑応答となりました。私の自説を述べながら若干の発言をしました。
学術会議の「独立」は、学問の自由に由来するものであり、日本はそのことを最大限尊重する国だということを明らかにするために、国の機関と位置付けているのです。従って、誰からの独立かというならば、これが属している行政からの独立が最も重要であって、現在進んでいるような与党からの提言を内閣が受けて学術会議改革に乗り出すということ自体が、独立の観点から許してはならないことになるのだと思います。もちろん学術会議も、常に「脚下照顧」を忘れず研鑽と自己改革に努めることが大切であるのは言うまでもありませんが
12月15日、書作品
寒くなりました。午前中はゆっくりと電話連絡や若干のデスクワークをしました。
13時に、「カフェ・スイーツいちじく」経営者の横田ヒロ子さんが業者とともに、私の全紙や半切の作品を見に来ました。長く展覧会などに出品して来た作品のうちわが家に持ち帰ったものが10点以上溜まっており、さらにレンタルの額から外した裏打ちをしてある作品が同数程度あったので、カフェのギャラリーでこのうち数点による展示会を開こうというのです。いささか恥ずかしいのですが、それも良いかと受け、改めて自分の作品群を見ました。出来の良いのや悪いのやさまざまで、業者に10数点と私の父・江田三郎の「千里同風」という額とを持って行って貰いました。
12月14日、原稿、取材、落款
今日も終日、自宅から出ませんでした。しかし、昼過ぎまでゆっくりしましたが、午後からは結構忙しく、まずは電話連絡と協議。次いでいくつか新年に当たっての挨拶原稿書きをしました。
15時半から1時間弱、電話で報道の取材を受けました。菅内閣の環境相だった時の放射能汚染の取り組みについてで、短期間で時間も経ちましたが、懐かしく思い出しました。
その後、昨日揮毫した色紙に落款を押して仕上げました。いつもですが、出来上がってみると欠陥だらけで恥ずかしい出来です。
12月13日、揮毫
自宅でゆっくり、あれこれのことをしているうちに、夕方になってしまいました。17時から1時間ほど、妻に助手を務めて貰って、依頼されていた色紙を揮毫しました。わずか10枚ほどですが、久し振りだったせいか、ぐったり疲れました。