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9月25日、沖縄知事選、デニー応援、愛楽園、訪問、豊見城

玉城デニー候補と

7時に自宅を出て岡山空港に行き、電話で予約したチケットを貰って、8時半の便で那覇に飛びました。空港への道中はやはり大渋滞で、岡山空港に着いたのは8時10分になり、ちょっとヒヤッとしました。機内では、与党の国会議員もいて、まさに「呉越同舟」でした。

沖縄へ

若干遅れて10時半過ぎに着陸し、直ちに難波奨二さんの秘書で知事選のために沖縄に滞在している山口君の手配でレンタカーに乗り込み、山口君運転で名護市に向かいました。台風25号の影響なのか、時々大粒の雨が降っていました。

高速道で名護へ

沖縄県知事選は、大激戦です。世論調査では、私が応援に来た玉木デニー候補が優位のようですが、22年前のちょうど今頃、私が岡山県知事選に挑んだ時と同じコースで、最後まで調査では勝っていても、蓋を開けると負けているということがあります。私の時も、首相官邸から直接の電話が入ったり、政権内の幹部が何度も現地に来たり、権力を握っている側はありとあらゆることをしてきます。公選法的には違反であっても、現実には各地にローカルルールがあり、沖縄では、特にそれが顕著のようです。負けずに頑張ります。

13時前に名護市のファミレスに着き、立憲民主党沖縄県連合の有田芳生代表と落ち合って、持参のかりゆしに着替えて一緒に昼食を食べ、14時前に立憲民主党の街宣カーを先頭に街に出ました。まず最初に14時過ぎに、サトウキビ畑を通り抜けて、国立ハンセン病療養所「愛楽園」に行きました。入所者数は150人程度にまで減少し、平均年齢は80歳を超えています。入所者自治会の金城雅春会長にお会いしてご挨拶をし、園内放送で入所者や職員の皆さんにご挨拶をしました。帰りに道端を見ると、本土では公選法違反と思われるような看板が堂々と立っていました。

有田さんとかりゆしで
サトウキビ畑
愛楽園で
園内放送
適法?

名護から南下してうるま市に入り、16時に、ハンセン病回復者で社会復帰した金城幸子さんをご自宅に訪問しました。本当に久しぶりの再会で喜ばれ、逆にこちらが激励されました。アエラの8月27日号に金城さん個人の大特集が組まれており、1冊いただきました。次いで17時前に、うるま市選挙区で県議補選をたたかっている最中の山内スエコ候補の選挙事務所に寄り、激励しました。

金城幸子さん
山内候補の選挙事務所で

そこから豊見城市まで走り、玉木デニー知事候補と山川仁市長選予定候補の合同の総決起大会会場に駆け付けました。控室で暫く待つうちに、次第に弁士も聴衆も集まり、19時に開会となって、聴衆席で皆さんの訴えを聞きました。山川予定候補や経済界から一貫して玉城選挙の先頭に立っている呉屋守將さんをはじめ、後援会幹部の皆さんや有田芳生さんら各支援政党の代表が壇上に勢揃いして順次話を進める中、玉城候補の入場となりました。その直前に、私は会場入り口でご挨拶をし、激励しました。玉城候補の挨拶は、15分ほど終始緩むことなく、地域の経済政策も平和や基地のこともきちんと触れ、立派で力がこもっていて、訴える力に溢れていました。挨拶の最後に私の紹介までしてくれ握手もさせていただきました。すべての弁士の話が終わった後に、全員で手を繋いで頑張ろう三唱をしました。私の隣席が、学生時代以来の親友の平田辰一郎君のお嬢さんで、びっくりしました。その後、21時ころにホテルについて夕食に出ました。

山川予定候補と
頑張ろう!

 

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9月24日、書道パフォーマンス、揮毫

吉田さん書道パフォーマンス「平和」

10時半に出て、「ピースフェスティバルinおかやま」の3日目イベント会場に行きました。次第に人が集まり、11時から「吉田綾舟書道パフォーマンス『平和』」が始まりました。

吉田さんと

まず司会者が吉田さんの紹介をしました。彼女の最初の書道の先生は、故・笹野伸夫さんで号を舟橋と言い、私が小学生のころに最初に書を習った先生です。また最終の先生は故・曽我英丘さんで、私の高校書道部の1年先輩なので、いわば兄妹弟子関係となります。次いで吉田さんが、書道パフォーマンスに挑戦するようになったきっかけなどを話し、いよいよ巨大文字の挑戦が始まり、金文の書体で「平和」と揮毫しました。

開会
「平和」揮毫

次いで、観客からの感想発表となり、さらに別の用紙が広げられて、観客による書の挑戦となりました。私も試み、感想も述べました。多くの人がそれぞれに思いを書き、最後に私が「絆」と書いて、終了時刻となりました。その後、13時半ころ帰宅しました。

私の挨拶
参加者らと
「絆」と揮毫
参加者が次々と
会場全景

昼食後、小休止を取り、16時ころからデスクワークや電話連絡を始めました。そして、筆を持った勢いで、依頼されていた揮毫に取り組み、色紙2枚と表札を仕上げました。夜は、明日からの沖縄県知事選押しかけ応援の荷造りをしました。

自宅で揮毫

 

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9月23日、墨騰展、玉龍会例会、大相撲

墨騰会書展で松嶋会長と

朝、改めて墨騰会書展のご案内を松嶋碧山会長からいただき、今日が最終日なので慌てて12時過ぎに天神山文化プラザに駆け付けました。松嶋さんは、聖徳太子の書法による「百聞不如一見」、小品の「五風十雨」など意欲的な作品を出され、会員の有本柳紅さんは力強い「雲中鶴」などを出していました。

12時半過ぎに出て、13時直前に玉龍会例会の会場に着きました。目指したうどん屋がお休みだったので、昼食抜きとなりました。森腰亮さんの司会で、まず先の第49回玉龍会展の反省を述べあい、来年の第50回展の持ち方につき意見交換しました。立派な作品集を作りたいのですが、会計の方にその余裕がなく、知恵を絞らなければなりません。

玉龍会例会

14時半過ぎから1時間ほど、作品を書いてきた皆さんの合評会を行いました。枯樹賦の臨書作品を書いた人が2人いて、それぞれの個性によって出来上がりが大きく異なることにびっくりしました。16時過ぎに帰宅し、大相撲千秋楽のテレビ中継を見ました。

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9月22日、孫たち運動会、9人の昼食、所用

孫たちの運動会

前夜の雨が朝にはすっかり上がりましたが、運動場は水浸しなので、予定を1時間遅らせ、ももちゃんと一生君たちの学校の運動会は開会が10時となりました。9時過ぎに妻とともに出て、バス停からバスで東山電停まで行き、9時40分ころに学校に着いて、13時ころまで運動会を見学しました。母親の両親と妹も福山から駆け付けてくれ、大応援団となりました。幼稚園年中さんの一生君は元気に駆け回り、小学2年生のももちゃんはお遊戯が大変上手でした。

一生君も元気一杯

13時から休憩に入り、小学2年以下はここで終わりのため、みんな揃って総勢9人で昼食を食べに行きました。子どもたちもそれぞれ一人前を注文し、みんな揃ってお腹一杯になりました。14時半過ぎにお別れし、バスで帰宅しました。

バスで帰宅

一休みし、17時半ころに妻と出て、所用を済ませました。来週の切符の購入ですが、旅行社は大混雑で弱り果てましたが、携帯での購入方法を教わり、事なきを得ました。その後、妻と外食で夕食を済ませました。今日は朝からずっと、電話連絡が続きました。

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9月21日、彼岸、墓参、民事相談、現地調査、保育園

両親墓参

お彼岸になったので、例年通りお墓参りに行きました。今回は、妻の外に実弟の江田拓也と一緒で、9時半に自宅を出て所用を済ませ、まず和田知矩さんのご自宅で、次に岸本康男さんのご自宅で、いずれも仏壇に線香を手向けてお参りしました。

和田さん
岸本さん

11時に福渡の妙福寺に着き、両親の墓に手を合わせました。かろうじて雨を免れ、さらにその間に電話連絡がいろいろあり、12時前にスープカレー屋さんで慌ただしい昼食となりました。

弟とともに
昼食はスープカレー

13時の予定が10分ほど遅れて法律事務所に入り、14時まで江田剛所長弁護士とともに法人運営関係の法律相談を受けました。その後、さらに15時過ぎまでデスクワークや電話連絡をしました。

法律相談

15時半ころに妻の迎えで出て、民事受任事件の関係で赤磐市に行き、関係物件の現地調査をしました。直ぐご近所に山陽いろは保育園があったので立ち寄ると、ちょうど舟橋理事長がおられ、暫時懇談しました。18時前に西大寺の食堂で大相撲の結び前の熱戦を見ながら夕食をいただきました。

舟橋理事長と

 

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9月20日、野鳥画展、事件打合せ、フランス食、民事相談、デスクワーク

色鉛筆野鳥画展で

終日雨の中を、妻は朝からボランティアで、友人らと社会福祉法人のおむつたたみに出掛けました。私もなるべく早く出掛けようと思っていたのがもたもたし、10時に出て所用を済ませ、11時前にやっと今日から開会の「色鉛筆野鳥画展(http://www.okayama-tbox.jp/kosodate/pages/35697)」会場の岡山市半田山植物園に着きました。次の予定のため、拝見できたのは僅かに15分程度でしたが、三宅茂子さんはじめこの分野の達人たちの繊細で生き生きとした野鳥の絵を鑑賞しました。

野鳥画展

11時半に法律事務所に着き、直ちに所長の江田剛弁護士とともに、30分ほど民事受任事件の処理のために同業の弁護士と打合せをしました。その後、妻たちが行っているフランス料理屋に駆け付け、おいしい昼食をいただきました。ところが時間が経つのは早く、気が付くと13時半をとっくに過ぎており、最後の紅茶を一口啜って飛び出し、法律事務所に戻りました。

受任事件打合せ
フランス料理の昼食

14時にかろうじて間に合い、1時間ほど、土地の相隣関係についての相談を受けました。なかなか複雑です。その後、17時半までデスクワークや電話連絡をし、帰宅は18時過ぎになりました。

相隣関係相談

 

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9月19日、インターン、白い花

インターン生と

終日、秋晴れでした。午前中は自宅で電話連絡などをし、13時半に出て事務所に入りました。

14時から15時半過ぎまで、高井崇志事務所と中川雅子事務所のインターン生各2人がやってきて、話をしました。4人とも岡山大学の女子学生で、1年生2人、2年生2人で、みな県外の出身で、学部は、法、経済、教育、工とみな別々です。そこで、私が彼女らの年代だったころの話から始めると、気が付いたら1時間近くが経過してしまいました。大学入学から60年安保闘争、学生自治会委員長から大管法反対で退学、再入学から丸山ゼミ、司法試験、研修所から英国留学などですが、途中で戦後改革や市民社会の未熟さなどを加えると、あっという間に時間が経ちました。

話をし

さらに質問を受けて、議長職や政権交代の経験などを話し、最後にみんなで記念写真を撮りました。その後、17時半ころまで、デスクワークをし、帰宅して大相撲の横綱戦を見ました。薄暗くなって庭に出てみると、白ヒガンバナが満開で、ニラも可愛い白い花をつけていました。

記念写真
白ヒガンバナ
ニラの花

 

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9月18日、秋晴れ、民事打合せ

受任事件打合せ

今日は一転して秋晴れとなりました。昼過ぎまで自宅でゆっくりと、テレビを見ながら電話連絡などをしました。

15時過ぎに出て所用を済ませ、法律事務所に入って電話連絡やデスクワークをしました。17時半から1時間強、民事受任事件の当事者に来ていただいて、所長の江田剛弁護士とともに打合せをしました。どうやっても訴訟当事者の一人と連絡が取れず、公示送達では妥当な解決に繋がらないので、次の一手を思案中です。

その後、さらに若干のデスクワークをして、19時半前に帰宅しました。

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9月17日、フランス料理、立民シンポ、立民県連常幹、夕食

シンポ後、参加者と

相変わらずの秋雨前線で、雨こそ降らないものの、終日曇天でした。11時に妻とともに出て友人らを誘い、11時半からフランス料理店でゆっくりと美味しい昼食をいただきました。

フランス料理の昼食

14時から2時間強、みんなで立憲民主党を応援する会の主催による「立憲民主党ってどんな党?」というパネルディスカッションに参加しました。椅子席数十名の小振りの会場でしたが、満席となり、定刻に開会となって、同会世話人で弁護士の大石和昭さんの司会で、まず弁護士で同会会長の河田英正さんが開会挨拶をし、パネリストの高井崇志さん、鳥井良輔県議、森山幸治岡山市議と弁護士で同会世話人の賀川進太郎さんにより、1.憲法と立憲主義について、2.原発ゼロについて、3.草の根民主主義についての3テーマに分けて討論が行われました。

シンポ全景
パネリストら

集団的自衛権と憲法、日本原基地での米海兵隊単独訓練、トリチウムの海洋投棄、大災害と地域主権や防災省、立民党とパートナーの役割など、さらに議論を深めるべき課題も山盛りでしたが、フロアーからの発言にも時間を割いて10人弱から意見を伺い、最後にパネリストの皆さんの決意表明を聞いて、閉会となりました。立民党に課せられた使命の大きさを痛感する良い集会になったと思います。

パネリストの決意表明

その後、立憲民主党岡山県連合の事務所で、17時から2時間強、常任幹事会に出席しました。県連幹事長の鳥井県議の司会で、同代表の高井さんが開会挨拶をし、各地方議会の報告、災害対応、全国研修会、支部設置、ホームページ等の広報活動、県連事務局、自治体議員選挙対応、県連フェス開催などにつき協議をし、いくつかの決定をしました。私からも県連運営につき数点、辛口の意見を述べました。

立民県連常幹で
辛口意見も

19時過ぎから、妻や友人たちと夕食を食べ、腹一杯になりました。

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9月16日、無為

手紙を投函

秋雨前線の下での日曜日で、終日のんびりとテレビを見たり転寝をしたりしながら自宅で過ごしました。夕方、17時過ぎに妻と出て、車の中のテレビによる大相撲中継に時々目をやりながら、昨日書いた数通の手紙を中央郵便局に出しに行きました。