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4月28日、上海へ、昼食会、取材、昆明へ、夕食

雲南省の7人チームで夕食

6時に起床すると、雲一つない快晴。朝の陽光に、中国由来の白松の新芽が勢い良く輝いていました。7時前に妻と出て岡山空港に向かい、8時前に難波奨二さんらと落ち合って手続きをし、まず朝食の後、9時過ぎの便で一緒に上海に飛びました。今日から4泊5日の中国旅行で、暫くフェイスブックは使えません。

朝陽に輝く白松
岡山空港で

2時間半弱の飛行と1時間の時差で、現地時間の10時半ころに上海浦東空港に着き、中日友好協会の王占起副秘書長と曾広明君の出迎えを受けて入国手続きを済ませ、12時から空港近くのホテルで上海市人民対外友好協会主催の歓迎昼食会に出席しました。景瑩副会長が歓待してくれ、おいしい料理と楽しい会話で瞬く間に2時間が過ぎ、空港に戻りました。私たちがみな岡山からということで、故・江草安彦さんが上海に残された偉大な足跡で話が盛り上がりました。

上海浦東空港で
歓迎昼食会
乾杯!
プレゼント交換は烏城彫り

14時過ぎから30分強、上海の「解放日報」の取材を受け、日中関係の現在と今後の在り方につき包括的な質問を受け、中国側にも注文を付けながら、率直に答えました。

取材

15時過ぎに次の便の搭乗となり、3時間半弱の飛行の間に現地の新聞を見ると、昨日の南北首脳会談が興味深く報道されていました。

南北会談の報道振り

18時半過ぎに昆明長水空港に着き、雲南省人民対外友好協会の李暁娟さんらの出迎えを受け、19時半ころに空港を出てホテルに向かい、20時半過ぎから日本からの4人と中国側3人で夕食となりました。雲南省では、この7人の団体行動となります。

昆明長水空港で
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4月27日、南北首脳会談、庭の花、「杉」、事務所

うどん屋「杉」で

9時過ぎからテレビの前に釘付けになりました。板門店での南北首脳会談の最初の出会いで、ついに両首脳が軍事境界線を跨いで握手をし、これを越えて長く続くであろう階段を上り始めました。

境界線を跨ぐ両首脳

前世紀前半には日本がこの半島を占拠していたこと、戦後は東西対立が戦火となり大変な犠牲をもたらしたこと、日本は朝鮮特需で戦後復興の道を開いたこと、冷戦終結後もその残り火が消えずに有能な指導者たちを不毛な対立へと駆り立ててきたことなどを考えれば、今回の両首脳の共同宣言を歴史的な一歩にしなければならず、そのために日本も出来ることがあるはずだと、強く思います。

固い握手

朝鮮戦争の最中に、私は近所の教会で、指名されて戦争を早く終わらせて下さいとお祈りをしました。小学低学年だったと思います。今日はその教会に行ってお祈りをしたい気持ちでした。

子どもたちのために

昼過ぎに庭に出てみると、モチツツジがきれいな花を開き、中国由来の白松は青空に大きく枝を伸ばしていました。12時過ぎに妻と出て、うどん屋「杉」で昼食を食べました。建部の杉茶屋のご子息がご主人です。食後、近くのフジのきれいなお宅に寄ってみました。

庭のモチツツジ
庭の白松
見事な藤棚

15時ころに法律事務所に入り、若干のデスクワークの後、江田剛所長弁護士とともに、相続関係の訴訟事件の打ち合わせをしました。司法修習生が同席しました。

デスクワーク
訴訟事件打ち合わせ

 

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4月26日、事務所

デスクワーク

雲一つない快晴で、爽やかな春の一日でした。妻は朝から、公民館でのコーラスの練習でお出かけ。私はゆっくり朝食を食べ、さてもう一寝入りと思ったら、家の照明の修理に電気屋さんが来てくれ、12時半ころに妻が帰るまでテレビのニュース番組を見ながら過ごしました。

昼食を食べ、14時ころ出掛けて所用を済ませ、15時過ぎに法律事務所に入って、デスクワークや電話連絡をしました。18時前に出て帰宅し、庭の草取りを始めたのですが、直ぐに暗くなってしまいました。

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4月25日、上京、山田村、園遊会、光風会展、写真展、帰岡

菅、横路、寺田の各氏らと

夜来の雨が朝方に上がり、青空が見えてきました。8時半に妻とともに出て、パーク&ライドで岡山駅に駐車し、9時半過ぎの新幹線で上京中です。濃尾平野も田に水が張られ、農家はこれから忙しくなりそうでした。

濃尾平野の田にも水が張られ

浜名湖を過ぎて、岡山駅で買った山田村のおにぎりで、少し早い昼食を食べました。東京に着く前に車内でモーニングに着替えて赤坂御苑に直行し、13時半過ぎから妻とともに園遊会に出席しました。心配した雨は上がって汗ばむほどの陽気となり、私たちに指定された入場口には、歴代の国務大臣、衆参の議長・副議長、最高裁判事らのほか春は在京海外使節団の代表に各配偶者が招かれ、大変な賑わいでした。

山田村のおにぎり
夫婦で

まず皇太子同妃両殿下ら皇族の皆さんがお着きになって参加者に丁寧にご挨拶され、14時10分に天皇皇后両陛下がお着きになって、開幕となりました。この機会でなければお会いできない皆さんと、すべての垣根を取り払って和やかにご挨拶できる貴重な機会で、本当に大勢の皆さんと言葉を交わしました。

モンゴルの大使代理ら
一宮人事院総裁と
川田龍平夫妻と

15時半に退場し、妻と別れて新国立美術館に急ぎ、16時前から30分ほど、光風会展を鑑賞しました。河内八重子さんがおられてご案内下さり、大勢の皆さんの力作を拝見しました。岡山県出身の女性が大勢頑張っていました。

石田宗之さんの作品
寺坂公雄さんの作品
河内八重子さんの埴輪
岡山県の女性たち

さらに16時半ころから短時間、柴田清美さんにご案内いただいた写真展を鑑賞しました。友人らと昨夏に10日間のイタリア旅行を楽しんだ際の写真で、私にとっても懐かしい景色がいくつもありました。

写真展イタリア
柴田さんと

17時過ぎに東京駅で妻と落ち合い、夕食を食べて、18時過ぎの新幹線で帰岡しました。楽しく慌ただしい春の一日でした。

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4月24日、行政相談

行政事件相談

午前中は自宅でゆっくりと、電話連絡などをしました。昼食後に出て14時前に法律事務所に入り、1時間ほど、行政問題につき法律相談を受けました。行政側の対応につき強い不満を訴えられるのですが、残念ながら行政不服審査法の手続きが終わった後に、取消訴訟の出訴期間が遥かに経過しており、訴訟上の救済の道がありません。

その後、若干のデスクワークをして事務所を出て、所用を済ませて17時に帰宅しました。終日、雨が続きました。

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4月23日、庭の花、所用、交通事故相談、おかやま館

交通事故相談

朝食後にまた眠りにつき、12時にやっと起きて昼食を食べて庭に出てみると、訪中中にまた花が一気に開き、ヒラドツツジ、ナニワイバラとヒメライラックが満開になっており、テマリカンボクはもう盛りを過ぎていました。

庭のヒラドツツジ
庭のナニワイバラ
庭のヒメライラック
庭のテマリカンボク

13時半過ぎに妻とともに出て、所用をいくつか済ませました。次の訪中の準備や切符の購入などです。16時前に法律事務所に入り、1時間ほど、江田剛所長弁護士とともに交通事故の民事相談を受けました。

その後もデスクワークをし、18時前に出てさらに「晴れの国おかやま館」で所用を済ませ、夕食は妻とともに外食となりました。

晴れの国おかやま館

 

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4月22日その2、日ロクラブ、帰岡

日ロクラブ歓迎会

成田から東京都江東区の清澄庭園に急ぎ、私が代表を務める日ロクラブの主催するロシア・ウラジオストック訪日団一行歓迎会に駆け付けました。ロシア側13人、日本側26人で、17時開会予定でしたがやや遅れて始まり、まず全員で記念写真を撮りました。その後、私が市民レベルの交流の大切さを強調した歓迎挨拶をし、ロシア側代表の挨拶に続いて乾杯から懇談となり、18時半に出席者の発言が始まったところで中座しました。

清澄庭園で
私の歓迎挨拶
訪日団代表挨拶
乾杯!
懇談

そこから東京駅に急ぎ、夕食を掻き込んで、20時前の新幹線で帰岡しました。帰宅は23時半過ぎになりました。長く慌ただしい旅が、やっと終わりました。

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4月22日、帰国

張主席らに見送られて

中国硬筆書法協会の張華慶主席らが見送りに来てくれ、7時にホテルを出て北京国際空港に向かいました。8時前に着き、ロビーで朝食にありついて、50分遅れで10時40分発予定の成田便を待ちました。

空港で朝食

離陸は11時となり、飛行中に昼食をいただき、「めぐりズム」という40℃の蒸気浴で目も気分も休まるアイマスクで休養しました。初めての経験でした。3時間の飛行と1時間の時差で、遅れをかなり取り戻して15時に成田国際空港に着陸しました。直前に窓外を見ると、水田に既に水が張られていました。入国手続きも順調に進んで、16時前に空港を出て、東京都江東区の清澄庭園に向かいました。離日以来接続できなかったフェイスブックが、やっと戻りました。

「めぐりズム」で
目の休養
田には水が張られ

 

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4月21日、雨、昼食会、書道展開幕式、夕食会

書道展開幕式で挨拶

朝から雨で、昨日の大気汚染もきれいになっており、この時期に特有の柳絮も治まっていました。8時過ぎに朝食を食べ、ャワーを浴びて、11時に出発して今日から始まる中国硬筆書法協会主催の大書法芸術作品展開幕式などの行事に臨みました。

雨の長安街

まず会場について12時から1時間強、役員や来賓の皆さんとの昼食会となりました。協会の張華慶主席の挨拶があり、続いて韓国の李寿成元国務総理と私が挨拶し、乾杯から食事となりました。13時過ぎに終わって、会場の壁面に展示された作品群を見て回りました。私の「乾坤煇」が早い順番で架けられており、恐縮しました。その後、控室で暫時休憩をし、14時前から500人ほどの参加者が整列しているところに私たちが入場して握手をしながら整列し、全員で記念写真撮影をしました。

昼食会で挨拶
展示作品を拝見
会場全景
習首席がテーマ
来賓らと
記念写真撮影

それからすぐに会場に入ったのですが、開会が14時半ころまで遅れ、まず張主席が挨拶し、次いで李元総理と私が、それぞれ挨拶に続いて張主席から海外栄誉顧問に就任の盾を授与されました。さらに台湾から参加の張炳煌さん、師村妙石さんと許由さんの挨拶がありました。そこからはくだけて、歌あり詩の朗読あり、手品あり楽器演奏ありで、「アリラン」や「北国の春」もありました。また揮毫した扇の披露があり、私も一本いただきました。その間に各種の表彰も続きました。演壇上での全紙に2文字の揮毫実演もあり、最後に私たちが呼ばれて、テープカットの代わりに数多く取り付けられた色とりどりの風船割りを行って、閉会となりました。

私の挨拶
続いて海外栄誉顧問に就任
韓国の横笛
子どもの歌
揮毫実演
風船割り

そこで昼食会と同じ会場に移動し、19時から夕食会となりました。みな草臥れたのか、乾杯だけで黙々と食事をいただきました。20時過ぎに散会となり、外に出ると、まだ雨が降り続いていました。

夕食会
帰りも雨

 

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4月20日、朝食、面談(呉さん、馬主任、横井大使)s、夕食会

呉民先さんと

うつらうつらしていたら朝になり、8時半過ぎから朝食に降りると、ちょうど師村妙石さんたちと一緒になりました。10時から、14時から、14時半からと面談予定が入り、さらに夕食会から中国硬筆書法協会の公式行事が始まります。

師村さんらと朝食

10時に、師村さんらが呉昌碩の直系子孫である呉民先さんと来室され、ブドウとカミキリムシの水墨画の色紙をいただき、30分ほど懇談しました。カミキリムシは中国語では「天牛」というそうです。呉昌碩の作成した家譜を、安吉の記念館に寄贈したそうで、9月に岡山県高梁市の成羽美術館を訪ねる際に、再会することを約束しました。

呉さん、師村さんと懇談

11時半過ぎに師村さんたちとともに出たのですが、北京は車が大渋滞で移動に時間が掛かり、ホテルで麺の昼食を掻き込んで、13時から30分弱、中国国際青年交流中心の馬主任と曹長河副主任と懇談しました。書道を通じての日中交流で大変にお世話になっています。その後、敷地内に移設された師村さん作成のモニュメントを拝見しました。「中日人民世代友好」と刻まれていました。

昼食を掻き込み
曹副主任と
馬主任と
モニュメント

14時半から日本大使館を訪ね、30分ほど、横井裕大使と懇談しました。師村さんも大変にご支援いただいており、私も若干の報告事項もあり、あっという間に時間が経ちました。そこからホテルに戻り、一息ついたところで、16時半に中日友好協会の若い職員が訪ねてきてくれ、打ち合わせをしました。

師村さんの作品
横井大使と懇談

次に17時半前に集合して出て、18時から3時間ほど、明日からの中国硬筆書法協会主催行事の前夜夕食会に出席しました。天安門広場を眺めながら由緒ある北京ダック店に移動し、控室で懇談した後に開会となり、まず協会の張華慶主席が主催者挨拶を、続いて韓国の李寿成元国務総理と私が来賓挨拶をし、乾杯から夕食懇談となりました。途中で、多くの参加者から次々に記念のスナップ写真を頼まれてしまいました。最後に出てきた当店の1億9,655万6,312番目の北京ダックは、さすがに超美味でした。

薄暮の天安門広場
北京ダック群
韓国の李元国務総理と
張主席の冒頭挨拶
私の挨拶
乾杯!
スナップ写真
北京ダック