快晴で温かい年の初めで、午前中は自宅でゆっくり過ごしました。13時ころに妻と外出する前に庭に出てみると、白梅に続いて紅梅も、花を開き始めていました。
岡山市中心部で所用を済ませていると、ばったり竹馬の友のご夫妻に出会ったりしました。のどかなお正月も、そろそろ終わりです。
快晴で温かい年の初めで、午前中は自宅でゆっくり過ごしました。13時ころに妻と外出する前に庭に出てみると、白梅に続いて紅梅も、花を開き始めていました。
岡山市中心部で所用を済ませていると、ばったり竹馬の友のご夫妻に出会ったりしました。のどかなお正月も、そろそろ終わりです。
9時からの岡山朝日高校書道部の書初めに、10時前に到着しました。ちょうど現役・先輩を含めて皆、揮毫の真っ最中で、持参した桐花大綬章と勲記を机上に並べ、私も全紙に「春風」と揮毫しました。爽やかにゆったりと、しかしどこかに力を秘めた「東風」をイメージし、併せて「花枝欲動春風寒」の意味も込めたつもりです。やがて終了時刻の10時半が来て、私から叙勲の説明をし、全員で記念写真を撮って、今年も現役部員の活躍を祈りながらお開きとなりました。
自宅に戻って着替え、12時に妻と出て、12時半過ぎに朝日高書道部OB新年会の会場に着きました。今年は私の叙勲祝賀会も兼ね、34人出席の大盛況で、まず全員で記念写真を撮り、13時から開会となりました。3代主将の大崎勝一郎さんが開会挨拶と私の紹介をしてくれ、私と妻が登壇して、記念品と花束を贈呈いただきました。記念品は恩師の河田一臼先生の「麗」の額と大筆で、大感激でした。続いて上月恵さんが素晴らしいヴァイオリン独奏を聞かせてくれました。
その後、9代主将の私が、河田先生の思い出などを振り返り、桐花大綬章の説明もしながらお礼の挨拶をし、6代主将の山崎信義さんの音頭で乾杯をし、懇談となりました。上月さんのヴァイオリンの音色がさらに響き渡り、あちこちで懇談の輪が出来、賑やかに15時半となって、8代主将の曽我英丘さんが締めの言葉を述べてくれ、現教諭の後神直子さんがお礼のご挨拶をして16時にお開きとなりました。
11時半に自宅を出て、12時から15時過ぎまで、岡山朝日高校昭和35年卒業の3年C組のクラス会を開きました。3年の時の運動会で脊椎損傷を負い、以後体を動かせないまま活発に活動してきた浜野博君の希望で、12時開会としたのですが、年末に急逝され、浜野君を偲ぶ会となりました。併せて私の叙勲を祝う会の趣旨もあり、17人の出席者がそれぞれ、人生の悲喜交々を感じていました。荒木正茂君の司会で、まず河原昭文君が開会挨拶、次いで私が献杯と乾杯を兼ねた音頭を取って盃を挙げ、はじめの1時間は浜野君の思い出などを語り合いました。
13時に浜野君のご親族が来られ、ご挨拶を受けました。そこから短時間、私の叙勲祝賀となり、私の挨拶に続いて記念品をいただきました。その後は各自の近況報告などで、各自それぞれ思いを語りました。最後に全員で、記念写真を撮って散会となりました。
15時半から場所を移して、二次会となりました。14人が参加し、次々に日ごろ鍛えた喉を披露しました。一番新しい歌は、私の「365日の紙飛行機」、一番古いのは鴨井紀之君の「鎌倉」か誰かの「下津井節」と、おおむね昭和の歌謡曲ですが、多種多様でした。
18時になって新しい歌を登録するのを打ち切り、登録済みの歌をすべて歌い切って、18時半に残った全員で「高校3年生」で声を張り上げて、散会となりました。参加者の共通の話題は、やはり健康のことで、帯状疱疹や脊柱管狭窄症、そして癌の経験者が多いのに驚きました。次回も元気で集まることを約束し合うのが、次第に難しくなっていくのを、みな痛感しながら再会を約束して別れました。
明けましてお目出とうございます。私たち二人とも、やや風邪気味なので、ゆっくり起きて9時半ころからお雑煮とおせち料理で新年を寿ぎました。
雲一つない快晴の元旦で、柔らかな陽光が部屋の中まで射し込む中で、年賀状を一枚ずつ丁寧に拝見しました。結局、私がちょっと庭に出て春の息吹を探しただけで、一日中わが家から外に出ませんでした。
お正月は、例年と異なり無役になったので、特別のことは何もしないつもりですが、それでも若干の料理と玄関先のお飾りくらいは欠かせません。手作りでお持ちいただいたお飾りに裏白や昆布、ホンダワラ、ゆずを取り付けて、私たちの玄関と母の住まいの玄関に飾りつけ、岡山市のホームページにある門松の用紙を張り付けました。さらにカレンダーをすべて張り替え、12時過ぎに、年末に急死されたご近所のお宅に、妻と弔問に伺いました。
16時ころから妻と買い物に出た後、17時半過ぎから江田剛邸で大晦日の夕食を共にしました。ももちゃんも一生君も大喜びでしたが、パパは被疑者弁護の当番日で、倉敷市児島で高1の少年による母親殺害事件が発生し、帰宅は21時近くになりました。その間、パパ抜きで食事をし、ももちゃんや一生君と遊び、楽しい大晦日を過ごしました。こんな年の瀬は、40年振りだと思います。
今年最後のゴミ収集の日で、8時過ぎに妻の手伝いをしました。何年か振りで、まさに「怠け者の節句働き」と思いきや、節句にもしないことでした。
9時からのブルーライオンズクラブ有志らによるお餅つきに、12時前から1時間ほど、妻とともにお邪魔しました。90キロを搗き上げるそうですが、そろそろ終盤で、何臼か仕上がりのところだけ搗かせて貰い、最後にみんなで、記念写真を撮りました。帰りに、お雑煮用の丸餅をいただきました。その後、若干の所用で街を回りました。よく晴れた暖かい年末でした。
相変わらず、年末の片付けに追われました。例年、玄関を飾るお正月用の花は、今年は叙勲のお祝いに頂いた胡蝶蘭などが元気なので、一役買って貰うことにしました。
裏庭に出てみると、早くもスイセンが花を開いていました。可憐な花で、ナルシズムの原語のナーシサスと呼ばれます。ダッフォディルズではありません。
昼前に思い立って、ネットで映画「君の名は。」を二人分予約しました。初めてのネット予約体験で、ちゃんと高齢者割引も見つけ、二人で2200円でした。14時前に妻と出ると、駐車場が酷い混雑でしたが、14時50分からの上映に間に合いました。若者向けの奇想天外な筋書きでしたが、感動しました。
夕方まで妻とともに、家の片付けに追われました。やっと客間が、何とか段ボール箱がなくなる程度に片付きました。しかし、その他の部屋がそれだけ大変になっただけで、「日暮れて道遠し」を実感しています。
17時前に出て、年明けの切符を買うなどの所用を済ませ、妻と外食。20時ころに戻って、郵便物の整理などに取り組みました。
午前中は自宅で片付けなどをし、12時過ぎに出て法律事務所に入りました。しばらくデスクワークをし、14時前に昼食に出ると、ポカポカと温かく、春のような陽光が射していました。私の母校である旧岡山市立旭中学校の横を通り、ゆっくりと昼食。因みに母校の敷地は、今は合併で中央中学となっています。元の女子師範の跡地で、その前は池田藩の藩校でした。藩池と呼ばれる半円形の池があり、美術の時間によく写生をしたものです。
14時半前に事務所に戻ろうと外に出ると、僅かの間に天候が一変しており、強く冷たい北風が吹きまくって、木々の枝と葉が吹き飛びそうに風を受けていました。その後、夕方まで事務所でデスクワークや電話連絡をしました。今日が年内最終日です。
今日も結局夕方まで、ごろごろしながら身辺雑事で過ぎてしまいました。17時半ころに出て、18時から21時半ころまで、事務所の年末夕食会をしました。所長の剛弁護士が所用で集合が1時間ほど遅くなり、2人の事務員さんとじっくり懇談しました。
夕食の一品は、「運」を呼び寄せるようにと、「ぎんなん」や「なんきん」のように「○ん○ん」という食材を使った八寸で、大いに楽しませて貰いました。
ところで昨日に投開票が行われた新見市長選挙で、女性の池田一二三さんが9911票を獲得し、故・石垣前市長の後継と目された戎斉さんの9134票に競り勝ちました。大接戦で、投票率は70%台前半で前回より8%ほど下回ったのですが、やはり女性の挑戦者が強い時代です。池田さんは、市外から合併地域に移入してきた人で、町議と市議を長く勤め議長経験もあり、都会型のリベラル派とは少し違う市民良識派だと思います。40年近く前に社会市民連合を立ち上げたときの政治理念は、「参加、公開、自治、分権」というものでした。さらに私が衆議院選挙に挑戦するころ、「モノとカネから、人と心へ」と言ったこともありました。池田さんの主張はこの線に沿ったもののようで、ぜひ女性らしい感性で,新しいことをやってくれるよう期待します。