朝一番に新聞を見て、びっくりしました。一面トップに、もんじゅ後継の「実証炉」という活字が躍っていました。「有り得ない!」と思い、改めて小さな活字を追ってみました。もんじゅは、高速増殖炉の「実験炉」の「常陽」を踏まえた「原型炉」ですが、課題続出で途中での廃炉が検討されています。それなのに、これまでの経験をどう踏まえれば、次の段階の「実証炉」に進むことができるのか、まったくその論理は示されていないと思います。科学者が、いかなる失敗にもめげずに、粘り強く研究を続けることは貴重だと思いますが、実験炉、原型炉、実証炉を経て実用炉へと進む道筋の意味を踏まえず、初めに結論ありきで手順さえ踏めばいいというのは、およそ「科学的」ではありません。20世紀初頭でしたか、英国のサー・オリバー・ロッジが米国の科学誌「サイエンティック・アメリカン」に書いた論文の警告(https://www.eda-jp.com/satsuki/2005/050125-eda.html)を、改めて思い出しました。
11時に妻とともに自宅を出て、ももちゃん邸に妻を下し、法律事務所に入ってデスクワークをし、13時過ぎに出て昼食を取りました。そこからちょっと足を延ばし、昼の旭川を眺めてきました。私が日本泳法の「神伝流」を練習していたところです。
その後、妻がももちゃんと近くの旧内山下小学校の校庭にいるというので、行ってみました。ももちゃんが新しい自転車に上手に乗っているので、私も試みてみました。ももちゃんがそれを上手に写真に撮ってくれました。
内山下小は、私の母校の弘西小と隣同士のライバル校でしたが、共に統合で廃校となって、今は弘西小跡地の中央小学校となっています。ところが、弘西小の校歌の碑がなぜか内山下小の敷地だったところに移されています。碑を見ながら、ももちゃんに校歌を歌って聞かせました。ももちゃんが上手に写真を撮ってくれました。その後、法律事務所に戻って、デスクワークをしました。
16時に、不動産鑑定士の小笠原照也さんが訪ねてきました。20世紀の最後のころに、旧民主党に参加して中桐伸五さんの衆議院選挙当選などの成果を残してくれ、久しぶりに旧交を温めました。