11時半に自宅を出て、12時から15時過ぎまで、岡山朝日高校昭和35年卒業の3年C組のクラス会を開きました。3年の時の運動会で脊椎損傷を負い、以後体を動かせないまま活発に活動してきた浜野博君の希望で、12時開会としたのですが、年末に急逝され、浜野君を偲ぶ会となりました。併せて私の叙勲を祝う会の趣旨もあり、17人の出席者がそれぞれ、人生の悲喜交々を感じていました。荒木正茂君の司会で、まず河原昭文君が開会挨拶、次いで私が献杯と乾杯を兼ねた音頭を取って盃を挙げ、はじめの1時間は浜野君の思い出などを語り合いました。
13時に浜野君のご親族が来られ、ご挨拶を受けました。そこから短時間、私の叙勲祝賀となり、私の挨拶に続いて記念品をいただきました。その後は各自の近況報告などで、各自それぞれ思いを語りました。最後に全員で、記念写真を撮って散会となりました。
15時半から場所を移して、二次会となりました。14人が参加し、次々に日ごろ鍛えた喉を披露しました。一番新しい歌は、私の「365日の紙飛行機」、一番古いのは鴨井紀之君の「鎌倉」か誰かの「下津井節」と、おおむね昭和の歌謡曲ですが、多種多様でした。
18時になって新しい歌を登録するのを打ち切り、登録済みの歌をすべて歌い切って、18時半に残った全員で「高校3年生」で声を張り上げて、散会となりました。参加者の共通の話題は、やはり健康のことで、帯状疱疹や脊柱管狭窄症、そして癌の経験者が多いのに驚きました。次回も元気で集まることを約束し合うのが、次第に難しくなっていくのを、みな痛感しながら再会を約束して別れました。