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3月31日、花冷え、事務所

庭のコブシ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝からどんよりした曇り空で、花冷えとか花曇りとかという言葉がぴったりの天候でした。庭に出てみると、2本のコブシの1本が、きれいな花なのにヒヨドリに無残に食い散らかされていました。それも良いかと、食われるままにしています。スズランスイセンが、肥料をやっていないせいか、ずい分貧弱になっていました。

ヒヨドリに食われ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スズランスイセン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やがて降り出し、気温もどんどん下がってきました。電話連絡やデスクワークの後、14時半ころに出て法律事務所に入り、デスクワークをした後に、17時過ぎには自宅に戻りました。

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3月30日、用瀬へ、流しびな、娘一家と

お雛さまと大学生

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8時過ぎに妻、娘とその二、三男とともに自宅を出て、2時間半走って鳥取市用瀬の総合支所に着きました。今日は「流しびな」の日で、鳥取で大学生活を送っている娘の長男と合流しました。彼はここで地域起こしのボランティアをしており、今日もいろいろと役割を担っています。早速住民のご自宅に飾られている雛人形を見て回りました。半数ほどの方がご自宅を開放してこの企画に参加しており、中には庭に見事に無数のお雛さまを飾っている方がおられました。

用瀬総合支所で合流

 

 

 

 

 

 

 

 

 

孫3人と

 

 

 

 

 

 

 

 

 

庭一杯のお雛さま

 

 

 

 

 

 

 

 

 

階段にもお雛さま

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地域の役を担っている皆さんとお話をしている内、東京から孫たちの父親が車で駆けつけて合流しました。そこで千代川に架かる橋を渡って河原でお弁当を食べ、さらに「流しびなの館」を見学し、街中を見て回りました。今では珍しくなった「ポンポン菓子」の出店があり、私も槌でレバーを叩いて爆発を体験させてもらいました。

ポンポン菓子の爆発

 

 

 

 

 

 

 

 

 

千代川の橋で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

父親も川原で昼食

 

 

 

 

 

 

 

 

 

14時ころから、実際に小さなお雛さまを川に流すところを鑑賞しました。着物姿の子どもたちが大勢集まって雛を流しており、古くなった雛を燃やす行事も続くようでした。公民館を覗くと、日中友好会館の初代会長の古井喜実さんの額が飾られていました。その後、お茶室でお点前をいただき、17時から地域の皆さんと懇談しながら夕食を取り、19時に新月のかかる中をお別れして、私と妻とで帰岡し、21時半に着きました。

着物姿の子どもたち

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雛を流して

 

 

 

 

 

 

 

 

 

焼却も

 

 

 

 

 

 

 

 

 

古井さんの額

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お点前をいただき

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕食

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新月

 

 

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3月29日、探鳥(深山公園、宇野港、百間川)、篠笛

深山公園で探鳥

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8時半過ぎから妻、娘と二、三男とともに朝食を食べました。朝、庭にシロハラが来たと、撮った写真を見せてくれました。

11時ころ、妻は別の用件で出てゆき、私、娘と二、三男は玉野市の深山公園に行きました。まず、魚や野菜の売り場を見て、野鳥探索を始めました。間もなく小学6年生になる三男が鳥博士で、数多くの野鳥を見つけては名前を教えてくれました。園内の池には、カモ類がたくさんいて、子どもたちがえさを与えているのを心配し、その後の池に浮かんだポリ袋を集めたりしました。

深山公園入口

 

 

 

 

 

 

 

 

 

魚市場

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三男のカメラに映った鳥を後で見てみると、感激するほどきれいに撮れていました。ヤマガラ、ホオジロ、ヒドリガモ、オナガガモ、コブハクチョウなどです。ヒドリガモの目の後に緑っぽい部分が見える種類がいて、アメリカヒドリガモとの雑種ではないかと解説してくれました。

ヤマガラ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホオジロ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

池のカモ類

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヒドリガモ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オナガガモ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういえば、マガモの雄とカルガモの雌が仲良く木の幹で昼寝をしており、この雑種もいてマルガモと呼ばれたりするそうです。空高くハイタカが舞っており、陸にはシロハラやセグロセキレイが見られました。オカヨシガモのほか、写真にきれいに撮れていない多くの野鳥が見えました。

マガモとカルガモのツガイ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

13時半過ぎに宇野港で、昼食を食べた後、突堤まで出てみました。風が強くなりましたが、二男が篠笛で「ふるさと」などを吹いてくれました。さらに帰りに百間川の河口付近に行き、オオバンやカワウなどを見つけました。帰宅は16時過ぎとなり、さらに娘と買い物に出掛け、19時前から賑やかな夕食となりました。今日見た鳥を後で数えてみると、すでに記載したもののほかに、カイツブリ、アオサギ、コガモ、ハシビロガモ、キンクロハジロ、ミサゴ、トビ、セグロカモメ、ユリカモメ、キジバト、ツバメ、ハクセキレイ、ヒヨドリ、ジョウビタキ、ツグミ、ハシボソガラスを数え上げ、30種となりました。

港で篠笛

 

 

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3月28日、孫2人、相談、横田さん、シニアグループ、鍋

シニアグループ交流会

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨夜から娘の二男も加わり、今日の朝食はさらに賑やかとなりました。9時半に自宅を出て、10時に法律事務所に入ると、すでにお約束の法律相談の客が来ており、江田法律事務所の江田剛所長弁護士が話を聞いているところで、私も直ちに加わり1時間ほど交通事故の相談をし、さらに12時前までデスクワークをしました。

孫2にも加わって朝食

 

 

 

 

 

 

 

 

 

法律相談

 

 

 

 

 

 

 

 

 

12時過ぎに自宅に戻ると、妻が娘と二男、三男とともに、東京から搬入されて半年以上放置していた書籍類を整理していました。頼りになる働き手です。そこで切り上げて、一緒に昼食を取り、私は13時半に倉敷に向けて出ました。

書籍類の片付け

 

 

 

 

 

 

 

 

 

14時15分ころから30分ほど、倉敷市の美観地区内のギャラリーで、高校同期の横田素行さんの絵画展を拝見しました。還暦を過ぎて日本画の手習いを始め、絵のために二回も渡仏し、日本画の吉備津神社のほか、穏やかで牧歌的なパステル画などを展示していました。やはり同期の寺田和子さんも来ており、思わぬ出会いにびっくりしました。

横田さんの絵画展で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

15時から1時間半強、倉敷市で、「岡山4区シニアグループ交流会」に出席しました。労働運動のOBの皆さんの集まりで、88歳の県職労の高橋さんを最年長とし、87歳の県教祖の味野さん、83歳のJPの笹田さん、81歳の三菱自工の舛田さんらから最年少の63歳の阿川さん、65歳の芳賀さんなど、総勢21人がお集まりでした。JPの山田さんの司会で、クラレの水島さんが発起人挨拶をし、物故者への黙祷を捧げた後、私が40分ほど所感を述べ、自由に意見交換をしました。皆さん、今の一強多弱に切歯扼腕していました。

シニアグループ交流会

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

終了後、場所を変えて、懇親会となりました。乾杯の後に懇談となり、17時過ぎに時間切れで中座して法律事務所に戻り、18時から1時間弱、親族間の問題につき法律相談を受けました。19時過ぎに自宅に戻り、妻、娘と孫2人とで外食で鍋を囲みました。子どもたちの旺盛な食欲につられて超満腹になりました。

家族で鍋

 

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3月27日、野鳥観察、シマアジ、孫2人

野鳥観察

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ベッドでべっぴんさんを見て、8時半ころに起きると、娘と三男は既に近くの百間川で探鳥をして帰って来たところで、一緒に朝食にしました。野鳥がわんさといたそうで、興奮していました。

三男が写真で撮ってきた野鳥を見ました。自宅の庭にはシメが、道中の電線にはツバメがいました。外に、マガモ、ヒドリガモ、ホオジロ、シマアジ、さらにヒバリ、オオバン、カイツブリ、カルガモ、コガモ、キンクロハジロ、カワウ、ヒヨドリ、スズメ、トビ、カモメ、ツグミ、ハクセキレイ、セグロセキレイ、カワラヒワ、アオサギ、カラスと、全部で23種も見つけたそうです。シマアジは3月にしか見られないそうです。

百間川でーヒドリガモ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同ーシマアジ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

11時に妻と娘と三男とともに自宅を出て、瀬戸内市の錦海塩田跡地に行きました。コミュニティーハウス横の広場から広大な葦原が一望できるのですが、目指したチュウヒはついに見えず、ウグイスやキジも鳴き声ばかりでした。コミュニティーハウスの横は、氏神様で、水仙や桜など、春の訪れは確かでした。近くの池に行くと、水鳥がたくさんいて、ハシビロガモが見えました。

氏神様のスイセン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、牛窓で昼食を取り、海の近くの鳥を見ていると、三男がミサゴを見つけました。15時ころに自宅に戻り、法律事務所に顔を出した後に、二男を岡山駅に迎えに行き、夕食はさらに賑やかに鍋を囲みました。

牛窓のミサゴ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼食後の牛窓の港で見た鳥を三男が撮った写真を、帰宅後に拡大してみると、ハクセキレイ、アオサギとミサゴが見事でした。カラスはハシブトガラスもハシボソガラスも見え、外にホシハジロ、ユリカモメ、キジバト、ジョウビタキ、ハシビロガモと、今日中に見た野鳥は31種類となっていました。

同ーアオサギ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同ーハクセキレイ

 

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3月26日、庭、天神山、玉龍会、高井さん報告会、県連常幹等、孫

高井さん報告会で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

午前中は自宅でぐずぐずしていました。12時に出掛ける時に玄関口を見ると、ムスカリが何の手入れもしていないのに、きれいに咲き乱れていました。

庭のムスカリ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

12時半前に天神山文化プラザに着き、書道展を鑑賞しました。まず「曾閎会書道展」で、主宰者の草野曾舟さんがおられてお話を伺いました。次いで「聖雲書道会展」で、主宰者の高木聖鶴さんがお亡くなりになり、黒いリボンの付いた作品が懐かしさを誘いました。

曾閎会書道展

 

 

 

 

 

 

 

 

 

聖雲書道会展

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次に13時にちょっと遅れて、玉龍会の月例会に顔を出しました。曽我英丘さんの主宰される書道の会で、書壇の昔話に花が咲き、30分ほどで中座しました。

玉龍会月例会

 

 

 

 

 

 

 

 

 

14時から1時間弱、高井崇志さんの国政報告会に出席しました。開会後、後援会副会長で私の高校1年後輩の尾崎博さんが挨拶し、次いで私が数分間、さらに高原俊彦県議と羽場頼三郎市議が短くそれぞれ挨拶し、来賓の寺脇研さんが30分ほど講演をされました。そこで時間切れで、高井さんの報告は聞かずに中座しました。15時過ぎに次の会場に着き、スタッフらと打ち合わせをしました。この場所で17時半から民進党岡山県連の会議を行うため、その前段の各種の会議が目白押しとなっていました。

高井さん国政報告会

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やがて17時半過ぎとなり、19時まで、民進党岡山県連の常任幹事会に出席しました。津村啓介幹事長の司会で、まず柚木道義県連代表が挨拶をし、そこまで報道の皆さんにも公開しました。続いて議事に入り、私の叙勲の件も報告されたのでお礼を申し上げました。さらに党員・サポーターの定時登録や県連大会の開催とその議案、組織改革PTの答申、各種選挙への対応などが協議、決定されました。

民進党県連常幹

 

 

 

 

 

 

 

 

 

常幹で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

19時半ころ、自宅に戻ると、東京から娘とその三男が来ており、一緒に鍋を囲みました。三男は小学校6年生になるところですが、鳥博士で、今朝1番の電車で日野を出て岡山まで青春18切符で来る間、ずっと車窓から鳥を探していたとのこと。その間、娘は寝ていたのでしょう。

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3月25日、帰岡、リバイバル

リバイバル閉店

 

 

 

 

 

 

 

 

 

11時前にチェックアウトしてJR在来線で東京駅に行き、切符を変更して、11時半の新幹線で岡山に向かいました。途中で寝てしまい、適時に昼食を買い損なったら、車内販売が来ず、14時前に新神戸近くでやっと柿の葉寿司を買い、食べ終えたところで15時前に岡山駅に着きました。終始、ちょっと寒い薄曇りでしたが、岡山はやはり日が照っていました。

柿の葉すし

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自宅に戻って暫時休養した後、19時半から2時間強、中学校時代のクラスメイトの大山順子さんのお店、リバイバルに顔を出しました。友人でお店をしているのは、彼女が最後で、カラオケも一緒に歌いました。

カラオケ熱唱

 

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3月24日、朝食会、所用等、日中評議員会、懇親、金つぶ

金つぶの小島さんと美彩さんと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8時から1時間強、私の泊まっている後楽賓館の中にある中華レストランの会議室で、陳学全さんの主宰する「日中・世界を語る朝食会」に出席し、30分ほど日中関係と日中友好会館の役割につき講演をし、さらに懇談しました。今回が第50回目で、これで一区切りというので、最終講演となりました。1958年に書家の皆さんを率いて訪中した豊道春海さんのお孫さんの豊道渓峻さんもご参加でした。その後、9時過ぎに出て所用を済ませ、11時半ころにホテルに戻って昼食を取り、さらに13時から日中友好会館会長室で来客応対をしました。

陳さんの朝食会

 

 

 

 

 

 

 

 

 

豊道渓峻さん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

14時から、公益財団法人日中友好会館の評議員会に出席しました。議案の審議が順調に進み、若干の発言の後にいずれも全会一致で了承されました。15時半過ぎから、参加者による懇親会で、荒井克之理事長の乾杯の音頭で懇親となり、17時前まで自由な意見交換をしました。

日中会館評議員会

 

 

 

 

 

 

 

 

 

懇親会

 

 

 

 

 

 

 

 

 

17時過ぎに出てJRで千葉市美浜区に行き、ベイエフエムのスタジオに入りました。18時半ころから打ち合わせをし、19時半過ぎから1時間弱、「金つぶ」というFMラジオの番組に出演しました。パーソナリティーは小島嵩弘さん、アシスタントは乃木坂46の衛藤美彩さんで、日中関係と日中友好会館の役割などにつき、20分ほどの枠を2回、いずれも生放送でお話ししました。その後、20時半過ぎから22時ころまで、近くの和食屋で議員時代のスタッフだった皆さんと夕食懇談しました。帰りはJRと東京メトロを乗り継ぎ、23時半過ぎになりました。

小島さんと美彩さん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

懇親

 

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「岡崎トミ子さん弔辞」を掲載しました

岡崎トミ子さん弔辞

 

岡崎トミ子さん。20日朝、電話であなたの訃報を耳にした時、咄嗟に誰のことだか分かりませんでした。すぐにあなたのことだと分かり、絶句してしまいました。昨年8月2日、ちょっと体調を崩して東京まで出ていくのも大変と言っていたあなたが上京し、気の合う仲間と数人で鉄板焼きをいただいたのが、最後となりました。ちょっと弱っておられましたが、いつも通り笑顔を絶やさず、話も愉快で、結構食も進んでいました。いずれ万全の体調となられ、バリバリ活躍されると思っていたあなたの顔が、今月12日の民進党大会で見当たらず、気にはなっていたのですが。

 

あなたは、1990年の総選挙で仙台から彗星のごとく国会に登場されました。何とかチルドレンという言い方だと、土井チルドレンというのかも知れませんが、土井たか子日本社会党委員長時代に、総選挙に岡崎さんら若い新人挑戦者を揃え、その皆さんだけでニューウェーブの会を作って注目を集めましたね。伊東秀子さん、鈴木喜久子さん、宇都宮真由美さんら女性が光っていましたが、仙谷由人さん、筒井信隆さん、松原脩雄さんら男性も頑張っていました。そんなあなたたちと一緒に、政治に新しいうねりを作ろうと、1992年の秋に政策集団シリウスを立ち上げ、翌年の総選挙で野党8党派連立による細川護煕内閣となったのですが、その際に多くの仲間が落選する中で、あなたはきっちりと2期目をスタートさせ、1996年には旧民主党結成に参加して副代表となるなど、重要な役目を果し始められました。

 

その年の秋、私は岡山県知事選に挑戦して落選、あなたはその1週間前の総選挙でやはり落選。しかしあなたは翌97年に補欠選挙で、私は翌々98年の通常選挙で、いずれも民主党参議院議員として国政復帰しました。その後、なかなか困難な場面もありましたが、あなたは常に持ち前の笑顔を絶やさず、優しく分かりやすい口調で論陣を張られ、本当に多くの場面で活動を共にして来ました。

 

1999年夏、東ティモールの住民投票視察にご一緒しましたね。20世紀は、前半は戦争、後半は民族自決と植民地独立の時代でした。その中で、小スンダ列島の東にあるティモール島の東半分はポルトガルの植民地のままで取り残され、やっと解放されたと思ったら隣国インドネシアに侵攻され、住民による自決権闘争が、残酷な場面も交えながら続いていました。日本でもこれを支援しようと市民が立ち上がり、国会でも応援グループが活動しました。そして遂にこの年、国連の主導のもとに住民の自己決定の道が開かれ、世界中から有志が監視に駆けつけたのでした。日本では竹村泰子さんを団長にして、あなたや笹野貞子さん、和田洋子さんらと、マラリヤを気にしながらジャングルの奥地まで入り込みました。そして東ティモールは21世紀最初の独立国になり、困難ではありますが堂々と国の歩みを進めています。あなたも私も、同国から勲章を貰いましたね。

 

2009年から民主党政権が始まり、あなたは菅内閣で閣僚を務められました。それも国家公安委員長というのですから、私も正直言ってちょっと心配しました。しかし、あなたの持前の笑顔と優しさで、お役人の皆さんの協力をしっかりと取り付けていたと思います。あなたは同時に、内閣府の少子高齢化や男女共同参画なども担当され、まさに水を得た魚といった感じでした。村木厚子さんもあなたの下で冤罪の誹りを拭い去って大活躍し、厚労事務次官の重責を担い、刑事司法改革で私もお世話になりました。本当にあなたは、ご自身のご活躍もさることながら、きちんと人を支え人に支えられ、そして人を育てる人でした。それも、そんなことを饒舌に語ることなく、知らぬ間にひとりでにそうなってしまうのでした。

 

2013年、民主党政権が倒れた後、あなたは夏の参院選で、韓国でのあなたの活動に対し理不尽な批判を浴びせられ苦戦を強いられました。開票が進み、0時を過ぎて開票率ほぼ100%となった速報であなたが僅かですが上位に着けた時、私はつい嬉しくなってあなたに電話を掛けてお祝いを言いました。あなたは「まだ判らないのよ」と言っていましたが、開票が終わってみるとあなたが惜敗でした。私は、お見舞いの電話を掛ける気力もありませんでした。必ず雪辱しなければならないと思っていましたが、叶わぬことでした。

 

そんな中でもあなたの気力は衰えず、その年の暮れに、民主党の議員連盟のメンバーでご一緒に韓国に行き、従軍慰安婦の当事者と支援の皆さん、政府や政党の皆さん、弁護士会の皆さんなどとの会談を進めました。その後、日韓両国は一定の合意をしましたが、まだまだ大きく揺らいでいます。心の問題は、なかなかお金だけでは完全解決は難しいのでしょうか。

 

あなたを失って、本当に皆悲嘆に暮れています。もう、あのちょっとかん高い明るい語り口を耳にすることはないのでしょうか。どんなに困難な時でも笑顔を絶やさなかった岡トミさん、私は必ず、あなたの仕事を引き継ぐ若者が現れると、信じます。私もあなたよりちょっとだけ年上で、もう国会の現場を去りましたが、それでも後進のことは気になります。先日、私の地元、岡山で、国会議員や県会議員の事務所のインターン生をしている高校生や大学生が、訪ねてきました。1時間強、話をしたのですが、何と5人が全員女性でした。私たちが余計な心配をしなくても、みな確実にしなやかに育って行くと思います。私ももう少し、お邪魔にならないように、彼らのお手伝いをします。岡崎さん、どうぞ見守ってください。そして、安心してお眠りください。さようなら。

 

2017年3月23日

江田五月

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3月23日、福島へ、岡崎さん葬儀、東京へ、後楽会観桜会

岡崎さん葬儀で弔辞

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8時過ぎに自宅を出て9時前の新幹線に乗り、東京で乗り換えて、福島まで行きました。道中はずっと曇りで姫路城も霞んで見え、昼食は岡山名物のさわらなどの握りで済ませ、福島駅に着くと、構内に大きな草鞋が飾られていました。増子輝彦参議院議員と一緒になり、聞くと、これでお祭りをするのだそうです。14時過ぎに着き、葬儀場に向かいました。

岡山名物のお弁当

 

 

 

 

 

 

 

 

 

福島のわらじ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

15時から1時間強、19日に亡くなられた岡崎トミ子さんの葬儀に参列しました。宮城県選出で衆議院議員から参議院議員と国政で活躍され、菅内閣では国務大臣も務められましたが、福島県のご出身で、喪主で妹さんの岡崎信子さんも福島ご在住なので、福島市でのご葬儀となりました。ご読経の後、私、石毛鍈子さん、増子輝彦さんと故人のアナウンサー時代の先輩と同僚が弔辞を読みました。大変に困難な政治生活でしたが、いつも笑顔で明るく、人を引き付け爽やかにリーダーシップを発揮されました。私とはシリウス時代以来の盟友でした。享年73歳。合掌。焼香を済ませたところで、中座して福島駅に急ぎ、17時前の新幹線で上野まで戻りました。

岡崎さん葬儀

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東北新幹線

 

 

 

 

 

 

 

 

 

18時過ぎに上野に着き、19時前から日中友好会館の後楽会が開催した観桜会に遅れて出席しました。お隣の後楽園では枝垂桜が満開で、17時半の開会から十分に盛り上がったところで、直ぐに会館会長として挨拶し、皆さんと懇談しました。日中交流の先輩の皆さんのほか、中国大使館員の皆さんや中国の留学生たちも大勢出席し、交流の実をあげてくれました。19時半ころに閉会となり、ホテルにチェックインしました。

後楽会観桜会

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中国留学生ら