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4月11日、KITTE、帰岡、利休梅

KITTEのユルキャラ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

11時前に妻とともにホテルをチェックアウトし、花冷えの雨の中をJRで東京駅に行き、所用で目の前の東京中央郵便局に寄りました。新しいビルで、愛称をKITTEと呼ぶようで、可愛らしいユルキャラが迎えてくれました。

ビル中のレストラン街に、味噌専門店があり、ご飯と味噌汁で昼食にしました。東京は何でもあるものだと、感心しました。その後、13時前の新幹線で、帰岡しました。

味噌専門店の味噌汁

 

 

 

 

 

 

 

 

 

17時に自宅に着き、庭を見ると、「三日見ぬ間の桜」ではありませんが、コブシも若葉が大きくなり始め、利休梅やスオウの花が開いていました。しかし気温は、東京ほどではありませんが、低いままでした。

庭の利休梅

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同スオウ

 

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4月10日、花冷え、鎌倉霊園、矢野さん墓参、同偲ぶ会、難波さん夕食

矢野凱也さん墓参

 

 

 

 

 

 

 

 

 

妻とともに9時半前にホテルを出てJRで新宿に行き、10時前のJR湘南新宿ラインで鎌倉に行きました。この新線に乗るのは初めてでした。11時前に着き、バスで鎌倉霊園に着きました。長く私の父・江田三郎の秘書を務め、私へのバトンタッチも秘書としてしっかり支援してくれた矢野凱也さんが、昨年10月に享年92歳で逝去されました。ご葬儀はご家族だけで終わられ、縁の深かったものが墓参をしようと集まりを企画したのです。

JR鎌倉駅からバスで、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鎌倉霊園

 

 

 

 

 

 

 

 

 

霊園はまさに桜が満開でしたが、気温は次第に下がって花冷えとなり、朝のうちは明るかった空も、次第に雲が厚くなってきました。しかし参拝者は大勢来てどこも満員でした。矢野さんのお墓をきれいにした後、私が冒頭に参拝者代表としてお参りをしました。次いで参加者が次々とお参りをし、全員で墓前で記念写真を撮りました。

墓前に拝礼

 

 

 

 

 

 

 

 

 

霊園の桜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

墓参の後、バスで鎌倉駅に戻り、13時ころから駅前のすし店をお借りして「矢野凱也さんを偲ぶ会」を開催しました。まず黙祷を捧げ、献杯をし、お食事をいただき、14時前から1時間強、お話の会となりました。山田高さんの司会で、1941年に電機工業学校で同級で、それ以来同志的絆で結ばれていた加藤宣幸さんが、次いで1963年以来兄事していた私が、その後参加者の皆さんが全員、それぞれの思いを述べて矢野さんを偲びました。

献杯

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お食事

 

 

 

 

 

 

 

 

 

偲ぶ言葉

 

 

 

 

 

 

 

 

 

15時半前に終了し、同じ湘南新宿ラインで新宿に、さらにJRで飯田橋に、そしてホテルまで戻り若干の防寒衣を整え、妻とともに東京メトロで移動して、18時過ぎから難波奨二さんらと鳥鍋で夕食懇談をしました。難波さんは私と同郷の岡山県出身で、公設秘書が私の在京日程をサポートしてくれており、共通の話題が山積なのです。

難波さんと夕食会

 

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4月9日、オックスフォード会(五浦、勿来、大洗)、帰京、市長選

勿来関跡碑前で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7時前に目が覚めて朝風呂に入り、7時半から全員集合で朝食を取りました。9時に出発して、まず近くの史跡を見て歩きました。まず六角堂で、3・11の津波で流された後に復旧されました。その上の方には、岡倉天心の旧家があり、全員で記念写真を撮りました。脇には天心の「亜細亜は一つ」の碑が立っていました。天心の墓は、土盛りでした。さらに五浦美術館で、天心、大観らの作品や遺品、さらに特別展の興福寺の宝物などを見て回りました。

朝食

 

 

 

 

 

 

 

 

 

六角堂

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岡倉天心旧宅で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「亜細亜は一つ」碑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天心墓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

五浦美術館

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10時前にバスで五浦を出発し、北上して県境を福島県に越え、勿来(なこそ)に行きました。勿来関跡ですが、関の名残はなく、この地に関があったかどうかは定かでないとのことですが、小野小町をはじめ多くの歌人が歌を残しており、歌碑のほか石碑がたくさん設置されていました。百人一首の「名こそ流れてなお聞こえけれ」の上の句をみんなで思い出そうして苦労し、やっと「滝の音は絶えて久しくなりぬれど」と分かりました。勿来とは関係ありません。

勿来関歌碑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勿来関碑前で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次いで常磐自動車道を走って茨城県に戻って大洗に行き、海岸に立つ大鳥居を見物。気温が下がり雨や風が強い中、カモメが一羽、鳥井にじっとしがみついていました。13時から山口楼でおいしい和食の昼食をいただきました。さらに、明太子工場と魚市場を見て歩き、バスで水戸まで戻って、15時半前の常磐線特急で東京駅に着いて解散しました。総勢15人が雑魚寝で旧交を温める良い旅でした。19時前にホテルにチェックインし、20時前に夕食にしました。

大洗海岸の大鳥居

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カモメ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼食後

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明太子工場で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

魚市場のアンコウ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

20時過ぎに高橋雄大岡山市議に電話すると、今日が投開票日の備前市長選で、現職の吉村武司候補が当確となったというので、吉村さんにお祝いを言ったところ、21時過ぎに高橋市議から電話が入り、最後に逆転され現職落選となったとのことで、びっくりしました。真庭市長選は、現職の太田昇候補が無投票当選となりました。

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4月8日、オックスフォード会、大津漁港、五浦海岸大観荘

オックスフォード会の面々

 

 

 

 

 

 

 

 

 

11時にチェックアウトをし、妻とともに東京駅でゆっくり昼食を取り、13時半ころ、常磐線のホームに向かいました。1970年ころに英国オックスフォード大学にいた仲間が集まることになり、14時前の特急に14人が乗り込み、16時前に磯原駅に着きました。そこでさらに2人が加わり、時報に合わせて駅前の絡繰り時計が開くというので数分待つと、16時ちょうどに扉が次々と開き、シャボン玉飛ばそ、カラス何故なくの、そして赤い靴履いてたと、北茨城市にゆかりのある詩人らの童謡の景色が出てきて、童心に帰って愉快に笑いこけました。

常磐線特急で磯原へ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

駅前の絡繰り時計

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、マイクロバスに乗り込み、3・11の津波被害の跡を見てまわりました。大津漁港で、僅かですが傾いたままの製氷工場や、屋上まで避難する階段が設置された漁協の建物、放射能検査施設などを見た後、五浦温泉の五浦観光ホテル別館大観荘に着きました。

大津漁港

 

 

 

 

 

 

 

 

 

傾いたままの製氷工場

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大観荘は、横山大観が4年ほど滞在して絵を描いた場所で、波が押し寄せる入り江に面しており、館内には大観直筆の額や写真などがいっぱいありました。まずはみんなでお茶をいただき、温泉に入った後に、19時から夕食となります。

入り江

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大観直筆の額

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勢揃い

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕食会

 

 

 

 

 

 

 

 

 

19時からみんなで夕食懇談となり、美味しいお料理を腹いっぱいいただきました。さらに部屋に戻って雑談会となり、気が付くと23時半でした。部屋に戻り、2度目の入浴をして温まり、ぐっすり休みました。

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4月7日、上京、春霞、桜、室伏専務、高井さん夕食会

高井さん夕食会

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7時半に妻とともに自宅を出て朝の渋滞の中を岡山駅に急ぎ、8時15分過ぎの新幹線で上京しました。道中はずっと春雨模様で、旭川も吉井川も、山裾は靄に包まれていました。朝食は、岡山駅で発車間際に買った名物の祭ずしでした。

旭川の朝靄

 

 

 

 

 

 

 

 

 

祭ずし

 

 

 

 

 

 

 

 

 

11時半過ぎに東京駅に着き、ホテルに荷物を預けて、妻とともに所用を済ませました。東京のさくらはちょうど満開ですが、小雨の上に無情にも風が強く、桜吹雪が舞っていました。

東京のサクラ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホテルにチェックインをした後に、16時半ころ出て東京メトロで参議院会館に行き、17時過ぎから1時間弱、日本鳥類保護連盟の室伏友三専務理事と、来月に迫った熱海市での全国野鳥保護の集いの進捗状況等に付き、意見交換しました。その後さらに、スタッフと日程等に付き協議しました。

日鳥連室伏専務理事と

 

 

 

 

 

 

 

 

 

19時から3時間強、高井崇志さんご夫妻に招かれて、妻らとともに夕食をご馳走になりました。私たちの結婚50周年と私の授章のお祝いということで、千佐子夫人がお料理の腕を振るってくれ、最後のデザートには桐花大綬章の記念写真が飾られ、びっくりしました。

高井邸のデザート

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何と、桐花大綬章

 

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4月6日、春の雨、アジサイ

挿し木のアジサイ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春の歩みが急に速くなり、柔らかい春の雨も始まりました。12時前に出て所用を済ませ、法律事務所に入ったのですが、デスクワークもあまりなく、14時に帰宅して遅めの昼食を食べました。その後、庭仕事をしようと出てみると、既に雨が降り始めており、断念。

いただいたアジサイの小枝を挿し木にしたのが、ずい分大きくなり、地面に移植したいのですが、後日に延期しました。モモはますます盛りになってきました。実に美味しい実をつけるのですが、昨年は一つも大きくすることができませんでした。今年はどうでしょう。

モモが満開に

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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4月5日、庭の春、天神山、事務所、草取り

モモが満開へ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

午前中に自宅の庭を見ると、モモが満開に近くなっていました。昨年、何が原因なのか、かなりダメッジを受けていたので、花数はちょっと少なめですが、奇麗でした。スズランスイセンも、花数が増えていました。

スズランスイセン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

12時前に自宅を出て所用を済ませた後、14時ころに天神山文化プラザに行き、木圭會書展と写友「輪影」展を鑑賞しました。「木圭」は大舘桂堂先生の桂から取ったのでしょう。写真展は、岡山東ロータリークラブの皆さんの作品で、中国の風景が数多く出品されていました。15時過ぎに法律事務所に入り、デスクワークや電話連絡をしました。

木圭會書展

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写友「輪影」展

 

 

 

 

 

 

 

 

 

17時半過ぎに自宅に帰り、1時間ほど庭の草取りをしました。どんどん草が大きくなっており、少々のことでは追いつきません。しかし、何とか除草剤のお世話になることのないよう、頑張ります。

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4月4日、花見、煎茶、憲法取材

ももの里花見

 

 

 

 

 

 

 

 

 

11時に妻と友人らと自宅を出て、12時にももの里のサンノゼの丘に着き、2時間ほど、ももの里クラブの皆さんのお花見会に参加しました。桜はまだ開花したばかりですが、お天気はすっかり春の陽気で、地域づくりに取り組んでいる皆さんに地方議員も加わって、私の音頭で乾杯をして賑やかな昼食懇談となり、熱のこもったまちづくりの話を聞きました。

乾杯

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、洒落た造りのお宅で行われているお煎茶の茶会に出席し、お点前をいただきました。14時過ぎに、時間切れとなって退席し、法律事務所に入りました。

お煎茶手前

 

 

 

 

 

 

 

 

 

15時前に着いて暫くすると報道のスタッフの皆さんが来られ、15時から2時間強、テレビカメラの回る中で憲法についての取材を受けました。来月初めに特集で放映されるそうです。18時過ぎに帰宅し、19時から妻と出掛けて夕食をとりました。

憲法取材

 

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4月3日、娘家族帰京、事務所、寂寥

娘一家帰京

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6時過ぎから何やら音がすると思ったら、娘たち一家が起きて帰り支度をしており、妻も手伝って、7時半前に朝日を浴びながら、車で出て行きました。東京の日野の自宅まで、休憩を挟んで10時間掛かるそうです。夏休みに、また会いましょう。

午前中は自宅でデスクワークなどをしているうちに時間が経ち、昼食後に妻と出て、切符の手配などの所用を済ませ、15時半ころに法律事務所に入り、デスクワークを済ませて、18時に自宅に戻りました。若者たちがいなくなったせいか、のんびりした一日でしたが、急に寂しくなったのも事実です。