2017年5月20日「石原萠記先生お別れの会」
月: 2017年5月
山陽新聞朝刊「江田氏の活躍に敬意」を掲載しました
山陽新聞 2017年5月22日
5月21日に開かれた「桐花大綬章受章祝う会」が記事になりました。
5月21日、水路掃除、サギ、桐花大綬章を祝う会
7時半から3時間弱、町内の用水の掃除に参加しました。旭操学区連合町内会のうちの山崎東町内会で、わが家がそのうちの7組の今年度の組長となっており、責任重大です。岡山市は、江戸時代の埋め立てで造成された農地が最近になって宅地化したところが多く、農業用水が下水になり、合併浄化槽が整備されても、年一回の清掃は欠かせません。今日はその日に当たっており、町内総出で10時過ぎまで汗を流しました。私は実は、猫車を使いこなすことができるのです。
終了後、自宅前の橋の下で用水の水面に動くものの影が映っているので、よく見ると鳥でした。面白いのでカメラを向けると、アオサギが飛び立っていきました。自宅に帰って庭を見ると、アマリリスが二株で5輪、満開に咲き誇り、さらに三株目も蕾が大きくなっていました。
自宅で一休みし、昼食後に準備をして妻とともに15時に出て、岡山駅近くのホテルに向かいました。15時半に着いて妻はすぐに髪を整えて着替えをし、私も16時半ころから着替えをして、私は燕尾服姿に、妻は和服姿になりました。昨日は東京のお別れ会で、全員で「ロイドメガネに燕尾服…」と歌いましたが、今日は若い県議の皆さんが「街のサンドイッチマン」を全く知らないというので、時代の変化に驚きました。
18時から、「江田五月氏の桐花大綬章を祝う会」が開会となり、300人ほどがお集まりの中、私と妻が入場しました。倉敷市の藤原薫子市議の司会で、先ず発起人代表の河原昭文さんが開会挨拶をし、出席の発起人の皆さん全員に壇上でマイクリレーの一言挨拶をいただきました。次いで来賓で、内閣から加藤勝信大臣、自治体から伊原木隆太知事、参議院から郡司彰副議長、さらに出席国会議員全員に壇上に上がっていただき、菅直人さんと逢沢一郎さんに挨拶をいただきました。その後、私たちの孫のももちゃんと一生君から花束をいただき、私がお礼の挨拶で、国政40年と議長の経験を振り返って、大学時代に丸山ゼミで発表した吉野作造の「憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず」に触れて、憲政のために努力する決意を述べ、妻からもお礼の言葉を述べました。その後、メッセージ紹介などがあり、情報労連の野田三七生委員長の音頭で乾杯をして懇談に入りました。
暫時懇談の後に、各テーブルを回り始めましたが、書道の小野玲華さんらのグループ、同じく曽我英丘さんら、女性後援会アゼリア会の皆さんなどと回っているうちに、直ぐに時間が経ってしまいました。20時過ぎに、津村啓介さんに閉会挨拶をいただき、出口で皆さんのお礼をしていると、長い列となって、ご迷惑をかけてしまいました。スタッフの皆さんに最後のお礼を述べるのは21時前になり、ホテルで妻と食事をして自宅に帰りました。
5月20日、お別れ会s(石原萠記さん、岡崎トミ子さん)、帰岡
10時半前にチェックアウトし、11時から2時間ほど、「石原萠記先生お別れの会」に出席しました。献花して着席するとすぐに開会となり、加瀬英明さんの開会の言葉に続いてすぐに私が指名されてお別れの言葉を述べました。石原先生は雑誌「自由」を刊行して多彩な人々に議論の場を提供し、さらに多岐にわたる人脈を活用して国境を超えた人の繋がりを作られました。私も初当選以来お世話になり、何度か訪中も共にしました。今日も新しい歴史教科書の関係者から連合会長まで、多彩な皆さんがお集まりで、それぞれご挨拶をされました。石原圭子さんがお礼のご挨拶をされたのちに、みんなで声を張り上げて、先生が好きだった「街のサンドイッチマン」を歌いました。中国との交流を担った徐廸民さんご一家も、お揃いで出席してくれました。
その後、直ちに次の会に駆け付け、13時半から2時間強、「岡崎トミ子さんをしのび語り合う会」に出席しました。石毛鍈子さんと相原久美子さんの司会で、黙祷に続いて、岡崎さんの1990年初当選から96年民主党結成を経て閣僚就任に至る経過のなかで、戦時性的強制被害者問題、東ティモール自決権支援、農薬散布問題などの運動に関わった皆さんの思い出を話していただき、菅直人さん、仙谷由人さん、浅野史郎さん、堂本暁子さんや私などがマイクを持ちました。福島瑞穂さん、吉川春子さんらも話してくれ、党派を超えた岡崎さんの繋がりを彷彿とさせました。最後に妹さんが挨拶し、「死は、命を絶てても、絆を絶つことはできない」と、岡崎さんのたたかいによって結ばれた友情の強さを強調してくれました。
終了後、東京駅に急ぎ、16時半の新幹線で帰岡しました。19時ころ、新大阪付近で太陽が沈みました。
5月19日、上京、参議院祝賀会、夕食懇談
7時45分に妻とともに自宅を出て、いつも以上の激しい渋滞のために岡山駅到着が8時25分過ぎになり、8時半過ぎの新幹線にやっと間に合って、一人で東京に向かいました。昨日までとは打って変わって、雲一つない五月晴れの晴天で、10時半過ぎに湖水がきれいな浜名湖を通過しましたが、残念ながらそこから雲が出てきて富士の裾野から上を覆い隠していました。
12時前に東京駅について参議院に向かい、事務総長室で暫時待機し、12時半から1時間弱、「参議院創設70周年記念祝賀会」に出席しました。現職議員のほか元議員が90人ほど集まり、伊達忠一議長の挨拶に続いて、来賓として大島理森衆議院議長、安倍晋三首相と寺田逸郎最高裁長官の挨拶があり、郡司彰参議院副議長の音頭で「参議院」のラベルを張った「微発泡酒ぷちぷち」で乾杯をして、懇談となりました。ラベルは書家の金澤翔子さんの揮毫で、間もなく発売されるそうです。寺田長官、和田ひろ子さん、谷合正明さん、小池晃さん、さらに大学時代以来の友人の黒岩秩子さん、私の科技庁長官時代の科学技術政務次官の乾晴美さん、内藤正光さん、千葉景子さん、河田龍平さん、円より子さんらと歓談しました。ラベルを揮毫した金澤さんと森雅子さん、橋本聖子さんらと写真を撮り、13時半前に退席し、難波奨二さんの事務所でデスクワークなどをしました。
その後、ホテルにチェックインし、18時から2時間半ほど、旧知の報道関係の姉弟らと夕食懇談しました。姉は私の閣僚時代の担当記者で、弟は法科大学院で法曹教育を受けている最中です。若い皆さんの各分野での活躍を激励しました。
福井新聞「憲法施行70年 引退議員インタビュー」を掲載しました
福井新聞 2017年5月1日 記事
5月18日、原子力取材、修習生支援、憲法委
午前中は自宅で、電話連絡やデスクワークをし、12時過ぎに妻とともに出て、今月21日の私の叙勲祝賀会の会場のホテルに、準備のために若干の荷物を運び、担当者と打合せをしました。
その後、出直して昼食を掻きこみ、14時過ぎから1時間強、報道の記者さんの原子力政策に関する取材を受けました。1993年の細川内閣の科学技術庁長官のときに、「原子力開発利用長期計画」の見直しに関わった当時のことと、2011年の菅内閣の法務大臣と環境大臣のときに、原発事故対応とその後の原子力政策の策定に関わった当時のことなどです。「ご意見を聴く会」の経緯や「30年代原発ゼロ」を巡る議論などに付き説明しました。
16時から1時間弱、岡山弁護士会の大土弘会長、佐藤弘一副会長と担当弁護士らが来られ、司法修習生の給付金制度創設に関する法改正の実現とその後の法曹養成のあり方などにつき意見交換しました。
17時過ぎから1時間半ほど、岡山弁護士会館で、同会憲法委員会に出席しました。具体的な活動に付き実務的な協議と決定をする会合で、若い弁護士さんらが頑張っていました。
5月17日、光風会展、ジュディ・オング展
午前中は自宅で、ゆっくりとデスクワークなどをしました。13時過ぎに妻とともに出て、昼食と所用を済ませて、15時から1時間弱、岡山光風会展を鑑賞しました。桃太郎をモチーフにした「瀬戸内海」を描いた福島隆壽さんがご案内くださり、私の肖像画を描いてくれた石田宗之さんの「遊於樹下世界」や、筆保博文さんの「日々新」、藤井淥水さんの「悠久の時」などを見て回りました。
その後、16時過ぎから30分強、「ジュディ・オング倩玉 木版画の世界展」を鑑賞しました。緑に囲まれた日本家屋の佇まいが版画で見事に表現されていて、堪能しました。展示の終わり近くで、思いがけずジュディさんご本人に出会い、ご挨拶をして暫時言葉を交わしました。17時半ころに自宅に戻りました。
〈日中友好会館「会館だより」4月号 ご挨拶〉を掲載しました
5月16日、アマリリス、ゼラニウム、シラン、事務所
午前中は自宅で、ゆっくりとデスクワークなどをしました。12時半ころに出掛ける時に庭を見ると、アマリリスが今年も大きく綺麗な花を開いていました。球根が次第に増えてきています。玄関先では、ゼラニウムが華やかな赤い花をたくさん付け、脇の方ではシランが咲き乱れていました。
いくつか所用を済ませ、13時半過ぎに法律事務所に入り、デスクワークや電話連絡をしました。17時に出て自宅に戻り、町内会の仕事で走り回っていた妻と、外で夕食を済ませました。