「龍翔鳳舞」
今年の玉龍会展には、作品を書く合宿に参加できず、後神直子先生に頼み、岡山朝日高校書道部の練習時間に書道教室に立ち寄って、「鳳舞」と大画仙紙に揮毫しました。現役の生徒の皆さんの見ている前で、緊張しましたが、何はともあれ仕上げることができ、ほっとしています。
私の自宅は、間もなく築40年になります。1977年に、父・江田三郎の政治活動上の憤死で裁判官を辞し、国政に参画して暫くして、やはり自分の本拠を岡山に持たなければと、住宅ローンで建てたものです。その玄関には新築当時から、私の「龍翔」という全紙の作品を掛けています。私の国政進出直後の作品で、2007年12月の河田一臼先生の回顧展の際に出品させていただいたものです。
昨夏に参議院議員任期満了とともに足掛け40年に亘った国政の現場から去り、秋には桐花大綬章をいただいたので、この際、「龍翔」から始まった国政参加の締めくくりとして、「鳳舞」を選んでみたのです。しかし、作品の出来も不満足だし、この間の国政活動も決して満足できるものではありません。むしろ、恥多き政治家人生だったなと回顧しています。
桐花大綬章は最高位の勲章で、今春には森喜郎元首相に授与されました。私の場合は、2007年から10年までの参議院議長に対するもので、衆参で多数派の異なるねじれ状態だけでなく、参議院内でも私の出身母体の民主党は過半数に至らず、国会運営は苦労の連続でした。ガソリンの店頭価格が下がったり上がったりして、国民生活に混乱も起こしたりしました。政治が生活に直結しているのを実感できて良かったというのは、弁解になりません。
もともと叙勲制度は国民に序列をつけるもので、根本的な批判もあります。江田のやつはあんなものを貰って悦に入っていると、陰口も聞こえます。私が偉くなったわけではありません。地元に何の利益誘導もしないのに、終始変わらず私を支えてくれた皆さんがいてくれたからこそ、議長の職務を全うできたので、叙勲は皆さんがいただくものです。私が代表して、受け取らせていただいたと思っています。
龍ならんと欲して翔び立ったものの志を果せず、皆さんに鳳を舞っていただくのがせめてものお返しかと思っています。それでも、龍も鳳も形は一つではありません。最近はフローラという言葉が盛んですが、花園には、大輪のバラも片隅のカタバミも咲きます。多様な個性をすべて大切にし、鮮やかな「龍翔鳳舞」の風景を作りたいものです。