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3月21日、中国留学経験者同窓会、陳部長ら、帰岡、「さつまりこ」

留学生の会で乾杯音頭

11時前にホテルをチェックアウトし、「中国留学経験者同窓会」の設立記念レセプションの会場に行き、まず来賓控室で、同窓会会長に就任した近藤昭一さん、程永華中国大使、中国から参加した中華人民共和国教育部の陳宝生部長、そしてそのカウンターパートに当たる日本の林芳正文科大臣らと懇談しました。

近藤会長、程大使と
陳部長らと

11時半に会場に入り、まず近藤会長が決意を込めた挨拶をし、陳部長が日中間の留学の歴史を振り返りながらその大切さを強調した挨拶をし、さらに林大臣、程大使と続いて、私が戦時下での中国生活経験に触れた挨拶をして乾杯の音頭を取りました。すべて通訳も入るため、ここまでで1時間が経過し、懇談に移りました。教育関係者らが大勢ご出席で、暫く皆さんと言葉を交わしました。

陳部長の挨拶
私の挨拶
カンペーイ!

13時過ぎに中座して、お彼岸には全く不釣り合いの氷雨の中を東京駅に行って昼食を済ませ、切符変更ができないので時間を潰して、15時半の新幹線で帰岡しました。妻の迎えで、夕食を外で済ませ、帰りにスーパーに寄って「えだまりこ」を探したら、何と「さつまりこ」があり、びっくりしました。言うまでもなく、私と長女の名前の合成です。

「さつまりこ」

 

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3月20日、福田君、山田さんら、司法書士、師村さん、難波さん、魯迅展、謙慎展

魯迅展で挨拶

8時にホテルを出て所用を済ませ、9時半に参議院議員会館に入ってモーニングサービスの朝食を食べ、11時前から難波奨二さんの事務所をお借りして、来客応対を続けました。

まず、岡山県浅口市の市長選出馬を表明した福田玄さん支援のメッセージを収録しました。15年ほど前に学生インターンとして私の事務所に来て以来の師弟関係で、36歳で市議1期を終わり、若者らしい大胆な挑戦を決断しました。11時半から、山田高さんと浜谷惇さんが来られ、毎年5月開催が恒例となっている父・江田三郎を偲ぶ会の今年の持ち方につき意見交換しました。12時過ぎから、日本司法書士政治連盟の芝将宏会長と安井利国幹事長が来られ、懇談しました。

メッセージ収録
山田さんと浜谷さん
司法書士政連の芝会長ら

13時過ぎから、篆刻家の師村妙石さんが来られ、最近の活動につきお話を伺って懇談しました。その後、会館内の食堂で大急ぎで昼食を済ませ、14時過ぎから短時間、難波奨二さんと懇談し、15時前に出て中国文化センターに行きました。

師村さんと

14時から「魯迅の面影―魯迅の写真と原作作品展」の開幕行事が行われており、まず講演会で、魯迅の孫で中国魯迅文化基金会会長の周令飛さんの講演が終わって、次の王錫榮さんの「魯迅と日本の深い縁」という講演の最中に到着して話を聞きました。15時半から開幕式となりました。主催者と来賓の紹介に続いて、周会長の挨拶があり、来賓として中国大使館の郭燕さん、日中友好会館会長の私、東京日中友好議連協議会の東村会長と内山書店の内山社長の挨拶があり、私は魯迅の「藤野先生」のことなどを話しました。その後、皆でテープカットを行い、展示を拝見しました。テレビ局の短いインタビューも受けました。

魯迅展の講演全景
周令飛会長の挨拶
私の挨拶
テープカット
テレビインタビュー
周会長と

最後に17時過ぎから、謙慎書道会展を鑑賞しました。80回という長い歴史のある展覧会で、高木聖雨会長からお招きを受けており、展覧会の規模の大きさと出品作の質の高さに感心しました。子どもたちの「水族館」と銘打った展示もなかなか愉快でした。

謙慎展全景
高木聖雨会長の作品
「水族館」

 

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3月19日、春の花

白マンサク

9時半前に妻と出て、所用に追われ、ホテルに帰り着いた時には17時前になっていました。東京の町はよく見て歩くと、花にあふれていました。コブシは満開を過ぎたところで大きな木が純白の花に覆われ、手入れされていないモモもきれいな花を開いていました。

コブシは満開を過ぎ
手入れされないモモ(?)

買い物帰りの道端では、珍しい白のマンサクが満開で、サンシュユもきれいにつぼみを開き始めていました。ユキヤナギは満開で、トサミズキも片隅でしっかりと花を開いていました。

サンシュユは開花し始め
ユキヤナギ
トサミズキ

 

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3月18日、核ミサイル、玉龍会、上京

玉龍会例会

午前中は自宅でテレビの政治番組を見て過ごしました。森友問題は深刻で、しっかりと事実を解明した上で責任の所在を明らかにしなければ、再発防止などできません。

米朝問題はもっと深刻で、しかも激しい動きの中で日本のできることは限られており、事態の推移をしっかりと見極めながら適切な対応を取らなければなりません。拉致問題を忘れてはいけませんが、もし北朝鮮が、核ミサイルで何の譲歩もないまま、拉致についてだけ譲歩してきたら、日本はどうするのでしょうか。また、もし北朝鮮が、自分たちの核ミサイル放棄と他の核保有国のそれの放棄の同時進行を言い出したら、北挑戦の核抑止力は悪だが、米国の核抑止力は善だという論理を、北朝鮮に納得させるのは、なかなか困難のように思います。

昼食を早めに済ませ、12時半に出て母校の岡山朝日高校に行きました。六高記念館は静かな佇まいで、グラウンドでは生徒たちがサッカーの練習をしていました。13時から1時間強、玉龍会の例会に出席しました。会長であった曽我英丘さんの急逝を受けて、これからの活動の方向をしっかりと協議、決定しなければなりません。中座して岡山駅に急ぎ、妻と合流して15時前の新幹線で上京しました。

六高記念館
サッカー練習
玉龍会例会

 

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3月17日、仏壇に線香、墓参、外食

両親の墓参

妻は9時前に所用で出かけ、11時過ぎに帰るまで、私は自宅でテレビの時事報道を見ながら、ゆっくり朝食を食べました。

12時過ぎに妻とともに出掛け、買い物を済ませながら岡山市北端にある両親の墓参に出掛けました。まず13時前に、親族で大変お世話になった和田知矩さんのご自宅に伺って仏壇に線香を手向け、さらに私の従兄にあたる岸本康男さんの仏壇に線香を手向けました。そこで13時半過ぎになり、旧知のうどん屋で昼食を済ませました。

和田さんの仏前に
岸本さんの仏前に

14時ころに妙福寺境内に着き、両親の墓掃除をしていると、彼岸前の休日で、次々とお墓参りの人が訪れていました。草を取り、花を生け、線香に火を点けて、墓前に手を合わせました。お寺は山裾にあり、山の上部に砂防施設を築く必要があるらしく、お寺の裏から中腹にかけて工事が続いていました。3年ほどかかるそうです。

治水工事

15時前に出て帰る途中で、お世話になった喜多孝さんのお宅に寄って仏前に手を合わせて奥さんと懇談し、さらに庄公寿さんのお宅に寄るなど、気に懸かっていたことを済ませ、18時過ぎに外で夕食を済ませて、21時前の帰宅となりました。

喜多さんの仏前に

 

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3月16日、事務所、十六年会

十六年会

未明から冷たい雨で、二月の気候に戻ってしまいました。昼食後、13時過ぎに出て法律事務所に入り、17時半過ぎまでデスクワークや電話連絡をしました。

事務所で

一度帰宅して、直ぐに妻に送って貰い、19時から2時間強、昭和16年生まれの友人ら数人の「十六年会」の定例会に出席し、おいしい料理とお酒に楽しい会話で、あっという間に2時間が過ぎました。森友事件は、個別の「事件」の異常さもさることながら、「官僚制」の劣化や「国民主権」の風化といった本質的な危機の進行で、政治こそが重大責任を負わなければならない事態だと思います。まずは事実の解明にしっかりと取り組むことが大切です。

十六年会

 

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3月15日、コブシ、おむつ畳み、事務所

おむつ畳みの皆さんと

今日も温かく、高知で桜の開花が確認されました。昼過ぎに出掛ける際、庭を見ると、シデコブシが純白の花を開き始めていました。

庭のシデコブシ

12時半から1時間半ほど、妻が友人たちと長く行っている社会福祉法人旭川荘のおむつ畳みの皆さんの昼食に合流しました。

14時ころに法律事務所に入り、17時過ぎまでデスクワークと電話連絡などをしました。

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3月14日、「えだまりこ」、天プラ(陶心会、美術クラブ、樹の会、俳句の書)、徹磨さん、番町文庫

書道展で

関西の親族からサプライズが届きました。私たちの長女は「真理子」なのですが、なんとその名前のお菓子が売られていたというのです。関東では発売されていると聞いていましたが、まだ岡山には来ていません。

「えだまりこ」

そんなこんなで、電話連絡などをしているうちに時間が経ち、12時過ぎに妻とともに出て、昼食や所用を済ませて天神山文化プラザに行き、展覧会を鑑賞しました。まず備前陶心会展で、若い備前焼作家の野心作が並んでいました。次いで岡山美術クラブ展で、木彫の児島高義さん、染色の崎坂洋子さんと田中宏子さん、賛助出品で講師の神崎順治さんなど、多くの旧友たちが出品していました。さらに油絵の樹の会展を見、最後に岡山県「現代俳句の書展」では会長の小竹石雲さんが案内してくれました。

陶心会展
美術クラブ展
樹の会展

15時ころ、県議会の現場から突然に病気で姿を消した森本徹磨さんのお宅に伺い、仏前に手を合わせました。時の経つのは早いもので、もう13回忌が済みました。16時半ころ、法律事務所に入ってデスクワークを済ませ、一度帰宅して、19時ころ妻とともに番町文庫で夕食を済ませました。

徹磨さんに手を合わせ
番町文庫で

 

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3月13日、所用、浅口市長選、電車

デスクワーク

早朝から電話連絡があり、昼食後に妻とともに出掛けて、所用を次々と済ませました。上京の切符のために岡山駅に寄ると、今日が中学校の卒業式とのことで、子どもたちが奇抜ないで立ちでたむろしていました。

岡山駅前の若者

15時ころに法律事務所に入り、電話連絡やデスクワークをしました。4月15日が投開票の浅口市長選挙に、私の事務所のインターンから志を立てて市議1期目の福田玄君が、ぎりぎりまで弓を引き絞った上で、つい先日矢を放ちました。36歳の若者だから出来る無謀な挑戦です。

18時過ぎに出て、路面電車で終点の東山電停まで行き、妻に迎えに来て貰いました。

路面電車「たま」

 

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3月12日、所用、誕生祝、デスクワーク

回転寿司で夕食

午前中は自宅で雑用をして過ごしました。豊後梅が満開になりました。

庭の豊後梅が満開に

12時前に妻とともに出て所用を次々と済ませました。孫の一生君のお誕生祝のおもちゃを買いに店に寄ると、こいのぼりが林立でした。

こいのぼりが林立

14時過ぎに法律事務所に入り、デスクワークや電話連絡をし、15時半過ぎにももちゃんと一生君のお宅に寄って、お誕生祝にケーキを食べ、暫く一緒に遊びました。二人とも元気一杯で、ちょっと遊ぶと私たちがくたくたになってしまいます。18時前にお別れし、妻と二人で外で夕食を済ませました。