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4月30日、玉龍雪山、昼食、「印象・麗江」、藍月谷、束河古鎮、夕食

玉龍雪山の展望台で

朝食を済ませて9時に集合し、マイクロバスで玉龍雪山に向かいました。広大な松などの林を抜けてひたすら真っすぐに走り、10時前に標高2000メートルほどから3356メートルのロープウェイ乗り場に着き、携帯用の酸素吸入器を携えて、かなりの高速で動く8人乗りの乗り物で4506メートルまで登りました。外は雪で冷え込み、時々見える下界には雪の中でシャクナゲなどが咲いていました。降りしきる雪の中で展望台の雰囲気を楽しみ、傘の先で雪の上に「玉龍」と書いてみたりしました。さらに100メートルほど登山道があるのですが諦め、再びケーブルカーで下山して、12時前から「雪厨」という大きなレストランでヤクの肉と豊富な野菜のしゃぶしゃぶで昼食をいただきました。

ロープウェイ乗り場で
乗り物
酸素吸入器
観光客で一杯
「玉龍」
雪の登山道には行列
昼食はしゃぶしゃぶ

13時に移動して、張芸謀(チャン・イー・モウ)の演出による「印象・麗江」を鑑賞しました。標高世界一の露天実演の壮大なミュージカルで、酒席の賑わいと恋の悲劇をテーマに少数民族の生活を描いた名作です。13時半に開演し、70分の間、地元の人々500人が、乗馬、器楽演奏、大コーラスなどで熱演し、雨の中でカッパで鑑賞した満員の観客を感動の渦に包みこみました。ほかに張監督によるものは「印象・西湖」と「印象・桂林」があり、私は西湖のものも見たことがあります。

「印象・麗江」の露天劇場で
少数民族の酒席
客席にも来て歌い
そして踊り
山も姿を見せ
終幕へ
感動の時を終えて

次に、15時ころに藍月谷に着き、移動するマイクロバスの中から豊かに流れる水の紺碧のグラデーションを楽しみました。河畔では、結婚式を挙げたばかりのカップルが何組も見えました。16時ころから1時間半ほど、束河古鎮を散策しました。かつて「茶馬古道」という街道があり、交易の中継所として栄えた街並みで、英国のパブ風の店でお茶にしました。

紺碧のグラデーション
上流も人の波
ヤクと新婚さん

 

束河古鎮の入り口で
踊りの輪に入り
茶馬古道の跡
水路脇で
お茶に
英国風のパブ
案内の曾君と
至るところに東巴文字
「笑」

18時前にホテルに帰り、18時半過ぎから20時過ぎまで、今回の旅行の8人組で夕食をいただきました。雲南料理で、毎回のことですが超満腹になりました。

夕食

 

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4月29日、昆明自由市場、麗江へ、東巴博物館、黒龍潭、夕食会

東巴文化博物館で

8時過ぎに朝食を食べ、9時半にチェックアウトして昆明市内の自由市場の視察に出掛けました。日曜日で連休ということもあってか、張大賑わいで、野菜、果物、魚、肉など地元のものが数限りなく並べられ、椿の芽、山羊の丸焼き、川魚に蛙等々、興味は尽きませんでした。

朝食
西瓜
漢方
バラの花びら
山羊

11時前に切り上げて昆明長水空港に向かい、12時から1時間弱、空港内で昼食を食べ、13時20分の便で麗江三義空港に飛び、1時間で到着して麗江市内に移動し、15時半過ぎに麗江官房大酒店の花園別荘にチェックインしました。雲南省自体が観光資源に恵まれていますが、特に麗江は東巴文字で知られる納西(ナシ)族など少数民族の居住地域で1997年に世界文化遺産に登録され、年間4000万人の観光客が訪れるそうです。

昆明長水空港
空港で昼食
麗江三義空港
空港待合室で

16時にホテルを出て東巴文化博物館に行き、1時間ほど展示資料を見て回りました。象形文字で、日本でも文字の存在は知られていますが、この文字で営まれた人々の生活や文化は、私は全く知りませんでした。その後、隣接の黒龍潭公園を散策し、17時半にホテルに戻りました。

東巴文字のスローガン
東巴文字の碑
納西族の衣装
納西族の生活
黒龍譚公園で
公園入口で

ホテルで若干のデスクワークをした後、18時半から30分弱、麗江市の金振輝副市長ら幹部の皆さんと会談しました。玲講師は日本の高山市と姉妹都市で、熱心な交流をしているそうです。その後、金副市長主催の歓迎夕食会となり、おいしい食事と楽しい会話であっという間に2時間が過ぎました。夕方から雲が出てきて、一時は土砂降りとなり、雨が上がった後は気温が下がってきました。

金副市長らと会談
記念写真
夕食会で乾杯

 

 

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4月28日、上海へ、昼食会、取材、昆明へ、夕食

雲南省の7人チームで夕食

6時に起床すると、雲一つない快晴。朝の陽光に、中国由来の白松の新芽が勢い良く輝いていました。7時前に妻と出て岡山空港に向かい、8時前に難波奨二さんらと落ち合って手続きをし、まず朝食の後、9時過ぎの便で一緒に上海に飛びました。今日から4泊5日の中国旅行で、暫くフェイスブックは使えません。

朝陽に輝く白松
岡山空港で

2時間半弱の飛行と1時間の時差で、現地時間の10時半ころに上海浦東空港に着き、中日友好協会の王占起副秘書長と曾広明君の出迎えを受けて入国手続きを済ませ、12時から空港近くのホテルで上海市人民対外友好協会主催の歓迎昼食会に出席しました。景瑩副会長が歓待してくれ、おいしい料理と楽しい会話で瞬く間に2時間が過ぎ、空港に戻りました。私たちがみな岡山からということで、故・江草安彦さんが上海に残された偉大な足跡で話が盛り上がりました。

上海浦東空港で
歓迎昼食会
乾杯!
プレゼント交換は烏城彫り

14時過ぎから30分強、上海の「解放日報」の取材を受け、日中関係の現在と今後の在り方につき包括的な質問を受け、中国側にも注文を付けながら、率直に答えました。

取材

15時過ぎに次の便の搭乗となり、3時間半弱の飛行の間に現地の新聞を見ると、昨日の南北首脳会談が興味深く報道されていました。

南北会談の報道振り

18時半過ぎに昆明長水空港に着き、雲南省人民対外友好協会の李暁娟さんらの出迎えを受け、19時半ころに空港を出てホテルに向かい、20時半過ぎから日本からの4人と中国側3人で夕食となりました。雲南省では、この7人の団体行動となります。

昆明長水空港で
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4月27日、南北首脳会談、庭の花、「杉」、事務所

うどん屋「杉」で

9時過ぎからテレビの前に釘付けになりました。板門店での南北首脳会談の最初の出会いで、ついに両首脳が軍事境界線を跨いで握手をし、これを越えて長く続くであろう階段を上り始めました。

境界線を跨ぐ両首脳

前世紀前半には日本がこの半島を占拠していたこと、戦後は東西対立が戦火となり大変な犠牲をもたらしたこと、日本は朝鮮特需で戦後復興の道を開いたこと、冷戦終結後もその残り火が消えずに有能な指導者たちを不毛な対立へと駆り立ててきたことなどを考えれば、今回の両首脳の共同宣言を歴史的な一歩にしなければならず、そのために日本も出来ることがあるはずだと、強く思います。

固い握手

朝鮮戦争の最中に、私は近所の教会で、指名されて戦争を早く終わらせて下さいとお祈りをしました。小学低学年だったと思います。今日はその教会に行ってお祈りをしたい気持ちでした。

子どもたちのために

昼過ぎに庭に出てみると、モチツツジがきれいな花を開き、中国由来の白松は青空に大きく枝を伸ばしていました。12時過ぎに妻と出て、うどん屋「杉」で昼食を食べました。建部の杉茶屋のご子息がご主人です。食後、近くのフジのきれいなお宅に寄ってみました。

庭のモチツツジ
庭の白松
見事な藤棚

15時ころに法律事務所に入り、若干のデスクワークの後、江田剛所長弁護士とともに、相続関係の訴訟事件の打ち合わせをしました。司法修習生が同席しました。

デスクワーク
訴訟事件打ち合わせ

 

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4月26日、事務所

デスクワーク

雲一つない快晴で、爽やかな春の一日でした。妻は朝から、公民館でのコーラスの練習でお出かけ。私はゆっくり朝食を食べ、さてもう一寝入りと思ったら、家の照明の修理に電気屋さんが来てくれ、12時半ころに妻が帰るまでテレビのニュース番組を見ながら過ごしました。

昼食を食べ、14時ころ出掛けて所用を済ませ、15時過ぎに法律事務所に入って、デスクワークや電話連絡をしました。18時前に出て帰宅し、庭の草取りを始めたのですが、直ぐに暗くなってしまいました。

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4月25日、上京、山田村、園遊会、光風会展、写真展、帰岡

菅、横路、寺田の各氏らと

夜来の雨が朝方に上がり、青空が見えてきました。8時半に妻とともに出て、パーク&ライドで岡山駅に駐車し、9時半過ぎの新幹線で上京中です。濃尾平野も田に水が張られ、農家はこれから忙しくなりそうでした。

濃尾平野の田にも水が張られ

浜名湖を過ぎて、岡山駅で買った山田村のおにぎりで、少し早い昼食を食べました。東京に着く前に車内でモーニングに着替えて赤坂御苑に直行し、13時半過ぎから妻とともに園遊会に出席しました。心配した雨は上がって汗ばむほどの陽気となり、私たちに指定された入場口には、歴代の国務大臣、衆参の議長・副議長、最高裁判事らのほか春は在京海外使節団の代表に各配偶者が招かれ、大変な賑わいでした。

山田村のおにぎり
夫婦で

まず皇太子同妃両殿下ら皇族の皆さんがお着きになって参加者に丁寧にご挨拶され、14時10分に天皇皇后両陛下がお着きになって、開幕となりました。この機会でなければお会いできない皆さんと、すべての垣根を取り払って和やかにご挨拶できる貴重な機会で、本当に大勢の皆さんと言葉を交わしました。

モンゴルの大使代理ら
一宮人事院総裁と
川田龍平夫妻と

15時半に退場し、妻と別れて新国立美術館に急ぎ、16時前から30分ほど、光風会展を鑑賞しました。河内八重子さんがおられてご案内下さり、大勢の皆さんの力作を拝見しました。岡山県出身の女性が大勢頑張っていました。

石田宗之さんの作品
寺坂公雄さんの作品
河内八重子さんの埴輪
岡山県の女性たち

さらに16時半ころから短時間、柴田清美さんにご案内いただいた写真展を鑑賞しました。友人らと昨夏に10日間のイタリア旅行を楽しんだ際の写真で、私にとっても懐かしい景色がいくつもありました。

写真展イタリア
柴田さんと

17時過ぎに東京駅で妻と落ち合い、夕食を食べて、18時過ぎの新幹線で帰岡しました。楽しく慌ただしい春の一日でした。

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4月24日、行政相談

行政事件相談

午前中は自宅でゆっくりと、電話連絡などをしました。昼食後に出て14時前に法律事務所に入り、1時間ほど、行政問題につき法律相談を受けました。行政側の対応につき強い不満を訴えられるのですが、残念ながら行政不服審査法の手続きが終わった後に、取消訴訟の出訴期間が遥かに経過しており、訴訟上の救済の道がありません。

その後、若干のデスクワークをして事務所を出て、所用を済ませて17時に帰宅しました。終日、雨が続きました。

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4月23日、庭の花、所用、交通事故相談、おかやま館

交通事故相談

朝食後にまた眠りにつき、12時にやっと起きて昼食を食べて庭に出てみると、訪中中にまた花が一気に開き、ヒラドツツジ、ナニワイバラとヒメライラックが満開になっており、テマリカンボクはもう盛りを過ぎていました。

庭のヒラドツツジ
庭のナニワイバラ
庭のヒメライラック
庭のテマリカンボク

13時半過ぎに妻とともに出て、所用をいくつか済ませました。次の訪中の準備や切符の購入などです。16時前に法律事務所に入り、1時間ほど、江田剛所長弁護士とともに交通事故の民事相談を受けました。

その後もデスクワークをし、18時前に出てさらに「晴れの国おかやま館」で所用を済ませ、夕食は妻とともに外食となりました。

晴れの国おかやま館

 

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中国硬筆書法協会主催「大書法芸術作品展開幕式」祝辞を掲載しました。

皆さん、你好。私は、日本からやってまいりました第27代参議院議長で元参議院議員の江田五月です。
この度、中国硬筆書法協会の海外栄誉顧問に就任させていただきました。よろしくお願いします。

まず何より、大書法芸術作品(北京)展がこのように盛大に開催されたことを、心からお祝い申し上げま
す。このような晴れがましい機会にお招きいただき、こんなに嬉しいことはありません。

また今回はご一緒出来ませんでしたが、同じく海外栄誉顧問に就任された日本の第81代首相の村山富市
さんからも、皆さまにくれぐれも宜しくという伝言を預かってきました。大韓民国からは李寿成元国務
総理はじめ多くの方々がご参加ですが、今回は日本からも、私を含め4名が参加させていただきました。
私にとっては初めての参加で、誠に名誉なことであり、この連帯活動を今後も繋げていく覚悟を新たに
しています。

私が硬筆書法協会とご縁ができたのは、今回もご一緒している日本を代表する篆刻家の師村妙石さんが、
仲介役を務めてくれたものです。昨年11月に、張華慶主席他幹部の皆さんが、師村さんのご案内で、日中
友好7団体の一つで私が会長を務めている日中友好会館の会長室をお訪ねいただいたときからです。その
時、中国の「硬筆」は、日本とは違い、文字を基調とする芸術表現全体を指すものだということを、初め
て知りました。日本ではどうしても、「硬筆」というと毛筆に対するペン習字となってしまいます。まさ
に「ところ変われば品変わる」ですね。

日本も中国も韓国も、お互いに引っ越すことのできない隣国同士です。お隣同士というものは、何かと色
々な問題が発生するもので、対等の国同士で何も問題がないという方が不思議です。そのことに一々神経
を尖らせても、それぞれの国民にとって良いことはありません。逆に、問題が起きた時には、それは私た
ちの仲をより良く固めるために天が与えた試験問題だという程度に受け止め、解決策を探ればよいのです。
国境を越えた人々の間に、お互いの生活や文化などの交流があれば、これが基礎になって、必ず解決策が
見つかるはずです。

日本と中国と韓国は、同じ文字を使用する世界でも類のない漢字文化を育んで来ました。漢字は表意文字
ですから文字自体に意味があり、書道芸術も他の文字文化にない独自の文化です。世界中を探しても、こ
のような共通の文化を持っている国民同士の関係というのはそうありません。今回のような多国間の書道
展は、私たちの東アジアにとって、世界のなかでも類のない意義あるものです。

私が初めて書道の練習を始めたのは、10歳のころでした。近くの書道塾に通い始めたのですが、先生が最
初に私にしたことは、3枚の書を見せて、「どれが一番好きかね」と尋ねたことでした。私が選んだのは、
欧陽洵の九成宮禮泉銘でした。それ以来、私の書道の目標はずっと中国の古典でした。と言っても私の書
道は、本当に片手間に過ぎないのですが。

その中国で、今回のような国境を越えた意欲的な取り組みが行われていることに、心からの敬意を表しま
す。中国硬筆書法協会の活動が今後とも益々発展することと、多国間にまたがる「大書法芸術作品展」が
今後一層盛大に広がることを心より祈念し、また私たちも微力ですが精一杯の協力をお約束して、私のご
挨拶といたします。本日は誠におめでとうございます。謝々。

2018.4.21

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4月22日その2、日ロクラブ、帰岡

日ロクラブ歓迎会

成田から東京都江東区の清澄庭園に急ぎ、私が代表を務める日ロクラブの主催するロシア・ウラジオストック訪日団一行歓迎会に駆け付けました。ロシア側13人、日本側26人で、17時開会予定でしたがやや遅れて始まり、まず全員で記念写真を撮りました。その後、私が市民レベルの交流の大切さを強調した歓迎挨拶をし、ロシア側代表の挨拶に続いて乾杯から懇談となり、18時半に出席者の発言が始まったところで中座しました。

清澄庭園で
私の歓迎挨拶
訪日団代表挨拶
乾杯!
懇談

そこから東京駅に急ぎ、夕食を掻き込んで、20時前の新幹線で帰岡しました。帰宅は23時半過ぎになりました。長く慌ただしい旅が、やっと終わりました。