8時半に妻とともに出掛け、9時過ぎに瀬戸内市長島の国立ハンセン病療養所邑久光明園事務所に着き、「邑久長島大橋開通30周年記念式」に出席しました。わずか20メートル強の距離ではあっても、海によって隔てられた離島に設置された長島愛生園と邑久光明園にとっては、ここに「人間回復の橋」を架けることは隔離差別を解消する象徴であって、長い悲願でした。私は1977年に国会議員となって以来、「ハンセン病対策議員懇談会」に所属して事務局次長を務め、また国賠訴訟支援のために「ハンセン病問題の最終解決を進める国会議員懇談会」と立ち上げ、長島架橋についても対厚相交渉の先頭に立ってきました。当時のことを思い返しながら、感慨深い式典参加となりました。
9時40分に信号弾打ち上げがあり、私も参加して玖珠玉割りをしました。次いで子どもたちの合唱があり、開式となって邑久光明園入所者自治会の屋猛司会長の式辞、愛生園の山本園長と光明園の青木園長の挨拶に続き、来賓祝辞となりました。全療協本部の森会長、厚労省の武田医政局長、津村啓介さんが続きました。
そして私となり、1955年ころに父・江田三郎に連れられて愛生園を訪ねたころの思い出から話を始め、架橋交渉の際の園田直厚相のことなどを話しました。さらに伊原木岡山県知事、神宝県議と武久瀬戸内市長の祝辞と来賓紹介が続き、最後に長島愛生園入所者自治会の中尾伸治会長の謝辞で閉会となりました。
次に会場を移して、11時から1時間強、沢知恵さんの記念ピアノ弾き語りコンサートを鑑賞しました。続く昼食会は失礼し、13時ころに自宅に戻りました。
暫時休憩し、15時過ぎに出て法律事務所に入り、16時から30分強、行政手続き関係の相談を受けました。さらにデスクワークを済ませ、18時過ぎに事務所を出て帰宅しました。その途中で、日中韓と日中の各首脳会談の様子がテレビで放映され、帰宅したころには米国のポンペオ国務長官の訪朝が報じられました。時代の大きな変わり目です。