に投稿

6月22日、藤森兼明展、日本橋、福井君のバラ

藤森兼明展

所用関連の合間を縫って、14時前から短時間、妻とともにご案内をいただいていた藤森兼明展を鑑賞に行きました。流石にわが国洋画画壇の最高峰で、女性像に圧倒され、バラや風景の小品の色の鮮やかさに惚れ込みました。藤森さんが会場におられ、お話をして記念写真を撮りました。

その後、日本橋を通り抜けて次の場所に移動しました。確かに高速道路が折角の情緒豊かな景色を損ねていました。

日本橋史跡
高速道路に挟まれて

14時半過ぎから、近くの百貨店のウィンドウを飾っている日本画家の福井江太郎君の「爽」という青いバラの絵を鑑賞しました。私が学生時代に関わった「光の子学園」の子どもたちの一人で、リーダーも務めてくれました。立派になり、なかなかの迫力ある作品でした。

福井江太郎展
青いバラ
「爽」

 

に投稿

6月21日、所用関連、小鳥、独立書展

松嶋さんの「梅花」

今日も、所用関連に追われました。途中で時間を見つけ、独立書人団による「独立選抜書展」を鑑賞しに東京都美術館に行きました。

上野公園を歩いている途中で、小鳥が2羽地面を動き回っていました。ムクドリだと思います。

上野公園で

15時に着くと、残念ながら最終日の今日は、既に展示を終了して片付けに掛かっていました。しかし、書人団の皆さんもおられ、裏返しになった作品群から、仲川恭二理事長の「燃」、ご招待をいただいた松嶋碧山さんの「梅花」、会場を案内してくれた山中翠谷さんの「周到」を探し出して見せてくれました。皆さん力作でした。片付けの最中の展覧会場を見たのは、初めてでした。

展示終了
仲川理事長の「燃」
山中さんの「周到」

 

に投稿

6月20日、所用関連、景徳鎮展開幕式

景徳鎮展で挨拶

今日も所用関連の対応が続きました。

その間を縫って、14時45分ころに日中友好会館美術館に駆け付けました。今日から7月12日まで日中平和友好条約締結40周年を記念して、中国を代表する景徳鎮磁器による「宮廷のコバルトブルー 景徳鎮明清官窯復刻展」を開催し、その開幕式を行うので、主催者である日中友好会館の会長として妻とともに出席したのです。明清時代には景徳鎮に御器廠(ぎょきしょう)と呼ばれる皇帝と宮廷の専用官窯が置かれ、そこで匠の技と素材の贅を尽くした名品が数多く生まれました。中には世界の市場で元で億の単位となるものもあり、それらの精巧なレプリカを数多く集めました。

梁春総経理と

15時から開会となり、中国側の景徳鎮市人民政府の李雪海副秘書長をはじめとする同市からの代表団一行や中国大使館の陳諍参事官らと主催者側の紹介に続いて、私が主催者の日中友好会館会長として挨拶をしました。続いて李秘書長らの挨拶が続き、さらに来賓と主催者によるテープカット、さらに記念写真撮影と続いて、展覧会開会となりました。そこでしばらく展示を鑑賞し、16時過ぎに退席しました。私としては、会長任期の最後の主催行事出席でした。

私の挨拶
李副秘書長の挨拶
テープカット
記念写真
展示の鑑賞

 

に投稿

6月19日、所用関連、地震対策、延長

今日も、所用関連のほかには報告事項はありません。

近畿の地震は、学校のブロック塀崩壊で小学生の女児が死亡という悲劇を引き起こしました。しかもこの塀が建築基準法違反で、捜査も始まったというのですから、事案の解明をしっかりして再発防止策を全国的にも確立しなければなりません。

通常国会は明日が最終日ですが、延長含みで波乱必死です。

に投稿

6月18日、所用関連、大震災、草地君

今日も、所用関連のほか格別に何事もありませんでした。

朝8時前に、大阪北部を震源地として、震度6弱の強い地震があり、夕方までテレビは地震報道でした。阪神淡路大地震の時、私は岡山市の自宅で強い揺れに目を覚まし、直ぐにテレビを付けました。震源地などは何も分からず、京都だったかで小さな被害が出てことを報じていました。これだけ離れた岡山でこの揺れだとすると、もっとずっと遠くでとてつもない大地震が起きたかと思いましたが、直ぐに神戸だと分かりました。その日も月曜日で、そのころは毎月曜朝に岡山駅で街頭演説をし、事務局会議をして昼食後に新幹線で上京することになっていたので、順次予定をこなしていきました。しかし、会議の最中に新幹線が止まっていることが分かり、直ぐに飛行機の予約を取って、岡山空港から上京しました。ところが新幹線が当分復旧せず、かなり長い期間広島空港や高松空港も使って東京との空路往復をしたことを思い出しました。

神戸の惨状は、高校時代の親友の草地賢一君の手配で、発災から2週間くらい経ったころに見に行きました。草地君は牧師でヴォランティアの取りまとめ役をしており、本当に様々なところを案内してくれました。この震災に端を発して、震災被災者生活再建支援法の市民立法にまで繋がったのは、彼の流した汗も役割を果たしたと思います。

に投稿

6月16日、ナツツバキなど

娘の自宅の花

今日も終日、梅雨寒でした。所用関連ばかりで、変わったことは何もありません。

夕方、都心に出てきた娘が自宅の庭のナツツバキ、カワラナデシコなどを持ってきてくれました。

に投稿

6月15日、梅雨寒、国際関係、樺さん

全国的に、強い梅雨寒となりました。東京も終日、ひんやりしています。

私は今日は、昨日と全く変化がありません。何かアップできる写真はないかと思ってのですが、残念ながらありません。

米朝関係は大きな変化の門口に来て、両首脳の粘り強い交渉が求められますが、まだどういう経過を辿るか予断は許されません。但し日朝関係は、世界の変化から取り残される心配があります。

58年前に今日は、第1次安保で樺美知子さんが亡くなりました。今日の報道では、完全に忘却の彼方となったようです。

に投稿

6月14日、所用、スカイツリー

スカイツリー方向にビル

東京での所用の関連用務は結構長引き、まだまだ続きそうです。

今日は終日曇天でした。不忍池を見下ろすビルから眺めると、東京スカイツリーが見えるはずですが、曇天のためではなく、途中に建築が進む高層ビルの陰に隠れてしまったようです。

に投稿

6月13日、所用関連、花束、陽光

長女の花束

今回の所用の山は昨日で越えたのですが、これから当分の間、次々と関連した事務が続き、パソコンに向かえません。長女が持って来てくれた小さな花束を眺めながら、7時ころから仕事をこなしていきました。

今日の東京は、梅雨の切れ目で熱い陽光が照りつけていました。

梅雨の切れ目