早朝の東京は、まだ厚い雲に覆われています。シンガポールはどうでしょうか。何はともあれ会談が始まることは、良いことです。性急な結果期待は、禁物だと思います。
朝から所用で、暫くパソコンに向かえません。
早朝の東京は、まだ厚い雲に覆われています。シンガポールはどうでしょうか。何はともあれ会談が始まることは、良いことです。性急な結果期待は、禁物だと思います。
朝から所用で、暫くパソコンに向かえません。
朝、BSでNHKの朝ドラ「半分、青い。」を見て昼食を食べた後、終日、何やかやと所用関連の用務が続きました。
15時半過ぎに長女と落ち合い、久しぶりに短時間でしたが雑談をしました。
5時半過ぎに起床し、6時半前に妻とともに出て、7時前の新幹線で妻とともに上京しました。出発時の岡山ではまだ少し青空が見えていましたが、10時半前に東京駅に着くころには、空は厚い雲に覆われ、少し小雨が降り始めているようでした。
昨夜の新幹線車中の凶悪事件発生により、気のせいか車内はJR職員も乗客も緊張感が漂っているようでしたが、私はさすがに眠く、持参したお握りを食べたりしながら、ほとんどうつらうつらしていました。
東京駅から妻とともに所用に直行しました。これから当分の間、ネットへのアクセスが思うようにいかず、発信が途切れ途切れになると思います。お許しください。
早めの昼食の後に12時過ぎに出て国立ハンセン病療養所長島愛生園に急ぎ、13時から1時間弱、「特定非営利活動法人ハンセン病療養所世界遺産登録推進協議会」の今年度通常社員総会に出席しました。全国の国立ハンセン病施設のうち、離島にある岡山県の長島の2園と香川県の大島の1園内の特定施設を指定して世界遺産登録を目指そうというもので、やっと市民運動が本格始動してきました。
開会後、議長に原憲一理事長を選任し、定足数確認などを行って議事に入り、昨年度の事業報告と決算、今年度の事業計画と予算、新理事選任等につき報告があっていずれも承認され、13時45分頃に閉会となりました。次の講演会まで30分ほど休憩となったので、そこで退席して旧船着き場の桟橋跡を見て長島大橋を渡りました。
国道2号線を西に走り、15時過ぎに書道の玉龍会の合宿練成会に飛び込みました。前会長の曽我英丘さんの急逝を受けて、私がピンチヒッターで会長となっており、年間行事のうち最も重要な夏の玉龍会展に向けた作品作りの1泊2日の合宿に、一部分だけでもと参加したものです。既に大先輩の大崎勝一郎さんをはじめ皆さん作品作りに取り組んでおり、暫くお茶をいただきながら気持ちを整え、中国雲南省麗江で出会った風景を思い浮かべ、苦戦しながら全紙に「玉龍雪山」と揮毫しました。
17時半前に退席して帰宅し、妻とともに明日からの上京の準備をしました。
9時半過ぎにチェックアウトをして所用を済ませ、参議院議員会館の難波奨二議員の事務室に顔を出しました。JP労組の増田光儀委員長と来年の参院選に同労組の組織内で立憲民主党から立候補を目指している小沢雅仁さんがおられ、本会議が閉会となって戻ってきた難波議員も合流し、暫時懇談しました。
その後、昼食を食べに議員会館地下食堂に降りると、売店で岡山ゆかりのお土産を見つけました。
14時前に日中友好会館会議室に入ってしばらく懇談するうち、10人の理事と2人の監事が、さらに職員幹部も含め全員が揃って、14時に理事会が開会となりました。荒井克之理事長が議長役を務め、定足数確認などをして議事に入り、昨年度の事業報告と計算書類の説明があって挙手採決で承認と決まりました。さらに理事等選任手続き、評議員会提出の次期理事候補、定時評議員会招集につき挙手採決で承認と決まり、代表理事の職務執行等の報告があって、15時過ぎに終了となりました。
そこで、月末の評議員会で次期理事が決定されると同時に私の理事と会長の任期が終了するので、荒井理事長に促され、私がちょっと早い退任の挨拶をしました。参議院議長の最終盤に理事に選任され、議長退任直後に会長に就任してほぼ8年にわたり、公益法人となって法令順守などが強く求められる中、日中関係の実務経験のない私を支えていただいたことに感謝し、世界が歴史的な大転換に直面しそうな今、日中間の民間交流に携わる会館がさらに大きく重要な役割を果たすよう期待を表明しました。さらに宮本雄二副会長から身に余る謝辞もいただき、みんなで記念写真を撮りました。
その後、東京駅に直行し、16時過ぎの新幹線で帰岡しました。道中、次第に空模様が怪しくなり、梅雨らしくなりました。
梅雨の切れ目で快晴となりました。午前中は自宅でゆっくりし、12時過ぎに出掛ける前に庭を見ると、娘のプレゼントを挿し木したアジサイが見事に成長して、鮮やかな花をたくさん開きました。ダンスパーティーという品種です。調子の悪かったアマリリスも、一つだけきれいに開花しました。
13時に法律事務所に入り、1時間ほど法律相談を受けました。行政との間で長期にわたり続いている難件です。
その後、岡山駅に急ぎ、パーク&ライドで車を止めて昼食を食べ、15時過ぎの新幹線で上京しました。窓外の風景は、田植えが終わって早苗が出揃ってきました。18時半過ぎに着き、チェックインをして19時半過ぎに夕食となりました。
午前中は来週の所用に備えて、妻とともにデスクワークや電話連絡をし、昼食後、14時ころに法律事務所に入って、岡山弁護士会事務局との電話の打ち合わせをし、さらにデスクワークをしました。
15時前に所用を済ませながら帰宅し、18時半に再び妻とともに出て、19時から番町文庫で夕食を食べました。妻はそのまま、中国語講座に出席しました。
そろそろ梅雨入りとかで、衣替えの時期となり、合服をクリーニング店に持っていく準備を整え、さらに夏服を洋服ダンスに入れ替えました。
昼食後に妻と大荷物を抱えて出て、クリーニング店に預けると、1万円を超えました。東京と地元の二重生活のせいで、スーツも下着も通常の倍はあり、クリーニングより先に処分を検討した方が良かったのかも知れません。
14時半前に法律事務所に入り、若干のデスクワークをしました。民事調停事件の相代理人から準備書面が届いており、読み込まなければなりません。15時過ぎに出て所用を済ませ、16時前に帰宅しました。
16時に、お約束通り、道文会の役員二人が来られ、先日の練成会で書いた作品に落款と関防印を押捺しました。これで無事に完成で、さらに暫時歓談しました。
さすがに昨日の疲れのためか、朝食後に再びベッドに潜り込み、13時前にやっと起きて昼食を食べました。
15時半過ぎに妻と出て、16時前に法律事務所に入り、1時間弱、デスクワークや電話連絡をしました。17時前に出て所用を済ませながら、18時に帰宅し、日暮れになるまで庭の草取りをしました。
5時過ぎに起き、6時過ぎに釣り名人の知人の迎えで妻とともに出て、瀬戸内海に海釣りに行きました。さすがに早朝で、道中は車も少なく、7時過ぎに倉敷市児島の漁船の係留所に着き、船長さんと私たち3人のほか、2人の釣り名人が乗り込み、瀬戸大橋の下を潜って下津井沖の漁場につきました。
8時前から釣りを始めましたが、なかなか掛からず、私の最初の釣果はヒトデでした。しかし、口でしっかりと餌を咥えており、暫く船上で観察しました。
やがて釣れ始め、まず大きめのカサゴが次々と食いつきました。釣り上げたときは、口を大きく開け胸鰭を精一杯広げて、まるで必死に抗議をしているようでした。さらにやはり大型のギザミも釣れ出し、可愛い桜鯛も2尾釣れました。さらに場所を本島沖に移し、釣りを続けました。
12時前から、船長さん手作りの昼食をいただきました。絶妙の味のタコ飯と小振りのカサゴとワカメの入った味噌汁で、みな大満足でした。その後、さらに場所を移して仕上げの釣りをし、14時ころに終了の声が掛かってみな道具を上げたとき、妻が最後の大きめのギザミを釣り上げました。私たち夫妻で10尾は釣れたと思います。大漁とは言えませんが、本当に楽しいひと時でした。
児島に戻って上陸し、釣果を分け合い、15時半過ぎに自宅に戻って釣り名人に捌いてもらい、私も少しだけ手伝いました。