この数日、風邪気味だったところにちょっと無理をし過ぎたのか、昨夜から咳が酷く、10時ころにやっと起きました。朝食後、近くの内科医に行って診察を受け、薬をいただきました。昼食後も寝て過ごし、19時から夕食を食べて、やっとパソコンに向かってデスクワークに取り掛かりました。新年の挨拶など、原稿依頼がいくつかあるのです。
この数日、風邪気味だったところにちょっと無理をし過ぎたのか、昨夜から咳が酷く、10時ころにやっと起きました。朝食後、近くの内科医に行って診察を受け、薬をいただきました。昼食後も寝て過ごし、19時から夕食を食べて、やっとパソコンに向かってデスクワークに取り掛かりました。新年の挨拶など、原稿依頼がいくつかあるのです。
何人かの若い人たちに「レコードレンタル」を知っているかどうか尋ねてみると、知っている人が皆無だったのに驚きました。1980年ころ、若者たちの間で、レコードレンタル店から好きな曲の入っているレコードを借りてカセットテープに録音し、それを自分流に編集してマイテープを作って聞くのが流行りました。曲を提供する側からすると、収入が無くなり困るのですが、聞く側からすると、提供する側が製造するレコードと録音機器を聞く側が連結すると怪しからんというのは、提供側の勝手な言い分で、聞く側の自由も認めろということになります。問題は、レコードの著作権料が製作時しか取れないので、これが取れるようにすれば両者の対立は緩和されると考え、レコードレンタル店の商業組合を作って著作権料の管理と支払いをすることにしました。この間の対立はなかなか厳しく、私は国会議員になりたてのころに、聞く側を応援しながら両者の調整に汗をかきました。その商業組合がその後に「日本コンパクトディスク・ビデオレンタル商業組合」となり、世良與志雄さんが15年間にわたり理事長を務めていましたが、この秋に享年62歳で急逝されました。13時から広島で「お別れの会」が開かれ、10時半ころに自宅を出て新幹線で駆け付けました。大きな会場が立錐の余地の無い参列者で埋まり、故人の人柄が偲ばれました。黙祷と関係者のご挨拶などの後、代表献花になり、私も指名されて恐縮しながら献花しました。配布された商業組合の追悼集には私との写真も載っており、専務理事の若松修さんとも暫時懇談しました。
その後、ホテル内で待機し、15時半過ぎに加藤高明弁護士と落ち合って、共同受任している民事事件につき打合せをした後、16時半前から1時間ほど、一緒に事件関係者と協議をしました。
18時前の新幹線で帰岡し、18時半過ぎから21時前まで、羽場頼三郎市議や上田寿子さんらと一緒に夕食を食べながら来春の自治体選挙につき意見交換をしました。何としても新しい政治文化を持った立憲民主党の存在感を示さなければなりません。
午前中は自宅で電話連絡や来客応対などでゆっくり過ごしました。
私たちが今の住所に引越して来て以来、家族ぐるみで長くお世話になっていた黒田益代さんが、昨秋他界されて1年になり、一周忌法要が行われました。14時半ころに妻とともに自宅を出て菩提寺に行き、15時半から法要に参列しました。若い住職さんのお経に合わせて私たちも精一杯の声で読経し、戒名「廣益院妙綾信女」の成仏を祈りました。その後、境内に建立された集合墓苑に安置された故人に対し、線香を手向けて読経しました。
18時ころから2時間ほど、参列者で会食となりました。美味しい料理が次々と出てきて、超満腹となりました。
曇っていますが温かい晩秋で、終日自宅で過ごしました。12時前から数人の来客があり、昼食とお喋りをご一緒しました。栗の渋皮煮や干し柿など、手作りの季節の味が素敵でした。
15時ころからパソコンに向かって、デスクワークをしました。その間、電話連絡もいくつか入りました。17時半過ぎに、テレビが衆議院法務委員会での外国人労働者関係法案の採決を報じました。立法府の役割喪失に繋がらないか、心配です。
終日にわたって予定がなく、午後まで自宅でゆっくりと衆参予算委のテレビ中継を見ながらうとうとしていました。14時過ぎに来客が来て、暫時お茶にしました。
15時過ぎに出て、15時半過ぎから1時間強、法律事務所に入りデスクワークをしました。連休の間に郵便物などがたまっていました。その後に出て、所用を済ませて帰宅しました。銀行の事務や夕食の買い物です。
ちょっと肌寒いけれど、爽やかに晴れた晩秋でした。10時半過ぎに妻と出て、カラオケの「ミモザ倶楽部15周年記念発表会」に駆け付けました。岡山市内で活動しているカラオケ同好会の一つで、今日は180人が自慢ののどを披露するということで、激励の一言挨拶をし、「ジョニーへの伝言」を歌いました。キーがちょっと低すぎたのが残念でしたが、花束もいただきました。
12時に自宅に帰って庭を見ると、秋の蜘蛛が太って威厳を放ち、その下には柚子が大きくなっていました。
15時半に出て、16時に法律事務所に入り、2時間強、羽場頼三郎岡山市議ら数人で立憲民主党岡山県連合を取り巻く諸課題につき率直な意見交換をしました。その後、妻も駆けつけてみんなで場所を移して夕食となり、そこに高井崇志さんご夫妻に加えて立憲民主党公認で岡山市南区で県議選に初挑戦することが決まったばかりの鈴木一史さんも加わって、18時半から2時間ほど、賑やかなイタ飯夕食会となりました。
淡路島の朝は快晴で、大浴場にゆっくり入り、美味しい朝食を食べて、9時半過ぎにバスで出発しました。
まず最初は、10時過ぎの遊覧船で鳴門の渦潮を見に行きました。「日本丸」という帆船ですが、帆は使っていないようでした。入江を出て、遥かに紀伊水道を見ながら鳴門海峡を大鳴門橋の下の最も潮の早い場所まで行きましたが、まだちょっと直径20メートルの渦が現れるまでには時刻が早いようでした。
その後、バスに戻り、大鳴門橋を渡って11時過ぎから「鳴門公園・渦の道」を見学しました。橋の下を歩いて海上を大渦の真上まで行くのですが、なかなか距離があり、しかも観光客が溢れており草臥れました。外国人も多いようでした。
そこで再びバスで橋を淡路島まで戻り、13時半から1時間ほど、昼食となりました。淡路牛など美味しい地元の食材で満腹になり、バスに戻って新神戸に向かいました。途中で一組の夫妻がさらに旅を続けるために下車し、淡路サービスエリアでトイレ休憩をし、16時半過ぎに新神戸駅に着いて散会して新幹線で岡山に戻りました。
18時前に着き、直ぐに移動してLEC東京リーガルマインド岡山本校主催の今年度各種試験の合格祝賀・交流会に遅れて出席しました。司法試験合格者3人を始め、司法書士、行政書士、社会保険労務士、公務員などの専門職試験に合格した若者たちが大勢集まって交流の真っ最中で、時間を取っていただいてお祝いのご挨拶をし、皆さんと懇談しました。18時半過ぎに閉会となり、夕食を食べて、20時過ぎに自宅を戻ると、21時前に来客があり、1時間強にわたり政党活動のあり方につき意見交換しました。
10時半過ぎに妻とともに出て、岡山駅で新神戸往復の乗車券と新幹線自由席券を買い、ホームに上がると、びっくりしました。以前の東京の通勤電車のラッシュ状態で、その上遅延が発生し、11時半過ぎに来たさくら号に乗ったのですが、車内も超混雑で立ちっぱなしになり、最後の2人は車内に押し込む状態でした。それでも、12時15分には新神戸に着き、オックスフォード留学中の友人ら13人が無事に揃いました。みな年齢を重ね、全員が入場料は高齢者割引となりました。
13時前に貸切りバスで出発し、まず13時から1時間15分ほど、「人と未来防災センター」を見学しました。1995年1月17日の早朝、私は大きな揺れで目を覚ましましたが、まさかこれほどの大地震とは思わず、連休翌日なので7時半から岡山駅前で「おはよう730、江田五月です」の街頭演説を済ませ、9時から事務局会議をしてみんなで昼食を食べ、上京しようとすると新幹線が動かず、慌てて飛行機で上京したのを思い出しました。
次に14時45分から16時まで、「舞子公園」を見学しました。まず「舞子海上プロムナード」で、明石大橋を堪能しました。細い丸木橋を渡ると、足下に海峡の波が丸見えで、肝が冷えました。さらに「孫文記念館」と「武藤山治邸」を見学しました。
そこから明石大橋を通って淡路島に渡りました。休憩所の大観覧車はあくまで大きく、やがて夕焼けがあくまで赤く広がっていました。
18時に淡路南のホテルに着いてチェックインをし、大浴場の温泉で寛ぎました。気持ちのいい湯でした。19時から13人の夕食会で、夫婦は並ばないこと、男女も同様というルールで席に着き、賑やかに22時過ぎまでおしゃべりをしました。最後はホテルの人に促されて、解散となりました。
午前中は妻は公民館のコーラス練習で、私はゆっくり起きて朝食を済ませ、デスクワークをしました。13時前に妻とともに出て母校の岡山朝日高校に行き、書道教室で後神直子教諭と所用を済ませ、同窓資料館展示室で、学校創立144周年記念特別展の河野あき作品展を鑑賞しました。私の2年後輩で、主婦業の傍ら洋画に取り組み、南欧の魅力的な風景がたくさん並んでおり、昼休みで現役の生徒も見に来ていました。
その後、自宅に戻って昼食を食べ、15時から地元の山陽新聞社に行き、30分ほど越宗孝昌会長と面談しました。我々の当時に岡山市にあった公立普通科2校の内の岡山操山高校卒で、私とは同期に学び、共通の友人もたくさんいます。
16時前に法律事務所に入り、2時間半ほどデスクワークや電話連絡をしました。暮れになって次々と新しい日程が入って来ました。
7時半過ぎに出て、渋滞をかいくぐって岡山駅に急ぎ、8時15分にパーク&ライドに車を止めて、半過ぎの新幹線で上京しました。備前平野の眺めもすっかり晩秋の小春日和で、やがて眠りに着き、次に目が覚めたのは遠州でした。
12時前に着いて昼食を食べ、13時前に民事受任事件の関係者と待ち合わせて1時間強、打ち合わせをしました。さらに移動して14時半前に故・仙谷由人さんのご自宅に弔問に伺い、線香を手向けて30分ほど、奥さんとお話をしました。東京大学の後輩で学生運動も経験して弁護士になり、日本社会党の中で若い仲間とともに「ニューウェーブの会」を作って国会に乗り込み、私たちと「政策集団シリウス」を作って新しい政治のうねりを起こしました。民主党政権では官房長官を務め、法務大臣を兼務して私に引き継ぎました。本当に長い間、ご苦労さんでした。
15時半に受任事件関係者のところに戻り、2時間半ほど、さらに詰めた打ち合わせをしました。その後、みんなで近くのホテルで夕食を食べました。ロビーには大きな花が活けられて琴の演奏もあり、年末の風情でした。東京駅に急ぐ間の国会議事堂の周りも、気のせいか年末を感じさせられました。