妻は午前中、公民館にコーラス練習に行き、私は衆院予算委の集中審議の模様をテレビ中継で見ていました。12時過ぎに妻が戻り、昼食を食べて、13時半に出て法律事務所に入りました。
暫時デスクワークの後に出て、14時半前の新幹線で京都に行き、1時間ほどで着いて、16時から2時間半ほど、数人で法律関係の研究会を行いました。
その後、京都駅で切符の手配をし、夕食を食べて、20時過ぎの新幹線で帰岡しました。いよいよ明日から春・弥生です。
妻は午前中、公民館にコーラス練習に行き、私は衆院予算委の集中審議の模様をテレビ中継で見ていました。12時過ぎに妻が戻り、昼食を食べて、13時半に出て法律事務所に入りました。
暫時デスクワークの後に出て、14時半前の新幹線で京都に行き、1時間ほどで着いて、16時から2時間半ほど、数人で法律関係の研究会を行いました。
その後、京都駅で切符の手配をし、夕食を食べて、20時過ぎの新幹線で帰岡しました。いよいよ明日から春・弥生です。
10時過ぎに夏の参院選岡山選挙区に立憲民主党公認で挑戦する原田謙介さんらが迎えに来て、一緒に自治体の挨拶回りに出掛け、高速道を一路真庭市に向かいました。さすがに遠く、12時過ぎにやっと着くと、運良く池田一二三市長が居られ、暫時懇談しました。間もなく全科4年制となる公立新見大学でのインクルーシブ教育など、先進的な取り組みにつき熱く語っていただきました。議会事務局にも顔を出しました。昼食は新見駅近くのホテルで食べました。
次に、高速道を真庭市に向かいました。途中で柿本健治市議と連絡を取って、市職労の事務所で落ち合い、市長部局に挨拶すると、長尾修議長が居られて挨拶できました。続いて柿本市議の案内で一般道を県西北端の新庄村に向かいました。
16時前に着くと小倉博俊村長が居られ、和やかに懇談しました。相変わらず大変にエネルギッシュで、元気をいただきました。さらに中村昌有吉副村長にもご紹介いただき、帰路、凱旋桜通りを通って磯田博基議長のご自宅に伺うと、ちょうど帰宅されたところで、言葉を交わすことが出来ました。
原田さんの次の予定のためにここで切り上げ、高速道を県南に向かい、早島インターで降りると一般国道が渋滞で、私はJR宇野線の早島駅で降りて電車で岡山駅まで帰り、妻の迎えで18時半ころに帰宅しました。原田さんたちもぎりぎりで間に合ったようでした。
昼過ぎまで自宅で、ゆっくり電話連絡などをしました。かなり複雑な事柄の電話もありました。昨夜、車のガソリンが残り僅かになっていたので、14時に出掛ける際に、まずガソリンスタンドに寄って給油し、久しぶりに洗車をしました。
所用を済ませて15時過ぎに法律事務所に入り、デスクワークや電話連絡をし、1時間半ほどで切り上げ、帰宅しました。特別な仕事をしたわけではないのに、何だかぐったり草臥れました。
11時に出て、11時半から1時間、アゼリア会の昼食会に出席しました。私が現役時代の女性後援会で、アゼリアは英単語で花のサツキです。全く久しぶりの昼食会でしたが、70数名が集まり、各級議員も来賓としてお招きして、賑やかとなりました。久しぶりの懐かしい顔ぶれであちこちで会話が弾み、その上マイクの調子が悪くて困りましたが、15分ほどで佐藤敬子さんの司会で開会となり、冒頭に私が10分程度の挨拶をして夏の参院選岡山選挙区に立憲民主党公認で挑戦する原田謙介予定候補を紹介しました。
続いて、恒例の柴田清美さんによる全員集合の記念写真撮影をし、春の統一地方選に挑戦する来賓たちと津村啓介さんの一言挨拶を受け、会長だった石田美栄さんの音頭でお茶で乾杯をしました。
私はそこで時間切れとなって岡山駅に急ぎ、13時前の新幹線で上京しました。心配されたお天気は、道中ずっと快晴で、吉井川も浜名湖も、きれいに青空を映して水面が広がっていました。
16時過ぎに着き知人の事務所でモーニングに着替えて、17時15分に皇居に着いて天皇陛下ご在位30周年を寿ぐ両陛下ご招待の「宮中茶会」に出席しました。まず春秋の間で暫時、多くのご参会の皆さんと久闊を叙しながら会話を交わしました。17時半から30分ほど、舞楽が演じられました。前半は中国系の「萬歳楽」、後半は朝鮮系の「延喜楽」で、いずれも古くから伝わる慶賀の宴などに披露される舞で、宮内庁式部職の楽師4人によって舞われました。
次いで18時過ぎに豊明殿に移り,18時半ころに天皇皇后両陛下と皇族の皆さんがお出ましになり、安倍首相のお祝いの言葉に続いて天皇陛下のお礼の言葉があり、乾杯をして祝宴が始まりました。立席でグラスの飲み物と若干のお菓子などがあるだけの簡素な会で、交々皇族の皆さんと言葉を交わしました。私も超短時間でしたが、天皇陛下と日本泳法の神伝流のことを話して同好の皆さんの感謝の気持ちを伝えました。陛下から今も泳いでいるかどうかを訊ねられ、赤面の思いでした。
19時過ぎに皇族の皆さんが退出になり、私たちも順次引き上げ、私は東京駅に向かい若干の所用を済ませて最終新幹線で帰岡しました。
9時過ぎに妻とともに出て、倉敷市民会館で行われる4月の県議選倉敷・早島選挙区に立憲民主党公認で立候補予定の鳥井良輔県議の決起集会に駆け付けました。交通は極めてスムースで、10時開会の20分ほど前に到着し、会場の皆さんと言葉を交わしているうちに満席となり、大盛況の中で10時過ぎに鳥井県議の妻の藤原薫子市議の司会で、開会となりました。
まず後援会長の岩﨑瑩太郎さんが口火を切り、次に来賓となって、柚木道義さん、選対本部長の難波奨二さん、連合岡山の難波浩一事務局長、夏の参院選岡山選挙区に立憲民主党公認で立候補予定の原田謙介さん、そして私と激励挨拶が続きました。
そこに立憲民主党参議院議員の杉尾秀哉さんが東京から到着し、10分程度の激励挨拶をいただきました。次はいよいよ鳥井県議の番で、極めて力強く意欲を語って必勝の決意表明をし、薫子さんの胸に響くフォローがありました。最後にスタッフからのお願いがあり、地元有志の皆さんも登壇して頑張ろう三唱をして締めくくりました。
その後、お集まりの皆さんと三々五々言葉を交わしてお別れし、12時過ぎに自宅の近所で昼食を食べて帰宅しました。午後からは自室でデスクワークをしました。
11時前に日本野鳥の会岡山県支部長の丸山健司さんが来訪され、1時間弱、野鳥の会と鳥類保護連盟との連絡体制など野鳥保護活動につき懇談しました。今年は天候のせいか、メジロもヒヨドリもなかなか住宅地では見かけませんねなどと言っていたら、メジロが1羽飛んで来て白梅を啄み始め、よく見ると番でやって来たようで紅梅にも1羽居り、丸山さんの「神通力」に感心しました。
12時半に出て、駐車にやや苦労しましたが、13時から1時間15分ほど、「女たちのおしゃべり会」がコットン古都夢で主催する映画鑑賞会に出席しました。「不思議のクニの憲法」の上映で、夏の参院選岡山選挙区に立憲民主党公認で挑戦する原田謙介予定候補が登場しており、見ずに話題にするわけにはいきません。原田さんの問題提起は、憲法や政治と日常生活で直面する課題との繋がりというもので、私が普段話すことと同じでした。
原田さんの到着前の中座し、15時直前に道文会学生部書道展の表彰式に飛び込みました。すでにすべての表彰が終わり、記念写真撮影のために整列をしているところで、割り込ませていただきました。終わって小野玲華会長らと言葉を交わし、短時間ですが展示を拝見しました。元気の良い大作が並んでいました。
自宅に帰って暫時休憩の後、17時過ぎに妻とともに出て南区妹尾の大寺に向かいましたが、国道が大渋滞で18時開会の「鈴木一史決起集会」に10分ほど遅れてしまいました。4月の統一地方選に南区から立憲民主党公認で県議選に挑戦する鈴木さんの後援会活動で、大広間がぎっしり埋まっており、高井崇志さんが話しているところに飛び込み、私の順番になってちょっと長めの基調挨拶をしました。次いで医師の青木佳之さん、ちくわ笛の住宅正人さん、参院選の原田予定候補、そしてスタッフの情勢報告があって、鈴木予定候補が力強く決意表明をしました。さらにご母堂のお礼の挨拶があって締めくくりとなりました。その後、ご参加の皆さんに久闊をお詫びしながら四方山話をしました。
相変わらず午前中は自宅でゆっくりし、朝食からそれほど間を置かずに昼食となる始末でした。
13時前に妻と出て、岡山ふれあいセンターで開催中の「岡山市手をつなぐ育成会」による絵画展「自画像~今の自分を見つめて~」を鑑賞しました。短時間だったのが残念でしたが、どの絵も自由で元気な顔が描かれていました。
その後、妻を自宅で降ろして、14時に法律事務所に入りました。約束の法律相談の当事者が遅れ、14時半過ぎから2時間弱、夫婦間の財産の帰属に関する相談を受けました。権利関係につき夫婦間に共通の認識があればよいのですが、異なっている場合に、立証できるのかどうか、困難が予想されます。
17時には次の約束の時刻となりました。自宅で私の父が揮毫したものらしい半切の額が見つかったので、真贋を判断して欲しいというものです。「もともと地上に道はない みんなが歩けば道になる」というもので、字の特徴といい書かれた文言といい、父のものであることは明らかで、その旨を申し上げると、大変喜んで帰られました。魯迅の短編小説「故郷」の中の一節を、父流に日本語にしたもので、よく書いていました。その後、若干のデスクワークをして出、所用を済ませて19時に帰宅しました。
10時半に妻と出て11時に法律事務所に入り、1時間半弱、統一地方選と参院選に向けた私自身の日程管理や支援者への働きかけにつき、スタッフと打ち合わせをしました。妻も私も歳を重ねており、以前のように体が言うことを聞きませんが、出来るだけのことはしなければなりません。
12時半ころに二人で城下公会堂に行って昼食を食べ、私は法律事務所に戻って、直ぐに14時から2時間ほど、岡山弁護士会館で開かれた岡山弁護士会の定期総会に出席しました。開会後、安田寛会長の挨拶に続いて退会者と新入会員の紹介があり、この後に節目毎に出席会員と定足数の確認がありました。
第1号議案は次年度役員等選挙に関する件で、会長・副会長等いずれも定数以内の立候補のため全員が当選者と決まり、私の息子で江田法律事務所の江田剛所長も副会長と決まりました。その後、小林裕彦会長と4名の副会長が順次挨拶をしました。続いて災害対策基金に関する会規制定、特別会計予算、4・5月分予算、各種委員の選任、各種会規の制定や改廃が議題とされ、会規関係は出席会員の三分の二以上、その他は過半数で、いずれも可決されました。終了後、吉岡康祐前会長による若手弁護士への経済的支援に関する問題提起がありました。
16時過ぎに法律事務所に戻り、2時間ほどデスクワークをしました。暫く事務所に顔を出さなかったら、未済箱が一杯になっていました。
朝からの所用が10時に終わり、JR在来線で東京駅に行き、構内のホテルに入りました。快晴の朝日の中に立つ東京駅は、なかなか奇麗でした。
暫時待って、11時半から1時間ほど、取材を受けました。天皇陛下の退位に伴い、参議院議長時代を含めて天皇陛下とお会いした際などのエピソードを聞かれましたが、何を言っても良いというものでもなく、言葉遣いに苦労しました。
それから駅構内で昼食を食べ、13時半の新幹線で帰岡し、17時前に着いて直ちに柚木道義さんと会って意見交換をしました。独特の行動形態に対する異論も多く、しかしやはり政治は一人では出来ず、統一地方選や参院選が迫ってきていることもあり、苦労しています。30分強で終わり、妻の迎えで帰宅しました。
終日、断続的に所用に取り組みました。午前中は10時ころまで集中的に取り組み、その後はのんびりテレビを見たりしながら、時々短時間の所用が入りました。15時過ぎにちょっと手を休めて室外に出てみると、遥かに不忍池が見えました。
日野市から、長女が訪ねて来ました。全く外見をかまわない子で、老けて見えるのが気の毒ですが、それも各自の生き方ですから、お説教はしません。