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4月20日、上京、西村君結婚披露、帰岡

西村さん結婚披露宴で

うららかな春の陽気となりました。午前中は若干のデスクワークをし、黒ダブルにシルバータイで12時過ぎに妻に送って貰って岡山駅に行き、構内でいつものミネストローネなどの昼食を買って、13時前の新幹線で上京しました。

昼食

車内でゆっくり朝食を食べうとうとしている間、車窓からの景色は概ね晴れ。間もなく農作業が忙しくなるでしょう。ところが富士が見える辺りに来ると、薄靄が曇りに変わり、次第に雲が厚さを増してきました。残念。

しかし、東京に近づくと再び快晴となり、16時過ぎに到着して、若干の想定外の出来事もありましたが、17時過ぎに六本木ヒルズクラブに着き、控室で弁護士の久保利英明さんや三宅弘さんと懇談し、17時半から20時前まで、弁護士の西村啓聡さんと水上典子さんの結婚披露宴に出席しました。西村さんは2009年夏の政権交代に繋がる総選挙で、公示の10日ほど前に当時の民主党本部のご指名で急遽岡山3区の公認候補として津山に飛び込んで来ました。当時はまだ弁護士に成り立てでしたが、落選後もこの地で活動して弁護士業務を始め、ご両親も移り住んで来られました。私とは、私の司法修習の実務教官である高木右門弁護士を頂点にして、原後山治さんが私の兄弟子、三宅さんは弟弟子となり、彼らの弟子が西村さんですから、私とはいわば弁護修習の伯父・甥関係となります。

久保利さんと
三宅さんと

新郎新婦の入場の後、西村さんが短く新郎挨拶をし、さっそく私が主賓挨拶の指名を受け、西村さんとの繋がりを紹介しながらお祝いを述べました。次いで久保利さん、新婦の元上司の方とお祝いが続き、三宅さんの音頭で乾杯をして美味しいお食事と賑やかな懇談となりました。素晴らしい歌の披露やケーキ入刀、友人たちの一言リレーやテーブル毎のキャンドル点灯と記念写真などがあり、20時近くに最終段階となったところで中座し、最終新幹線で帰岡しました。

新郎新婦入場
私の主賓挨拶
乾杯
豪華ケーキ入刀
キャンドル点灯
おめでとう!

 

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4月19日、事務所、書道展、草取り

書道展で高校生と

昼過ぎまで自宅で、電話連絡やデスクワークをしました。13時に妻が夏の参院選岡山に立憲民主党公認で挑戦する原田謙介予定候補のポスター張りに出掛けた後、15時過ぎに出て法律事務所に入り、若干のデスクワークをしました。

事務所で

16時半に出て天神山文化プラザに行き、岡山県書道連盟展を鑑賞しました。有志による「親しみの書展」も併催され、意欲的な活動で知られる明誠高校書道部の生徒たちがメモを取りながら鑑賞していました。

17時に出て、所用を済ませて帰宅し、1時間強、庭に出て満開のボタン、チョウジガマズミ、ドウダンツツジなどを眺めた後に、雑草取りをしました。今の季節はまだ根まで抜きやすいのですが、それでも草臥れました。

庭のボタン
チョウジガマズミ
ドウダンツツジ
黄チューリップが一輪
雑草のヒナゲシ

 

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4月18日、電話連絡等、事務所、新人歓迎会

事務所新人歓迎会

妻は13時前に、夏の参院選岡山に立憲民主党公認で初挑戦する原田謙介予定候補のポスター張りに出掛け、私は自宅で電話連絡やデスクワークをしました。14時半に出て法律事務所に入り、報道関係の電話取材に応じ、さらにデスクワークや電話連絡をしました。

電話取材を受け

16時半ころに出掛けて所用を済ませ、事務所に戻ってデスクワークをして、18時過ぎに事務所スタッフが勢揃いしたところで全員で出掛け、近くの日本料理屋で3時間ほど、新入スタッフの歓迎夕食会を開きました。弁護士の佐野京子さんと事務員の酒井祐佳さんで、美味しい料理とざっくばらんの懇談で事務所の心合わせを行いました。

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4月17日、花、法律相談、立民県連

立憲民主党県連で

妻は朝から社会福祉法人旭川荘におむつたたみの奉仕に出掛け、私はゆっくり起きて電話連絡などをし、昼過ぎに庭に出てみると、冬を生き残ったチューリップが一輪、可憐な花を開いていました。13時半に出て法律事務所に入りました。

生き残りの一輪

14時の民事法律相談の約束が、車椅子の障碍者のために来所が遅れ、14時半ころから1時間相談を受けました。地方公務員で公務中に傷害を受け、公務員共済から補償金が出たのに、これを知人に取られて困っているというのですが、受傷も補償も30年以上前のことで、取った知人も他界しており、お役に立てる良い方法が見つからず、相談料はいただけませんでした。

法律相談

その後、若干のデスクワークをして、17時前に立憲民主党岡山県連合の事務所に出向き、スタッフと若干の打ち合わせをしました。

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4月16日、事務所、カメラ

事務所で

9時過ぎに起床して、電話連絡やデスクワークをしながら、自宅でゆっくりしました。15時にやっと出て法律事務所に入り、デスクワークや電話連絡をしました。

17時半ころに出て岡山駅前の巨大なカメラ屋に行き、デジカメのバッテリーを買って帰宅しました。

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4月15日、原田さん街宣、上京、所用、江橋さんら、帰岡

ハラケンの「おはよう730」

7時半に妻に送って貰って岡山駅に向かい、通勤ラッシュを避けて8時過ぎに到着すると、夏の参院選岡山の原田謙介立憲民主党公認予定候補が可愛らしい立憲民主党の宣伝カーで街頭演説をしていました。私も現役時代には、参院議長就任まで、月曜朝7時半から9時まで定位置で「おはよう730、江田五月です」と称して街宣をしていました。羽場頼三郎市議、森山幸治市議も駆けつけていました。

8時半前の新幹線で、所用のため上京しました。晴れた五月を思わせる快晴で、富士もしっかりと頭を雲の上に出していました。

頭を雲の上に出し♪

12時前に着いて所用に取り掛かり、16時過ぎに終わって17時過ぎから、私とは学生運動も共にした親友で現役時代の全国江田五月会の会長をお願いしていた江橋崇法政大名誉教授らと会い、暫く懇談し、夕食をご一緒しました。その後、20時過ぎの新幹線で帰岡しました。

江橋さんらと夕食

 

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4月14日、地方選後半、玉龍会総会、ももちゃんら

玉龍会総会

8時過ぎに起きて、今日が初日の統一地方選後半の市議選に臨む立憲民主党関係の候補者3人に、激励のメールを送り、10時半過ぎに出て11時から14時過ぎまで、書道グループ「玉龍会」の総会に出席しました。私は急逝された曽我英丘前会長の後を引き受けて、会長を務めていますが、道路事情などで若干遅れてしまいました。

総会で挨拶

森腰亮事務局長の司会で、まず私が簡単に会長挨拶をし、昨年度の活動報告や会計と監査結果の報告を聞き、若干の質疑を経て了承しました。次いで議事に入り、今年度の活動方針などの提案を聞き、特に8月の第50回玉龍会展の持ち方や作品作りの練成会などにつき、詰めた協議をしました。12時過ぎに昼食が出され、さらに13時からも協議を続けました。

終了後に帰宅して一息入れ、16時半に妻と出て郵便局などに寄って所用を済ませて岡山駅で明日の切符を買い、17時半過ぎに孫娘で小3になったももちゃん宅に着いて、3代揃って鍋の夕食会を開きました。幼稚園年長さんになった一生君は大はしゃぎで、20時半過ぎにやっと解放されました。

 

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4月13日、来客、立憲県連常幹、鯛

立憲県連常幹で

午前中は自宅に来客があり、さらに夕方まで自宅でデスクワークや電話連絡で過ごし、16時半に出て、17時から2時間、立憲民主党岡山県連合の常任幹事会に出席しました。

鳥井良輔幹事長の司会で、高井崇志代表が地方選前半を振り返った挨拶をし、いずれも党公認で当選した県議で岡山市北区の高原俊彦代表代行、県議で倉敷早島の鳥井幹事長、岡山市議で同市北区の森山幸治さんと同市議で南区の羽場頼三郎事務局長から各挨拶があり、明日から始まる後半の津山市議の秋久憲司公認候補らの応援を誓い、若干の反省点を出し合いました。

鳥井幹事長の司会で、
高井代表挨拶

次いで夏の参院選岡山選挙区の原田謙介公認予定候補の取組み方を協議し、まず党県連の選挙対策本部の立ち上げと高井本部長以下の人事を決定し、私は顧問になりました。さらに役割分担を決め、原田予定候補からこの間の活動報告があり、支援いただく多くの皆さんを総結集するための総合選対の立ち上げ方などにつき協議しました。

私も発言

夕食は、いただきものの鯛の浜焼きに武者ぶりつきました。

鯛の浜焼き

 

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4月12日、原田後援会、高齢者講習

原田後援会世話人

午前中は自宅でゆっくりし、14時前に出て近くの喫茶店で夏の参院選岡山選挙区に立憲民主党公認で初挑戦する原田謙介予定候補の岡山市中区後援会世話人代表者会に顔を出しました。いよいよキックオフですが、時間が決定的に足りません。数分すると原田さんも顔を出し、私は入れ違いに中座しました。

14時半前に、やはり近くの岡山(円山)自動車学校に行き、40分から2時間、運転免許更新のための高齢者講習を受けました。動体視力が低いのにびっくりしましたが、視力回復時間とともに、75歳以上の中では普通との評価でした。実地運転もあり緊張しました。既に認知機能検査は終わって「記憶力・判断力に心配ない。」との判定を受けており、後は更新手続きだけとなりました。

円山自動車学校
満開の桜

17時に帰宅し、ホッとしました。やはり少し草臥れました。

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文藝春秋5月特別号「天皇皇后両陛下123人の証言」に掲載されました

古式泳法(神伝流)の同門』

二〇〇七年七月の参議院選挙で自民党が過半数を割り込んだため、私は史上初めて野党(民主党)から参議院議長に選出されました。

議長は国会終了後に、余人を交えず陛下に直接に国会の報告をするほか、両陛下が出席される数多くの催しに呼ばれるなど、頻繁にお目にかかる機会があります。議長任期の初めと終わりには、各院ごとに正副議長夫妻が両陛下から皇居の奥深くのお住まいにご招待いただきます。私たち夫妻も両陛下と副議長の山東昭子さんとと五人だけで、お食事をいただいたこともありました。

悠仁様のご様子とか日常の話題で、美智子様が快活にお話になられ、印象が一変しました。戦没者慰霊や離島訪問、災害地慰問など、陛下は象徴天皇としての役割を立派に果たされましたが、その陰で美智子様の支えが大きかったのだと思います。

実は、陛下に目にかかったのは裁判官時代の一九七一年、国費留学した英国から帰国し、数人で赤坂御用地にご報告に上がったのが最初です。外国の諸事情にも大いに関心を示され、緊張せずに話せました。一番の思い出は、議長就任直後の御用邸でのお食事の際に、陛下と水泳の話を交わしたことです。

私は小学三年生の頃、古式泳法の一つ「神伝流」の道場に通い始めました。郷里岡山の旭川に水練場があり、高校時代には三段になって現場の責任を任されていました。東大在学中も夏休みには学生運動は返上して帰省し、道場の運営と後輩の指導に没頭しました。

そんな話をしたら、陛下も学習院時代に神伝流を習ったとおっしゃるのです。伊予大洲で発祥し、岡山県北の津山藩の庇護で全国に広まった神伝流は、「水心一致」の精神修養も求められる武術の一種。陛下はご自身で選択して神伝流泳法を学ばれたそうで、津山出身の共通の師匠がいたこともわかりました。

水泳の経験は、その後の私の人生に大きな影響を与えています。嬉しいことに、先日の宮中茶会でも、短時間でしたが陛下とこの話ができ、忘れがたい思い出となりました。