10時半過ぎに妻に送って貰い、今日から数日間、江田法律事務所の近くに籠って所用に集中することになりました。昼食までは妻と一緒で、その後は暫く電話連絡以外はお別れです。
15時過ぎに出て法律事務所に入り、1時間強、デスクワークをしました。
10時半過ぎに妻に送って貰い、今日から数日間、江田法律事務所の近くに籠って所用に集中することになりました。昼食までは妻と一緒で、その後は暫く電話連絡以外はお別れです。
15時過ぎに出て法律事務所に入り、1時間強、デスクワークをしました。
朝から書の道具類の片付けに取り掛かり、まずは依頼されていた色紙の揮毫をしました。いつもそうですが、なかなか思うような作品に出来上がりません。
昼食をすませ14時前に出て、30分ほど遅れて高井崇志後援会主催の国政報告会に出席しました。後援会の尾崎博会長や各級議員の来賓挨拶が終わり、高井さんの国政報告の最中で、高井さんらしく冒頭から消費税、防災、年金と政策課題の説明が続き、最後に憲法について簡単に触れて、報告を終わりました。
そこで私の来賓挨拶となり、過去40年の歩みを振り返って政権交代前史の総括をし、新たに政権交代政治を目指す立憲民主党の使命につき思いを述べ、高井さんへの支援をお願いしました。 その後、高井さんが参院選総括と次期総選挙に向けた活動方針を述べ、原田謙介さんご夫妻の挨拶があり、後援会活動への参加のお願いに続いて質疑応答となり、会場から熱心な意見が述べられました。最後に高井さんの答弁と後援会の清水副会長の挨拶があって、閉会となりました。
17時前に帰宅し、夕食後に再び片付けに取り掛かりましたが、気ばかり焦ってなかなか終了しません。
ゆっくり起きて朝食を食べ、11時から30分ほど、歯科治療の仕上げをして貰いました。百間川の土手を走っていると、真赤なヒガンバナがあちこちに見え、季節の変化の確かさを実感しました。
帰宅してからは、デスクワークや電話連絡の外はゆっくりしていました。庭を見ると、白の彼岸花が見事に咲き誇っていました。私の父が倉敷に住んでいた当時に、自宅のすぐ近所でいつも何かとお世話をいただいていた豊田勝美さん宅に咲いていたもので、わが家では豊田さんご逝去の翌年から咲き始め、年々花数が増加しています。
昨日に続き今日は、中国の大阪総領事館の李天然大使級総領事の主催で、大阪で中華人民共和国建国70周年祝賀レセプションが開催され、私もご案内をいただき出席しました。9時に妻に送って貰って岡山駅に急ぎ、9時45分の新幹線に乗って新大阪、大阪、大阪城公園とJRを乗り継いで、大阪城をはるかに眺めながら11時過ぎに会場に着き、控室で大阪府日中友好協会の谷井昭雄名誉会長らと懇談しました。90歳を超えてなお矍鑠としておられました。
11時半から始まり、李総領事の主催者挨拶に続いて大阪府や大阪市の関係の来賓挨拶などが続き、さらに来賓紹介で私も紹介されました。滋賀県の三日月大造知事らのビデオメッセージや表彰状授与が続いた後に、乾杯から祝宴となりました。辻元清美さんや尾辻かな子さんもお見えでした。1時間を少し過ぎたころに李総領事ご夫妻にご挨拶をして退席し、同じくJRを乗り継いで新大阪に行き、昼食を食べて14時過ぎの新幹線で帰岡しました。
妻に迎えに来て貰い、15時前に着いて直ちに天神山文化プラザで開催中の墨騰会書展を拝見に行きました。独立書人団でご活躍の松嶋碧山さんが会長で、墨痕鮮やかな作品を数点出品しており、有本柳紅さん勢いのある力作など、皆見応えがありました。
16時からお約束の所用を済ませ、夕食の食材を買って帰宅しました。
妻は午前中、近くの公民館にコーラス練習に出掛け、私はゆっくり起きて朝食。支度を整えているところに妻が帰宅し、送って貰って13時前の新幹線で上京し、昼食は駅構内で買った岡山名物の鰆、ままかりとキニラのにぎりでした。ところが前を走る電車に遅れが発生したとかで、私の列車も出発が30分弱遅れ焦りましたが、到着までに10分の遅れにまで縮まりました。
16時半前に着いて私が顧問をしている日中友好会館に急ぎ、17時から短時間、荒井克之理事長と懇談した後に、17時半ころに中華人民共和国成立70周年祝賀レセプションに駆け付けました。孔鉉佑大使からご案内をいただいたのです。
受付を済ませると直ちに来賓コーナーに案内され、女優の栗原小巻さん、日中協会の野田毅さん、国際貿易促進協会の河野洋平さん、元首相の福田康夫さんらと懇談するうち、孔大使夫妻も入場され、18時過ぎに開会となりました。
まずビデオメッセージがあり、主催者の孔大使、来賓代表の河野会長と福田元首相の各挨拶があり、誕生日ケーキの入刀に続いて二階俊博自民党幹事長の音頭で乾杯をして、祝宴となりました。そこで退席して東京駅に急ぎ、夕食の後に20時過ぎの新幹線で帰岡しました。
読売新聞 令和元年9月25日
ゆっくり朝食を済ませた後、先日の東京でのインタビューが読売新聞朝刊に大きく掲載されたので、関連するデスクワークや電話連絡をし、次いで書道の道具類の整理に取り掛かりました。印が数えると40個ほど出てきて、陰影を並べて整理しました。ほぼ全てが頂きものです。
17時半過ぎに妻らとともに出て、岡山市民会館に向かいました。旧知の日本音楽文化交流協会代表で指揮者の及川光悦さんの大変なご努力で、日本・ブルガリア文化交流演奏会としてブルガリアの若き音楽家のニコライ・エヴテニエフ・ゼルヤズコフさんのピアノ・リサイタルが開催され、沖縄、福岡を回って岡山公演となり、さらに横浜に行きます。妻がかなりの枚数を頑張りました。
曲目は、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第4番、パンチョ・ヴラディゲロフの「5曲の組曲」より「アリエッタ」、同じくピアノのための「三つの小品」より「秋の悲歌」と「ユモレスク」で前半を終わり、休憩後はすべてショパンで、マズルカ第13番、ポロネーズ嬰ハ短調作品26の1、ノクターン第1番、エチュード第10番、小休止を挟んでバラード第3番、同第4番とアンコール曲で、いずれも名演奏で満足しました。20時半過ぎに終わり、みんなで夕食を食べて22時に帰宅しました。
夜中に歯が痛みだし、朝になって予約を入れ、10時半から処置をして貰いました。週末に再度行くことになります。
造り酒屋が洒落たお店を出したので、11時半に妻らと出て、12時から1時間半ほど、女性の皆さんと数人で味見を兼ねてお食事会をしました。歯の麻酔で唇の麻痺が少し残っていましたが、美味しい料理と楽しいおしゃべりのひと時を過ごしました。台風一過で、すっかり秋になりました。
14時に法律事務所に入り、デスクワークや電話連絡をしました。
15時半から1時間、所長の江田剛弁護士とともに、民事法律相談を受けました。自転車同士の衝突ですが、当方は高齢女性で負傷しており、相手は若者で無傷です。穏便に一件落着としたいのですが、傷の治療を疎かにはできません。 17時過ぎに出て、所用を済ませて帰宅しました。
台風直撃の地域には誠に申し訳ないのですが、岡山は本当に災害の少ない地域で、今日も風雨が強かったとは言うものの、災害の気配はありませんでした。それだから余計に昨年の豪雨被害は酷く、真備町の地価の下落は全国一でした。
午前中は雨を呪いながら自宅でゆっくりし、15時ころから家の片付けを始めました。私は書家ではありませんが、書の道具類はむやみにあり、その整理をしたことが無かったので、怠け者の節句働きで、秋分の日の仕事に相応しいかと思い立ちました。
17時過ぎにももちゃんと一生君のパパから連絡があり、18時半ころから1時間強、家族で回転ずしを食べに出掛けました。台風一過なのか、日没の西の空が奇麗でした。20時半ころから片付けを再開しましたが、道半ばでした。
妻は午後から外出し、私は終日自宅でゴロゴロしていました。大相撲では横綱が休場で多弱による熾烈な優勝争いとなり、決定戦で御嶽海が貴景勝を破って優勝。一強がいないのは、なかなか面白いですね。
テニスは大坂なおみが、ゴルフは渋野日向子が、それぞれ優勝しました。フランスの国際指揮者コンクールで沖澤のどかさんが優勝とのニュースも飛び込んできた。新参の若者が大活躍です。政治も早くそうなることを期待しています。