4月中旬でこの寒さは、これまで経験したことがありません。
半世紀近く前に、千葉家裁に赴任して直ぐに職員とともに桜を見に行った時が、このような寒さでした。書記官の一人が分厚いコートを貸してくれ、その暖かさが身に染みたので、今でも覚えています。4月初旬のことでした。
終日、自粛要請に応えて、自宅から出ませんでした。玄関先のフリージアが、きれいに咲き誇っていました。そろそろ終わりです。
4月中旬でこの寒さは、これまで経験したことがありません。
半世紀近く前に、千葉家裁に赴任して直ぐに職員とともに桜を見に行った時が、このような寒さでした。書記官の一人が分厚いコートを貸してくれ、その暖かさが身に染みたので、今でも覚えています。4月初旬のことでした。
終日、自粛要請に応えて、自宅から出ませんでした。玄関先のフリージアが、きれいに咲き誇っていました。そろそろ終わりです。
気温がぐっと下がり、その上冷たい雨が降り続き、とても外出したくなる空模様ではありませんでした。終日自宅で、無為に過ごしました。
庭を見ると、いまにも開きそうなボタンのつぼみが雨に濡れて震えていました。
コロナ禍の拡大が止まりません。休業要請が間に合ったのかどうか、気になります。
この際改めて、憲法25条2項と29条3項を熟読してみる必要があると思います。コロナ禍との関連で憲法を論じるなら、国民生活の中で憲法がどう機能しているか、どう機能させなければならないかこそ、いま論じるテーマだと思います。国民の健康という公共目的のために、休業という私的権利の制約を求めるならば、補償とセットが必要というのが憲法の考え方だと思います。
終日自宅に蟄居していました。16時半ころから短時間、思い付いて庭に出て草取りをしました。荒れ放題になっています。
春爛漫なのにコロナ禍で、やりきれない一日でした。庭には、以前に植えたチューリップの生き残りが一輪、きれいな花を付けていました。
午後まで自宅に蟄居し、15時半ころになって妻とともに出て、岡山市東区宝伝に海を見に行きました。港も海水浴場も、人影も物音もほぼなく、ウグイスの囀りが遠くに聞こえるだけでした。
帰路は麦畑が広がっていました。
19時過ぎから2時間半ほど、ももちゃん宅でみんなで鍋を突きました。今日は一生君の小学校一年生の入学式で、ももちゃんは四年生になりました。岡山市は学校は開いていますが、落ち着きません。
今日もうららかな春の一日でしたが、岡山県でも新型コロナウイルスの感染は広がるばかりで、15人目が出ました。20代の女性で、友人らと近畿地方に旅行に行って貰ってきたようです。
午後まで自宅でテレワークで、パソコンで不動産関係の案件の報告書などを起案し、法律事務所に送って処理を指示し、15時に出て事務所に入り、15時半から17時過ぎまでデスクワークをしました。
昨夜はスーパームーンで、わが家でも庭の白松の向こうに奇麗な満月が見えました。
緊急事態宣言から一夜明けて、春爛漫の日和をよそに、誠に静かな街の風景となったようです。午後までテレビを見ながら電話連絡でテレワークをし、14時半過ぎに出て法律事務所に入りました。事務員への指示は電話で出来ますが、事務員は事務所に出勤していなければ仕事が出来ず、私自身も書類を読んだり資料に目を通すには、事務所に出ることが必要です。
不動産関係の民事案件の処理をし、さらに政治案件につき電話相談をして、18時過ぎに出て帰宅しました。
テレビは終日、新型コロナウイルス禍を巡る動きと、特に緊急事態宣言発令のニュースで溢れました。午前中は電話連絡などをし、11時半過ぎに出て法律事務所に入り、若干のデスクワークをしました。
12時半から岡山弁護士会館で、同会の憲法委員会の今年度初回会合に出席しました。全員マスク着用で緩やかに着席し、委員長に則武透さんを選び、今年度毎月一回の日程を決定して、13時前に終了しました。
その後、さらに法律事務所に戻って短時間だけデスクワークをし、衆参の議院運営委員会のテレビ中継を見ながら帰宅しました。安倍首相による宣言発令前の報告と短時間の質疑で、野党は補償の位置付けを質しました。参議院では、立憲民主党の福山哲郎さんが憲法29条3項に言及していました。
14時ころに帰宅して、その後は自宅で過ごしました。
昼過ぎまで自宅で電話連絡等をし、15時過ぎに出て法律事務所に入ると、そこに東京から全国紙の記者から電話が入り、取材を受けました。新型コロナウイルス感染対策としての休業に伴う経済的損失とその補償について、私の考えを聞かれ、公共の要請と私有財産の補償の関係を規定する憲法29条3項の理念を説明しました。私は半世紀ほど前に、予防接種と補償の関係につき、同様の考えを示したことがあります。判事補時代のことです。
その後、18時ころまでデスクワークをし、19時前に帰宅しました。
気温こそ下がって来たものの昨日に続き晴天で、コロナ禍を心配しながらつい孫たちに声を掛けてしまい、10時半に妻とともに出て昼食を買い整え、11時半から昨日と同じ祇園の公園でパパとももちゃん、一生君と落ち合い、みんなで昼食にしました。孫二人は大変に元気で、ババは振り回されていました。時々風が強くなり、花弁が舞い散り始めました。
13時半ころに孫たちとお別れし、思い付いて小学校同級生の安宅敬佑さんを自宅に訪ねました。ご夫妻とも在宅で、縁側で春の日差しを浴びながらお茶をいただき、さらに思い付いて小学校先輩の五藤栄一さんのお宅も訪ねてみると、やはりご夫妻とも在宅で、満開の桜やスオウを見ながら歓談しました。
帰路は、渋滞の旭川土手を満開の桜を愛でながら帰りました。これほど終日花を楽しんだのは、初めてと思います。
快晴の春となりました。昼過ぎまで自宅でゆっくりし、15時前に妻と出て、岡山市中区の消防署の公園に散歩に行きました。風がやや強いものの寒くはなく、広い公園はたくさんの桜が満開で、駐車場は一杯でしたが人影はそれほど多くはなく、若夫婦が犬の散歩をしたり、子どもたちが芝生を滑って遊んだり、コロナさえ無ければまさに天国でした。
その後、近くの社会福祉法人旭川荘や備前国総社宮を通り、廣榮堂本店でお茶をして、買い物をして17時半ころに帰宅しました。