

昨夜は遅かったので厳寒の朝を寝坊し、11時過ぎに朝食を食べ、12時半ころに出て昼食を食べて所用を済ませ、14時過ぎにやっと法律事務所に入りました。
未済の書類などを見て、16時過ぎから受任した家事事件の書類作りに取り掛かりました。その間にも電話連絡などがあり、17時半ころに切り上げて岡山駅に急ぎ、構内で夕食を済ませて、19時前の新幹線で上京しました。

昨夜は遅かったので厳寒の朝を寝坊し、11時過ぎに朝食を食べ、12時半ころに出て昼食を食べて所用を済ませ、14時過ぎにやっと法律事務所に入りました。
未済の書類などを見て、16時過ぎから受任した家事事件の書類作りに取り掛かりました。その間にも電話連絡などがあり、17時半ころに切り上げて岡山駅に急ぎ、構内で夕食を済ませて、19時前の新幹線で上京しました。
厳寒の中、11時過ぎに出て短時間だけ法律事務所に寄り、岡山駅にパーク-アンド-ライドで駐車して、改札内で昼食を買って、12時前の新幹線で上京しました。山口方面の雪のため、到着が5分遅れでしたが、名古屋ではダイヤ通りに戻していました。日本海側の雪が嘘のように、沿線はよく晴れ、富士は一段ときれいに光って見えました。
15時過ぎに着き、16時から2時間半ほど、少人数の勉強会を開きました。その後、場所を移して夕食懇談をし、20時半の新幹線最終で帰岡しました。東京駅八重洲口では、厳寒の中でも、若者たちが元気よく「東京エキマチライブ」というコンサートをしていました。
今日から衆議院予算委員会で来年度の予算質疑が始まり、時々テレビ中継を見ながら、午前中に外出して所用を済ませました。帰宅して昼食を食べながら、津村啓介さんの質疑を見守りました。アベノミクスのマクロ経済に与える悪影響、皇室承継問題など、迫力ある問いかけでしたが、答弁は逃げとはぐらかしでした。
14時前に出て所用を済ませ、15時に法律事務所に入ってデスクワークをしました。17時前から1時間弱、家事調停事件の当事者らが来所し、打ち合わせの後に受任手続きを取りました。
18時過ぎに出て、番町文庫で夕食を取り、20時前に帰宅しました。自衛隊機の民家直撃の墜落事故が発生しました。沖縄では、これがいつ起きても不思議ではない状態が続いているのです。
7時過ぎに自宅を出て、今日が告示の津山市長選挙の宮地昭範候補の出発式に向かいました。一般道を北上するに従って寒さが増し、時々小雪の舞う寒さになりました。9時から開式となり、後援会長と選対本部長の挨拶に続いて来賓挨拶となり、私も民進党岡山県連顧問と紹介されて、短時間でしたが力一杯に激励挨拶をしました。さらに出席の近隣自治体の首長さんらや各級議員らの紹介の後に河本英敏市議さんらが、また推薦団体の紹介などの後に連合岡山の金澤稔会長らが挨拶し、3期目に臨む宮地候補が決意を込めた挨拶をし、秋久憲司市議が選対幹事長として情勢報告をし、最後に全員で頑張ろう三唱をし、助手席の宮地候補が窓を開け放ち手を大きく振って本隊車が街に出て行きました。
12時前に自宅に戻って、外で昼食を取り、13時半から1時間弱、日本野鳥の会岡山県支部の総会に出席しました。私は同支部顧問で、丸山健司さんの支部長挨拶に続いて挨拶しました。続いて丸山支部長から昨年の活動報告と決算報告があったところで、中座しました。
続いて、14時開会の立憲民主党主催の「原発ゼロ基本法案」をテーマとするタウンミーティングに、15時ころから1時間強、出席しました。県外からも参加者が駆けつけて会場は超満員となり、既に高井崇志さんの挨拶と同党エネルギー調査会の山崎誠事務局長からの説明があって意見交換に入っており、暫く会場からの意見と山崎さんの発言を聞き、指名されて私が、さらに大塚愛県議が、それぞれ短く挨拶をしました。熱気の溢れた集会でした。
12時半過ぎに出て宗忠神社の節分祭に向かいました。ところが13時過ぎには、既に来賓用の駐車場が満杯で、遠く離れた駐車場に案内され、13時半の祭典開始に遅れてしまいました。30分ほど祭典の後に、14時過ぎから特設舞台で餅撒きが始まり、神社関係者や特別来賓の紹介に続いて私たちも案内され、「鬼を追わず」と「鬼は内!」との声掛けのとおり、舞台には鬼も上がり、福餅と呼ばれる福豆入りの丸餅まきをしました。その後、境内の武道館内で「お直会」があり、大元鍋とフナ飯をごちそうになりました。
15時過ぎに出て駐車場に行き、15時半過ぎに道文会の総会会場に着きました。暫時休憩の後、16時から1時間弱、総会に出席しました。議長選出から小野玲華会長挨拶と進み、昨年の事業報告、決算と監査報告が提案され拍手で承認された後、今年の事業計画と予算の提案も拍手で承認され、会員の会務分担も決定しました。次いで昨年の活動につき各種の賞が授与され、会場の衣替えがあって、17時から2時間、受賞された皆さんの祝賀の懇親会となりました。玲華会長の挨拶に続いて、私が顧問として挨拶して乾杯の音頭を取り、おいしい料理をいただきながら賑やかに言葉を交わし、福豆などの賞品を巡るクイズもあり、私も出題しました。
終了後、洗車など若干の所用を済ませ、21時前に帰宅しました。
11時過ぎに出て、12時前から1時間強、大塚愛県議、森山幸治岡山市議とともに、昼食をいただきました。両議員とも、あらゆる場面で最大限、具体的に市民参加の動きを強めていこうと努力しており、私も応援しています。
13時半ころ、法律事務所に入り、デスクワークをしました。15時に旧知の実業家が来られ、暫時懇談しました。この4月には満81歳になるそうで、ご夫人のことも含め、人生の幕の引き方を考え始めたそうです。その後、一緒に出てご自宅を案内してもらいました。
16時半ころ、法律事務所に戻り、1時間ほどデスクワークをしたのち、夕食は番町文庫で済ませました。
「上海現代竹彫刻精品展開幕式における日本側主催者日中友好会館江田五月会長挨拶」
本日、上海工芸美術博物館常務副館長の陳毓其(ちん・いくき)様をはじめとする中国からの代表団と
ご来賓の皆さまをお迎えし、日中友好条約締結40周年記念、日中友好会館新春展「上海現代竹彫刻精
品展」が開幕されることは誠に喜ばしく、日本側主催者を代表して一言ご挨拶申し上げます。
今回展示品をご提供いただいた上海工芸美術博物館との「上海工芸展in日本」は、2016年の「中国
紙工芸展」、2017年の「上海青年ジュエリーデザイナー展」に続き3回目となります。
今回、展示するのは現代の竹彫刻作品ですが、中国での竹彫刻の起源は大変古く、3千年ほど前の商・
周時代の遺跡からも出土している中国最古の工芸品のひとつでもあります。
その後、さまざまな技法、そして優れた工芸士により発展していった竹彫刻品は特に文人に愛され、書
斎での必需品として所蔵されました。明や清時代になると、宮廷への献上品としても用いられました。
また、すべてを手作業で製作するためその数は希少で、近年ではオークションなどで大変な高値がつき
注目が集まっているそうです。
今回はその中でも、上海市の嘉定区(かていく)に伝承されている嘉定竹彫刻を展示しています。嘉定
の竹彫刻は、まるで筆で描いたような流麗な刀遣いや奥行ある表現が特徴とされています。2006年
には中国の国家級無形文化遺産に登録されました。
展示された作品の中には、本日来日されていらっしゃる無形文化遺産伝承人である張偉忠(ちょう・い
ちゅう)氏による作品もあります。ぜひ中国匠の魅力をご堪能いただければと思います。
さて、中国の正月・春節は今年は2月16日になります。この日には、春節をお祝いする琵琶のミュー
ジアムコンサートを予定しています。また、中国グッズがあたる抽選会など、いくつか楽しいイベント
も用意しています。ぜひお時間を作っていただき足をお運びくださいますようお願い申し上げます。
最後になりますが、この展覧会開催にあたりご協力いただきました関係者の皆様に心より御礼申し上げ
ます。今後も、このような文化交流を通して日中相互理解が促進され友好が醸成されることを願っており
ます。有難うございました。
2018年2月1日
7時過ぎに家を出ると既に大渋滞で、勝手知ったる裏道を通って岡山駅に急ぎ、8時の新幹線で上京しました。11時半前に着き、12時から2時間、司法研修所20期2組の新年会に出席しました。1966年4月入所から2年間、一緒に研修を受けた仲間で、ちょうど半世紀前のことになります。石松教官がご夫人の介護のため、さらに一人が今日が緊急手術のため、急遽欠席で、10人出席となりました。まず石松教官からのメッセージが読み上げられ、乾杯をして近況報告をしながら賑やかに会話とお食事を楽しみ、最後に記念写真を撮り来年の再会を約して別れました。
15時前に日中友好会館に着き、15時から1時間、会館美術館の「上海現代竹彫刻精品展」の開幕式に出席しました。中国の竹彫刻は三千年ほど前の商や周の遺跡からも出土する中国最古の工芸品の一つで、特に上海の嘉定区の竹彫刻は、中国の国家級無形文化遺産に登録されています。嘉定区は、私の仲立ちで岡山県和気町と姉妹縁組を結んでおり、主催者や来賓の紹介の後に、私が嘉定区の紹介もしながら日本側主催者を代表して挨拶しました。さらに中国側主催者を代表して上海工芸美術博物館の陳毓其副館長の挨拶があり、中国の竹笛演奏の披露などに続いて行われたテープカットにも参加し、最後に記念写真を撮りました。
一段落ついたところで、16時から、私の地元出身で学生時代から国会事務所に遊びに来ていた原田健介君が結婚相手と、その報告と結婚式への出席依頼に来て、暫時懇談しました。学生の時から若者の政治参加の企画を手掛け、そのためのNPO法人を立ち上げ、全国的に大活躍しています。その後、一緒に竹彫刻展の実演を見て、私は東京駅に急いで17時過ぎの新幹線で帰岡しました。
法学セミナー 1979年8月号 掲載
厳寒の中ですが、庭のスイセンが花を開いて、芳香を放っていました。
14時前に出て、昼食を食べて法律事務所に入り、短時間デスクワークをして妻と落ち合い、15時から1時間ほど、先日他界した黒田益代さんの四十九日法要と納骨に参列しました。日蓮宗の若い僧侶の読経に合わせて、一生懸命に声を上げ、さらに寺院の中に設置された納骨堂に骨を収めて読経しました。
一度事務所に戻った後に、17時から3時間ほど、会食となりました。身近なものばかりが集まって、賑やかにおいしいお料理をいただきながら故人を偲びました。
20時半ころに帰宅し、21時半過ぎに三つのミラクルが重なった皆既月食の開始を見ました。しかし、22時前には岡山では雲に隠れて見えませんでした。