午前中は自宅でゆっくりし、12時から1時間、岡山県隊友会の新年互例会に出席しました。自衛隊OBの皆さんを中心とする会で、私も民主党政権誕生のころから出席してきました。会長で高校先輩の福田一夫さんの挨拶に続いて県知事代理の山本哲也県危機管理監の来賓挨拶があり、来賓紹介の冒頭に私も紹介されました。乾杯から懇談となり、憲法9条改正の機運に高揚感が漂う中でしばらく皆さんと言葉を交わし、中座して自宅に戻りました。
次に妻と出て、15時から2時間ほど、「立憲民主党を応援する会」の設立総会に出席しました。予想を大きく上回る60人ほどの出席で、私は来賓として招かれ、大石和昭弁護士の司会で、河田英正弁護士の開会挨拶、羽場頼三郎市議の経過報告、呼びかけ人の皆さんの一口コメント、来賓として鬼木のぞみ岡山市議と原田そよ赤磐市議の挨拶と続き、来賓の言葉に移って、高井崇志さんが同党の目指すものにつき、さらに私が同党に期待することにつき、それぞれ15分強ずつ話をしました。その後、会場からの質問や発言があり、規約等の提案を協議して決定し、会長に河田さんを選出して挨拶を受け、医師の姫井成さんの閉会挨拶で締めくくりました。「市民が主役」の言葉通り熱気のこもった集会でした。
その後、所用を済ませ、18時前から20時半過ぎまで、ももちゃん宅でみんなで鍋の夕食と若干のゲームに興じました。
西部邁さんが亡くなりました。私が1960年春に東京大学教養学部に入学した時の学生自治会自治委員長で、60年安保の先頭に立ち、小柄な体にエネルギーをたぎらせていました。79年にアメリカから帰国後に「蜃気楼の中へ」を出版され、私が書評を書いた記憶があるのですが、往時茫々の感もあります。この本を中間項として、その後は考え方の大転換して日本の伝統思想の強烈な擁護者となり、「朝まで生テレビ」でよくご一緒したり、佐高信さんの司会で対論をしたこともあります。いかなる思想が彼を自殺に誘ったか、それとも思想とは無関係なのか、大変に興味があります。