9時半過ぎに出て法律事務所に入り、10時過ぎから1時間ほど、所長の江田剛弁護士とともに、家事事件の相談を受けました。夫婦関係調整案件が調停申立段階に入っており、夫婦関係の修復は困難と思われますが、子の利益を第一に考えなければなりません。私は、2011年5月に「子の利益」の明確化などを加える民法改正(file:///C:/Users/satsuki%20eda/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/72JWRFVK/000082603.pdf)を成立させた際にこれを担当した法務大臣なのです。
その後、若干のデスクワークをし、14時から1時間弱、岡山県庁内の県議会控室で、民事事件の相談を受けた案件につき県の担当者と、もつれた糸を解きほぐす方策があるかどうかにつき協議しました。なかなか困難です。その後、控室にいた民主県民クラブ所属議員の皆さんと記念写真を撮りました。
15時半ころ、法律事務所に戻り、18時半ころまで、別の民事事件の相談を受けた案件につき、預かっていた書類を読み込むなどのデスクワークをしました。夕食は、妻とともに、久しぶりにおいしい日本料理のお魚定食をいただきました。
野中広務さんが亡くなりました。2001年5月に熊本地裁判決の出たハンセン病国賠訴訟の原告を支援する「ハンセン病問題の最終解決を進める国会議員懇談会(https://www.eda-jp.com/pol/hansen/hansen-0405.html)」に、国を被告とする訴訟なのに与党から真っ先に馳せ参じてくれたのが、野中さんでした。水面下で、様々な場面で力を合わせました。