7時過ぎに起床し、窓から外を見ると、緑の森の中に東京ドームが巨大な恐竜のように威厳を見せ、反対側のグラウンドではサッカー少年たちが早朝練習の真っ最中でした。
8時に出て所用に取り組み、13時半まで掛かりました。その後、大急ぎで学士会館に駆け付け、14時から1時間強、「加藤宣幸さんお別れの会」に出席しました。私の父・江田三郎が1960年代初頭に、日本社会党内で講革論を掲げて派閥を立ち上げたとき、書記局内で「江田派三羽烏」と言われた活動家の一人で、93歳まで大変にお元気で、全く予告なく突然に逝去されました。100人ほどもお集まりだったでしょう。初岡昌一郎さんの司会で開会し、まず黙祷を捧げた後、私が呼びかけ人を代表して挨拶し、さらに2人の挨拶があって、司会を山田高さんに交代し、竹中一雄さんが献杯をして思い出を語ってくれました。
その後、皆さんと言葉を交わした後に、中退して昼食を食べ、所用の続きに取り掛かると意外に長引き、次の会場のホテルに着いたのは18時になっていました。18時半から2時間、日中友好7団体の会長らによる訪日中の中国国務委員兼外交部長の王毅さん歓迎の夕食会に出席しました。中国側は王毅さんご一行に程永華中国大使らが加わり、日本側は日本国際貿易促進協会の河野洋平会長、日中友好協会の丹羽宇一郎会長、日中文化交流協会の黒井千次会長、日中経済協会の宗岡正二会長、日中友好会館会長の私と日中友好議員連盟の竹下亘、北側一雄両副会長と日中友好会館の荒井克之理事長ら主要役員です。程大使の司会で、王外相と河野会長が代表挨拶をし、報道陣はそこで退席を願い、丹羽会長の音頭で乾杯をして懇談に入り、各会長らが順次発言して考えを述べました。王外相も積極的に発言して中国側の考え方や事情を述べました。王毅さんは本当に長く日本関係を担当し、日本にも友人が多く、有意義なワーキングディナーでした。