10時半過ぎに妻とともに出て、岡山駅で新神戸往復の乗車券と新幹線自由席券を買い、ホームに上がると、びっくりしました。以前の東京の通勤電車のラッシュ状態で、その上遅延が発生し、11時半過ぎに来たさくら号に乗ったのですが、車内も超混雑で立ちっぱなしになり、最後の2人は車内に押し込む状態でした。それでも、12時15分には新神戸に着き、オックスフォード留学中の友人ら13人が無事に揃いました。みな年齢を重ね、全員が入場料は高齢者割引となりました。
13時前に貸切りバスで出発し、まず13時から1時間15分ほど、「人と未来防災センター」を見学しました。1995年1月17日の早朝、私は大きな揺れで目を覚ましましたが、まさかこれほどの大地震とは思わず、連休翌日なので7時半から岡山駅前で「おはよう730、江田五月です」の街頭演説を済ませ、9時から事務局会議をしてみんなで昼食を食べ、上京しようとすると新幹線が動かず、慌てて飛行機で上京したのを思い出しました。
次に14時45分から16時まで、「舞子公園」を見学しました。まず「舞子海上プロムナード」で、明石大橋を堪能しました。細い丸木橋を渡ると、足下に海峡の波が丸見えで、肝が冷えました。さらに「孫文記念館」と「武藤山治邸」を見学しました。
そこから明石大橋を通って淡路島に渡りました。休憩所の大観覧車はあくまで大きく、やがて夕焼けがあくまで赤く広がっていました。
18時に淡路南のホテルに着いてチェックインをし、大浴場の温泉で寛ぎました。気持ちのいい湯でした。19時から13人の夕食会で、夫婦は並ばないこと、男女も同様というルールで席に着き、賑やかに22時過ぎまでおしゃべりをしました。最後はホテルの人に促されて、解散となりました。