10時半に自宅を出て法律事務所に入り、11時から1時間半ほど法律相談を受けました。初めての依頼事件で、別れた元夫と妻の完全清算の仕方ですが、法律問題というよりも精神医療を含めた人生相談のようで、対応に苦慮します。弁護士の仕事は、カウンセリングなのです。
その後は、昼食を取って17時まで電話連絡や資料整理などのデスクワークをしました。
帰宅後、何とか法律相談の写真を加工して、アップしようと悪戦苦闘したのですが、私の能力ではできませんでした。ギブアップです。
10時半に自宅を出て法律事務所に入り、11時から1時間半ほど法律相談を受けました。初めての依頼事件で、別れた元夫と妻の完全清算の仕方ですが、法律問題というよりも精神医療を含めた人生相談のようで、対応に苦慮します。弁護士の仕事は、カウンセリングなのです。
その後は、昼食を取って17時まで電話連絡や資料整理などのデスクワークをしました。
帰宅後、何とか法律相談の写真を加工して、アップしようと悪戦苦闘したのですが、私の能力ではできませんでした。ギブアップです。
10時にホテルを出て、所用を済ませて東京駅に急ぎ、11時過ぎの新幹線で帰岡しました。富士が頂上に雪をかぶり、実にきれいでした。車内で急患が出て豊橋に臨時停車し、名古屋到着は4分ほど遅れましたが、その後に取り戻したようでした。
岡山には定刻の14時30分に着き、大慌てで移動して32分のJR山陽線各駅停車に飛び込み、48分に倉敷駅に着き、妻の迎えの車で15時に倉敷市民会館に着きました。お勧め下さる方がいて、GLAの高橋佳子先生の「運命の逆転」という連続講演を拝聴するためで、控室でお茶をご馳走になっていると高橋先生が叙勲のお祝いをお持ちくださり、恐縮しました。15時半から2時間ほど講演を聞き、さらに皆さんと若干の懇談をして、妻の運転で岡山市に戻って外で夕食を取りました。
7時半に妻に送って貰って家を出て、8時の新幹線で上京しました。夜来の雨はひとまず止み、旭川を渡たり備前平野を通り抜けて吉井川を渡る間、山際はずっと靄に包まれていました。
11時半前に東京駅に着き、昼食を取って13時前に松山バレー団の南青山ムーセイオンに着きました。練習場を舞台として、50人ほどの観客に対し、来年の日中国交正常化45周年の前夜祭として、第三次”新「白毛女」”を公演するので、声を掛けられたのです。海江田万里さんや高村正彦ご夫妻も一緒で、13時から第一幕、15分ほどの休憩の後に14時過ぎから第二幕と続き、吐く息まで聞こえる直ぐ近くの舞台で演じられる森下洋子さんの乙女から白髪に至るまでの好演は圧巻でした。エンディングの後、観客も全員舞台に出て、高村さんの一言挨拶に続いて私が乾杯の音頭を取り、全員で記念写真を撮りました。その後、大急ぎで東京駅近くに戻り、16時過ぎから17時前までスタッフらと今後の打ち合わせをしました。
17時半前から、「志塾」という若者を中心とする30数人の異業種交流のグループに招かれて、全員の自己紹介の後に、1時間強の講演と30分強の質疑、さらに1時間ほどの懇談をしました。私と政治のかかわり、細川内閣の政権交代から民主党政権、議長とねじれ国会、日中関係の在り方など、多岐にわたる話をし、若者との口角泡を飛ばす討論も刺激的でした。
11時前に自宅を出て、11時過ぎから1時間弱、母校の岡山朝日高校同窓資料館で、同校創立142周年記念特別展の「遠藤稔作品展」を鑑賞しました。遠藤さんは、新制高校創立前の岡山二女出身で、かな書道を中心に活躍しておられ、玉龍会にも会友として参加してくれました。今日が初日で、遠藤さんのほか、曽我英丘さんや後神直子さん、同期の片岡信子さんも来ておられました。
続いて12時過ぎから30分強、岡山県立美術館で、日本伝統工芸展岡山展を鑑賞しました。見事な出来栄えの作品ばかりでした。
その後、昼食にうどんを掻き込んで、13時半前から連合岡山の大会会場に駆けつけ、来賓と懇談した後、14時から1時間強、第19回定期大会に出席しました。大会構成手続きの後、金澤稔会長が主催者を代表して挨拶し、来賓に移って、伊原木隆太岡山県知事、南部美智代連合本部副事務局長に続き、私が民進党県連を代表して挨拶しました。柚木代表ら国会議員が国会日程の影響で急遽欠席となり、私に回ってきたものですが、長いご支援に加えて叙勲のお礼を述べる良い機会となり、トランプ・安倍会談の見方などにも触れた長めの挨拶をさせていただきました。15時半ころに法律事務所に入り、18時前までデスクワークをしました。
10時前にちょっと自宅の庭を見ると、今年の紅葉は不出来で、楓も紅葉半分、落葉半分といった感じでした。
10時にわが家に、妻と仲間の女性連中と総勢8人が集合し、2台に分乗して頭島に昼食会に出掛けました。国道2号からブルーラインを経由して備前市日生の街を通り過ぎ、日生大橋を渡って鹿久居島から頭島まで行き、11時過ぎに着いて暫く埠頭で休憩しました。天気も素晴らしく、道中の自然の中に各所で紅葉が見事で、海も穏やかでした。
11時半に民宿旅館よしのやに着き、早速海産物満載の昼食会となりました。丸々と太った牡蠣のフライに舌鼓を打ち、楽しい会話が弾むうちに、あっという間に2時間が経過しました。
14時前に民宿を出て帰路に着き、日生大橋から街中を過ぎてブルーラインに乗り、錦海湾埋め立て地が眼下に広がる道の駅一本松でお茶にしました。16時にわが家に着き、秋のゆったりしたひと時が終わりました。
10時半前にチェックアウトして隣の日中友好会館事務所に移動し、30分ほど、荒井克之理事長、鄭祥林中国代表理事ら幹部に、今回の訪中報告をしました。特に雲南省師範大学での訪日大学生らとの懇談の模様を説明し、訪日経験を若い皆さんの将来に向けた貴重な資産として貰うために、今回のような機会が有益であることを強調しました。
12時前に東京駅に着き、切符を13時過ぎに変更して昼食を食べ、新幹線で帰岡し、17時過ぎに自宅に着き、暫時休憩。
18時半に妻に送って貰って、19時から2時間強、昭和16年生まれの会に出席して美味しい料理と楽しい会話を楽しみました。21時半ころに自宅に着いて東天を見上げると、十六夜も過ぎましたがスーパームーンがきれいでした。
「べっぴんさん」を見てから9時過ぎまで寝て、ゆっくり朝食を取っていると、あっという間に時間が過ぎました。大慌てで11時過ぎに出て岡山駅に急ぎ、12時前の上京の切符を13時半前に変更し、若干の所用の後に法律事務所に入り、短時間デスクワークをして岡山駅でうどんを掻き込み、新幹線で上京。せっかくの富士も、薄曇りに霞んでいました。
17時前に東京駅に着き、ホテルにチェックインして、18時過ぎにJENESYS2.0の企画による中国教育関係者代表団歓迎会の会場に着きました。旧知の中日友好協会の王占起副秘書長を団長とする65人の教師の団で、若干の懇談の後に18時半から歓迎会を開始し、関係者の紹介に続いて、私が主催の日中友好会館会長として歓迎挨拶をし、外務省担当者の歓迎の言葉、王団長の挨拶、中国大使館関係者の挨拶と乾杯の音頭から懇談となりました。寧夏回族自治区の皆さんや北京の皆さんと懇談をしました。
1時間弱で中座して次の会場に急ぎ、19時半過ぎに「人民日報海外版日本月刊」創刊5周年記念の日中企業経営者交流会に遅れて飛び込みました。懇談の最中でしたが直ちに指名され、挨拶をして乾杯の音頭を取りました。その後、次々と挨拶に来られ、また大勢と記念写真を撮りました。20時過ぎに中座し、夕食を取ってホテルに戻りました。
午前中は自宅で、デスクワークなどをしました。昼過ぎに法律事務所に出て、たくさんいただいた叙勲の祝電などの整理をはじめデスクワークをしました。
17時前に自宅に戻って出直し、18時から日本弁護士政治連盟岡山支部の総会、講演会と懇親会に出席しました。30人余がご出席で、まず20分間の総会議事を行い、続いて私が「議員生活を振り返って」というタイトルで50分強の講演をし、叙勲の報告と感想を述べ、はじめの20年の細川内閣などの混迷時代、次の20年の民主党による政権交代時代を振り返り、今後の20年の民進党への期待を強調し、憲法状況から米大統領選や中東情勢などを総括して新時代の理想の必要を強調しました。
その後は懇親会となり、花束をいただいた後に古くからの友人らが次々とスピーチをしてくれ、岡山5区で民進党公認予定の加藤高明さんも決意を述べました。打ち上げは21時過ぎになりました。
5時起床、6時チェックアウトでホテルを出て夜明け前の漆黒の中を昆明空港に向かい、搭乗手続きの後に空港内で朝食を取って、8時に上海に向けて飛び立ちました。
3時間の飛行で11時半ころに上海虹橋空港に着き、出国手続きの後に空港近くのホテルで昼食を取って、13時半に空港に戻り、14時前に羽田に向けて飛び立ちました。これらの手続きはすべて中日友好協会の皆さんらのお手伝いでスムーズに進みました。
やはり3時間ほどの飛行と1時間の時差で、17時半ころに羽田空港に着き、入国手続きの後に京急羽田から品川に行き、新幹線の切符変更をして、18時半過ぎに岡山に向けて発車。22時に岡山に着き、妻の出迎えで22時半前に自宅着です。超長距離の旅の一日でしたが、どこも温かく、コートが邪魔になるほどでした。
7時前に目が覚めて窓から昆明の街を眺めると、ちょうど夜が明けるところで快晴の朝焼けでした。7時半に朝食をとり、8時にホテルを出て南西に1時間15分ほど走り、世界遺産の「石林」を見に行きました。
ユーラシア大陸ができる時の地層の動きから、巨大な石の柱が無数に林立した地域が出来上がり、地球のドラマに感動しました。車を降りた後は、民族衣装のガイド嬢の案内の付いた電気自動車で移動するようになっており、見事に整備が行き届いて、大勢の観光客で賑わっていました。巨大な二本の石柱を上に巨大な石が乗って今にも落ちそうになっている下を通ると、背中に冷汗をかく思いでした。さらに移動して、やや小さめの石林も遠くから見ました。それでも大きな石柱の林立ですが、地域住民の生活の場で、観光客に開放していないそうです。11時前に切り上げて、ホテルに戻り、12時半から昼食を取りました。
14時半に再び出て、15時過ぎから1時間ほど、雲南省博物館を見学しました。昨年開いたばかりの立派な歴史博物館で、展示をすべて見る時間はなく、3800年ほど前の青銅器時代の遺跡と南詔大理時代の遺物を見ました。この地域に展開した歴史が浮かび上がってきて、特に仏教はインドから直接に伝来したそうで、仏画が多く残っていました。その後、大規模な大賑わいのスーパーマーケットを覗いてみました。
18時前から2時間強、雲南省人民対外友好協会の周紅会長らによる夕食懇談会で、この地方のキノコ鍋をいただきました。松茸は生で刺身にしてつまみ、さらに多種類の自生のタケをたらふくいただきました。