

信濃毎日新聞 令和2年3月11日
信濃毎日新聞 令和2年3月11日
東日本大震災から9年が経ち、当時の私の活動日誌をパソコンで見返し、記憶を新たにしました。
12時前に妻とともに出て、まず岡山弁護士会館に行き、日本弁護士連合会会長選挙の再投票をし、法律事務所に入って短時間デスクワークをしました。
次いで13時前から30分ほど、道文会の大川秀華さんのご一家や門下生による「秀華ファミリー展」を鑑賞しました。秀華さんの書活動40周年を記念した企画で、かな書道の作品のほか、お母様、本人、娘さんたちとお孫さんによる可愛らしいパッチワーク、布小物や編みぐるみ、刺繍などで、楽しみました。
その後、所用を済ませて帰宅し、昼食は15時ころになりました。17時に総社市の山田雅徳市議ご夫妻と森安章文さんが来てパソコンの調子を見てくれ、暫時懇談しました。
朝食後、12時前に妻と出て、岡山市北区で長くご支援いただいた方の弔問に行き、仏壇に飾られたご遺骨に線香を上げて手を合わせ、奥さんと暫時お話ししました。私より2か月ほど先に生まれた先輩で、ご夫妻で地域の皆さんとともに力強く応援していただきました。享年78歳。合掌。
13時前に川魚専門店に行き、今の季節を逃すと次の冬まで手に入れにくい鮒をたくさん買いました。ミンチに掛けてあり、冷凍しておけば夏でも大丈夫です。その後、自宅に戻り、昼食後はテレビを眺め、17時ころから大相撲を見ました。妻は夜は女子会です。
9時から参議院予算委員会の集中審議をテレビ中継で見、12時過ぎに妻とともに出て、ご近所のボン・ヴォイージというカレー屋さんに行きました。長くご支援いただいていた方からのご連絡で、今日から始まった「押花ほっと展」を鑑賞し、昼食をいただきました。見事に押花を張り付けて奇麗な風景画に仕上げており、ガラス細工もたくさんありました。
時間が迫って来て、大急ぎで出て自宅で妻を降ろして法律事務所に入り、14時過ぎから2時間、全国紙岡山版の記者の取材を受けました。参議院議長時代の最終段階での菅直人さんの総理大臣指名から参議院選挙を経て一議員に戻り、菅内閣の途中で入閣して法相となり、東日本大震災を経て環境相も兼務し、野田内閣に移るころまで来ました。あと一回です。
その後、1時間強デスクワークをし、帰宅しました。
昨夜は一生君がわが家に来て、風呂に入って一人で寝ました。妻の添い寝を断って、6歳の成長ぶりを示しました。朝も一人で起き、9時過ぎに私を起こしに来て、妻と大騒ぎでボール遊びをし、「大きいジージとバーバにお参りしよう」と言い出し、一緒に仏前に線香を手向けて手を合わせました。昼前にパパが迎えに来て、無事に帰りました。
その後はずっと、のんびりとテレビの前に座り続けていました。無観客の大相撲は、ちょっと妙な気分でした。トランプ大統領の予想される2期目に対するフィナンシァル・タイムズの論評を読んでみました。独善と分断の危険性について、マーティン・ウルフ氏が歯に衣着せぬ指摘をしていました。
夕食後、知人からいただいたワカメを広げてみると、実に巨大でした。
11時過ぎに妻と出て瀬戸内市立美術館に行き、12時ころから1時間弱、「マイケル・コールマンPARIS個展~内なる庭へ」を鑑賞しました。コールマンさんも会場におられ、みんなで楽しいひと時を過ごしました。
その後、自宅に戻って一息つき、15時半に妻とともに出てももちゃん宅に行き、16時過ぎから母方の両親の坂本さんご夫妻と叔母の智ちゃんとともに、一生君の6歳の誕生日祝賀会をしました。姉のももちゃんと一生君で考えたプログラムに従い、まず一生君の挨拶があり、お食事会になりました。大人にはお酒もあり、料理はももちゃんが主役の手作りで、出し物もいろいろあり、プレゼント授与からケーキ入刀となり、ゲームへと続き、夜が更けてしまいました。
朝から快晴で、ぐっと温かくなりました。昼過ぎまでゆっくりし、13時半に出て法律事務所に入り、14時から1時間、前回に続き全国紙岡山版の記者の取材を受けました。参議院議長時代の話が続きました。
その後、1時間ほどデスクワークや電話連絡をし、所用を済ませながら帰宅し、17時半過ぎに妻と出てさらに若干の買い物をした後に、夕食を外食で済ませました。
朝から、晴れたり俄か雨になったり、不安定な天候で、妻は洗濯物を干したり取り込んだり、大変でした。
自宅でゆっくりし、法律事務所などとの電話連絡をしたほかは、テレビの新型コロナウイルス関連などの報道に釘付けでした。民主党政権時代に作った新型ウイルス対応法の改正につき、早期処理では与野党の意見は一致したようですが、改正の必要性については一致していません。政府と与党はウイルスの正体が判明したから法適用はできないという解釈のようですが、以前からそうだったのでしょうか。仮にそうなら、なぜこのような事態に対応するように解釈変更しないのでしょうか。少なくとも、検察官の定年への適用に関する国家公務員法の解釈変更よりも、遥かに無理のない変更だと思います。
16時過ぎに、玉龍会会員の吉田良子さんが、スロバキア人でパリで活動中の画家のマイケル・コールマンさんと母親を連れて来られました。瀬戸内市立美術館で「内なる庭へ」という絵画展を開催中で、1時間弱、英語で楽しく懇談しました。
朝から雨。一雨ごとに…、そうです、庭の雑草が伸びるのです。ヒヨドリにツボミが食いちぎられたコブシの枝に、雨がたくさんの光る水滴を付けていました。
13時半に出て法律事務所に入り、14時から2時間、一昨日に続き全国紙岡山版の記者の取材を受けました。やっと参議院議長の職務まで来ました。
その後、若干のデスクワークをして、18時ころに帰宅しました。入れ替わりに妻が番町文庫の中国語教室に出掛けて行きました。
温かくなりました。10時半に出掛ける前に、玄関脇を見ると、野草のスミレが満開でした。
11時から市の中心部で所用を幾つか済ませて12時半前に帰宅して昼食を取り、14時過ぎに妻とともに出て、ケーキを買って孫のももちゃんと一生君のマンションに向かいました。途中で、ミモザが咲き乱れていました。
突然、ももちゃんは小学3年生で休校に、一生君は幼稚園年長組で休園になって、ママは大変です。14時半から2時間強、ももちゃんのひな祭りと一生君のちょっと早い誕生会をしました。二人とも大きくなりました。