1984年3月20日 | 戻る/ホーム/著作リスト |
「父を殺した古い政治が憎い」――亡父・江田三郎の遺志をついで、裁判官から政治家に転身、一九七七年参院全国区から当選。社民連の若きエースとして、八三年衆院選では岡山一区でトップ当選を果たす。
東大教養学部自治会委員長時代、「六〇年安保」「大管法」闘争を指導し、ストライキの責任で退学処分。東欧などを遊学後、復学して法学部を首席で卒業。六十八年から七十七年にかけ、東京、千葉、横浜各地裁の判事補をつとめる。一九四一年、岡山県生まれ。社民連副代表。
おそらく私の人生で、今この瞬間ほど緊張した時は、もう二度とないだろう。明日が総選挙の告示。私にとっては、参議院から衆議院への転進が成功するかどうかをかけた、乾坤一擲の大勝負の始まる前夜だ。締切りがちょうど選挙運動の真最中になってしまい、超多忙の中、大あわてで今原稿用紙に向かっている。まわりは、選挙準備で血走った目、怒鳴り声の渦。選挙事務所のあの風景だ。
思えばずいぶん読書と遠ざかった生活をしてきた。政治家ほど、本当は読書の必要な仕事はなかろう。古今東西の識者の叡知に学び、来し方を思い行く末に思いをめぐらせなければならない。しかし、政治家ほど読書の困難な仕事も少ないのではないか。
今の日本では、議員たちは“毎日が選挙戦”に苦しむあわれな選良(柿沢弘治さん)と言っても言い過ぎではない。選挙のための活動は、実に無定量で、いくらやってもやり過ぎるということがない。選挙が安定するまでには、当選を何回も重ねなければならない。しかも、現実の日本では、読書で得た高い識見よりも、冗談のうまさや握手の握り具合の方が、集票効果はずっと大きい。
そこで、どうしても政治家は読書から遠ざかる。私も例外ではない。六年間の参議院時代に、城山三郎さんの全集が次々と発刊され、これは全部読んだが、ほかには読みごたえのある本を読んだ記憶はほんのわずかだ。
政治家で読書家としても有名なのは、大平正芳元総理。蔵書家としても著名だが、実際のところは知らない。東京で代議士をやっていた大柴滋夫さんは、歴史小説が大好きで、すごい読書量だ。そのせいか演説がいつも歴史物語風になって、選挙にあまり強くなかった。むつかしいものだ。
読書は私にとって、思いがけないエネルギーの源泉となる。そのことを何度か体験した。その一つに、司法試験の二回試験がある。
司法試験は、弁穫士や裁判官などになるために必ずくぐらなければならない試験だが、これだけでは十分ではない。司法研究所で二年の研修を経た後、卒業試験に合格しなければならない。これを俗に二回試験という。
この試験は実に難物で、弁当持ち込みで朝から夕方までカン詰めになる。それが何日も続く。この間の健康維持が大変。毎年、体調を崩して落第する者が何人か出る。
試験が行われるのは、確か三月の初旬だったと思う。だから、一、二月は試験の準備で最も緊迫する。修習生は誰もみな、失敗すると二年の修習がさらに一年延びるのだから、大変に緊張する。研修所の寮は、このころは深夜まであかりが消えない。
そうした緊張の連続のころ、私は司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』に出会ってしまった。昭和四三年の初春である。NHKが大河ドラマで放映した時には、それほど関心を持たなかったのだが、一番忙しい時になって、この本の面白さにとりつかれてしまった。
何しろ一冊が三百数十ページのものが五冊もある。時間がかかる。試験勉強は気になる。もともと法律の勉強は面白いものではないから、つい『竜馬がゆく』の方へ手がのびる。一番重要な時期の二週間ほどを、この本にとられてしまった。
ところが、これを読み終って、にわかに法律の勉強がすすみ出した。ファイトが体の内から湧いてくるのがわかった。そして、結果は、二回試験が自分でも思わぬ成績となった。裁判官へ任用され、一人だけ選ばれてオックスフォードに留(実は遊?)学させてもらった。すべて竜馬のおかげだ。
読書は、その内容が直接仕事や趣味に役立つことも多かろうが、本当の読書の意味はそんなものではない。何とも説明できない回路を経て、読むものに知恵や勇気を与えてくれるのだと思う。そのような、人間に生きる力を与えてくれる本を探したい。
政治家になって、思うように本をあさることができないのが、何よりも寂しい。そこで最近は、子供たちの推薦に従っている。二人の息子たちはまだ小学生だし、どうも男の子はそんなことには向かないようだ。しかし娘が中学三年生。頼りになる。
最近この娘に教えられて、灰谷健次郎さんの『太陽の子』を読んだ。沖縄戦の後遺症で精神障害に悩む父と、その父を愛してやまない子の話。大変感動した。人間の優しさを改めて教えられた。
最近心を打たれたもう一つの本は、正村公宏さんの『ダウン症の子をもって』。人生の現実は、メルヘンの世界と異なり常に解決できない耐えがたい悩みがつきまとう。しかしそのために、メルヘンにない人間の情感が通うのだ。こういう世界を大切にしたい。政治が、絶対に土足で踏みこんではならない、しかし温かく包まなければならない世界だ。
反対に、一気に読んだけれど、何となく不満足感が残ったのが、穂積隆信さんの『積木くずし』。参議院の予算委員会で中曽根総理に教育問題で迫ろうという現実的目的があったことが、さもしい根性となり、読書魂をゆさぶらなかったのか。それともこの本が超ベストセラーになる世相に不安を感じたからか。
私は本が好きだ。正確には本にうずもれるような部屋が好きだ。そのため裁判官時代によく妻と喧嘩をした。引越しが多かったので、妻としては荷物を減量したい。不要不急の本はダンボールに積めて倉庫にしまっておきたい。そこが私の趣味に合わない。
今、引越しの心配はなくなったのに、本にうずもれた生活はできなくなってしまった。人生とは、思うようにいかないものだ。
しかし、いつか政治の質を変えて、無定量の肉体的酷使から、精神の高潔さや志の高さを問う政治にしたい。そのためにも今は読書を忘れ、さあ明日から師走の街路で声帯の酷使だ。頑張るゾ……。
●若い人たちにすすめたい本
坪井栄 『二十四の瞳』 講談社他
司馬遼太郎 『竜馬がゆく』 文藝春秋
灰谷健次郎 『太陽の子』 理論杜
正村公宏 『ダウン症の子をもって』 新潮社
城山三郎 『男子の本懐』 城山三郎全集 1 新潮社
読むことからの出発(講談社現代新書) 掲載
昭和五九年三月二〇日第一刷発行
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