秘書のタイプと役割
国会議員の活動は、多くのスタッフによって支えられる。スタッフの任務は、持場によって異なるが、一般には大づかみに全員を「秘書」と呼んでいる。
党別、議員別に、秘書のタイプはそれこそ千差万別だが、だいたい次のように分類できる。
一 政務秘書=国会議員本来の立法調査活動及び中央政界に関する政治活動の補佐。
二 党務秘書=政党から議員に課せられる任務を代行する。社民連の場合は、市民相談の窓口となったり、他党との協議、労働団体、市民団体等との関係処理、選挙対策等も担当する。
三 財務秘書=資金集めとその支出を担当する。
四 選挙区対策秘書=選挙区におけるさまざまな世話活動、組織活動。
五 事務秘書=議員会館及び選挙区の事務所の事務員。
六 選挙参謀=時に黒子として振舞うこともある。
国から給料を支給される第一秘書は、一または二、三のこともある。第二秘書は、二、四または五の場合が多い。六のタイプは、秘書というよりも、政治的同志といった感じだ。
私の事務所では、一の政務秘書の任務は多くの協力者のみなさんにお任せしている。教育問題、労働問題、婦人問題等、問題ごとに優秀な協力者にお願いし、自由な話し合いをしながらその結果を、第一秘書の石井紘基(こうき)君がまとめる。
二と三の、党務と財務も石井君が担当。
四は、父の代からの「国家老」とも言うべき大亀幸雄さん指揮の下に、橘民義君、玉川宗永(むねひさ)君、増永恭志(きょうし)君、森利行君が活発に動いてくれている。気の毒にも彼らは、私が金曜日に帰郷し火曜日に上京という日程(これを「金帰火来」と呼ぶことは、先に述べた)で岡山に帰るため、土、日にゆっくり休めない。 かといって、火水木金に代休がとれるわけでもない。常に臨戦態勢なので、気の毒なのだが、今のところ、若い彼らの熱意に甘えている状態だ。
五の事務秘書は、議員会館では高須とし子さん、岡山事務所では小嶋由美子さん、石原節子さん、冨田陽子さんが担当。六の選挙参謀は、大亀さんの専門だが、大音声で密談する等、世間一般の「黒子」イメージとはほど遠いオープンな人柄なので、私の選挙戦術は常に正攻法だ。
このように野党議員の私のまわりにも、九名のスタッフがおり、その家族まで加えると約十数名の生活に、私は責任を持つ立場なのだ。改めて考えると、冷や汗が出てくる。
これが自民党ともなれば大変。かの有名な「田中角栄秘書団」の人数は別格としても、中堅議員でも「秘書団」と呼べる人数を抱えている人は珍しくない。そのため、選挙で落選した場合は中小企業の倒産同様の惨状となる。議員は、倒産会社の社長さながらに、まず秘書の就職から頭を悩まさねばならない。
これがアメリカだと、選出された州の規模等で異なるが、公費で何十人ものスタッフを一人の議員が使っている。ちなみに議員会館の部屋も、日本の三倍から五倍の広さ。議員の署名のある郵便物はすべてタダ。その署名も器械で行っている。国会議員のあり方が、日本と大きく異なっている。
私の場合は、議員バッジをつけていても、大世帯を維持するために毎日が金策だが、とりわけ参議院議員の任期を満了してから総選挙(なぜか、参議院の選挙は「通常選挙」なのに、衆議院の選挙は「総選挙」と呼ばれる)までの間、約半年の浪人生活を送った時は、実に苦しかった。いつ総選挙があっても困らぬよう、秘書は身近にいて欲しい。しかし、国会からの収入がゼロになった身で、一日も早い解散を祈ったものである。
いよいよ解散、総選挙となっても、告示の前日まで石井君が東京で資金集めをするありさまで、まさに自転車操業そのもの。
「それでも五月君は恵まれてるよ、江田三郎さんは、子孫に有形の遺産はほとんど残さなかったけれど、無形の遺産は立派なものを残したんだものねえ」と、社民連の幹部が感心していた。本当にそうだと思う。父が亡くなって九年。今やその人的遺産そのものが、次の世代に引き継がれつつある。ありがたいことだ。