2004/01/05  大亀幸雄講演要旨 >>大亀幸雄 50年の足跡 ホーム目次

「秘書とは、秘書候補とは」

津村啓介事務所秘書研修 大亀幸雄さん講演要旨(1月5日)


はじめに

秘書活動は津村啓介に代わって、いわば「小型・津村」として行うものである。その成果は、地道な日常活動を通して築き上げられる。人とのふれあいが何よりも大切。これは、いつの時代にでも言えることである。

大亀さんが政治の世界に入るまで

昭和3年生まれ(現在75歳)で、本籍は邑久郡長船町。北海道で生まれ、樺太で育った。昭和19年、海軍に飛行兵として入隊することになったが、肺病に罹って入隊出来なかった。戦後は、行幸村(現在の長船町行幸小学校区)の青年団長に立候補し、当選。昭和21年ごろから政治に参加する。

11人兄弟で、生活はあまり裕福ではなかった。当時の社会状況を考えるとき、「世の中を変えるには、政治を変えるしかない」と思いつめ、政治への道を決断した。この判断は、今でもよかったと思っている。戦後の平和と民主主義は、たまらないほど魅力にあふれていた。政治制度は、戦前と比べ興奮するようなシステムであった。21歳の頃、江田三郎宅の門をたたき、弟子にしてほしいと申し出、門下生となる。

江田三郎さん

演説が非常に上手。演説中の聴衆の反応をいつも考えていた。反応の良かったところはちょっと表現を変えて、あらためてもう一度話す。それによって、聞いている聴衆の気持ちをぐっとつかむ。江田三郎の演説は、聞いている人達が何を求めているかをピッタリつかんでいた。

江田三郎とは違い、ある政治家の場合は、その地、その地で違った演説を行っていたが、なかなか拍手が起こらなかった。聞いている人達の気持ちをつかめていないこと、演説が練れていないからである。これは下手な演説例。どこの地で演説しても、聴衆の聞きたいテーマはだいたい同じだ。同じテーマで何回も演説をして、どこが聴衆に受け、どこが受けないかをちゃんと見極める必要がある。

政治家は、国民の喜怒哀楽を正確に捉えることが大切。江田三郎の場合は、国民とのつながりが深かったので、その発想は地についていた。江田三郎は、農民運動の指導者。土地を耕しているものに土地を与えるのが当たり前という考えから小作人の側に立ち、農民解放運動に参加していた。農民は江田三郎を信頼し、江田三郎は農民と喜怒哀楽を共にしていた。

秘書の仕事

秘書の仕事は、国民の政治に対する不平、不満、悩み、悲しみを理解していなければ出来ない。国民の感情を、しっかりと捉える必要がある。秘書は、津村啓介に代わって、国民の“思い”を正確につかみ、それを津村啓介に伝える必要がある。そのためにも秘書は、普段から国民と直に接点を持ち、人間関係を築いていくことが求められる。国民との間に会話ができる能力が必要だ。

政策ニーズを吸収することは特に大切だ。たとえば、医師会の政治に対する要求を聞いてみたら良い。「医師会の皆さんが今困っている問題を教えてください」と。

教育現場でも同じことが言える。学校へ行き、校長に会い、教師に会い、現場の要求を聞く。今なぜ子供たちが荒れ狂うのか、現場に行って聞いてくればいい。

長船町のことを考えてみたら参考になる。長船町は、津村選挙の比例区票では民主党の方が多く票を取った地域だ。なぜ民主党が多数をしめたのか、まわってみるとわかる。一人ひとりの町民は、今の政治ではいけないと考え始めたのではないか。よく研究するべきだ。現場の状況を秘書がよく認識することが大切だ。

勉強は大切

ところで質問だけど、民主党の良いところは何だと思う。神田君の意見は?

【神田】自民党には、しがらみと金権構造がありますが、民主党にはそれがないと思います。

たしかにそのとおり。そして、民主党は若い世代にチャンスを与える、政権交代の可能性のある野党だ。二大政党制を実現するための可能性を秘めている。こういう民主党の良いところを、秘書は質問されたら、すぐに答えることが出来るようにしておかねばならない。だから、秘書は勉強する必要がある。問われることは色々出てくるので、勉強しなければ、これからはもたない。問われるたびにちんぷんかんぷんの返事では説得力がない。社会的経験を重ねることによって、ものの見方考え方がわかってくるので心配することはない。

本を読むことも大切だ。たとえば、今日ここに持ってきた田原総一朗の「日本の政治の表と裏がわかる本」という文庫なんかは読みやすい。こういう本を読んだほうが良い。何が政治の中心テーマかということがよくわかる。

今日は中身の濃いレジュメが用意されているが、こういうものは作るだけではなく(書くだけではなく)、実行することが重要だ。秘書が全員で議論して、案を立てて実行する。結果は必ず集約し、皆で検討しあう。問題点があれば、皆で見直す。そういう積み重ねが大切だと思う。

もちろん相互批判もやる。他の秘書がやっていることを聞いていると、もうひとつの案が出てくる。こうやって意見を戦わせることで、だんだん活動の中身が充実してくる。

後援会を中身のある充実したものにすることも大事だ。たとえばある町があったとする。その町に何人かの支持者がいてもバラバラでは力にはならない。その人たちを津村を支える組織に発展させていく必要がある。その町のことはその何人かに言えばわかる、という感じにする。そういう組織がないと、地域活動は難しい。グループを形にしておくことは大事だ。長船町の場合は、津村啓介を支持する町会議員がいない、後援会もない。これではお粗末だ。土壌があるのに、それが生かされていない。今支えてくれている何人かだけでは十分とは言えない。新しい人を加え、新しい挑戦として何をするかが大事である。新しい方法を生み出す必要もある。その方法は、これから勉強して生み出してほしい。

5000票増やすことを可能にする選挙運動、事前運動が必要。大きく市民の関心を引き寄せ、茶の間の話題をさらう。組織に命令されないで、自分の判断で一票を入れる。これが日本の政治を変える第一歩。きちんとした組織をつくる(新しい人を入れる)。そして、運動のスタイルを変える。

事務所体制

事務局のメンバーの動きを掌握し、何をやっているか管理する(適切に指導する)人が必要だ。増田、山崎、神田の関係は打てば響くような関係にする。津村事務所は、社会的、政治的経験のある人が少ないので、経験豊富な人たちの意見を聞くことが必要だ。

事務局長になる人間は、他の秘書に指示をして決めたことを必ず実行してもらう。出来ていなかったら、よく検討してから、次の指示をすることも必要だ。これはなかなか難しいことだが、やらなければならない。

質問タイム

Q.政治家を志さない秘書は存在しても大丈夫ですか?【増田
A.それはOK。津村事務所で働く人は、今まで政治的経験のない人が多い。これからいろいろな仕事を次々と経験し、勉強するはずだ。自分の役割をしっかり自覚していれば、わかることが沢山ある。津村啓介は政治家として、「日本を変え、社会を変えていく」のが仕事だ。それを支えることで、秘書も学んでいくことが出来る。秘書活動を通じて経験を積み、大きく育ってほしい。ただ、将来に夢のない者にとっては、しんどい部分もあるかもしれない。夢を持つことは大切なことだ。夢とは「すばらしい日本、すばらしい社会」をつくることだ。

Q.政治家の秘書は3〜4年で辞めるイメージがある。それで事務所は成り立っていくのですか?【神田
A.それは成り立っていくだろう。政治を良くするためには、いろんな人の力が必要になる。新しい人が入ってくることもあるだろう。そういう中で一つの理想としては、秘書が政治家になって、外から事務所を支えていく形も面白い。ただ、政治家にならなかったとしても、秘書活動は、普通のサラリーマンとは違い、何事も徹底的に自分が考え、自分が実現する。自分から状況を作り変えることが仕事だ。何か新しい形をあみ出すためには、勉強するほかない。

最後に

政治家が小型化する傾向がある。夢のために命をはる政治家が少ない。お正月に坂本竜馬のドラマ(『竜馬が行く』)をやっていたが、あらゆる困難を乗り越え、自分の夢を実現するために奮闘していた。なぜ「藩」にこだわるのか、「日本」のためじゃないのか。龍馬は、その意識にこだわり続けた人物である。

今の時代に戻して言えば、人の殺し合いというのは何の意味もない。イラクの問題でもそうだ。イラク国民の心をつかむことが必要。国連の役割を見直し、イラクに平和を回復する。国連の力を強めることによって、イラクの平和を守ることが必要。自衛隊を派遣することが、本当にイラクのためになるのか、と思う。

少し脱線したが、秘書はこういうことを質問されたときに、答えを持っていなければならない。勉強は本当に大切。考える時間を持ってほしい。

要約:津村事務所 堀野さん


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