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私のシリウス宣言   江田五月

「シリウス」の結成

十一月三日、社会党、連合参議院、社民連の国会議員二十七人で政策研究会「シリウス」を結成した。社民連の二人を除けば、全員当選一回という若手集団だ。「シリウス」という名前は、政治家の集団としては少し変わっているかもしれないが、私の思い入れがある。

昭和十四、五年頃、私の父・江田三郎は、農民運動や反戦運動で投獄されていた。行商をして身の回りの品を差入れた母に、「シリウスはまだ見えないか?」と尋ねたという。大戦前夜の暗黒の時代、日中戦争の真只中のことである。

時代は大きく変わった。しかし、管理教育で偏差値に追われる子どもたち。「会社社会」で「社畜」と呼ばれるおとなたち。寂しくわびしい老後。老いを三度経験しなければならない女性。「格子なき牢獄」はより巧妙かつ精緻になっていると言える。

今こそ「シリウス」が輝きを見せ始めなければならないと考えた。代表幹事に選ばれて私は、「凍てつく冬の夜空にはるか八・七光年先から常に確かな位置に光を届ける、全天第一の輝星・シリウスに負けない志をもってスタートする」と挨拶した。

今ほど日本の政治が国民の信頼を失った時を、私は知らない。世界では冷戦構造が終わり、国内では経済優先社会が行き詰まっている。政治のなすべき仕事は山積している、しかし、議会政治を機能させるべき政党は、改革の知恵と力を喪失している。国民の改革への熱望と、現実政治との間の温度差は救いがたいほど大きい。その責任は政治の側にある。

政党が、政治を動かす資格を失ってしまった。国民はそう見ている。しかし政治を離れて生活はないし、国民は生活をやめるわけにいかず、社会は動きを止めるわけにはいかない。政党が機能を失っても、政治に休眠はない。このような時に政治に新しい展望を開くには、政治家一人ひとりが政党の枠を越え、個人の決断と責任で行動を起こすしかない。政治家の良心が問われている。そこで、「シリウス」は、国会議員が個人として横断的に集まり、相互に政策研究で切磋琢磨する場として結成されたのである。

政権交代の始動

自民党政権は、金権腐敗を除けばおおむね成功だったという人がいる。とんでもないことだと思う。

金権腐敗だけでも十分失格。PKOのように意見が分かれる課題をおいても、例えばバブル経済とその崩壊、土地神話と地価暴騰など、誰がみてもこれ以上の失政はない。

佐川事件では、政治家と法務検察当局との癒着が固有名詞で語られた。右翼や暴力閉まで登場。想像を絶する巨額のブラック・マネー。金権腐敗政治はその極みに達した。

腐敗政治からの決別は、まさに緊急の課題である。まず解明と追及が不可欠だが、それだけでは決別はできない。決別のためには、元からこれを断たなければならない。構造腐敗と言うなら、構造を変えなければならない。一党支配の政治構造をだ。

一党支配は、何も自民党だけで構成されているわけではない。政権与党は常に自民党、その他の政党は常に野党のままというのが一党支配。片方に「万年野党」がいて初めて成り立つ。一党支配に対する国民の怒りは、泥にまみれた自民党にだけ向けられているのではない。野党に対しては、怒りを通りこして、絶望になっているかも知れない。このことを痛感する。

したり顔で、アジアや日本に民主主義はなじまないという人がいる。しかし私は、日本は民主主義の国だと思う。最近の例を見ても、金丸辞職はやはり民意の勝利であり、民意が政治を動かしていることは誰も否定できない。

八九年参議院選を頂点とする時期を、私は「第三の民主革命」と呼んだ。「一票一揆」とも言われた。国民が、従来からの惰性を断って、自分の判断で自分の一票を行使した。その結果、民主主義で政治が動いた。

しかし残念ながら、議会制民主主義の本領発揮である政権交代まであと一歩というところまで行きながら、私たちはこれを実現できなかった。金丸辞職も、民意が直接政治を動かした「革命」ではあっても、ルールが機能した結果ではなかった。民主主義ではあっても、民主政治ではなかった。

独裁政治はあやまちを予定しない。だからその修正装置を持たない。民主政治はあやまちを予定する。だからその修正装置を持つ。それが政権交代であり、これを始動させるのが民意である。

しかし、日本には民意も政権交代装置もあるのに、その間をつなぐ「もう一つの政権担当勢力」がなかった。

腐敗政治からの決別のためには、政治腐敗防止立法という緊急課題の実現のほか、一党支配を終わらせうる、つまり政権交代を実現できる対抗政治勢力の存在が不可欠であり、それがあれば、政治は確実に変わるのだ。

八九年以来の野党連合政権協議の推移は、政党間協議の不毛を示している。そこで政党でなく個人からのスタートをめぎし、「シリウス」が「結晶の核」になろうと思った。

私は結婚披露宴に招かれたとき、祝辞に必ず一つのことを付け加える。家庭は社会の基礎的単位だから、社会に開かれた家庭にしてほしい。社会の素晴らしさは二人で享受してほしい。同時に社会には重荷もある。二人でこれを背負ってほしいということだ。

その社会を成り立たせる政治が、今のようなありさまでは、若い社会人に重荷を背負えとお説教できない。恥ずかしい限りだ。しかし恥の問題ではない。彼らのためにも、彼らとともに政治を変えなければならない。変えられるのだ。あきらめは禁物だ。

私たちの世代までは、日本のような国土は狭く人口の多い国でも、まだ広大なフロンティアがあった。これからはそうはいかない。あやまちを正す装置が機能しないと、「破局のシナリオ」が待っている。世界もそうだ。地球環境ひとつとって見ても、すぐわかる。 国民はそのことを痛いほど知っている。毎日の生活の中で肌で感じている。今、政治不信が頂点に達しているのは、国民の痛みを感じとれない政治家の感性の鈍さに由来する。野党の中から、新しい政治の萌芽が出てくるのが、一日おくれればそれだけ、国民の絶望は深まる。遂には取りかえしがつかなくなる。今、双葉でも芽を出せば、必ず市民がこれを育ててくれる。私は拙速を承知で「シリウス」の発足を急いだ。

新しい価値観

「破局のシナリオ」というと、大袈裟だと思われるかも知れない。しかし私は、本気で恐れている。

私たちはこれまで、あらゆるものを後回しにしながら、経済を大きくすることに全力をあげてきた。経済は大きくなり、経済大国と言われるまでになった。しかし、毎日の生活の味気なさは、一体なんだろう。

長時間労働。狭い住居。おそまつな歩道や公園。環境破壊。あぶない食品。老後や女性のこと……。そしてこれら全てのもとに、価値観の問題がある。

「成長の限界」が言われて久しい。資源や環境等のことを考えれば、もうこのへんで……と考えぎるを得ない。それだけでなく、経済成長という「正」の成果を生み出した反面、「負」の蓄積もずいぶん大きくなっていることに気付かなければならない。教育ひとつをとってみても、いい点を取るために精力を使い果たせば、友情をはぐくむ余裕はなくなる。いい大学からいい就職をめざした者が失ったものの大きさは、単に個人レベルのことから、今や社会問題になっているのではないか。膨大な数の高齢者が、定年後の空疎な日々を無為に送っている社会を想像すると、鳥肌が立つ。それが私たちの今なのだ。

一つのエピソードを紹介しよう。先日私はあるシンポジウムで、会場からの質問にびっくりした。「働かぎる者喰うべからず」の社会主義はダメで、やはり競争が必要というのだ。私が最初に社会主義の思想に接したときは、この言葉はたしか、不労所得に安住する地主や買弁資本を許す資本主義を弾劾する言葉だったはずだ。

しかし今、働くことと喰うことが連動すること自体に、私たちは根本的反省を必要としているようにも思う。資本主義も社会主義もともに、生産力が大きくなることが人間の幸福の源泉という、「産業社会」の時代の産物ではないか。いずれも競争時代の産物であって、今やその競争型モデルが終わり、世界は「生活社会」の共生型モデルの模索に進んでいるのだ。

これまでの世界は、国民国家の成立から冷戦の終結まで、主権国家が覇を競う場だった。競争型モデルの世界では、主権国家が行動主体たるチームだった。同じモデルで経済では企業が、教育では学校や塾が、地域では自治体が、相手チームと覇を競った。その中で人間は、単にチームの選手、時には兵士でしかなかった。こうして、世界では先進国と途上国、経済では成長企業と劣後企業、教育では優秀進学校と三流校、地域では中核都市や雄県と過疎自治体が生まれた。

しかし価値観を競争から共生へ変えてみると、別の評価が見えてくるはずだ。途上国は、豊かな自然と共生する循環型社会システムを、二十一世紀のモデルの一つとして提供している。三流校にこそ教師と生徒の魂のぶつかり合いが残っているかもしれない。競争型のモデルの中で、どれほど多くの人間や共同体が、悲惨な運命を余儀なくされたかを考えなければならない。折しも一九九三年は、国際先住民年である。世界中が、共生型モデルヘと変わる時代に、私たちも思い切ったバラタイム転換を必要としている。国や自治体は、共生の場にならなければならないし、企業も競争の主体だというだけでは持たない。フイランソロピーやメセナの思想は、もっと深められるだろう。

政治の枠組みの相対化

そうなると、国家は何のためにあるのかという問題にも突き当たる。国家が国民に忠誠を強要し、生命まで捧げることを求める時代は去った。今、構成員の共生の場としての役割を果たすのに有用な限りにおいて、国家は存在し機能すれば良いのではないか。

例えば、平和な世界秩序は、国家だけでは確立できない。冷戦構造は、国家主権の制約の上に成り立った。既に冷戦時代から、主権は万能ではなくなっているのだ。今、冷戦が終わって、主権万能時代に戻るわけがない。かつて主権国家が有していた機能を、国際機構へと少しずつ譲り渡し、例えば軍事力や警察力により保たれるべき秩序は、普遍的安全保障として、極力国際機構の役割としていくべきではないか。もちろんその国際機構の組織や運営が重大問題になるのはいうまでもないが。

国家という枠組みを相対化して、果たすべき役割に応じてそれにふさわしい枠組みを作るということになると、私たちの政策手法は一変する。ずっと自由になり、多様になる。

国家を超えて地域がひとつの枠組みとして登場する。私はCSCEのアジア太平洋版、CSCAP(全アジア太平洋安全保障協力会議)を提唱しているが、経済でも環境でも人権でも、そうした枠組みが考えられよう。

地方自治体は、生活社会を作るうえでは欠かせない枠組みだ。ゴミや下水、地域経済と国際経済の関連づけなど、それぞれにふさわしい枠組みがあろう。現在の自治体も絶対ではない。権限や財源を存分に与えられたさまざまな分権の制度を考えよう。国家という枠組みでできないことを、国家から解き放し、別のふさわしい枠組みを作るのだ。

日本国憲法

ここで日本国憲法についての私の考え方を略述しておこう。私も、国の基本法といえども万古不易のものではないと思う。そんなことで論争するつもりはない。

しかし、今まで述べたような、国家の枠組みの相対化、国際機構や地方自治体の重視は、日本国憲法の根幹をなす思想だと、私は考えている。この憲法をもとにして、二十一世紀の世界全体の憲法も作ったり、最近発展してきた基本法的思想、例えば知る権利や環境権、子どもや女性の社会権などを、それぞれ基本法として制定して、日本国憲法の内容を豊富にしていくことを考えたい。

そうしたものが大きく積み重なって、わが国の憲法秩序が名実ともに国の内外に行きわたってから、これらを憲法典の中に包含する作業を行えばよい。その前に、そのような現実を作り出す政治の営為が先決だ。

腐敗政治からの決別

「シリウス」は結成と同時に、政治腐敗防止法の議員立法に取り組むことを決めた。政治腐敗の防止は緊急課題であり、「公職選挙法」「政治資金規正法」の改正法の要綱という形で緊急提案し、各党、各会派に成立を呼びかけた。

わが国のこれまでの法制でも、ウラ金やヤミ金を禁止する政治資金規正法があるが、抜け道が多い。選挙違反による公民権の停止や、連座制による候補者の当選無効、更には百日裁判などを規定する公職選挙法もあるが、これらの規定によって資格を剥奪された国会議員は、この三十数年一人もいない。実効性を欠くのだ。したがって、緊急の法改正として、悪質な汚職、選挙違反、政治資金規正の逸脱をした政治家本人に厳しい罰則を加え、公民権停止と立候補制限によって腐敗政治家を政界から追放しようというものである。

政策論争型の政治へ

私たちがスタートにあたってこのような法案を用意したのは、政治を本来あるべき政策論争の基盤に乗せたいからである。「シリウス」が政策研究会である理由もそこにある。

「国対政治」が、国会を形骸化しているといわれる。ほとんどすべての法律案は、官僚が作成して政府案の形で国会に提出される。与党自民党は政府案を決める段階で業界などの利害を代表し党内調整を行い、国会では政府案を一日も早く通すための「国会対策」に専念し、質問はほとんど行わない。国会の法案審議は、野党が役人に文句をつける形の「消化試合」になっていることが多い。

野党は、政府案が出てから議論し、反対を表明するだけでは何も生まれない。対案を示して国会で論議すべきなのだ。対案には、大変なエネルギーが必要だ。自民党も「政府提案」の形に逃げ込まず、堂々と議員提案の法案で野党と向い合うべきだ。そうすれば議員が答弁することになり、国民の前で与・野党の議員の政策論争が繰り広げられる。

参議院の与野党逆転以来、野党による法案提出が多くなった。また一般の法律案は両院の可決が必要だから、参議院で野党が法案に対する事実上の拒否権を発動できることになった。野党の責任は格段に重くなったのだ。

野党が党派を超えて、生活に密着した立法活動等を行った結果、いくつかの具体的成果が上がった。

「土地基本法」は、(1)土地の公共性 (2)適切な土地利用計画に従った利用 (3)投機的土地取引の抑制 (4)受益者の適切な負担等について、土地政策の基本理念を定めたものであるが、八八年五月に野党四党の議員提案として出された。政府はこの「野党案・土地基本法」を無視できず、ようやく翌年「政府案・土地基本法」を出した。政府・与党も「政府案は野党案を参考にして作成したもの」と認め、八九年末「土地基本法」が成立した。

「育児休業法」も、もとは野党四党が法案化し提出したものである。最終的には政府案を共同修正して、九一年成立した。まだ課題が残っており、今後も修正が必要だ。

「都市計画法改正案」は社会党・社民連共同で第一二三国会に提出された。廃案にはなったが、その内容は。(1)計画なきところに開発なし(2)都市計画は自治体の議会の議決で決まるという点にあり、住民本位の町づくりに欠かせないものだった。

今後も、行政手続法、情報公開法、環境基本法、環境アセスメント法、PL法、介護休業法などテーマは数多い。

議員立法は、国権の最高機関で唯一の立法府である国会の「立法」のあり方を、大きく変えることになる。市民が国会議員に立法を提案し、立法に関与する。市民のロビー活動も可能になる。「市民参加」が単なるスローガンでなく、現実のものになる。

専門家の皆さんも、効率よく立法に研究の成果を生かせるようになる。業界の関与も透明度を増す。立法が見えるもの、手にさわれるものになることは、立法文化の変革である。このことは、政始文化の変革にもなる。これは大きい。

選挙制度

政治を変えるもう一つの方法は、選挙制度の改革だ。現行の中選挙区制は、政治の硬直化の原因となっており、弊害が大きい。例えば自民党では、国会議員が地盤培養をした選挙区を、後継者に譲渡する風土が続いている。議員が国会に出て来れば、当選回数による厳しい年功序列が敷かれ、若くから当選している議員でないとなかなか指導的立場に立てない。一方複数候補者のいない野党は、二〇%以下の得票で一議席が安泰となる。これでは、地球規模で激しく変化する今日の政治についていけない。選挙制度に百点満点はないが、国民の声を敏感に反映するには比例制がよい。しかし候補者個人の顔が見えないので、ドイツ型の二票制による比例代表制度、いわゆる「併用制」を導入すべきだと考える。

いずれにせよ、選挙制度を変えることにより政治に動きが出る。ヨットでも風がないと動けない。あれば風上にでも上れる。政治も、動きが始まれば、帆も張れるし舵も切れる。

安全保障と国際機構

日本と世界の平和のためとるべき安全保障政策を、基本にもどって考える必要がある。クリントン・ゴアの若手コンビをカウンターパートとする日米関係は、従来の追従関係から、横に腕を組むイコール・パートナーヘと変化が求められている。日米安全保障条約はこうした新しい日米関係を構築する上でのつなぎ役として存続を認め、軍事面より経済・文化面などでの活用を図る必要がある。

また自衛隊については、憲法も固有の自衛権まで否定するものでなく、自衛を目的とする専守防衛の範囲で自衛隊の存在を認めるべきであるが、憲法には自衛権についての明文の根拠規定がないために、自衛隊の装備などについて無制限に拡大解釈をされる危険がある。そこで日本の防衛のあり方について、準憲法的法規範として「安全保障基本法」を制定する必要がある。

PKOについては、九〇年秋の各党合意に従い、自衛隊を借りてくるのではなく別個の専門の常設組織を作って真正面から対応すべきである。また、日本がとるべき国際的安定への道を、具体的には次のように考える。(1)軍事主権の拡大を抑制 (2)国際ルールの確立と努力 (3)日本の直接的支援は「非軍事面」に限定 (4)将来、真の国連平和維持警察隊が生まれるときには、日本国籍を持つ個人が国連の職員(国際公務員)として参加することは認める。

経済的には、単なる黒字減らしではなく、GNPの一部を「南」に分配する政策をとるべきだ。アジアで唯一の先進工業国であり、アジアに対する大きな責任を持つ日本が、アジアの中でひとり高い経済成長を続け、豊かであるという構造をそのままにしてはおけない。そのためには技術移転、マネジメントのノウ・ハウの伝達、国際分業と市場の提供、資本の提供など、わが国の競争相手を育てることになることを覚悟しながら、アジア諸国に経済成長力を配分することが必要である。日本自体は経済成長はほどほどであっても、社会の仕組みを変えることによって、生活の質の向上は十分に可能である。

日本が成長力を途上国に配分することは、南北関係だけでなく、日米関係においてもグローバルな役割分担を果たすことになり、日米の友好関係の維持と並行して、アジアにも経済的にバランスのとれた友好国をつくることが可能になる。旧ソ連も重要だ。

生活社会

経済の目的は、あくまで人間の生活に奉仕することにあり、そのための産業でなくてはならない。戦後、自民党単独政権のなかで押し進められてきた経済・社会・政治のしくみは「資源多消費−大規模集中−中央集権官僚型」だったが、私たちはそれに対して「資源循環−小規模分散−地域自立型」のしくみをつくる。生活者の政治だ。

産業社会では貸金と連動した労働が重視され、家庭での育児や介護など賃金の支払われない労働は軽視されてきた。しかし、今後は必要・有用労働が、支払い労働とともに重視され、そのことによって「会社社会」のなかで個人の自由を大きく制限されてきた勤労者も解放され、社会、家庭の中で新しい価値を発見することが可能になる。

「会社社会」からの勤労者の解放は、長時間労働、長時間通勤、単身赴任などを減らし、産業社会特有の権力・富の偏在を解消する。その結果、勤労者は「会社」から家庭・地域へもどり、家庭労働の分担や、地域社会でのボランティア活動が容易になる。

社会や家庭での男女のありかたも変わる。「支払われない労働」が「支払われる労働」の補充的役割から脱することによって、男女の相互尊重関係が出現する。

こうして、男女共生社会ができる。男性社会だった会社社会も変わる。女性の社会・参加は単に女性の経済的自立・地位確立という観点からだけおこなわれるのではなく、男性の家庭参加も「相互乗入れ」してくるし、「支払われない労働」も社会の保障制度に裏付けられたものになる。子どもや高齢者、障害者など「支払われる労働」の中心にいなかった人たちも、新しい社会では貴重な地位を占めることになる。夫婦別姓はその先がけだ。

二十一世紀の社会はこのように、大きな変革の後に初めて展望される。そしてこの変革の主体は、あくまで人間である。そこで、変化に対応し生きる力を育てる教育や、豊かで創造的な老後を保障する制度、障害者など社会的弱者や在日外国人の社会参加など、新しい共生システムが不可欠になる。

生活社会に向かう変革は「資本」にも及び、株式会社などの私的資本や国や自泊体などの公的資本につづいて、たとえば生協などの第三の資本、仮に名付ければ「市民資本」が、生活社会の重要な基盤として登場する。

「シリウス」は勉強会である。以上私が書いてきたことは、私の試論にすぎず、これからの勉強の課題である。暴論に過ぎ、メンバーのお叱りをいただくところもあろう。

メンバー自身による編集と執筆で、季刊の雑誌『シリウス』(仮称)を発行することにしており、その中でさらに論争したい。ご批判も覚悟している。

それでも私たちは恐れない。大転換の時代である。霧の中で、先が十分に見透せないからといって、オールを漕ぐのを怖がっていてはならない。

私たちは冷戦時代の固定観念から完全に脱却し、新しい展望を模索して徹底的に創造型、未来指向型の論議をしたい。いかなる行動や政策についてもオルタナティブを示したい。政治を通じ、新しい時代を創造したい。

かつての勇気ある社会主義者の、矛盾に対するはげしい怒りと改革へのつきない情熱と、そして何よりも未来に対する楽観主義を正しく受け継ぎ、政策研究会「シリウス」が今スタートする。

(岩波書店「世界」1993年1月号掲載)


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