1983年 ’83参議院選挙

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 新自由クラブ民主連合、参議院議員選挙の報告

 六月二十六日投票の第十三回参議院通常選挙で、社民連は新自クと連帯し、確認団体「新自由クラブ民主連合」(以下「自ク連」と略す)を結成、異なる二政党が一体となってたたかうという、画期的な選挙戦を展開した。

 結果は、比例代表区で宿願の田英夫代表の三選を果たし、また選挙区選挙では、東京で野末陳平、埼玉で森田重郎両現職が当選。神奈川選挙区では河野剛雄候補が自民党に僅か二万票差にまで肉迫するなど大健闘したが、比例区ではミニ新党ブームの影響をまともに受け、百二十四万票しか獲得できず、改選議席数四の死守に失敗した。

 苦闘のあと
 今回の参院選では昨年夏、自社両党の党利党略から公選法が改悪され、大政党に有利なドント式比例代表制が導入された。

 このため各党とも選挙対策に苦慮したが、とりわけ社民連と新自クは選挙の基本戦略の段階で長時間の調整を余儀なくされた。

 このため事前の準備段階で致命的な遅れを生じ、選挙戦突入後、幹部遊説など大車輪の奮戦によって幾分カバーしたものの、結局有権者の支持を得るまでに至らなかった。

 自ク連の比例代表区の名簿は、社民連から田代表(第一位)、西風勲組織委員長(第七位)、工藤良平元衆参議員(第八位)の三人。また新自クから大石武一元環境庁長官(第二位)、映画評論家の水野晴郎氏(第三位)ら六人で構成された。

 田代表は、全国遊説で奔走する一方、今回赤坂に独自に事務所を設置、同事務所では田代表の友人・知人・支持者に対して従来の個人支持から政党支持へ要請する作戦を展開。さらに商業労連加盟の各単産や、岡村製作所労組などを中心に支援の輪を広げた。

 またビラまき部隊を編成し、社民連国会議員の遊説日程に応じて都内各所で、自ク連への投票を有権者に熱心に訴えた。

 西風組織委員長は、中馬弘毅代議士とともに関西地区でのポスター貼り、ビラ配布など選挙運動の総指揮官として活躍。また市内遊説や政談演説会の弁士として、連日連夜マイクを握った。

 さらに工藤元衆参議員は、かつての選挙区であった大分県や現在の居住地である宮崎県を中心に票の掘り起こしの運動をくりひろげた。元来が都市型政党である自ク連にとって、大分、宮崎両県での支持拡大は、大変な労苦が伴うものであった。

 名簿の第二位にノミネートされた大石元環境庁長官は、高齢にもかかわらずハードな全国遊説日程を元気にこなす一方、地元の宮城県の大石後援会は衆院選なみの態勢を整え、耳なれない党名の浸透を図った。

 今回の候補者の中で田代表と並んで知名度抜群の水野氏は、得意の映画解説などで無党派層ヘアピール。テレビの映画解説などで売った名前と顔とで街頭での人気は高く、「前回までの個人名投票なら百万票以上間違いない」(田代表)ほどの評判。しかし序盤戦では、水野氏は応援弁士の一人だと思っている有権者も少なからずいて、今回の選挙戦の難しさを痛感させられた。

 さらに名簿第五位の大久保力氏は全国の二輪・四輪車ディーラーへの浸透を図り、第四位の石川達男氏と第九位の長谷川保氏は、それぞれの地元の茨城県下と静岡県下で自ク連への投票依頼を精力的に展開した。また中沢啓一氏(名簿第六位)も街頭遊説などで支持を訴えた。

 こうした候補者の運動とは別に、選挙運動の中核は何といっても両党の地方組織。両党の組織のある都道府県は、各地で合同選対や協議機関を設けて任務分担を図り、ポスター掲示・ビラ配布・街頭遊説などで二十三日間にわたりフル稼働した。

 社民連と新自クとが初めて連帯してたたかった国政選挙で当初戸惑いもあったが、やがて組織の違いを克服し、ともに全力を出しきった。

 反省と分析
 社民連と新自クの総力をあげてたたかった参院戦ではあったが、結果として満足できる成果が得られなかったのは、組織力のある既成政党と今日的政策課題を一枚看板としたミニ新党の狭間にあって、自ク連の独自性をアピールできなかったからである。

 自ク連の名簿候補者は、“外交・軍縮の田” “緑と軍縮の大石”など、それぞれが知性と良識の府、参議院の一員として国民の付託に十分に応えられる人物ばかりであった。が、組織力を駆使して闘うだけの力もなく、マスコミをにぎわすだけのトピック性もなく、多くの有権者にとってパンチがない影の薄い存在になってしまったことが反省される。

 ミニ新党の“旋風”をどの程度受けたかは、今後の詳細な調査・分析をまたねばならないが、六月二十八日付の東京新聞朝刊等で報道された慶応大学掘江研究室(堀江湛教授・現代政治学)の行った追跡調査が一つの参考になる。

 同調査は、東京都内の有権者千二百人の心理と行動を掘り下げて追求するために、投票日一週間前の時点で直接面接調査を行い、かつ投票縮め切り直後に各調査対象者本人に電話で実際の投票行為を追跡したもの。

 この調査によれば、自ク連の支持者の三五・七%しか自ク連へ投票していない(次に悪いのが社会党支持者の五八・三%)。棄権した率も最も高くて二五・一%(次は自民党支持者の一九・一%)。ミニ政党へ流れた率もトップで二八・五%(次は社会党支持者の一八・四%)。既成政党へ流れた率は社会党支持者の一六・七%に次いで二番日の一〇・七%という結果がでている。

 個別のミニ新党への票の流れの調査によれば、サラリーマン新党の得票の七・六%、福祉党の得票の一二・四%、二院クラブの得票の二〇・〇%は自ク連支持者からのもの。

 同調査は東京の有権者だけを対象にしたもので、速断はできないが、ミニ新党が全国的な支持を得ただけに、単純に推計すると全国で五十七万六千票が自ク連からミニ新党へ流れた計算になる。

 各県別に自ク連とミニ新党の得票数を比較すると、埼玉と神奈川の両県は全てのミニ新党より上回り、また宮城県は二院クラブと福祉党、山形県は二院クラブとサラリーマン新党、東京は福祉党より上回った。二院クラブより上回ったのは岡山、福岡など十三県。

 いずれにせよ、自ク連の地方組織がある程度まで確立している地域では、ミニ新党の“旋風”を何とか凌いだといえる。今回の結果は一年以内に必ず実施される衆院総選挙の態勢作りの重要な教訓となった。早急に組織点検を実施し、総選挙勝利のために前進しなければならない。


  声 明

新自由クラブ民主連合

 新自由クラブ民主連合は、旧地方区に相当する選挙区選挙で、一議席を増やし、神奈川選挙区でも僅差の次点にまで迫ったにもかかわらず、比例代表区で得票を伸ばし切れなかったのは残念でならない。

 私たち新自由クラブ民主連合を支持して下さった全国の有権者の皆さんにお詫びする。

 すぐれた見識と個性に恵まれた人材を、良識の府である参議院に送り出すことができなかったことを、支持者と共に惜しむものである。

 新自由クラブ民主連合は、今回の選挙結果に示された民意を洞察し、政治倫理の確立を中心とする理念的課題と合わせて、不公平税制の是正と大幅な減税の実施や、景気の浮揚と雇用の安定など、国民生活を守る当面の具体的課題に、真剣に取り組む決意を新たにするものである。

 私たち新自由クラブ民主連合は、この決意を今後の活動の基本として、来るべき衆議院選挙と、三年後に再び迎える参議院選挙の必勝を期し、全国民と共に政治刷新をめざすものである。


  昭和五十八年六月二十七日


1983年

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