2002/02 |
血で購われた米国人権史
キング牧師生誕祝うパレードに土肥代議士北岡 和義(Japan America Television, Inc.)
1942年2月19日はルーズベルト大統領が特別行政命令を発した日。大統領令により12万人の日系人強制収容が実施された事件から60年経った。いま、日系人に限らずアメリカにおけるマイノリティは公民権法に守られ人種差別は違法、厳罰である。言うまでも無く公民権法が成立するまでには黒人らの不屈の戦いがあった。
1月21日「マーチン・ルーサー・キング・ジュニア・デー」。公民権運動の偉大な指導者、キング牧師の生誕を祝う日である。
Gマーシャルに土肥代議士
この日11時過ぎからサウス・セントラルを東西に走る「マーチン・ルーサー・キング・ジュニア・ブルバード」という長い長い名前の大通りでパレードが行われた。ぼくはこの行進にトヨタのコンパーチブルで飛び入り参加したのである。
ウエスタンからクレンショーまで約2マイル、沿道を埋めた大半の人々は黒人で、メキシコ人と韓国人が少し。日本人の姿を見ることは無い。邦字メディアはぼくとぼくの撮影スタッフだけ。
このパレードに民主党副幹事長、土肥隆一衆議院議員が「インターナショナル・セレブリティ・グランド・マーシャル」に選ばれたのである。
英文のニュース・リリースを読んだ時、なぜ、土肥代議士?ちょっと理解できなかった。でも日本人の政治家がキング牧師を称えるパレードのグランド・マーシャルに選ばれたのだから栄誉であることは間違いない。
国会開会中、日本から駆けつけた土肥代議士に会った。彼はもともと牧師で、国会議員になって世界の紛争地域へ積極的に出かけ、難民救済対策など人権問題に熱心に取り組んできた。キリスト者仲間で友人の韓国国会議員・金泳鎮(千年民主党)氏が人権問題で国際貢献した土肥議員をパレード実行委員会に推薦したという。
楽しく陽気で、いい光景
この日はとても冬とは思われない強い太陽光線で肌が汗ばむ陽気だった。グレイ・デービス・カリフォルニア州知事やジェームズ・ハン・ロサンゼルス市長はじめ黒人の有名人らがオープンカーに乗って手を振った。
日本人は土肥代議士と河野雅治総領事、それになぜかぼくとF領事が総領事車の後にゆっくり続いた。腰を振って踊りだす黒人女性や両手を空向けて上下させて拍子を取る黒人特有の声援を送る人々の一群が揺れている。中にはサイン求めて走り寄って来る子供もいた。なにしろ陽気で楽しいパレードだ。
彼らにとっても日本人のセレブリティは珍しかったろう。土肥議員がどんな人物なのか、知る由も無いはずだが、そんなことどうでもよろしい。とてもいい光景だった。
ロサンゼルスに住む多くの日本人は隣人であるはずの黒人社会について知識も薄い知ろうとしない。
「私たちには夢がある」
未だ30数年前のアメリカ南部では黒人と白人は同席できなかった。多くの黒人は理不尽な白人のリンチに晒され、傷つき殺された。白人至上主義者の秘密テロ組織KKK(クー・クラックス・クラン)に限ったことではない。ごく一般の白人市民が黒人を劣等人種として当然のように差別していたのである。
キング牧師は1929年にジョージア州アトランタで生まれた。黒人大学モアハウス・カレッジからフィラデルフィアのクローザー神学校に進み、ボストン大学院で3年間研究生活を送った後、54年アラバマ州モントゴメリーのデクスター・バプティスト教会の牧師となった。キング牧師が着任した1年後、55年12月1日、この深南部の大都市で小さな事件が発生した。
市内を走るバスの中で、ローザ・パークスという勤め帰りだった黒人の裁縫女子工員が運転手から白人に席を譲るように命令されたのを「ノー」と拒否し逮捕されたのである。この逮捕が全米を揺るがす黒人革命の歴史的事件の発端となった。
白人優先が当たり前だった当時のディープサウスで、初めてそれに抵抗したことで彼女はアメリカ人権史に輝かしい名を記すことになった。
キング牧師らの指導でバス・ボイコット運動が提起され、激しい脅迫や暴力による弾圧と挑発の中、黒人たちは根強く戦う。翌56年12月20日、連邦最高裁はバスの中での人種隔離は憲法違反であるとの歴史的判決をだす。これを機にキング牧師は南部キリスト教指導者会議(SCLC)を組織、非暴力大衆直接行動という運動の形態を創り出した。
エイブラハム・リンカーン第16代大統領が奴隷解放宣言を発して100年経った1963年8月28日。30度を越す暑い暑い真夏日だった。
アラバマからミシシッピイからルジアナからニューヨークから、人々は首都ワシントン向けて行進した。ワシントン記念塔の前で20万人の大衆にキング牧師は力強く呼びかけた。
“I have a dream”〜「私には夢がある」と。
「今日もまた明日も、多くの困難に直面しているが、それでも私には夢がある」
「いつの日かジョージアの赤土の丘の上で、かつての奴隷の子どもたちと、かつての奴隷主の子どもたちとが一緒に腰をおろし、兄弟として同じテーブルにつくときがくるであろう」
黒人解放運動を指導しノーベル平和賞を受賞したキング牧師は1968年4月テネシー州メンフィスで凶弾に倒れた。
人権をめぐるアメリカ史で恐ろしい事実を指摘しておきたい。人権解放史に功績を残した指導者、リンカーン、ジョン・F・ケネディ両大統領とキング牧師。高い志を抱きアメリカで平等社会の実現をめざした彼らは3人とも暗殺された。人権解放の運動は彼らの血で購われたという事実を記憶に留めたい。