平成十三年六月六日(水曜日)
午後一時開会
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委員の異動
五月二十三日
辞任 補欠選任
峰崎 直樹君 吉田 之久君
石井 一二君 佐藤 道夫君
五月三十一日
辞任 補欠選任
佐藤 道夫君 石井 一二君
六月五日
辞任 補欠選任
吉田 之久君 柳田 稔君
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出席者は左のとおり。
会 長 上杉 光弘君
幹 事
海老原義彦君
野沢 太三君
野間 赳君
江田 五月君
堀 利和君
山下 栄一君
小泉 親司君
大脇 雅子君
委 員
阿南 一成君
岩城 光英君
木村 仁君
久世 公堯君
陣内 孝雄君
世耕 弘成君
中川 義雄君
中曽根弘文君
森田 次夫君
吉川 芳男君
脇 雅史君
小川 敏夫君
川橋 幸子君
北澤 俊美君
久保 亘君
寺崎 昭久君
簗瀬 進君
柳田 稔君
魚住裕一郎君
大森 礼子君
橋本 敦君
吉岡 吉典君
吉川 春子君
福島 瑞穂君
平野 貞夫君
石井 一二君
事務局側
憲法調査会事務局長
大島 稔彦君
参考人
内閣法制局第一部長
阪田 雅裕君
内閣法制局第一部憲法資料調査室長
横畠 裕介君
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本日の会議に付した案件
○日本国憲法に関する調査
(国民主権と国の機構)
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○会長(上杉光弘君) ただいまから憲法調査会を開会いたします。
日本国憲法に関する調査を議題といたします。
本日は、憲法の国民主権と国の機構に関する政府の国会答弁について内閣法制局から説明を聴取した後、質疑を行います。
本日の議事の進め方でございますが、内閣法制局第一部長阪田雅裕君から四十分程度説明を聴取し、その後、各委員から質疑を行いたいと存じます。
なお、発言は着席のままで結構でございます。
まず、内閣法制局から説明を聴取いたします。内閣法制局第一部長阪田雅裕君。
○参考人(阪田雅裕君) では、御指示に従い、座ったままで失礼いたします。
内閣法制局第一部長の阪田でございます。
本日は、このような機会を与えていただき、大変ありがたく存じております。
私ども、きょうは行政府の組織の一員という立場でこの席にお招きいただいているというふうに承知しておりますので、これまでの調査会の参考人の方々のように、立法政策に踏み込んで自由に意見を申し上げるというわけにはまいりません。そこで、今、会長からお話しいただきましたように、国の統治機構に関する憲法の規定をめぐってこれまでに国会でどのような議論が行われてきたか、その中で政府がどのような見解を示してきたかということを中心にお話をさせていただきたいと思います。
その前に、内閣法制局がどのような立場で憲法その他の法令の解釈に当たっているか、言いかえますと内閣法制局の憲法等の解釈が一体いかなる意味を持つものであるかということを簡単に説明させていただきたいと思います。
なお、冒頭の御説明は私が一括してさせていただきますけれども、私の隣におりますのは当局の憲法資料調査室長の横畠でございます。後ほどの御質疑につきましては、私と横畠で適宜分担をしてお答えさせていただきたいというふうに思っております。よろしくお願いします。
お手元に資料を二分冊お配りさせていただいておると思いますけれども、その薄い方、資料一と右肩に振っております「内閣法制局について」というのをごらんいただきたいと思います。
そこの一ページをお開きください。その一ページ目に、内閣法制局設置法からとりました内閣法制局の所掌事務の概要等を記載しております。
まず、組織の特徴といたしましては、1のところですが、内閣法制局は内閣に置くというふうに規定をされております。これは内閣に直属をするという意味でありまして、内閣官房と並びまして大変に数少ない直接内閣を補佐する行政組織の一つという位置づけになっております。
それから、内閣法制局の仕事でありますが、2のところでありますけれども、「次の事務をつかさどる。」として@からDまで五つほど並んでおります。このうち、特に重要なのは@とBの事務であります。
@は、「閣議に附される法律案、政令案及び条約案を審査し、これに意見を附し、及び所要の修正を加えて、内閣に上申すること。」、私どもは審査事務というふうに称しておりますけれども、原則として、各省庁が原案をつくります政府提出の法律案あるいは政令案、それから外務省で持ってまいります条約案、これを審査して国会に提出する、あるいは政令の場合でありますと閣議にかけて公布をするということをやっておる仕事であります。
それから、Bでありますけれども、「法律問題に関し内閣並びに内閣総理大臣及び各省大臣に対し意見を述べること。」、これは意見事務というふうに呼んでおりますが、端的に申しますと内閣のリーガルアドバイザーというようなことでありましょうか。各省庁それから内閣及び内閣総理大臣から法律問題についてお問い合わせがあったとき相談に応じるというような仕事の内容であります。
内閣法制局は、このように行政機関ではあるのですけれども、国民の方々と直接接触するということが大変少のうございますので、知名度が低いというのが私ども組織の中にいる者にとっては若干寂しい部分であります。よく法制局に封書なども来るわけですけれども、封筒のあて名も三分の一ぐらいは法政大学の「法政」というふうになっておりますし、それから私は十年ぐらい前まで大蔵省で奉職をしておったわけですけれども、今でも私のところに来る封筒には大蔵省内閣法制局などと書いたものもあるというような状況であります。
そこで、必ずしも古いのがとうといということではないのですけれども、内閣法制局は明治十八年の内閣制度の発足とともに創設されました最も古い行政機関の一つであります。フランスのコンセイユ・デタに範をとったというふうに言われております。戦前におきましても、内閣直属の機関として、法律、命令の審査、それから法律問題についての内閣総理大臣への意見具申といった現在とほぼ同様の機能を果たしておりましたけれども、戦前はこのほかに、国の機関の組織、定員がいわゆる大権事項でありました。他面、かつての総務庁でありますとか今の人事院のように国の機関の組織、定員を扱う役所がなかったものですから、組織等につきましても内閣法制局、当時は法制局と言っていましたが、法制局が審査、立案を行っていたと言われております。
終戦後、昭和二十三年に、GHQの命令によりまして内務省などとともに解体をさせられました。その機能、法令の審査それから意見具申の事務は法務省の前身であります法務庁に引き継がれておったわけですが、昭和二十七年に、独立の回復とともに再び内閣直属の機関として設置をせられました。その後、たしか昭和三十七年だったと思いますが、衆参両院に法制局が設置されるに及び、従来の法制局という名称が内閣法制局というふうに改称されて現在に至っております。
資料の二ページをお開きいただきたいのですが、当局の組織の簡単な絵をつけさせていただいております。
内閣法制局は、定員わずか七十六人という大変小ぶりな組織であります。今申し上げました事務のうち@にありました審査の事務は、この絵の第二部から第四部と書かれているところで分担をしてやっております。各省庁、役所を分けて、二部から四部までの組織がそれぞれ役所を分けて分担処理をするというやり方でやっております。そして、意見具申といいますか憲法解釈等を含めて意見を申し上げる仕事は、第一部において処理をしているということであります。
内閣法制局の仕事の中心になっておりますのは、各省庁の課長クラスに相当します内閣法制局参事官という役職の者であります。第一部から第四部まで、おおむね五、六人ずつ配置をされております。法制局の組織の特徴の一つでありますけれども、この内閣法制局参事官は全員が各省庁からの出向者でございます。法制局独自には、いわゆる第T種試験の合格者の採用というのをやっておりません。
次に、三ページに最近における法律案の提出件数というのを概観していただくために載せております。これは常会だけでありますので、臨時会、特別会を含めますともう少し多くなるわけですけれども、若干増加ぎみでありますけれども、最近、大体百件前後というのが一通常国会に提出している内閣提出の法律案の件数であります。
議院法制局と若干異なりますことは、一つにはこのほかに条約案の審査があるということです。これは、年によってこれも違いますが、大体十数件から二十件程度、毎常会出しております。そのほかに、政令の審査というのが相当膨大であります。これが、年にもよりますが、ことしなんかですと五百件ぐらいになっております。そこで、一―三月、国会の開会の直前からいわゆる年度末政令を出す三月末までというのが大変な繁忙期でありますけれども、ほとんどの参事官は週末ほとんど休めないというような状況で執務をしております。
このように、法案の審査は、条約案もそうでありますけれども、非常に骨格の部分から枝葉、よく言われるてにをはに至るまでいろんな角度、縦横斜め、場合によってはひっくり返して見たりというようなことで検討を加えていくわけでありますけれども、特にどういうところに注意しているかと申しますと、何といっても他の法令との整合性ということであります。
学問的には、上位の法令というのは下位の法令に優先するんだとか、あるいは特別法は一般法に優先するとか、後法は先法にまさるというようなことがルールとして言われておりますけれども、実際に法令の適用を受ける国民の立場に立ってみますと、一体どれが特別法でどれが一般法であるのか、あるいは複数ある法律のうち最も新しいものはどれかといったようなことを見分けることが到底できませんし、例えば法律と政令の関係にしましても、政令だけを見ますと、それが仮に法律に違反することが書いてあったとしても、それが間違いであるということに気づくということはなかなか容易なことではないわけであります。そういう意味で、私ども何千もあります法律を俯瞰してみて、この規定を直せばどの規定と矛盾を来す、どの規定と整合性を新たにとらなければいけないというような作業が非常に大きな作業になるわけであります。
条約の場合も同じでありまして、条約を国内に直接適用できるという場合は大変まれであります。したがいまして、条約を実施するためには国内法令の整備というのがほとんどの場合必要になるわけであります。憲法上、我が国では条約は法律に優位するというふうに解されておりますが、条約と矛盾する法律を放置したままであっては、幾らその条約が優先すると言ってみても、これを実施することができないということに相なるわけであります。
このように、法令相互間の整合を図る、そして法体系全体を秩序正しくあらしめるということが法案審査の大きな一つの眼目でありますけれども、そうした観点から最も重要なことは、その法令の内容が憲法に適合しているかどうかということを検証することであります。大変典型的な例として申し上げますと、いわゆるPKO法、国連平和協力法であるとかあるいは周辺事態安全確保法が憲法九条に適合しているかどうかというようなことを例えばチェックしなければいけない。
こうした法律の内容を憲法に適合したものとするためには、九条でありますれば、集団的自衛権の問題なども含めまして、憲法九条についての一定の解釈、これが存在するということが前提であります。全く解釈がないところにはその適合性、憲法に適合しているかどうかということの確認のしようもないわけでありますから、当然そういう作業が不可欠になるということであります。
もう一つ例を挙げますと、御案内の向きが多いと思いますが、平成七年に締結いたしました人種差別撤廃条約というのがございます。これは、御承知のように我が国はこの第四条(a)、(b)というのを留保いたしております。
この四条(a)、(b)は、人種差別的な思想の流布あるいは人種差別を扇動する団体への参加などを犯罪として処罰することを求めている規定であります。が、そのような法律をつくることは我が国の場合、憲法二十一条に抵触するおそれがあるというふうに判断をされた。そのために、これは批准しないで留保しているということであります。
そういう作業を、すべての法律すべての条約についてということでは必ずしもありませんが、相当数の法律、条約についてそういう憲法との矛盾がないかどうかということのチェックを続けなければいけないという意味で、私どもは憲法解釈が仕事として大変重要な部分を占めるということになるわけであります。
内閣としての憲法解釈は、こういう法案等の審査に際して必要であるというだけではなくて、行政執行そのものの憲法適合性を確保する上でも必要になる場合が多々あります。
若干古い例で申しますと、衆議院での不信任決議等がない場合のいわゆる七条解散ができるかというようなことが話題にされたこともあります。これについても憲法七条の解釈が必要になる。それから、最近の例でいいますと、閣僚の靖国神社の公式参拝が憲法に適合しているかどうかという議論についてもそれなりの見解を持たなければいけない。あるいは昨年、たしか平野先生におしかりを受けたかと思いますけれども、憲法第七十条の総理が欠けたときに、総理が意識がなくて近い将来職務に復帰できないというような場合が果たして含まれるのかどうかというようなことについても、これは判断をしていかなければいけないというようなことであります。
法律の場合ですと、いずれもそれぞれに所管の省庁がございます。一義的にはその各省庁が法律をそれぞれに解釈し、また日々の運用に当たるということでありますので、私どもはしばしば省庁から、ここはどのように読むべきかという御相談にあずかることはありますけれども、それは言ってみれば参考意見として申し上げるということで、それを参考にして、しかし各省庁はその実務の取り扱い等も踏まえて自分たちなりに解釈をし運用なさっているということでありますけれども、残念ながら憲法についてはこれを直接全体として所管しているという役所はないわけであります、行政府においては。
そうではありますけれども、憲法の各規定というのは、法律案の企画立案を初めとしまして各省庁が所掌する事務に非常に幅広く関係はしてまいります。その際に、各省庁がそれぞれ自分のところに関係するときに関係する部分について適当に憲法の規定を解釈して運用していいということには決してならないわけで、そうなりますと、内閣の行政が大変区々まちまちということになりますものですから、内閣として統一した憲法の理解のもとに行政を一貫して進めなければならないという要請が生じてまいります。
内閣法制局が憲法解釈について内閣その他に意見を述べ、また国会において内閣の憲法解釈について求めに応じて御説明申し上げているというのは、このように内閣としての憲法解釈の統一を図り、行政府が憲法の尊重擁護義務というのを間違いなく果たしていくことができるようにという観点からのものであるということを御理解いただきたいと思います。
今お配りしました資料の四ページに添付しております大森前内閣法制局長官の憲法解釈に係る内閣法制局の立場を述べた答弁は、そういうことわりを明らかにしたものでございます。したがいまして、内閣法制局の憲法解釈は、国会はもとよりでありますけれども、裁判所に対して何らの拘束力を持つものでもないということも事実であろうかと思います。
以上が、ちょっと長くなりましたけれども法制局の仕事のあらましということであります。
続きまして、分厚い方の資料、「国の統治機構に関してこれまでに国会で議論となった主要な論点」について御説明をさせていただきたいと思います。ちょっと時間の関係もございますので、項目としては国の統治機構に係る規定についての過去の論議を三十近く拾っておりますけれども、この中から主要なところをかいつまんで要点だけ御説明させていただきたいと思います。
まず、天皇の章でありますけれども、天皇のところでは、昨今、首相公選制の議論とも絡みまして取り上げられておりますのは、元首とは何かというようなことであります。
五ページに元首の概念とタイトルを付したところがありますが、これは今の天皇が元首かという形でしばしば問われてきたわけでありますけれども、御案内のように明治憲法、大日本帝国憲法には天皇は元首であるということが明記されておりました。それに対しまして、現行憲法には元首にかかわる規定はありません。
したがいまして、何が元首かというのは必ずしも憲法論ということではないと思いますが、政府といたしましては、この一番下に大出政府委員の答弁というのがありますが、これのアンダーラインを引いた部分をごらんいただきますと、「今日では、実質的な国家統治の大権を持たれなくても国家におけるいわゆるヘッドの地位にある者を元首と見るなどのそういう見解もあるわけでありまして、このような定義によりますならば、天皇は国の象徴であり、さらにごく一部ではございますが外交関係において国を代表する面を持っておられるわけでありますから、現行憲法のもとにおきましてもそういうような考え方をもとにして元首であるというふうに言っても差し支えない」というのが政府の考え方であるということであります。
それから、ここにはありませんが、最近の話題としては女帝の問題があります。
これは御案内のように、皇位継承のあり方は憲法はすべて皇室典範にゆだねておるところでありますので、女帝を可とするかどうかということについては憲法改正を要する問題ではないということは明白でありますが、ただ皇室制度の基本にかかわる重要事項でありますので、慎重な検討を要する問題であるということはまた言うまでもないというふうに考えております。
それから次に、八ページから国会についての規定をめぐる議論を取り上げております。
この中には八つばかりの論点を掲げておるのですけれども、主に政府との関係で問題になりましたのは、十二ページにあります予算修正権をめぐっての問題以下の項目であろうかと思いますので、十二ページ以下を御説明させていただきたいと思います。
まず、国会の予算修正権でありますけれども、これは学説としては、国会の予算修正権に限界などあろうはずがないという説も有力に存するということは承知しております。ただ、政府といたしましては、この十二ページの統一見解にありますように、「国会の予算修正は、内閣の予算提案権を損なわない範囲内において可能」であるというふうに述べてきております。
ただ、具体的な限界、それではどこまでできるのかということにつきましては、現実の問題として予算修正がその後取り上げられたことがないものですから、これ以上に具体的に議論をされたことがないし、私どもも検討したことがないということであります。
それから、次の十三ページに、国会の行政府への監督権能についての考え方を述べております。
これもちょっと短い答弁ですので読ませていただきますが、「国会は憲法によりまして、立法や予算の議決権、あるいは国務大臣の出席、答弁要求権、そして内閣の国会に対する連帯責任等、内閣の行政権の行使全般にわたりましてその政治的責任を追及する上での機能といたしまして、行政監督権とも言うべき機能を有しておられるということが言えようと思います。そして、これらの機能を有効に行使するための補助的な権限としまして、手段としまして憲法六十二条により国政調査権を有しているということになろうかと思います。」ということで、これは次の十四ページにあります、国政調査権の本質は何かということにも言及している答弁であります。
国政調査権は、ここにありますように行政監督のためでもありますけれども、言うまでもなく、予算の議決であるとか条約の承認、法律の議決等々、国会に与えられたありとあらゆる権能を発揮するための手段ということになるわけであります。この十三ページの答弁の中では述べていないのですけれども、国会はこういうふうに行政全体を一般的に監督するという権能を持っておるということのほかに、もとより、立法上手当てをすれば行政の行う個別具体的な行政行為を一個一個チェックするという権能を発揮することも可能であります。
典型的には、いわゆる国会同意人事、内閣が例えば日銀の総裁などを任命するに際して国会の承認を得ることが必要であるというふうな例がたくさんございますが、これは内閣の行う任命行為を議会がコントロールをするということであろうかと思います。
それから、今国会にたまたま議案が出ているというふうに承知をしておりますけれども、国有財産法の十三条第一項というのがあります。これは、公共用財産のうち公園または広場の用途に供されているもの、あるいは供すると決定されたものの廃止をする、あるいは用途変更をするというときには、一定額以上であれば国会の議決を経なければならないという規定がございます。これも、個別具体的な行政の処分、行政の活動を議会がチェックするということのあらわれであります。
何をそういう個別の国会の議決にかからしめるかというのは、すぐれて立法政策の問題であろうというふうに考えております。
それで、この国政調査権との関係でしばしば問題になりますのが、十五ページにあります国家公務員が有している守秘義務との関係であります。これは、しばしば予算委員会などにおきまして政府と主に野党との見解が鋭く対立するという分野であります。
これもなかなかはっきりした基準というのを申し上げることは難しいわけでありますけれども、十五ページの、これは平成四年の質問主意書に対する答弁書の中から抜粋したものでありますけれども、この答弁書の「一について」のアンダーラインを引いた部分をごらんいただきたいのですが、「両者の関係」、すなわち国政調査権と国家公務員の守秘義務との関係でありますが、「関係は、常に一方が他方に優先するというようなものではなく、国政調査権に基づく要請にこたえて職務上の秘密を開披するかどうかは、守秘義務によって守られるべき公益と国政調査権の行使によって得られるべき公益とを個々の事案ごとに比較衡量することにより決定されるべきものと考えている。」というのが政府の立場であります。
そして、さらに十六ページをお開きいただきますと、この比較考量をする主体でありますけれども、これもアンダーラインを引いた部分ですが、「守秘義務によって守られるべき公益と国政調査権の行使によって得られるべき公益とを比較考量して国政調査権に基づく要請にこたえるべきかどうかという判断は、それぞれの行政を担当している部局、当該事項に係る事務を所掌する、そういう部局において判断されるべきことであるというふうに考えております。」というのが政府の考え方であります。
もとより、これが議院証言法に基づく手続としてなされる場合には、当該官署は、守秘義務を盾に国政調査権の行使に応じないという場合にはその理由を疎明しなければなりませんし、またそれが委員会において納得されないという場合には、内閣声明を求めることができるという体系になっているわけであります。
それから、十九ページ以下に内閣についての規定に係る部分を抜粋しております。
ここでは、まず二十一ページの議院内閣制の基本というところを御紹介したいと思いますが、これも長い答弁でありますけれども、このうちアンダーラインを引いた部分がエッセンスということになろうかと思います。
読ませていただきますと、「議院内閣制の基本の原理と申しますのは、国会において多数を占めておる政党が主体となって内閣を組織して、それによって行政権を構成して、立法、司法、行政と三権分立している中の行政権の主体となるということが、議院内閣制の基本であろうと思います」ということであります。
したがいまして、首相公選制、仮に国民の直接の投票によって首相を選任するということになるとすれば、これはこの議院内閣制を改めることになるというのは当然のことであろうというふうに思います。
それで、議院内閣制の本質は、次の二十二ページの内閣の国会に対する責任ということでまた裏打ちもされているということであります。これは内閣は合議体である存在でありますので、連帯をして内閣が一体として、そして国民を代表している国会に対して責任を負うということで、ここでも議院内閣制の本質というのがよくあらわれているということであろうと思います。もとより、ここの憲法六十六条三項に規定しております責任、国会に対する内閣の責任というのは、法的な責任といいますよりはあくまでも政治的な責任であるというふうに理解をされておりますし、政府もそのように解してきておるところであります。
それから次の二十三ページでありますが、これは今申し上げましたように、内閣はその行政権の行使について国会に対して連帯して責任を負っているわけで、そのためにといいますか、そうであるからこそ、行政権は憲法六十五条の規定によりまして内閣に属さなければならないとされているわけであります。これは六十六条三項の裏返しだろうと思います。内閣に属さない行政権の所在があるとすれば、会計検査院は憲法上の機関でありますから別ですけれども、これはおよそ国会の民主的なコントロールが及ばないところで行政権限が行使されるということになって問題であるということになろうかと思います。
その関係でかつてしばしば問題になりましたのは、いわゆる行政委員会、三条委員会、これは合議体でもありますし、事柄の性格上ある程度独立して職権を行使するというようなことが書かれていることもございますし、これが果たして内閣に属していると言えるかということが問われました。この点につきましては二つの点で説明をするんだと。
一つは、その事務の性格である。その事務が政治的中立性を確保する必要がある、あるいは専門的であったり、例えば試験のようなものですね、専門的であったり非常に技術的であったりするという、そして公平に行わなければいけない、中立的に行わなければならない、そういう行政事務であるということが一つの前提。
それからもう一つの前提といたしまして、内閣はおよそ何らのコントロールも及ぼし得ないというのではなくて、この行政委員会に対して人事権がある、それから財務に関する権限、この両方を有しているということで一定のコントロールができる。そういう意味で、この行政権が内閣に属するという憲法六十五条の規定に行政委員会の存在は反しないのだというふうに理解をしてまいりました。
個人的な経験としましては、私はかつて第三部というところで法案の審査をやっておったわけですけれども、日本銀行法を全面改正するときに日銀の独立性ということがしきりに叫ばれました。そして、中には日銀の独立性を法文上明確にしろというような御主張もあったわけでありますけれども、それは独立というのはおかしいのではないかと、やっぱり。統帥権ではあるまいし、国会の民主的コントロールを離れて独立するというようなことは考え得ないということで、たしか自主性という言葉に置きかえていただいたというような記憶があります。
それからその次に、二十五ページに内閣総理大臣の指揮監督権について述べております。これも総理のリーダーシップが必ずしも十分ではないのではないかということとの関係で、よくこの内閣総理大臣の指揮監督権の及ぶ範囲、あるいは及ぼし得る事象というのは何かということが問われるわけであります。
先ほど申し上げましたように、あくまでも内閣総理大臣は議院内閣制のもとでの内閣の首長、内閣の代表者でありますから、憲法七十二条は御案内のように内閣総理大臣は内閣を代表して行政各部を指揮監督するという構造、構成になっており、またそれを受けて内閣法六条も、「内閣総理大臣は、閣議にかけて決定した方針に基いて、行政各部を指揮監督する。」というようになっております。したがいまして、大統領制とは異なりまして、そういう合議体である内閣の意思を離れて内閣総理大臣が自由自在に行政各部を指揮できるということにはならないということであります。
それから、ちょっと飛ばしますが、二十七ページに、これも最近御議論がございます、先般も簗瀬先生から問題の御指摘があったというふうに承知をしておりますけれども、憲法改正原案を政府が提出できるかという問題。
これは、発議権のある国会の議員が提出できることはもう当然でありますけれども、これに対しまして、政府は憲法改正原案といえども提出することはできないんだという学説がございます。しかし、これに対しまして政府といたしましては、ここにるる答弁を引いておりますように、内閣としても原案を国会にお示しすることはできるということで一貫しております。
その理由は、もちろん内閣が憲法改正原案を仮に国会にお示ししたとしても、そのことによって、その発議のための国会の憲法改正に係る自由な審議が妨げられるというふうな性格のものではないからということであろうかというふうに思っております。
それから、ちょっと時間が残り少なくなりましたので、申しわけありません。
三十ページ以下が司法であります。
司法につきましては、特に重要なことは三十一ページの(2)あるいは三十三ページの(3)にあります裁判所の違憲立法審査権、それとの関係で、統治行為論ということでございます。
これも釈迦に説法でございますけれども、既に司法判断が確立をしておりまして、裁判所は具体的な争訟が存在しないと裁判はしない、抽象的な違憲立法審査はしない、それから高度に政治的な問題については、これは政治的に決着されるべきであって、必ずしも司法判断になじまないという立場で一貫をしております。それだけに、私どもとしましても、日常の行政活動、あるいは政府が国会に提出する法案の内容が間違っても憲法に違反するというようなことにならないように、内閣法制局、特に憲法問題については十分に慎重に検討を重ねて意見を申し述べてきているということでございます。
それから最後に、地方自治について一言申し上げたいと思います。一番最後の三十六ページであります。
これは、先ほど申し上げました憲法六十五条の「行政権は、内閣に属する。」ということとの関係で、地方の行政は一体どうなるのかという議論でございます。
ここに平成八年の大森政府委員答弁を掲げておりますが、そのアンダーラインを引いた部分ですが、「行政権は原則として内閣に属するんだ。逆に言いますと、地方公共団体に属する地方行政執行権を除いた意味における行政の主体は、最高行政機関としては内閣である、それが三権分立の一翼を担うんだという意味に解されております。」ということであります。
極めて当然であろうかと思いますが、地方自治体が地方自治体として執行している行政、これは内閣としては責任の負いようもないわけですから、憲法六十五条に言う「行政」の範疇には含まれない。このころはまだ平成八年でございまして、地方分権一括法が施行される前でありますから、地方においても機関委任事務、国の事務を実施している、国から委任されて行っているという部分がありました。それは地方自治体の事務ではなくて国の事務ですけれども、その余の、当時ですと団体委任事務と言い、それからもう一つは自治事務と言っていたのでしょうか、それらの事務は国の行政ではないということを明らかにしたものでありますし、今、機関委任事務の制度は廃止されておりますので、自治体の事務はすべて憲法六十五条とは直接には関係がないと。
ただ、注意を要する点は、今の自治事務にしても法定受託事務にいたしましても、地方自治法その他で国が一定の関与をできるということを書いております。その関与をするということは、これはもとより国の仕事でありますから、地方自治体が言葉は悪いのですが余り適当でないあるいは法律に反するような行政をやっている、それに対して何らかの関与、例えば指導であるとか場合によっては勧告であるとか、さらには中止を命令するというような権限が、仮に国に与えられている、まあ与えられているわけですけれども、与えられているにもかかわらずそれを目をつぶって放置していた、その結果として違法な自治事務が行われたというような場合には、もちろん国にも責任があるということになるということであろうと思います。
ちょうど時間のようでありますので、大変雑駁でありましたけれども、以上で私の説明を終わらせていただきます。
ありがとうございました。
○会長(上杉光弘君) ありがとうございました。
以上で説明の聴取は終わりました。
これより質疑に入ります。
質疑のある方は順次御発言願います。久世公堯君。
○久世公堯君 自由民主党の久世でございます。
ただいまは内閣法制局が憲法を初めとする法令の解釈を行う立場について触れられた後、国会、内閣、裁判所等に係る憲法解釈について御説明がありました。どうもありがとうございました。
我々が憲法を議論する際には、必ず個々の条文の解釈が問題であります。これは、現行憲法がその制定の経緯においていわゆるGHQ案が基本になったために、その背景となる思想がわかりづらいということもあり、また憲法の規定の仕方が概括的、抽象的であることにも起因するものであると思いますけれども、それにしても国の根幹にかかわる部分ですら憲法学者の間で通説とか少数説とか、いろいろあるような状況でございます。
私は、憲法はだれが有権的に解釈するのかという点について常々考えてまいりました。そして、ただいまお聞きいたしました内閣法制局の憲法に係る解釈は、あくまでも政府としての解釈ということであり、またその政府の解釈が国会や裁判所の裁判の解釈に優越するものでないこともこれまた当然のことと受けとめた次第でございます。
このような憲法解釈についての内閣法制局の立場を前提として、以下三点に絞ってお尋ねをいたします。
まず第一は、政治的リーダーシップと国会及び内閣との関連について伺います。
最近は、国民の価値観が多様化し、社会経済情勢が大きく変化する中で、過去の実例だけを参考に国のかじ取りを行うのは大変難しい時代になってまいりました。そういう状況のもとにおいては、国の基本となる政策は官僚に任せておくのではなく、政治家が主導権を持って、みずからの責任を持って決めることが大事であると思います。その意味で、国会の役割というものはますます高まっていると言ってもよいと思います。
そこで、国権の最高機関である国会がその意思を表明するものである国会決議、今国会でもいろいろと具体的な問題について論じられておりますけれども、国会決議は大変に重いものがあると考えております。この国会決議の法的な意義についてどのように認識しておられるか、お尋ねをいたします。
政治主導の問題で最も重要なのは、内閣における内閣総理大臣のリーダーシップの問題です。昨今の我が国をめぐる内外の諸情勢は予断を許さないものがあります。特に、過去に前例のないような案件で高度な政治判断が求められるような場面や、有事、大規模災害などの緊急事態が発生したときなどでは首相のリーダーシップの発揮がぜひとも必要であると考えます。
ところが、我が国の憲法では、国の行政権は合議体である内閣が担うことになっており、首相が一人で行政権を担うアメリカの大統領制とは基本的に異なるわけでございます。先ほど申し上げましたような場面におきまして政府が迅速かつ的確に対応できなければ、国として重大な事態に立ち至らないとも限りません。一月六日の行政改革で首相の権限と内閣機能が大幅に強化され、首相の発議権の行使等の改革が行われました。この改革で一歩前進はいたしましたが、この点を含めて、現行憲法におきましては、かかる場面に迅速に対応できるよう首相のリーダーシップが十分に発揮できる仕組みがとれるでしょうか。あわせてお尋ねをいたします。
なお、ただいまの点に関連をいたしまして、閣僚がみずからの政治的信条を述べたことに対して、しばしば閣内不統一との批判や指摘を受けることがありますが、閣内不統一と呼ぶべき問題が生ずるのは正確には一体どのような場面なのか、お尋ねをしたいと思います。
第二番目に、今の質問にやや関連をいたしますが、首相公選制についてお尋ねをいたします。
小泉総理は、国民の政治参加の道を広げることの重要性から、国会議員の推薦を受けて広く国民の中から首相を選ぶ仕組み、いわゆる首相公選制と言われているものですが、これを提唱されており、有識者から成る懇談会を立ち上げて国民に具体案を提示したいと言われております。この首相公選制は、昭和三十年代に活動した政府の憲法調査会、私はここに二年間勤務をしたわけでございますが、そこでも活発に議論をされました。当時、若き日の中曽根康弘元総理が、大統領型の首相公選制を唱えられたことをきのうのように思い出しております。もとより、首相公選制を導入するためには憲法を改正しなければならないでしょうが、単に首相を国民から直接選ぶ規定を置けば済むという問題ではなく、現行憲法下の議院内閣制を大きく変えることになると思われますが、この点はいかがお考えでございましょうか。
最後に、第三に、司法制度改革、なかんずく国民の司法参加についてお尋ねをいたします。
現在、政府に置かれております司法制度改革審議会においては、今月の中旬、たしか六月十二日と聞いておりますが、司法のさまざまな分野における制度改革を盛り込んだ最終報告が取りまとめられる予定と聞いております。この司法制度改革の検討の中では国民の司法参加を進めることが重要な柱になっているようですが、そのために裁判官のほかに一般国民である裁判員を裁判に関与させる、いわゆる参審制の導入が提唱されているとのことであります。これは、いわば素人が参加した法廷で裁かれるということであり、憲法では「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。」と規定をされておりますが、憲法上問題はないでしょうか。お尋ねをいたします。
また、このことと関連をいたしまして、司法については公正な裁判を実現するための独立性の保障など、国民主権との関係では国会や内閣と異なる要求があると考えますが、いかがお考えでございましょうか。
以上三点について、お尋ねをいたしたいと思います。
○参考人(阪田雅裕君) 今、たしか五点お尋ねがあったかと思いますが、まず私の方から説明をさせていただきます。
第一点は、国会決議の法的な意義ということでございます。
一般論として申し上げますと、いわゆる国会決議はそういう形で行われる議院の意思表示でございます。国政の諸般の事項に関して、政府に対して国会としての要望等を行うために行われてきているものというふうに承知しております。
国会決議がなされた場合に、政府としては議院の意思として示された決議の趣旨、これを十分に尊重して行政を遂行する責務を有するということは当然であろうかと思いますが、ただ、国会決議には法的な意味での拘束力まであるかと言われると、そこは否定的たらざるを得ません。
仮に国会が内閣を法的に拘束しようとされるのでございますれば、法律の形式でその意思を確定する必要があるわけですし、事柄によろうかと思いますが、中には例えば憲法解釈のような問題であっても、立法を通じて国会のお考えを明らかにされるということが可能なものもあるのではないかというふうに考えております。
それから、二番目の総理のリーダーシップの点でありますけれども、これも先ほども申し上げましたように、我が国の総理は議院内閣制のもとでは合議体たる内閣の代表者という立場を超えることはできないわけでございますから、独任制の大統領などとは違ってその権限におのずから限界があるというのはやむを得ないものだと思っております。
ただ、御指摘がありましたように、今般の中央省庁改革とあわせて行われました内閣法の改正によりまして、これは多分に確認的だというふうに考えておりますけれども、閣議の主宰者としての首相の発議権というのを内閣法上明記いたしました。それからまた、特定された事項につきましては、あらかじめ閣議にかけて内閣としての基本方針を定めておくという方法によりまして、そういう事態が発生した場合の個々具体的な措置につきましては総理が臨機に指揮監督するということも可能であろうかと思います。現に、例えば重大テロ事件等の発生時の初動措置に関しましては既に基本方針が閣議決定をされております。これに基づきまして、そういう事態が発生した場合は内閣総理大臣が指揮監督できるという体制を整えているところであります。
なお、総理は、指揮監督権の行使というそういう法的な枠組みでなくても、行政各部に対して指導とか助言といったような形で指示をなさるということはできるわけでございます。高度に政治的な決断を要するとか、あるいは非常に緊急を要するといったような場合には、必要に応じてそのような指示により対処するということも可能であろうかというふうに思っております。もちろん、これは事実上のものであります。
それから、閣内不統一のお話。これは、憲法六十六条三項が先ほど言いましたように内閣の国会に対する連帯責任を規定しているということとの関係で問題になるものであろうかと思います。したがいまして、国務大臣でありましても、一政治家あるいは政党の一員としての立場から個人的見解をお述べになるということがあっても、それは国務大臣の立場では内閣の方針に従うということであります以上、直ちにいわゆる閣内不統一の問題が生ずるということはない。これに対しまして、仮に国務大臣の立場で明らかにその内閣の一体性を損なうような言動をとるというような場合は、いわゆる閣内不統一の問題を生ずるものと考えられます。
どういう場合がそうかというのは、もう本当にケース・バイ・ケースとしか言いようがないわけですけれども、政府は従来から、国務大臣が一政治家あるいは政党の一員としての立場で見解を述べる場合には、国務大臣としての発言ではないかというふうに誤解されることがないよう十分に慎重に対処する必要があるということは述べてきているところであります。
それから、首相公選制でありますけれども、これも先ほど申し上げましたように、首相を国民の投票によって選ぶという仕組みとするためには憲法改正が必要なことは言うまでもないわけでありますが、その際、少なくとも、総理を国会が議決して指名するんだということを決めております憲法六十七条、それからこの指名を前提として天皇が任命することになっております六条一項、これの改正が必要なことは当然でありますけれども、それ以外はちょっと、具体的な仕組みがどうなるかということをまたないと何とも言えない。
ただ、法律上の論点といたしましては、例えば行政権の主体を、今、内閣でありますが、これを引き続き内閣制度ということでやるのか、そうではなくて独任制の首相ということにするのかとか、それから国会との関係、特に不信任議決ができることにするのか、あるいは国会を解散することができるのかとか、それからリコールの制度を設けるか、あるいは首相が欠けるという事態になったときにどのように対処するかといったような問題があるのではないかというふうに考えております。
○参考人(横畠裕介君) 司法の分野についてお答えいたします。
まず、国民主権と司法というお尋ねでございましたけれども、御指摘のとおり司法と申しますのは、国会や政府のようないわゆる政治部門が基本的には多数決原理によって主権者である国民の意思を国政に反映させようとするものとはやや趣を異にいたしまして、やはり個別の事件における法適用を通じて、少数者の権利保護などを含みます法の支配あるいは法による正義を実現するということにその本質的な役割があると言われております。
そのため、憲法におきましては、裁判官の独立を厚く保障するほか、いわゆる司法権の独立を確保するということに特段の配慮をするとともに、さらに違憲立法審査権も与えているという状況にございます。
もとより、裁判官は憲法及び法律に拘束されるものでありますけれども、さらに国民主権の観点から司法権のいわゆる正統性を担保するための制度といたしまして、内閣による裁判官の任命、最高裁判所裁判官の国民審査、さらには国会による弾劾裁判の制度といったようなものを設けているものと理解しております。
さらに、いわゆる国民の司法参加の点でございますけれども、現在、種々の場面で議論が行われているものと承知しております。司法と国民の関係をより密接なものにするという観点で、非常に意義があるものと理解しております。
なお、憲法は、御指摘のように国民に裁判を受ける権利を保障するとともに、裁判所については基本的に、先ほども申し上げたような趣旨から独立性が保障され、中立、公正性が担保された法律の専門家である裁判官というものを基本的に想定しているというふうにも見えることから、学説上は若干見解が分かれております。したがいまして、そのような国民参加の制度を具体的に設計する段階におきましては、やはりその参加の態様でありますとか与える権限等について詰めた検討が必要ではなかろうかと考えております。
○久世公堯君 どうもありがとうございました。
最後になりましたけれども、憲法が制定されましてから半世紀以上たつ今日、我が国の内外を取り巻く諸情勢は憲法制定時と比べて大きくさま変わりをしており、社会のさまざまな分野でいろいろなひずみが生じております。
憲法が改正されずに今日まで来た、このことについては政治的なさまざまな要因があったこともまた事実でしょうが、やはり憲法自身がその改正手続を定めた第九十六条の要件が余りにも厳し過ぎるのではないかという意見があることも事実でございます。
本調査会のこれからの検討に当たっては、この点にも留意すべきではないかということを申し上げまして、私の質問を終わりたいと思います。
お答えは結構でございます。
○会長(上杉光弘君) 次に、江田五月君。
○江田五月君 お忙しいところをありがとうございます。
内閣法制局の皆さんが七十六人という体制で大変な仕事をしておられるということに感謝をまず申し上げます。
さまざまな論点についてこれまでの政府の答弁の紹介、その解説、これをいただきました。それぞれにつき、なお議論を深めなきゃならぬところもたくさんあるし、またいろんな別の角度からあるいは反論、これもいろいろあるかと思いますが、そういうものを文献などを見てわかるものをここでいろいろ述べても仕方がないんで、もっと違った角度の問題を提供してみたいと思うんです。
まず、この間五十四年間ですか、日本国憲法体制を振り返ってみますと、内閣法制局の存在意義あるいは果たしてきた役割、これが本来の設置目的からすれば随分過大な責任、あるいは過大な役割を果たしたのではないかと、こう多くの人が指摘もしておりますし、私もそう思う点もございます。憲法解釈、これは憲法によれば、最高裁判所が、八十一条でしたね、「決定する権限を有する終審裁判所である。」と、こういう言い方になっておりますが、しかし今も御説明あったとおり、具体的な事件、争訟でなければ判断をしない、さらにまた、ほかの論点で勝負をつけることができるならあえて憲法にまで踏み込まないとか、あるいは統治行為論、政治問題論、そういうようなことで憲法解釈を回避する、そういう傾向から最高裁にこの判断をお願いすることができない。
そこで、かわってといいますか、法制局がこの憲法解釈を示して立法の際に意見を述べられる、それがもう現実には最終的な憲法解釈、有権的な憲法解釈となってしまっておって、皆さんからすると、そうせざるを得ないからしているのであって、決して望んでやっているんじゃないんだということかもしれませんが、随分大きな役割を果たされて、これでいいのかな、そういう声があるんですが、当の法制局自身はどういうふうにとらえておられますか。
○参考人(阪田雅裕君) もう江田先生、十分おわかりいただいた上でのお話でありますので、何とも申し上げようがないわけでありますけれども、先ほど申し上げましたように、決して裁判所にかわってでもなければ、また国会にかわってでもないわけであります。物によっては、もちろん国会にお示しすることなく行政府限りで処理することについての憲法適合性を判断せざるを得ないということもありますけれども、しばしばは、特に多くの場合は、立法のプロセスで憲法解釈を前提としてそれを国会にお示ししているということでありますので、まず国会においてもそういう政府の憲法解釈に問題がないかということを一つは十分に御議論をいただきたいというふうにいつも考えております。
それから、裁判所がもっとやるべきであるとかやるべきでないとかというようなこともまた私どもはとても申し上げられるような立場ではないのでありまして、ただ心がけておりますことは、仮に裁判所が政府の行為あるいは立法を何らかのきっかけで裁かれる、憲法適合性を判断されるということになったとしても、決して違憲であるというふうな判断がされることのないような憲法解釈をということを心がけているということでございます。
○江田五月君 さらに、もう少し突っ込んで伺いたいんですが、八十一条で最高裁判所が法令等の憲法適合性を決定する権能を有する終審裁判所だと。これはなぜ一体、他の争点で解決できればそっちで処理するとか、あるいは統治行為論とかがあると、それはいいとして、なぜ具体的事件でなければ憲法判断できないということになるんですか。
○参考人(横畠裕介君) それはかつても随分議論のあったところと承知しておりますけれども、これは憲法の章立てを見ていただきますと、国会、内閣、司法という章立てになっております。なぜ裁判所ではないのかという御指摘があるわけですけれども、やはり司法というのは一つの機能でありまして、具体的な事件、法律争訟を法律を適用して解決するというところにその本質があるというふうに言われております。その限りの司法裁判所に違憲立法審査権を与えたというのがその八十一条の趣旨であると解されておりまして、最高裁の判例にもありますけれども、司法のいわば内在的な制約であるというふうに言われております。
別の……
○江田五月君 多少やりとりをしたいものですから、短くお答えいただきたいんですが。
そうすると、司法という権限の持っている内在的な制約、司法の本質からしてそうなるんだということですね。諸外国には憲法裁判所というものがあって、抽象的な争点、これを判断するというシステムもあるわけで、その場合の憲法裁判所というのは司法としての機能ではないということになりますか。
○参考人(横畠裕介君) 御指摘のとおりだろうと思います。いわゆる司法裁判所とは別に憲法裁判所という組織をつくるというのが憲法裁判所を設ける場合の一般的な方法ではないかと思われます。
○江田五月君 そうすると、その憲法裁判所で行う司法ではない機能というのは、いわゆる控除説という説によりますと、行政の機能だということになりますか。
○参考人(横畠裕介君) いわゆる三権分立と言われるのが原則でありますけれども、第四権という比喩的な言い方をされる場合もございます。国によりましてその憲法裁判所にいかなる権限を付与するかというのは、基本的な憲法問題、国権のまさに分配の問題であろうかと思います。
例えば、連邦制等の場合におきまして州と連邦との間の権限争議を解決する機能でありますとか、あるいは大統領制で大統領府と議会との間での見解の対立、相違がある場合にそれをいわば裁定するというような特別な役割でありますとか、もとより個々の国民から権利救済を求めるというものを受け付ける制度もございますが、いわゆる具体的な事件の司法的解決というものとは別建ての、別個の権限というふうに通常は理解されているものと思います。
○江田五月君 我が国の憲法の場合に、三権をそれぞれ規定しております。立法と国会と規定しているわけですが、それと内閣と司法と書いておる。
その司法の規定の中に最高裁判所の権限があって、そこに終審裁判所だという規定があるわけですが、今の第四権といいますか、抽象的に憲法適合性を判断する機関をどこか別につくるということは、これは憲法ではこういうシステムになっていますが、憲法に触れていない部分ですから、そういう憲法裁判所は憲法改正によらなくてもつくれるということになりますか。
○参考人(横畠裕介君) 現憲法の最高裁判所の役割はあくまでも司法権の帰属主体、司法権をつかさどる機関として設けられているというふうに理解されておりまして、それを越える第四権に相当する特別の権限を現在の憲法のままで最高裁判所あるいは下級裁判所に与えるというのはなかなか難しいのではないかと言われていると承知しています。
○江田五月君 私が言ったのはそうではなくて、今の最高裁判所と別に、司法権をつかさどる機関ではない憲法裁判所、あるいはもちろん裁判所と言わなくてもいいんですよ、というものをつくる。それで、今の内閣法制局が現実に行っている機能を別のところへ移すということは可能かということですが、それは結構です。
次に行きたいと思います。
閣内不統一というような話がさっきちょっとありました。内閣は国会に対して連帯して責任を負うと。したがって、これは多数決じゃなくて全会一致でなきゃいけなくてという、反対の閣僚は罷免するしかないということになって、そうするとなかなか、これは私どもも閣内不統一だなんて追及することもあるんですが、もっと内閣で自由にいろんな議論ができた方がいいという気もするので、そうしますと最後に決めるところまでは自由に議論ができる、決めたら後はもう決定されたことに従って連帯責任を負うということの方がむしろいいんじゃないかという気もするんですが、いかがでしょうか。
○参考人(阪田雅裕君) おっしゃるとおりだと思います。
全会一致というのは結論的にそうであるということでありまして、入り口ではむしろ意見を異にされる方が、それも二つの意見ではなくて三つ四つの意見があるというのが人間社会でありますから当然のことだと思います。それを閣議において議論をするプロセスにおいて収れんをさせていく。そして、最終的にはもちろん、あくまでも納得できないという国務大臣も残ることもあり得るとは思うんですが、そうではあっても内閣としてそのことを決定されれば、自分はその内閣の方針に従いますという意味での賛成を含めて全会一致であるということが慣行としてなされているというふうに承知しているわけであります。
○江田五月君 しかし、余り言うことがばらばらでどっち向いて走っているかわからぬというのでももちろん困りますから、それは時に応じ、内閣総理大臣のリーダーシップあるいは指示、そうしたものが発揮されなきゃならぬということになるんだろうと思います。
そこで、具体的な問題にひとつ入っていきたいんですが、先日、五月二十三日の夕方、小泉総理大臣がハンセン病訴訟についての熊本地裁の判決に対しては控訴をしないという決定をいたしましたと発表されました。五月二十五日の内閣総理大臣談話でも、「私は、」、これは内閣総理大臣ですが、「ハンセン病対策の歴史と、患者・元患者の皆さんが強いられてきた幾多の苦痛と苦難に思いを致し、極めて異例の判断ではありますが、敢えて控訴を行わない旨の決定をいたしました。」、こう言われておるんですね。
私はもちろんこの小泉さんの決断を大変高く評価をするんですが、内閣総理大臣の決定というのは、これは法律上、法制上どういう位置づけになるのか説明してください。
○参考人(阪田雅裕君) なかなか表現の問題でもありますので微妙な点があろうかと思いますけれども、私が承知している限りでは、控訴をするしないということの一義的な判断は、国を代表して訴訟を行っておられる法務大臣が分担管理している事務でありますから、法務大臣において一義的に判断をされるということであろうかと思います。
そして、法務大臣がその判断について、とても重要なことでありますから、これを国の方針としていいかということについては、最終的には例えば閣議にかけるという方法もありましょうが、その前に閣議の主宰者である内閣総理大臣に、内閣の代表である内閣総理大臣にこういう方針をとりたいと思うがいかがであろうかという相談をされるというようなことがあるのだろうと思います。
そのプロセスで、先ほど言いましたように総理は、閣議にかけて決定した方針がなくても、実質上いろんな助言、指導、指示等をすることができるということでありますので、そういうものとして総理も私はそういうふうに判断をしているということをおっしゃられたのかなというふうに推察しております。
○江田五月君 もう時間ですが、最後に、このハンセン病問題の熊本判決、らい予防法が遅くとも昭和三十五年には合理性を支える根拠を全く欠く状況に至っており、違憲性が明白になっていた、こういうことを言っています。これは司法の判断ですよね。司法権のその判断で、これはもちろん下級審ですが、八十一条によって与えられた最高裁の権限というものを分有しているといいますか、これはやはり内閣法制局としても、あの段階でらい予防法は違憲になったと、こういう司法の判断を尊重する、それに従うということになりますか。
○参考人(阪田雅裕君) そこは、御案内の政府声明におきましても、どの部分かでありますけれども、少なくとも立法の不作為も含んで判断をされているわけで、立法の不作為については、政府としては必ずしも同じ考えというか承服できるわけではないということを申しておりますので、私どももそこの部分についてはそう言わざるを得ないということであろうかと思います。
ただ、判決があり、それが確定したということは、そのように受けとめさせていただいております。
○江田五月君 一言だけ。
立法不作為は、三十五年に明白に憲法違反になったものを四十年以降放置したことが立法不作為だと言っているので、三十五年以降らい予防法が違憲になったということについて立法不作為を言っているんじゃないんですよね。
終わります。
○会長(上杉光弘君) 次に、魚住裕一郎君。
○魚住裕一郎君 公明党の魚住裕一郎です。
今、私も聞こうかなと思っているところを江田幹事が先行してお聞きになりましたので、引き続きその点につきましてお尋ねしたいと思います。
ハンセン病の判決を見て、国民みんなが何で数十年も、内閣法制局という大変お役所の中でも権威が高い、また最優秀の皆さんがそろっているところでほっぽらかしたのかなと。また、国会は政治的ないろんなことがあるけれども、それにしても随分長くほっぽらかしたなと国民みんなが思っていて、それで控訴断念ということで、みんなお気の毒な事案に対して拍手喝采をしているんだろうというふうに思うわけであります。
このたしか控訴断念を発表されたときの官房長官の談話の別記のところに、この立法不作為について、もちろん国賠法の事件ですけれども、こういう判断は三権分立の原則に反するんだというような趣旨のコメントがあったと思うんです。ただ、三権分立といったって、これは本来、国のもちろん大きな統治機構の骨格ではありますが、国民の人権のための、大きく言えば制度的保障という側面もあるわけですから、その人権侵害されている事案を解決するについて、人権侵害を起こさないための原理を引用するのはいかがなものかなというような気がするんですが、その点はどう理解したらいいですか。
○参考人(阪田雅裕君) 少し言いわけから先にさせていただきますと、内閣法制局は、先ほど申し上げましたようにいろんな法律問題について御意見を申し上げるというようなことをやっておりますけれども、我が国は法律が御案内のように二千本程度ございます。それらがどのように日々運用されているのか、既に要らなくなった部分があるのか、あるいは今ではむしろ邪魔になっているようなものがあるのかというようなこと、それを法制局が逐一チェックできるということではとてもないわけであります。
したがいまして、各省からいろんな現にある法律あるいは新しくつくろうとしている法律について御相談があれば、それに対していろんな意見を申し上げるというような立場でありますから、らい予防法の存在を知らなかったとは申しませんけれども、それが今どのように運用されていて、また、今やもう早急に廃止されるべき状態であるような法律であるということについての知見といいますか知識みたいなものを全く私どもは持ち合わせ得ない。これは体制として、そういうふうに向こうから御相談があれば持ち得る状態になるわけですけれども、ない限り持ち合わせ得ないものであるということを御理解いただきたいと思います。
それから、今御指摘の官房長官談話にあった三権分立云々の部分ですけれども、そこはちょっと私ども関与しておりませんので余り確たることは申し上げかねるわけでありますが、たしか最高裁の判例では、国会というのは個々の国民に対して直接責任を負うということではなくて、非常にいろんな意見のある国民の意見をいわば集約して、それを大きな目で国会の場で立法というような形で実現していくという責任を負っている機関であるということを前提にいたしまして、したがって立法について違法であると言われるためには、ちょっと言葉は正確に覚えていないんですが、明白に憲法の規定に故意に違反するというような場合はともかくというような言い方で違法性、違法であるという場合を局限していると思うのですね。
それに対しまして、今回の熊本地裁のハンセン病訴訟の判決は、この最高裁のかつての判決とは相当違う、むしろ非常に広く立法の不作為という場面をとらまえている。そこを多分、立法権と司法権が別々の権能としてそれぞれ機能しているという憲法の前提に反するのではないかというような意識で問題を指摘されたものだというふうに承知しております。
○魚住裕一郎君 法制局としてのお役所の忙しさといいますか、言いわけというふうに前半部分は承知いたしましたけれども、ただ、これは現状がどうなっているかはわかりませんよみたいな、そういうようなことだけでは済まないだろうというふうに思うんですね。やはり法令審査事務を中心にして大変お忙しい中で全部取り仕切るというか、そういうことはできない。だが、一方で司法裁判所としては、具体的に争訟性を持った案件の中でしか対応できないということになりますと、物すごく国民からしてみるともどかしいといいますか、ではどこで今のこの、厚生省もほっぽらかした、国会もほっぽらかしたという状況の中でだれが救ってくれるのというような思いになるんだろうと思うんですね。
先月に法務省の人権救済制度に関する答申があったと思うんですけれども、あれは国連の決議等であったパリ原則を踏まえて人権に対する救済あるいは政策提言とか意見の陳述とか、いろんなことを本来やるべきだ。ただ、あの答申の中身は救済制度を中心にやったものですけれども、例えば憲法の状況、特に人権という部分について、先ほど江田幹事のおっしゃった、あるいはお話の中にもありました第四権的なものをこれは設けても、内閣法制局としてもその方が、知見できない部分がいっぱいありますから、その方がより日本の人権状況についてはそっちの方がいいですよと、第四権をつくってもらった方がいいですよという御理解でいいですか。
○参考人(阪田雅裕君) そこは本当に立法政策の問題でありますので、ちょっと私どもその是非をコメントするという立場にはないということでお許しいただきたいと思います。
○魚住裕一郎君 終わります。
○会長(上杉光弘君) 次に、吉川春子君。
○吉川春子君 幾つかお伺いしますので、端的にお答えいただければと思います。
まず、日本国憲法は、国家権力を近代憲法の原則に沿った三権分立制を採用して、また国会との関係では議院内閣制を採用しています。
国会は国権の最高機関とされているわけですけれども、法制局提出の資料によると、中曽根元総理は、三権が調和をとりつつ行われている、国会は国民が選んだ議員から構成されている、そういう意味において、主権在民の国家においては民意を代表する直接機関である意味において、政治的に非常に重要な地位にある云々と。最高機関という言葉は使われているが、実定法上の権限の分配という面を見ると、バランスがとれている形で行われているとあるんですが、この三権がバランスをとれているという意味について具体的に伺います。
第二点は、仮に首相公選制をとれば、この国会の最高機関性というのはどうなるでしょうか。
それからその次は、議院内閣制についてですが、内閣総理大臣及び内閣は国会に連帯して責任を負うとしているわけですけれども、この実際上の意味はどういうことかという点ですが、閣議の全会一致の原則というのは憲法六十六条三項に合致すると法制局の見解ですが、内閣総理大臣が国務大臣の選定罷免権もあり非常に強力な権限を持っているんですけれども、これと連帯してという意味の関係、これは内閣総理大臣が暴走しないための歯どめというような意味もあるんでしょうか。
それから第三点目なんですが、衆参の関係について、国権の最高機関の国会が二院制になっていますが、福田総理はかつて深い意味で答弁されておりますけれども、両院制というのは絶妙なバランスを保っているというふうな指摘がありますが、この点についてどうお考えでしょうか。
それから、第四点目なんですけれども、今のことを総合いたしますと、憲法の国家権力機構に関する評価というか解釈なんですけれども、三権、国会と内閣、衆議院と参議院、それぞれバランスをとって行き過ぎのないように配慮されていると、国民主権という立場から見て憲法の権力機構というのはかなり配慮された制度というふうに理解していいかどうか。
それからその次に、今、ハンセンの判決の質問がありましたけれども、実は従軍慰安婦について下関でも国会の立法不作為の判決が下ったわけですけれども、このときに実は国会の方はこれを控訴するかどうかの判断は一切しなかったんですね。しなかったんです、国会には。私たちにはそのお伺いもなかったわけです、私は議運の理事をしていましたからわかりますが。そういう場合の控訴の法的な効果については、どうでしょうか。
それから最後に、法制局の法解釈、憲法解釈の基準をお示しいただきたいと思います。四点ぐらいあると聞いていますが。
以上です。よろしくどうぞ。
○参考人(阪田雅裕君) まず、三権のバランス、これは最後の方でお触れになった国家権力機構がバランスがとれているという話と多分軌を一にすることだろうと思いますけれども、何か特段申し上げることもないわけですけれども、要するに国会が国民の投票によってその議員が選任され、その議員が内閣総理大臣を選任し、選任された内閣総理大臣が内閣を組織する、そういう意味では、その限りにおいては行政府が国会にいわば基盤を持っているということでありますけれども、しかし、内閣総理大臣は、場合によっては衆議院を解散することができるという意味で、国会と行政府とのチェック・アンド・バランスといいますか、力の均衡がある程度保たれる仕組みになっている。
それから、裁判所につきましては、これは最高裁の判事、長官を内閣が任命等するわけでありますけれども、しかし、その裁判所は非常に抑制的にはやっておられますけれども、憲法上、違憲立法の審査ができるということで、国会に対して、あるいは行政の立法行為ですね、政令あるいは行政のいろんな処分の適法性、憲法適合性あるいは法律適合性というものを審査できるという意味でそれぞれバランスがとれているというような趣旨であろうかと思います。
それから、連帯責任、六十六条三項の連帯責任でありますけれども、これは内閣総理大臣が国務大臣を選任、罷免できるのにというお話でありますけれども、やっぱり内閣が合議体であるという組織、その組織から当然出てくるものだと思います。合議体であるのに一部の人しかその責任を負わない、反対した人は一切責任を負わないというのでは、これは合議体として機能しないという判断であろうかというふうに思っております。
それから、衆議院と参議院の関係については、政府がとやかく申し上げるということはないのですけれども、一般的には抑制、補完、均衡と。参議院は、衆議院に対して解散もなく長期的な視野で物事を詰めて考えることができる、それから時の政権と一歩距離を置いた目で物事を見られるというようなことがよく言われていることであろうかというふうに思っております。
○参考人(横畠裕介君) 訴訟についての対応についてのお尋ねがございました。
国の利害に関係のある訴訟についての法務大臣の権限等に関する法律というのがございまして、国が当事者等である場合には法務大臣が国を代表するという規定がございます。
○吉川春子君 制度はわかっておりますので。
○参考人(横畠裕介君) その限りにおきましてその訴訟対応といいますのは、例えば国家賠償法のいわゆる原因行為、原因事由が国会にあるといたしましても、訴訟の対応というのはやはり行政事務として法務大臣が処理するという、そういう仕組みになっているのではないかと理解しております。
その限りで控訴するしないというものは、この法律に従いまして法務大臣の権限とされておりまして、特段その意見を聞かなければいけない、それがまた効力要件であるというふうには規定されていないのではないかと思います。
○会長(上杉光弘君) 吉川春子君、時間が参っております。
○吉川春子君 首相公選制と最高機関性の問題がちょっと抜けていたと思います。
それと、憲法と法律の解釈基準についてもお答えください。
○参考人(阪田雅裕君) 今、憲法四十一条で国会は国権の最高機関であると。これはどういう意味かということについてはいろんな学説があるというふうに承知をしておりますけれども、最も典型的には、やっぱり国会議員が国民主権というもとで主権者たる国民に直接選ばれてその地位を占めているという、そこにこの国権の最高機関という意味があるんだというのが有力な説であろうかと思います。
そういう意味では、最高機関として特に法的に何がということはないというのが普通の理解でありますけれども、首相公選、首相が直接国会議員と同じように国民の投票によって選ばれるということになりますと、首相もまた国民とは非常に近い存在になる。そういう意味では、首相の地位というのは相対的には、今四十一条が国権の最高機関と呼んでいるような意味においては首相の地位というのは高くなるというふうに考えていいのではないかと思います。
それから、憲法解釈の基準ということでありますけれども、これは私ども憲法に限らないわけですけれども、法律を解釈するときも、その規定の文言、趣旨、それから立案者の意図あるいは立法されたときの客観的な社会事情といったようなものをいろいろ検討し、そして要するに論理的に結論を導くというふうな作業をしているということであると考えております。
○吉川春子君 時間ですので、終わります。
○会長(上杉光弘君) 大脇雅子君。
○大脇雅子君 社会民主党の大脇でございます。
私は、ことしの五月十一日に原告が百二十七名で熊本地裁で判決が出されましたハンセン病の国家賠償請求事件に関連して、疑問点をちょっと教えていただきたいと思いまして、お尋ねをいたします。
この判決は、まず厚生省、国の責任を認めまして、新法の改廃に向けた諸手続を進めることを含む隔離政策の抜本的な変換を行ったものと評価できないというところに国家賠償法の一つの責任を示しまして、そしてまた国会の立法不作為の責任に関しましても、遅くとも昭和三十五年と国には言い、四十年というふうに時間を設定している。
その根拠を、判決を見てみますと、まず昭和三十五年にはその新法の隔離規定の違憲性は明白になっていたのであるが、このことに加え、新法の附帯決議が、近い将来新法の改正を期するとしており、この制定当時から新法の隔離規定を見直すべきことが予定されていたというふうに書いてあります。その附帯決議というものが内閣等に及ぼす法律的な効果あるいは法的な性質というものはどのように解したらいいのかということであります。
もう一つ、このハンセン病に関する請願一覧表というものを私は調べましたところ、もう既に昭和四十一年にハンセン氏病患者が国の強制隔離政策により受けた損失の補償等に関する請願というものがございまして、実はこれが採択をされておりまして、昭和四十二年、四十七年、すべて強制隔離政策による損失補償等に関する請願が採択をされているわけであります。
憲法は十六条によって請願権というものを規定しておりまして、「何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。」というふうに書かれているわけであります。
明治憲法におきましても請願の権利はございますけれども、「日本臣民ハ相当ノ敬礼ヲ守リ別ニ定ムル所ノ規程ニ従ヒ請願ヲ為スコトヲ得」と書いてありますので、請願権というものは非常に重い性格を持つものじゃないかと思いますが、これの法的な解釈をお伺いいたしたいと思います。
そして、請願が採択された場合に、内閣及び所管庁に対する責任というものをどういうふうに解釈したらよろしいのかということであります。
第三点は、請願法というのがございまして、これは昭和二十二年につくられておりますが、請願書は、請願の事項を所轄する官公署にこれを提出しなければならないというふうに書いてありまして、請願の事項を所轄する官公署が明らかでないときあるいは誤ったときには正当な官公署にこの請願書が送付されなければならないというふうに書かれております。
これを見る限りは、国会に対する請願と別に請願の事項を所轄する官公署にこれを提出しなければならないというふうに言われておりますが、従来、省庁では陳情の受け付けというのは広く行われておりますが、陳情と異なる請願法に言う請願というものがあるのかなと実は不思議に思っておりまして、この請願法によりますと、請願の処理は官公署においてこれを受理し誠実に処理しなければならない。
一般の国民の方は、要請文として出しても、それの結果が全く公開されないで、戻ってこないということに対する文句といいますか苦情というものを私は受けることがございまして、確かにおかしいなということが第三点であります。
第四は、先ほど内閣法制局は現実のさまざまなことがわからないとおっしゃったんですが、附帯決議とかあるいは請願というのは、内閣法制局に回付されてそこで徹底的に憲法上の問題その他まさに法令の整合性の問題等やられなければいけないのではないか。驚くことに、政令が五百件余り審理されている大変なお仕事だということになりますと、法の執行について、それらは非常に不可欠ではないかというふうに思いますが、この点についてお尋ねをしたいと思います。
○参考人(阪田雅裕君) お答え申し上げます。
最初の御質問は、国会の委員会の附帯決議の法的効果ということであったかと思います。
一般論としてしか申し上げられないんですけれども、附帯決議につきましては、通常、政府側の責任者、一般的には大臣であろうかと思いますが、その委員会の場で、これを尊重しますというような趣旨のことを申し上げているというふうに承知しております。したがいまして、政府としましては、そうやって大臣が約束をした以上、誠実に履行する責任があるということは言うまでもないことであります。そしてまた、国会における先ほど申し上げました行政監督の一環として、委員会等が政府に対して附帯決議に対する対応の状況を報告せよというふうにお求めになるということもできるというふうには思っております。
ただ、附帯決議そのものに一定の法的効果があるか、あるいは与えられるかということになりますと、これはまさに立法に際して付されるのが通常でありますから、もしそういうことが必要であるとすれば、法律の場合によっては附則であるとかあるいは本則でそのようなことを書き込まれる。例えば、法律の新法の制定を速やかに図るという先ほどのお話のような事柄が法律の附則に書かれていることも間々ございますので、そういう措置をとられるのが適当かなというふうに思っております。
それから、請願でありますけれども、これも実務については余り私ども詳しくはないのですが、憲法十六条の請願権はあくまでも国、地方公共団体の機関、すなわち官公署にその職務に関する事項について希望を述べるという性格のものでありまして、訴訟であるとかあるいは不服審査のような権利救済のための法的手段とはやっぱり趣を異にしているということであると思います。請願法、国会法七十九条等にその請願の具体的な手続等が規定されておるわけであります。
お尋ねのありました請願法三条は、これは請願法の一条に「請願については、別に法律の定める場合を除いては、この法律の定めるところによる。」という、この別の法律に国会法やあるいは地方自治法のようなものがある。それで、国会への請願というのは、この請願法に基づく請願としてではなくて国会法に基づく請願としてなされているんだろうというふうに理解をしております。
ただ、国会で採択されました請願、これは議決された請願と理解してよろしいわけですね。採択されました請願は内閣に対して回付されるわけでございますので、この送付を受けた内閣は、請願法の第五条の趣旨、請願法そのものの適用があるかどうかよくわかりませんけれども、この五条の趣旨に沿って官公署においてこれを受理し誠実に処理する、すなわちその中身を十分に検討していかなる措置がとれるか、あるいはとるべきかといったことを検討するという責任を当然に負うものというふうに考えております。そしてまた、国会法の規定に基づいて採択されました請願につきましては、内閣はその処理の経過を国会に対して報告するということが国会法でたしか定められているというふうに理解をしております。
それから最後の、附帯決議や請願を審査するべきかということにつきましては、これ自体が法的な意味を持つものではありませんので、これも立法政策の問題でありますけれども、今の法制局の仕事とはちょっと、この請願等の処理あるいは附帯決議のウオッチングというんですか、というのは性格を異にするのかなと。むしろ、今は何というんでしょうか、昔であれば行政監察局ですか、ああいったところでフォローアップをされるというようなことが、もし必要があればより適当なのかなというふうな気がいたしております。
○大脇雅子君 ありがとうございました。
○会長(上杉光弘君) 平野貞夫君。
○平野貞夫君 内閣法制局の役割として最初に御説明のあった話の中で、法律問題に関し内閣並びに内閣総理大臣及び各省大臣に対し意見を述べることというお話がありました。そこの説明で、リーガルアドバイザーということで相談に応じて意見を述べるという趣旨のお話があったんですが、相談がなくても、致命的にこれはいろいろ問題があるという、積極的に意見を述べることもできるんですか。
○参考人(阪田雅裕君) 設置法上は当然にできるというふうに私どもは思っております。
ただ、なかなか明白におかしいというふうに気がつくようなことがとても少ないものですから、ほとんどそういうことはないというのが実態であります。
○平野貞夫君 ちょうだいした資料の中に、村山総理大臣の国民主権に対する話の中に、「国民が主権者としての権利を行使することを保障する制度として、憲法は二つのことがある」と。「一つは、普通選挙の保障」、これは制度的に保障されていますが、「二つ目は、憲法の第九十六条で憲法改正に当たって国民投票制度というのがありますが、その投票する権利が保障されておるというふうに私は考えています。」と。
大変立派な発言をされていますが、これは内閣法制局として御異議はございませんね。このとおりでございますね。
○参考人(阪田雅裕君) そのとおりであります。
○平野貞夫君 これからちょっと意地悪な質問になるんですが、先ほど来、ハンセン病の判決があったんですが、立法権の不作為という話で、これが非常に問題、話題になっているわけでございますが、この村山総理が言った二つ目の憲法改正に当たっての国民投票制度の投票する権利を保障する制度はつくられておりませんね。
○参考人(阪田雅裕君) 御指摘のとおりだと思います。
○平野貞夫君 これは憲法の欠陥といいますか、あるいは憲法体系の欠陥と見ていいですか。
○参考人(阪田雅裕君) 欠陥であるというようなことはちょっと申し上げられないんですけれども、現実に憲法改正を今直ちにやろうということになりますと、手続が整備されていないという事実はあるというふうに申し上げられると思います。
○平野貞夫君 私は、これほど立法権の不作為行為はないと思うんですよ。憲法改正手続の規定があって、本来は憲法制定と同時につくるべきだった、こう思っていますが、この意見に対してどうでございましょうか。
○参考人(阪田雅裕君) 憲法改正原案の提出権が政府にもあるという前提で申し上げますと、政府としては、これは私の意見でありますけれども、憲法改正を現実の課題として取り上げる、政治課題として取り上げるという内閣が今までのところ少なくとも存在しなかった。したがって、憲法改正手続を整備しようという動機といいますかインセンティブがなかったということが政府側としては言えると思いますが、あとは国会の側でどのように御判断されたかということであろうと思います。
○平野貞夫君 部長さんとこういう議論はするつもりはございませんが、前の法制局長官の大森さんに、積極的に大きな法律問題であなたは総理大臣なり大臣に、あるいは内閣に意見を言える立場だったのに、憲法改正の手続が整備されていないということを言わなかったのはやっぱり職務に非常に怠慢だったんじゃないかという趣旨のことを一、二年前に言いましたら、そんなことではおまえら国会議員がおかしいんだということを大分言われたんですが、私はやっぱり法制局にも一環の不作為があったと思います。
これは、政治問題は日本の占領から独立へかけての大変な問題があったわけでございますから、政治問題は言いませんが、純粋な法律論として、それはやはり何といったってこれは整備しておかなければならない問題だという私の意見でこれはとめておきます。
もう一つ、ちょっと部長さんと意見の違う、憲法改正原案は内閣に提出権があるかないかということなんですが、林修三法制局長官さんなんというのは、なかなか雰囲気で物を言う人でございまして、内閣法では、法律案、予算その他の議案であるから議案として出せるんじゃないかという趣旨でございますが、憲法改正原案の提案をその他の議案で解釈するというのは、これは常識的に言って無理があるわけでございまして、私も今の憲法の中で内閣に提案権がないとは言いませんが、それは明確にやっぱり内閣法とかしかるべきもので憲法解釈する、これはやっぱりやっておくべきじゃないかという意見でございます。いかがでございますか。
○参考人(阪田雅裕君) 憲法改正が、時の政府、内閣にとって現実の課題となった暁には、今の委員の御指摘、十分検討に値することかなというふうには思います。
○平野貞夫君 大森長官も現実の課題になったら考えることだと言うんですが、それは法制局の考えることじゃないと思うんです。それは政治の考えることであって、法制局というのはやっぱり常にそういうことを整備するという立場じゃないかと思うんです。
それから、あと二分ぐらい時間がありますから申し上げますが、私どもは、国民投票制度とそれから国会法の整備をしないと憲法の改正の審議はできないわけですが、仮に私たちの考えは、通常の今の議案提出の、予算関係法案の衆議院五十、参議院二十人じゃ足りないと、もうちょっと賛成者の数をふやすべきだという考えなんですが、ここで内閣の問題を入れるか入れないかということを議論したことがあるんですが、非常に乱暴な議論をするんですが、例えば国会法で憲法改正原案は内閣に提出権はないんだというふうに書けますか。それは憲法違反になりますか、その意見は。
○参考人(阪田雅裕君) 政府の立場としては違憲であるというふうに申し上げざるを得ないと思います。
○平野貞夫君 内閣に憲法改正原案の提出権があるかないかということは最終的には私は国会の判断だと思うんだけれども、いかがでございましょうか。
○参考人(阪田雅裕君) 違憲であると申し上げざるを得ないということではありますが、仮に今、平野先生御指摘のような国会法の改正がなされ、そこで政府原案の提出、提案権を否定されるということでありますれば、それは法律を誠実に執行する義務をまた国は、政府は負うわけでありますから、その国会法の規定を尊重して対処するということになろうかと思います。
○平野貞夫君 終わります。
○会長(上杉光弘君) 時間が参りましたので、本日の質疑はこの程度といたします。
本日はこれにて散会いたします。
午後二時五十三分散会