1969/02/03

戻る会議録目次


61 衆議院・予算委員会 後半


○江田委員 総理は、昭和四十年一月訪米されて、ジョンソン大統領との間に共同声明を出されましたが、中国問題に関しては、その際、総理と大統領はそれぞれ意見を並べて書かれたわけであります。このことについては、同年二月一日の本委員会において横路節雄委員が、異見を並記されたことは総理がアメリカ側の見解に同意したのではないという意味と解してよいのかという質問に対しまして、総理は、同意したことではない、意見は一致しなかったのです、と議事録に書いてありますが、これはそうでしょう。――これはそのとおりならばそれでいいのです。

○佐藤内閣総理大臣 そのとおりです。

○江田委員 一体共同声明のその部分で、ジョンソン大統領は、中華民国に対するアメリカの確固たる支持、もう一つは、隣国に対する中共の好戦的政策及び膨張的圧力がアジアの、平和を脅かしていることについての憂慮を声明している、この二つのことを言っておるのでありますが、意見が一致しなかったのはこの二つのことについてなのか、そのうちの一つなのか、その点はどうです。

○佐藤内閣総理大臣 主として前のほう、いわゆる中華民国と北京政府との関係、そうしてしかも中国は一つだという、こういう立場で私どもも考えておりますが、アメリカは中華民国に対する責任がある、こういうことでこれを特に強く言っている、かように御理解いただきたい。

○江田委員 ちょっとおかしいんじゃありませんか。中華民国に対するアメリカの確固たる支持、それについて意見が違うというのであれば、一体台湾に対するあなたの政策はどうなんです。アメリカと違うというのですか。

○佐藤内閣総理大臣 そこで、私どもは中華民国と国際条約を結んでおるが、中国大陸とは現実の交際をする、いわゆる政経分離でつき合うのだ、こういうことを言っておるわけであります。ところが、アメリカは中国に中華民国だけを認めて、あとの北京政府、政権というものを認めない、政経分離の考え方にはない、これが非常にはっきりした相違であります。

○江田委員 そうすると、第二の中共の好戦的政策及び膨張的圧力がアジアの平和を脅かしているということについての憂慮、この点については意見は一致したということですか。

○佐藤内閣総理大臣 意見が一致したと、かようには申しませんが、やや私どもとアメリカとでは、感じ方が強い、アメリカはその点を非常に強く主張しておりますが、私どもはそう強く考えていないからこそ、政経分離で中国本土と交渉をしておるわけであります。その点が違うわけです。

○江田委員 そうだとおかしくなる。なぜおかしくなるかというと、その年の八月二日の衆議院本会議における社会党の佐々木前委員長の代表質問に答えて、私は米中戦争、世界戦争はあり得ないと思っている、それは中国も米国も平和を愛好する国だからだ、こう言っているわけであります。そうすると、あなたは共同声明の場合には、中国の侵略の危機についてジョンソン大統領と意見が一致し、今度は国内へ帰って、この衆議院の本会議の答弁においては中国は平和愛好国だと言う。どっちがほんとうなんです。

○佐藤内閣総理大臣 中国――私は中華民国は平和愛好国だと、かように思っております。北京政府については、これがはっきり干渉しないのか、お互いにその主権を尊重するとか、いままで不干渉政策というものを明示したことはございません。そういう点に私どもがいろいろ疑問を持つのであります。これはやはりお出かけになって社会党の方もよく御承知でしょう。これはやはり相手の国の主権を尊重する、不干渉主義、あるいはそれに対して親善友好関係を樹立する、こういうところが明確でないとやはり疑わざるを得ないのであります。

○江田委員 いいかげんのことを言われては困りますよ。中華民国は平和愛好国だということではない。あなたがこの答弁で言っているのは、それは中共も米国も平和を愛好する国だと、こう言っているのでしょう。中共と中華民国と一緒にする人はいないでしょう。あなたはここで中共は平和愛好国だと、こう言っている。共同声明ではそうじゃない、侵略の危険性を持った国だと言ったと、こう言う。アメリカへ行って言われることと国内へ帰って言うことは、いつも違うのですか。

○佐藤内閣総理大臣 日本で申しましたことは皆さん方のことばをかりて言っている。皆さん方は中共も平和愛好国だ、かように言われた。それに対して私は答えた。

○江田委員 全然答弁にならぬですよ。それじゃ一体中国がどういうわけで平和愛好国でないという論拠があるのか。

○佐藤内閣総理大臣 先ほど申すように、平和愛好国ならば、積極的に独立を尊重するとか、不干渉主義を明確にするとか、これは必要じゃございませんか。あるいは中ソ同盟条約を結んで、日本を仮想敵国にするとか、こういうことは私どもが心が許せないことであります。そこらもやはりお考え願いたい。

○江田委員 中ソ同盟条約があるから中国が平和愛好国でないというなら、その片っ方のソ連も平和愛好国じゃない、日本に対して侵略の可能性を持っている、こういうことになるのか。外務大臣の演説では、あるいは総理の演説だったか、ソ連との親善関係を進めると、こうあるじゃありませんか。支離滅裂になるじゃありませんか。

○佐藤内閣総理大臣 ソ連との関係は、今度の書き方はだいぶん変わってきております。在来の書き方ならば、北方領土だけについて、そうして北方領土を早く解決しようという施政演説でありましたが、今度は特に、その他の面においては私どもは親善関係を深める、現にそういうことが現実に行なわれておる、しかしながら、基本的な問題で領土問題について依然としてその考え方を異にしておる、これはまことに残念だ、そういう意味でわれわれは忍耐強く交渉し、そして国民世論にこたえる、こういうことを申しておるわけであります。

○江田委員 あなたの答弁は答弁にならぬ。そういうあいまいな答弁を相手にして議論を進めたところで時間の浪費でありますから、私はさらに進めますが、いずれそういうようなことについては、同僚議員の後ほどの質問の中で追及を深めていきたいと思います。
 私は次にお尋ねしたいのは、国連というものが平和維持の真の権威と機能を備えた世界的機関となるための不可欠の前提条件は、国連の組織が特定のイデオロギーに左右されない世界的普遍性の原則に立脚することが必要ではないのか、この点どうです。

○佐藤内閣総理大臣 世界な普遍性に立脚すること、私もちろん必要だと思います。それと同時に、国連が平和機構としての機能をやはり充実することも必要だ。やはり二つがその国連の平和機構としての使命を果たすゆえんではないか、かように思います。

○江田委員 普遍性の原理というものが必要だということであるならば、いま中国の代表権問題の現状は、これは普遍性の原理に反した扱いを受けておるのではないのか。このことが国連の権威と機能を著しくそこねているとはお考えにならないか。

○佐藤内閣総理大臣 この問題は、普遍性という観点から見れば、中国をなぜ除外したかということだと思いますが、そこでいろいろの問題があり、いわゆる重要事項指定方式、まずそれを取り上げて、一体どういうようにこれを扱うかということが各国の問題になっておる。国連もやはり国連を形成している各国の意見に従う、これはもう当然だと思います。

○江田委員 だから、普遍性の原理というものを認めるということになるならば、総理は、北京政府が中国人民の大部分を代表し、中国の領土と人民の大部分に有効な支配を及ぼしているという事実、これをお認めになるのか。

○佐藤内閣総理大臣 中国大陸を支配している、これはもう私もちゃんと認めております。同時にまた、七億あるいは七億五千万の人口を擁している、これはたいへんな大国です。

○江田委員 そこで総理にお尋ねしたいのは、一九五〇年三月八日に、時の国連のリー事務総長、この人が「国連における代表権問題の法律面」と題するメモを公表いたしました。これは、安保理事国との非公式の話し合いのための、事務総長が事務当局につくらせたメモでありますが、その内容は御存じですか。――おわかりにならなければ申します。そうこまかいことまで知られぬかもわかりませんから。リー事務総長のメモランダムというのは、「妥当な原則は憲章第四条の類推から導き出されると考える。同条によれば、加入申請国は加盟国の義務履行の意思と能力を持たなければならない。その義務は実際にそれを履行する力を持つ政府によってのみ履行され得る。革命政府が既存の政府に対抗して国を代表するとの主張を行なう場合、」この次が大事なんですよ。「問題は、両政府のうちいずれが実際に加盟国としての義務を履行するためその国の資源と人民を指図し得る立場にあるかということである。これは要するに、新政府がその国の領土内で有効な支配を及ぼし、かつ人民の大部分が十分これに服従しているかどうかを調べることを意味するものである。もしその調査の結果がしかりとすれば、国連諸機関は、その集団的行為によって新政府に国連で同国を代表する権限を与えることが妥当であると考えられる。個々の加盟国が、それぞれの政策上の理由によって同政府に正統政府としての承認を与えることを拒否し、かつ拒否し続けようとも、それは別問題である。」こう言っておるのであります。

 そこで、このメモは、代表権が問題になっておる政府を承認する加盟国の数が多いか少ないかということで決定することはいけないのだ、そうではなしに、代表権問題を考えるための妥当な原則は国連憲章第四条の類推から導き出すことが必要だ、こう述べておるのでありますが、この見解を支持されますか。されないとすればその根拠をおっしゃってください。

○佐藤内閣総理大臣 私まだそこまで研究しておりませんので、ちょっとこの場ですぐは私答えられません。これはひとつ外務大臣……。

○江田委員 外務大臣の問題じゃない。これは一国の総理大臣としてはっきりした見解を持つべきことなのであって、第四条からいけば当然そうなってくるわけなんでありますが、そのことについて、まだそこを考えたことはない。そういうことを考えたことはないと言う人が、なぜ一体中国の国連加盟について重要事項指定国の先頭に立ったりするのでありますか。第四条を知らないでそういうことができますか。

○佐藤内閣総理大臣 公式論で第四条云々は、私、知らないから知らないと言ったのですが、なお検討しろというなら検討してお答えいたしますけれども、やはりそれとは別に中国の問題、これは、中国は一つだ、御承知のように中華民国も北京政府もはっきりそれを言っておる。確かに中国は一つだろうと思います。私どもは、その一つである中国、それを代表しておる中華民国と国際上の条約を結んでおる。条約を結ぶんだということは、その当時の状況では、これは当然のことだったと思いますが、しかし、もうそのときから問題はあったに違いない。これは一つの中国だというものを結んだ。これは国際上の義務もあるし、権利もあるということであります。したがって、いま御指摘になりましたような点がいつも問題になっておるのだと思うが、しからば一体どちらが中国なんだ、こういうことは、私の結論では、二つの中国じゃないのだから一つの中国、これは一つの国内問題じゃないか、かように私は思っております。国内問題、かように私は思っております。そして、ただいまの状況のもとにおいては、日本は中華民国に対して国際上の権利義務がある、かように考えております。

○江田委員 先ほど申しましたリー事務総長のメモでいくというと、一つの国が国連に加盟されるかどうかということは、イデオロギーの問題や、あるいはこれに賛成する国が多いとか少ないとかということではなくて、その国が実際領土と人民と、あるいは資源というものを十分に支配するだけの力があって、国連の義務を履行する条件があるかどうかということが問題だ、こういうことなんです。第四条の趣旨はそうなんです。

 そこで、あなたは先ほど私の質問に対して、国連の普遍的原則というものは認めると、こうおっしゃった。中国があの広大な地域において多くの人民に支配力を持っておる、資源を動員する力を持っておる、これもお認めになった。そのことからいけば、中国の国連加盟ということは当然の帰結になるのじゃありませんか。そうでないと言われるならば、四条を解釈したリー事務総長のあの解釈は間違っているというのか。間違っているというなら、答えを出してくださいというのです。

○佐藤内閣総理大臣 私がいまお答えいたしましたように、国連事務総長のそのメモがどうだろうと、ただいま言うように、二つの中国じゃないんだ。一つなんだ。そういう観点からわれわれが中華民国と国際的な条約を結んでおる、その立場において権利と義務があるのだ。私どもの認める中国は中華民国です。これがはっきりしている現実です。このことは、私どもは現状をそのまま認めておる、さように考えます。

○江田委員 あなた、中国は一つだと言う。中国は一つだと言われるのでしょう。一つの中国で、一体その中国の人民なり資源なり領土なりの大部分を支配しておるのは、どちらなんですか。中華民国がその支配力を持っておるのですか。あなたが先ほど私が聞いた原則を肯定される以上は、中華民国が国連加盟の条件を持っており、北京の中国が持っていないということにならないじゃありませんか。論理の矛盾があるじゃありませんか。

○佐藤内閣総理大臣 私は別に論理の矛盾を感じないのですが……。と申しますのは、ただいま申すように、中共か台北の問題か、こういうことになると、それは国内問題だ、かように申しておるのです。でありますから、これは、国内問題としてただいまの二つの政権、その実力を見ている、こういうことでございます。

○江田委員 そういうような薄弱な論理で重要事項指定方式の先頭に立たれるというようなことは、こっけいな話じゃありませんか。しかも私が最初に申しましたように、アジアの安定、日本の平和ということから考えれば、中国問題をどう処理するかということを抜きにしては、この問題は解決つかぬじゃありませんか。沖繩問題もそうじゃありませんか。そういうことについてはっきりとした考え方なしに、ただいいかげんなことを言われるこのやり方に対しまして、私は非常に不満を覚えるわけであります。

 この日中関係の改善にブレーキをかけているもう一つの問題に、吉田書簡の問題があります。これはもう御承知のとおりであります。そこで、この問題については、総理は昨年二月六日、この委員会におけるわが党山本幸一君の質問に答えて、「しばしば問題になる吉田書簡というものは、申すまでもなく政府がどうこうしたものではございません。したがって、吉田書簡がいまどういうことになっている、こういう議論をすることは、あまり実益のないことのように思っております。」また続けて、「吉田書簡をいまさら取り上げることになると、これはたいへんだと思います。これを取り上げないところに味がある、」こう答えておられるのでありますが、「これはたいへんだ」というのは一体何ですか、「味がある」というのは何ですか、これをはっきりしてもらいたい。

○佐藤内閣総理大臣 これは、こういうものはいわゆる政府の声明じゃないんだから、政府の手紙でないものを、政府の考え方でない――考え方でないかどうか、それはまた別ですが、政府の責任を持たないもの、そういう文章、そういうものが一々問題になると、これはたいへんだろうと思うのです。これはたいへんな大きな問題で、何でもかんでもみな問題になると思う。この吉田書簡というものは、もう私が申し上げるまでもなく、吉田さんが当時の池田内閣のもとで国民政府に出されたものでございます。したがって、その中にどう書かれておろうと、これが有効だとか無効だとか、この中身を変更するとか変更しないとか、そういう筋のものじゃ実はないのだ、かように思っております。したがって、私が山本君に最初に申したのは、そういう意味の話であります。その次の問題になってきて、こういういわゆる政府の関係しないものを一々問題にすることは、それはたいへんじゃないか、かような意味です。

○江田委員 池田内閣のもとで吉田さんがやられた、池田内閣のもとでというのは、池田内閣と連絡をとってと、こういう意味なのかどうか。

○佐藤内閣総理大臣 池田内閣のもとでというようなことばが不適当で、あるいは誤解を受けるかわかりませんが、池田内閣の当時、こういうように明確に申し上げておきます。そうして、いまのような連絡があったかなかったか、こういうことは私の知らないことです。

○江田委員 当時の外務大臣はおるんじゃないかな。
 いずれにしろ政府としては、これは政府のやった行為ではない、個人吉田茂氏がやった行為だ、池田内閣のもとでというのは、池田内閣の時代にと、こういうことだ、こういうのですか。そういうような個人のやったことが、なぜこれほど口中間の障害になっておるのかわからぬじゃありませんか。ただ個人吉田茂氏が手紙を出したということが、なぜこうひっかかりになるのか。そうじゃないんじゃないのか、もっと政府がタッチしているんじゃないのか、その点はどうです。

○佐藤内閣総理大臣 私は、さようにどの程度タッチしていたか、そういうことは知らないと、はっきり先ほど申したとおりであります。

○江田委員 あなたはそういう答弁をされますが、一体台湾の中華民国自体はこの問題を公式のものと考えておるのか、ただ吉田さんがプライベートに出したものと考えておるのか、それはどういうことになっているのですか。

○佐藤内閣総理大臣 これは吉田さんの持つインフルエンスといいますか、そういうものをやはり中華民国は期待しているだろう、かように思います。吉田さん、これは元総理だし、池田首相にしても、また私にしても、吉田さんのもとでいろいろ訓育を受けた、そういう状態ですから、おそらくそういう意味の期待は当然あるだろう、かように思います。

○江田委員 そうすると、もう吉田さんもなくなったことなんだし、もともと個人の文書なんだから、政府としてはこれに対しては何の拘束も感じない、そういう立場に立っておられるのですか。

○佐藤内閣総理大臣 いま申すような、中華民国政府の期待はございますから、そういうこともやはり善隣外交、そういう立場から、そんなことは全然無視して考慮しないとか、こういうのはどうかと思います。けれども、中華民国に対して吉田書簡が出た、その当時のような考え方で中共とつき合っている、かように私は思っておりません。そのときの一番の問題は、輸銀資金を使うか使わないかという問題であったと思いますが、しかし、プラント輸出その他についても、ケース・バイ・ケースということを今日は申しておりますし、だから、いわゆる期待は期待、ただいまは当時の状況とは変わっている、かように私は思っております。

○江田委員 輸銀資金だけのことなのか、なぜいままでこの吉田書簡というものを発表なさらないのか。これほど障害になっているものを、正確にはどういうものかということをわれわれ国会議員が知らぬということは、何と考えたっておかしいわけです。ただ輸銀資金だけのことならば、そういう文書ならば、なぜ発表しないのですか。

○佐藤内閣総理大臣 どうもちょっと無理なんですが、発表するというような筋のものじゃございませんね。御承知のように、吉田書簡は向こうへ行っているわけです。そんなちゃんと写しがあるとかいうようなものではないと私は思います。したがって、向こうへ出ているものを発表のしようがない、かように私は思っております。

○江田委員 吉田さんがなくなったのだから、いまさら発表のしようがない、こういうのならば、それほどのものならば関係になるはずはないではありませんか。そうして、いま佐藤さんが言われるような、輸銀資金の問題だけだ、それに限られておるのだというならば、なぜそういうものが問題になるのか。問題になり方が大きいと思うのですよ。

 私は、この問題についていいかげんなことをいつまでも言い続けることはやめてもらいたいと思うのであります。吉田書簡というものは、日華平和条約の補充文書なのではありませんか。外務大臣もよく聞いておいてください。

 昨年六月の八日に蒋介石総統が、台湾訪問の日本の新聞編集の幹部一行と会見をされた。そのときの談話が、六月十一日に東京の国府大使館の新聞、これです、中華週報、六月二十四日付、これに出ておるのであります。その中華週報によりますというと、「当局から全文次のように発表された。」として、この大使館の新聞処が出しているわけです。責任ある出所がきちんとしておるわけです。それに何と書いてあるかというと、特にその中で吉田書簡に関係ある部分を読んでみますというと、「日本の親共分子はややもすると中共承認を主張し、中共の国連進入を主張し、吉田書簡の廃棄をも主張しているが、このような幻覚は事実上決してそう簡単なものではない。吉田書簡は中日平和条約と相互関連の関係がある。私は吉田先生と当時互いに了解し、吉田書簡は実に中日平和条約の補充文書である。これは当時、吉田先生が日本政府を代表し、私が指導する中華民国政府と交わしたものである。中日平和条約が締結されてのち双方が互いに不充分を感じていたからこそ、この書簡が生まれ出たのである。こんにちこの吉田書簡を廃棄すれば、それはすなわち中日平和条約の廃棄に等しいものとなる。」こう書いてある。これをどう受け取られます。

 一体、こういう重大なことを、ショウ総統の談話としてこの新聞に出ているわけなんです。この新聞がかってに書いたんじゃない。「当局から全文次のように発表された。」。としてこれを出しているわけでしょう。もしこの事実のとおりだったら、この蒋介石総統の主張のとおりであったとすれば、吉田書簡というもののウエートというものは非常に大きなものになるわけであります。総理がいままで言われたことは相当違ってくるじゃありませんか。条約の補充文書ともいうようなものだというのならば、それならば、当然国会へこの内容を発表してもらわなければならぬことになるじゃありませんか。どう考えられますか。

○佐藤内閣総理大臣 条約を補充する文書だと、こう言われますけれども、その補充文書が、そういう形で出されることはないのじゃないですか。だから、普通の常識から見まして、それはどういう表現をされたか知らないが、条約の補充的な文書なら、それは両国政府で覚え書き交換をするとか、あるいは解釈について覚え書きが取りかわされるとか、そういうものじゃないだろうか。(「相手がそう言っているよ」と呼ぶ者あり)相手がそう言っていると言われるが、当方はさような意味のことは考えておらない。だから、あまり常識に反した事柄――それはそのとき、発表されたときに、よく記者の諸君がその点を尋ねられれば、条約を補充するようなものにそういうような形式があるのか、これはよく考えていただきたい。私はそういう意味で、ただいまのようにそこまで心配される筋じゃないのじゃないだろうか。どこかに問題があるかと思います。

○江田委員 誤解のないように聞いてください。その日、蒋介石総統が行なった談話を国府当局から全文発表があった、こういうことでここへ取り上げておるわけなんです。しかも、この中華週報は中華民国の駐日大使館の新聞なんです。行った新聞の代表がこう聞きましたということじゃない。中華民国政府が、蒋介石の公式のことばはこうだったということを出しておるわけなんだ。そこで、そういうことは向こうのかってだ、それじゃ済まぬと思う。こういうことがある以上、これは日本政府の見解と異なるというなら、なぜ取り消しの措置を求めないのか。取り消しの措置を求めないということは、これを肯定することになるじゃありませんか。その点どうです。

○佐藤内閣総理大臣 材料は江田君が持っているだけでございますから、私、ここでそれをただいま申し上げるわけにいかぬですが、よく私のほうでも取り調べてみます。しかる上で、私どものとるべき処置はとりたい、かように考えております。

○江田委員 冗談ではありませんよ。私が何も秘密文書を持っているわけではないのです。中華民国大使館の公式の文書じゃありませんか。外務省には幾らでもいっているでしょう。外務省の役人というのは何をしているのです。こういうものが出ても、それに気がつかぬほどぼんくらばっかりそろっておるのか。問題にしたら困るから問題にしないのか。総理、そういう答えでは答えになりませんよ。私が、もしこれをどこかの秘密文書として出したなら、そういうことでもいいでしょう。そうじゃないではありませんか。われわれは、いままで政府の吉田書簡に対する扱い方がどうもふに落ちない。なぜあれを、政府のいうとおりであれば、そんなに重大なものでないことになぜとらわれるのか、われわれはわからなかったが、これを読んでみるとはっきりわかるわけなんです。これをあなた方が、政府がすぐに取り消しの措置をとらなかった、申し入れなかったということは、蒋介石総統の談話なんだから、それに対して取り消しの措置をとらなかったということは、あなた方自身がこれを認めていることじゃありませんか。認めているなら認めているでよろしいから、その内容は、ここに書いてあるように、条約の補充文書にも当たるものだというような内容のものならば、ここも発表してもらいたい。当然のことじゃありませんか。

○愛知国務大臣 ただいまのお話は承っておりますが……(「あなたの答弁は求めていない」と呼ぶ者あり)いや、私はいまそれは初めて伺いました。

○佐藤内閣総理大臣 先ほど申しましたように、条約の補充的なものなら、いままでの形式が特別のものだと思いますが、そういうものはない。この吉田書簡がいままで問題になっておりますが、一貫して政府は、この吉田書簡、これは池田内閣当時吉田個人が出した手紙だ、かように考えておる。そうしてその手紙に対しては、ショウ総統をはじめ中華民国は、吉田さんの持つ政治的なインフルエンスを大きく評価しておる、したがって、そういう期待はあるでしょうと先ほど来申した。しかし、これが法律的な責任があるというものでないことは、個人の書簡であるから、そういう意味においてこれははっきりしておる。これは江田君にはおわかりだと思いますが、ただいま申すように個人的なものですから、いわゆる法律的な責任はない、かように私は思います。

○江田委員 あなたがどういう見解を持たれようと、蒋介石総統は、吉田先生が日本政府を代表し、私が指導する中華民国政府とかわしたものだ、こう言っているわけなんです。そうして、中日平和条約が締結されて後、双方が互いに不十分を感じていたからこそこの書簡が生まれたんだ、これを廃棄するようなことがあれば、中日平和条約の廃棄にひとしいということを言っているわけなんです。相手国の代表者がこう言っているわけなんです。それが違いますというのならば、なぜその取り消しの外交措置をとらないのか。これは私は外交の常識だと思う。相手の責任者がこう言っているのに、私のほうの考え方は違うということで済むわけがないじゃありませんか。

○佐藤内閣総理大臣 どうも私自身そういう週報を読んでおらなかったということは、まことに申しわけございませんが、これはよく知らない。したがって、それをよく調べた上で私はお答えしたいと思いますが、その骨子は、先ほど来申したように、新聞でどう書こうと、これは法律的な拘束があるとはいえない、私はかように思います。それはもちろんショウ総統も、そういう点は十分了承しておる、かように私は思っております。いずれ調べた上でお答えすることにいたします。
  〔発言する者あり〕

○荒舩委員長 関連で、大原亨君。

○大原委員 ただいまの質疑応答を聞いておりますと、吉田書簡は条約とかあるいは協定に相当するような拘束力を持つものである、それを、台湾政府のほうの蒋介石主席がはっきりした見解を示している以上は、この問題について、その見解の内容とその形式について、政府は確かめて、吉田書簡に対するはっきりした統一見解を本委員会に示してもらうことが、この委員会の権威のために絶対必要であると私は思う。だから、そういう事実とそれに対する考え方に対する統一見解を、はっきり佐藤総理のほうから示してもらうということが一つと、そしてそれにつけ加えて、吉田書簡の内容を公表してもらいたい、全文を公表してもらいたい、こういうことを議事進行といたしまして要求いたします。

○愛知国務大臣 私は、先ほど申しましたように、ここで、そういう発表が中国政府側から発表されたということは初めて承知いたしました。しかし、一般的に申しまして、一国の政府がある文書についてそういう発表をいたしました場合も、事前に他の国に対して通報なり相談がなかったものについては、一般論として、他の国としてこれに対してコメントを私はすべきものではないと思います。

 それから、吉田書簡というものは、先ほど来総理が御答弁申し上げているとおりでございますから、私は、外務省としてもそれは承知しない。したがって、私どもの手から発表すべきものではない。一般論並びに具体的に、私はさような見解を持っております。

○大原委員 ただいまの外務大臣の御答弁は納得できない。なぜかといいますと、向う側の蒋介石総統は、これは平和条約に匹敵すべき、つまり補充文書であり、正式に権威を持ったものだ、こういうことを言っているのです。向こう側がそういう発表をしているのですから、あなたはそうでない、こちら側でそうでないと一方的に言ったってだめですから、そういう事実について確かめた上で、しどろもどろでなしに、政府の統一見解をはっきりしてもらう、こういうことが私は当然だと思う。だから、あなたの答弁を聞いたってしようがないから、私は、委員長に対しましてこういう議事進行の動議を出しておりますから、政府が統一の見解をはっきり出してもらう、そういう点を私は議事進行上要求いたします。
  〔発言する者多し〕

○荒舩委員長 静粛に願います。――静粛に願います。

○愛知国務大臣 ただいまも申しましたように、ある文書なり書類なりに対して、友好関係のあるところの他方の政府がどういうような発表をいたしておりましても、友好関係のある他の一国が、これに対してコメントすべきものではない、これは私は正しい態度であると思います。

○荒舩委員長 質問ありますか。――政府は答弁をしておりますから、もし疑義がありましたら重ねて御質問願います。質問がなければ質問がないといたしまして、これで質問を打ち切りますが、質問はございませんか。

○江田委員 ある。
  〔発言する者多し〕

○荒舩委員長 静粛に願います。――静粛に願います。野党第一党の書記長が質問しておりますから、どうぞ権威をもって、皆さん御静粛に願います。
 ただいまの質問に対しまして、政府から確固たる答弁を願います。

○佐藤内閣総理大臣 先ほど外務大臣がお答えしたとおりであります。一国から、他国に関係のあるような問題を出す場合には、必ず当方にも連絡があるはずであります。そういう問題じゃない限り、私どもがその問題について云々することは差し控えたい。先ほどの外務大臣の答えのとおりであります。

○荒舩委員長 いいですか。――御静粛に願います。――政府は答弁をしております。質問者が質問をして、政府が答弁をしております。動議よりこのほうが優先しておりますから、どうぞ御質疑がございましたら遠慮なく、時間までは許しますから、質問を願います。

○大原委員 いま、こういうことを申し上げておるわけです。愛知外務大臣の御答弁がありましたが、しかし、明らかに台湾のほうの蒋介石主席は、正式に、吉田書簡に対しましては、これは公文書である、条約や協定に匹敵するようなそういう文書であるということを、はっきり言っておるわけですよ。そういう見解をはっきりと表明いたしておるのに、それに対しまして、こちら側の見解は非常に不明確であって、内容も言えないというようなことでは、これは日本の国民に対しまして、条約上あるいは協定上、一方的な義務を押しつけるものではないか。そういう疑義もあるし、とにかくこれに対する責任ある見解を、さらに突っ込んだ統一見解として事実を確かめた上で発表してもらいたい。そのために私は、一時委員会を中断してやってもらいたいという議事進行の動議を出したわけです。ですから、委員長はしかるべくこれを取り扱ってもらいたい。

○愛知国務大臣 ただいまその事実を私は知りました。ただいま知りましたから、それに対する政府の解釈を申し上げたのです。
  〔発言する者多し〕

○荒舩委員長 静粛に願います。質問者江田三郎君に申し上げます。政府は答弁をしておりますから、どうぞ疑義がございましたら、幾たびで毛質問をお願いいたします。(「動議が出ているじゃないか」と呼ぶ者あり)動議はどういう動議ですか。議事進行は、具体的にいうとどういう動議ですか。質問者があって、質問に答弁をして、その答弁をしている最中に何の動議がありますか。議事法にはそういうことはございませんから、どうぞお願いいたします。質問がございませんか。もし疑義がございますれば、答弁もしておりますから、どうぞその最中に理事の方々が適当に御相談を願います。いままでそういう動議はございません。(「休憩の動議だ」と呼ぶ者あり)休憩の動議はありません。質問があれば質問をどうぞしてください。休憩はいたしません。(「動議の採決をしろ」と呼ぶ者あり)採決をする必要はありません。質問者が質問し、答弁者が答弁しておりますから、疑義がございましたら、どうぞ重ねて質問を願います。(「動議を出しているんですよ」と呼ぶ者あり)何の動議ですか。(「休憩の動議を出しているじゃないか」と呼ぶ者あり)理事会で江田三郎君の質問は一時までということにきまっておりますから、何らそこに疑義はございません。質問者がおりまして、質問をした以上、答弁をしておりますから、ひとつ何度でも質問願います。どうぞ質問をお願いいたします。

○江田委員 先ほど外務大臣から、政府の統一見解なるものが発表されましたけれども、何のことかよくわからない。これは繰り返して申しますように、総理は、日本政府としては、この吉田書簡というものは私のものであって、内容を知らない、ただ輸銀の問題が書いてあるくらいのことだろうと、こう言われますけれども、しかしこれは、なぜいままでたびたび長い間問題になり続けたのか、その点私たちも理解ができなかった。しかし、このただいま読み上げましたところの蒋介石総統の談話を読むというと、なるほどそういうものかということをわれわれは知るわけです。これがもし廃棄されるということは、中日平和条約の廃棄にひとしいものだということまで言っておるわけなんです。そうして蒋介石総統は、吉田先生が日本政府を代表して、とこう言っているわけなんです。台湾の何がしが言ったということばじゃない。ショウ総統がそう言っておるわけなんです。それが、そうではないのだというながら、ショウ総統のことばは誤っておる。誤っておるというなら誤っておるということを、はっきり言ってもらいたい。これはショウ総統の一方的解釈であって、違うのだというならば、この国会の席ではっきり言ってもらいたい。あるいはそのことが言えないということになるならば、私はこれを肯定したものと認めなければならぬことになるじゃありませんか。これをはっきりしなかったならば、次の質問ができないじゃありませんか。

 いずれにしろ、なぜこれが発表できないのか。吉田さんはすでになくなったのだといったところで、外務省にこういう文書がないことはないでしょう。なぜ発表できないのか。こういうような大きなウエートを持つようなものを、一体外務省の――外務大臣はそのころ外務大臣でなかったからしかたがないとしても、外務省の連中がいままで、総理もあるいは外務大臣も知らぬような形にほうっておくというこの無責任さは一体どうするのだと言いたい。そういうことについて、これをはっきり、蒋介石のことばは違う、これはあくまで吉田茂プライベートの手紙にすぎないということで、蒋介石のことばは違うんだということを、はっきり、明確にするならしてください。

○愛知国務大臣 コメントすべきものでないということは、先ほど申し上げたとおりであります。

○佐藤内閣総理大臣 この吉田書簡の性格は、たびたび議論になりました。政府は一貫して、これは吉田個人の書簡だということをいままで申してきております。今日もまた変更する問題ではございません。しかし、ただいま言われましたように、この中身について、これは一体変更ができるものか、あるいは拡張ができる、あるいは縮小できるものかというと、政府のものならそういうことはできます。あるいは変更したり、あるいはここの解釈をこういうように変えたとか、こういうことはできますが、そういうものじゃないのです。これは個人の書簡であります。その個人の書簡について――これはまあ普通の人が書いたのとは違って、吉田さんですから、吉田さんの政治的インフルエンスというものは高く評価されている。これは私は、そういうことはあるだろうと思うのです。それで、その問題については、それをめぐっていろんな議論がある。しかし、その点については、いままでたびたび吉田書簡の廃止だとか、あるいはその解釈をどうこうするとか、こういうようなものでないということ、これはたびたび申し上げてきたのであります。

 そこへもってきて今度は新しい事実が出てきた。その新聞、これは中華新報でしたか、それにこういう記事が載っているが一体どうだ、こういうことをいま言われた。それの取り扱い方、これは先ほど来外務大臣が申しておりますように、この種の取り扱い方、これは政府はそういうものについての批判はいたしませんとはっきり実は申し上げておる。これは幾ら御要望がありましても、そういうようなことをする筋のものでない。これだけははっきり申し上げたいのです。先ほどの外務大臣の答えた答弁を、そのまま私が申し上げておきます。もし、なお具体的に詳細に聞きたかったら外務大臣から答えさせます。

○江田委員 これはいまの総理の答弁では、答弁に私は非常に不満を覚える。いまの総理の答弁を延長していくと、蒋介石総統ともあろう者が、事実を曲げてとんでもないことを言っておるということになるわけなんです。だから、そのことをよく相談されて、はっきりとした見解を出してもらいたい。蒋介石のことばは違うんだということをはっきりしてもらう。さらにこの内容を、書簡がいつ出されたのか、どういう経緯で出されたか、その内容はどうなのか。これだけ問題になるものを、いつまでもプライベートの毛のだといってほうっておける筋のものじゃないと思うから、この扱い方についてやはり明確な答えを出してもらいたい。ただ、私はこの問題については、他の質問者にいずれ継続してやってもらうことにしまして、質問を続けていきたいのであります。

 総理の発言や下田発言、あるいは政府の実際の外交姿勢などに見られる大国外交あるいは威信外交への傾斜というものは、私はもう時代錯誤だと思っておるのであります。いま吉田書簡のことだけ言っているのではない。全般の外交姿勢の問題なんでありますが、私は国際的な威信とか発言権について、新しい考え方がいま世界に生まれつつあると思うのであります。そのことを認識した外交の新しいあり方を目ざす出発点は、アジアにおけるアメリカのあやまちと失敗を直視して、自主的な進路を見出すところにあると思います。アメリカのあやまちと失敗の源は、中国やベトナムの例に明らかなように、アジアの諸国の植民地支配からの解放と、民族独立達成の過程に発生した内部の紛争や内戦に介入して、その結果、アジアの民族主義、独立と自決への正当な要求を敵に回したところにあるのであります。ベトナム戦争で、世界最強の軍事国家がなぜ勝たなかったのか。それはサイゴン政権が、アメリカのあと押しがなければ数時間ももつかどうかといわれるほどのかいらいである一方、解放戦線側が、民族独立と社会革命へのやむにやまれぬ要求と願望を代表したからであります。沖繩基地の果たしている役割りを認識すること、沖繩基地の果たしている軍事的な役割りを重視することを返還実現への前提と考えたり、日米安保条約の堅持を外交の基調とするがごとき、また日中正常化に対する熱意のない他人次第の態度のごとき、佐藤総理の外交の方向は、ベトナム戦争の深刻な教訓をほとんど学んでいないといっていいと思うのであります。

 国際関係は依然権力政治の場であり、力がものをいうという状態が残念ながら今日の現実であります。しかし、そういう状態にも意味の深い変化が起こっているということもまた今日の現実であります。アメリカがあれだけの武力、あれだけの富をもってしても、ベトナム人民にアメリカの意思を押しつけることができない。戦争はかえってアメリカの国内問題に火をつけてしまった。ドゴールはばく大な費用を核開発に注ぎ込んでみたけれども、フランス人の栄光を取り戻すことはできなかった。ソ連のタンクが一瞬のうちにチェコをじゅうりんしても、チェコ人の心をつかむことはできなかった。ここに私は、力とか国際的威信というものについての新しい考え方の芽が出ておると思うのであります。

 この変革の世紀に、一つ一つの国家や社会が、それぞれあるいは人類共通の問題として直面している現代の難問題に、どれだけ正しく、あるいは賢明に取り組んでいるか。進んで必要な改革を人類に提起し、かつなし遂げていく。パイオニア精神をどれだけ発揮するか。そうした新しいものさしが、権力の論理が最もむき出しにあらわれているところの国際政治の場にすら登場しているということを総理は洞察なさらないのか。憲法第九条の包蔵する可能性を切り開くべくあらゆる努力を傾注することが、そうした新しい世界への探求に沿う誇り高い道であると私たちは思う。

 スウェーデンが昨年の暮れ国連総会に、世界が核戦争による絶滅を避けることができたとしても、公害によって同じような破滅的な脅威を受けるという立場で、大気や水の汚染、騒音その他の公害に対して国際的行動を組織することをしようではないかという問題提起をしたことは、私は高く評価さるべきだと思うのであります。スウェーデンは、地震探知綱の完備によって、地下核実験の禁止を妨げる障害を克服する試みにも国際的なイニシアをとりました。ハノイ政府を率先して承認するという、ベトナム和平の推進にも役割りを果たしてまいりました。公害に対する世界的な戦いの提唱のごときは、まさに平和主義の憲法を持つ日本の国際活動として最もふさわしい仕事の一つではないのかということなんであります。国の威信、力というようなことのほかに、こういう考え方を持つべきじゃないのか。だが、そのために、国際的なイニシアを発揮するにふさわしい国内的な実績がなければ、ものは言えないということなんであります。国内でろくなことをやっていないで、世界の先頭に立つと言ってみたところで、これは私はナンセンスであると思う。

 総理は、施政演説の初めにおいて、「人間の尊厳と自由が守られ、国民のすべてが繁栄する社会を実現」とか、あるいは「進歩する社会にふさわしい倫理観の上に強い社会連帯の意識を育ててまいりたい」ということを述べておられますが、総理は修身の先生じゃないのです。政治家なんです。倫理的な価値観のようなものは総理は胸にしまっておいて、その実現のための手段というものを自分の本来の仕事にしてもらわなければ困る。総理の言うそういう社会を実現するために、何を経済政策の中心に据えなければならぬと考えておられるのか、そのことをお聞きしたい。

○佐藤内閣総理大臣 ずいぶんいろんな御意見をいま述べられました、わずかな時間ではあったが。
 まず第一に、私どもが、大国主義あるいは威信的な政治をしている、かような御指摘でありますが、私は、別に大国主義あるいは国際的威信を高めるとか、そういうような意味を持つものではありません。その点では誤解のないように願います。いわゆる大国主義、威信を持つとか、こういうことではございません。

 また、アメリカの政府のやり方についていろいろのお話がございました。これは御批判は御批判として伺っておきます。私どもはそれについて答えることはございません。ドゴール、またしかりであります。

 私どもは、何と申しましても、やはり平和憲法のもとで、ただいまは国際紛争は軍事的に解決しない。しかし、自由と繁栄、それをひとつ求めようじゃないか。また同時に、それを各国に与えようじゃないか、これが私どもの念願であります。そういう意味で、戦後の日本と戦前の日本は非常に変貌しております。もう根底から変わっている。ただいまようやく東南アジア諸国からも日本が信頼されるようなその地位にまでなってきた。これから私どもの経済協力だとかあるいは技術協力だとか、こういうようなことで、ただいま東南アジア諸国に対しましても、お互いに平和とそして繁栄の道をたどろう、こうしておるのであります。

 また、私の施政演説について、どうも総理は修身の先生みたいなお題目を並べている、修身の先生じゃないはずで政治家だという、そのとおりです。私は政治家なんです。しかし、私が政治家だからといって、修身的な話はしちゃならぬというものじゃない。それは、当然そういうことをしていいのです。しばしば、先ほども御議論がありました、いわゆる無責任時代が来た。そういう意味で、私は、無責任時代が来たといって、政府はただそれだけ指摘しているだけじゃだめじゃないか。なぜ無責任時代、それを解消するだけのことをしないか。私はそのつもりで実はいるのです。それを解消するわけなんです。そういう意味から、やはり一つの倫理観を打ち立てないと、これはりっぱにはできないんじゃないかと思う。また、そういうことが国内でできない限りにおいて、国際的な発言をしてもだめだ。そこで、スウェーデンが公害について国際的な申し合わせを提起した。これはたいへんけっこうだ。この国内の公害問題と積極的に取り組め、こういうことが最後の私に対するお尋ねだったかと思います。意見を交えてのお尋ねでありましたので、私も意見を交えてただいまお答えしたとおりであります。

 今回この公害問題について、これは本会議でもお尋ねがあったと思いますが、これをこれから、今度の予算では相当多額の予算を実は立てたつもりでございます。そうして公害基本法ができて二年目で、今度は三年目、そういうような状態でありますが、それにしてはよく予算を盛ることができた。しかし、まだずいぶん解決のできないものが幾つもございます。最近のテレビを見ましても、カドミウムに対してはまだ何にもできていないじゃないか、あるいは大気汚染、何にもできていないじゃないか、こういうような幾つもの問題がございます。それらのことを一応手がけていることだけ申し上げておきます。

○江田委員 私は、修身の先生のようなことを言っては悪いというのじゃない。しかし、政治家というものは、そういうお説教をする前に、実際この政治をほんとうに理想の社会に持っていくのにどういう手だてで持っていくのかということと取り組んでもらいたい、こう言った。そうして、あなたが掲げたような理想の社会をつくるために、経済政策の中心として何を考えておられるかということを尋ねた。ところが、それに対しては、公害の問題だと言われましたが、あなたがいままでやってこられたことは社会開発じゃなかったのですか。池田内閣の成長政策に対して、あなたが社会開発に政治生命をかけるといって、さっそうとして登場されたはずなんであります。そのことが頭に浮かばぬということは、もはやそのことを忘れられているということじゃないのか、それはどうなんです。

○佐藤内閣総理大臣 言われて思い出したわけじゃありません。経済の基本は、何と申しましても科学技術を進歩さすことにある。そうしてそれがやはり全体的な繁栄をもたらす。その場合に各人がしあわせでなければならない。そこに人格あるいは人命が尊重されなければならない。そういうところから、どうも最近の経済発展、これは物質的な文明はずいぶん進歩したが、しかし、なかなかそれに相応するような社会的な開発が行なわれておらない。そういうものがあるいは住宅問題、あるいは道路問題あるいは公害問題、あるいは過密過疎の問題等々として実現してきている。これから社会開発がますます特に力を入れなければならないもの、かように私は考えております。別に忘れたわけじゃありません。また、予算を組みました場合も、そういう意味におきまして、社会保障をも含めて社会開発、こういうものにはずいぶん力を入れたつもりであります。

○江田委員 一月二十四日の経済審議会総会に、企画庁が計画と実勢との食い違いを出されておる。これを見るというと、民間の設備投資は予想をはるかに越えた伸展をしておるのに、公共投資部門が依然として大きなおくれを来たしておるわけであります。この計画の出発にあたって総理が閣議でおきめになった内容には、民間の設備投資の上昇については、これは間接的なリードなんだ、しかし、政府の公共設備投資あるいは国家資本の問題については、これはどこまでも責任を持ってやるのだ、こういうことを言われたわけなんです。ところが、その後の実績というものは、民間のほうはたいへんな伸び率を示したのに、政府が責任を持つ部門はおくれてしまっておるわけであります。今日お互いの市民生活というものは、ただ賃金が幾らということで明るい生活が営めるものではない。社会資本がどれだけ充実しているかということがすぐに響く問題なんであります。そのことについて、この計画と実績とは大きな食い違いがきているのでありますが、そのつじつまをどこでつけようとしておられるのか。私は、いつか行政機構改革について委員会の責任者の佐藤喜一郎さんが新聞へ書いたものを読んだことがある。行政機構改革について総理にいろいろ注文すると、いま何やらが忙しい、何やらが忙しい、これが終わったら本気にやりますという答弁で、いつまでたってもやってくれぬということを佐藤喜一郎さんは言っていた。いまのあなた方のやり方を見るというと、やれ沖繩に忙しい、大学に忙しいからというので、依然として社会資本の充実ということはあと回しになっているのじゃないか。あと回しになっていないというならば、このいよいよもってアンバランスが激しくなった状態をどこでどうつじつまを合わせていくのか、この答弁をいただきたい。

○佐藤内閣総理大臣 経済発展計画これは、当時四十年がたいへん不景気な時代でした。したがって、あるいはどうも成長率を低目に見たということもあるかわからない。その後の経過を見ておると、実績は、いま御指摘になりましたようにたいへんすばらしい成長率をあげている。その場合に、一体政府の財政的な機能、これが一般景気にどういうような影響を与えるかということを実は考えなければいかぬと思います。民間にもそういう問題がある。やはり民間の力と国の力と合わせて上昇する景気、そういうものを持続していくということが一つの問題だと思います。したがって、それが片寄るということがむずかしい問題を起こしやすいのですが、しかし、民間がどんどん伸びていくこと、これはそれとして、私は喜ぶべき方向じゃないかと思っておる。ただ、民間だけにまかせて、政府のほうがあまり手をかさないということになれば、いま言われるような社会資本の充実、そのほうに事を欠く、そこにアンバランスができてくる、これは問題なんだと思います。したがいまして、いま計画自身も適当にこれを修正していきますが、同時に財政、金融両面からいまの景気をやはり適当なところで押えて持続さしていく。政府としては継続的な景気、それを実は望んでおるわけであります。そういう意味から、ただいまの社会資本は、非常に成長率が高いときには押えざるを得ないのじゃないのか。また、それが低いような場合に、景気が非常に不安定な状態、そういうような場合だと政府自身が力をかす、公債まで発行してそうして力を与えて景気を維持していく。しかしながら、一たん景気が動き出して適当なところへいけば、公債はやはり減らしていくとか、いろいろあるのでございます。ただいまこれがなかなか――最近の状態から見れば、コンピューター時代にもなりましたから、いまのようなそう大きな狂いはささなくても景気を持続させることができようかと思いますが、私どもの取り組んでおる姿勢、それだけを申し上げて、詳細については大蔵大臣その他に答えさせたいと思います。

○江田委員 私が質問していることは、あなたは池田内閣の成長政策に反対して社会開発ということを旗じるしにして登場されたわけなんです。ところが、結果はどうかといえば、経済成長になっちゃったんじゃないの。このほうは予定以上にいったんでしょう。そうして社会開発のほうは計画よりはるかにおくれてしまっている。このアンバランスはますますひどくなりつつあるわけなんです。いま国民の不満というものはどこにあるのか。私は、やはりこの社会資本の不十分さ、社会保障の低さということにあることはだれでも肯定できると思う。このバランスをとるということがなければ、いかに資本主義社会における工業生産力が、GNPが二番目になったとかなんとか言ったって意味がないのじゃないのか。あなたのいまの答弁は、依然として景気の持続であるとかなんとか、このGNPのことばかりに頭が向いている。しかし、その中でどんなにむなしい思いをしている国民がふえてきたかということなんです。あなたが施政方針で言ったところの、新しい倫理観に基づく社会連帯であるとか、あるいはその他の美しいことばというものは、いまのあなたのことばからは答えが出てこぬわけなんだ。あまりにも社会開発がおくれ過ぎているんじゃないのか、社会資本が乏し過ぎるんじゃないのか。これを充足していかぬ限りは、そこに人間疎外ということがいよいよ激しくなるのじゃないのか。そういうことを抜きにしているから大学問題でもこういうことになるわけなんです。もと、根本を忘れているということなんだ。自分の金看板をこちらから言うまで思い出さぬような、そういうことではあまりにも情けないと思うのであります。

 そこで私は、さらに国民生活の諸問題あるいは税金の問題、社会保障の具体的な問題、そういうことについてもお尋ねするつもりでありましたけれども、与えられた時間がありませんから、そういう問題はいずれ委員会における同僚議員の質問に譲ることにいたしますが、ただ最後に、公害の問題と、それから大学の問題についてだけ簡単に御質問しておきたいと思うのであります。

 公害問題に対する政府の取り組み方は、問題の深刻さと緊急性に対して完全に立ちおくれておると思います。予算を幾らふやしたとかいうようなことをさっき言われましたけれども、根本問題の第一は、公害問題の中心を占める産業公害について、発生源である企業責任を明確にすることであります。つまり、企業はその社会的費用を支払わなければならぬという原則を確立して、公害対策の基本を国民の健康、命ということに置くべきじゃないのか。社会資本を、社会的費用を払わないで世界第二位の工業水準だなんということは私はあまりにもおこがましいと思うのであります。政府は、企業がこの負担に耐えられない結果産業開発が阻害られるという議論に対してどういう考え方を持っておられるのか。総理も、あまりきびし過ぎては産業開発がおくれると考えておられるのか。一体健康本位の環境基準を守ろうとして、そのために要する費用は当該企業の投資総額の何%くらいになると考えておられるのか。その認識をお尋ねしたい。

○佐藤内閣総理大臣 産業公害に対して、人命尊重の観点からこれと積極的に取り組め、政府の態度がなまぬるいとおしかりをいただきました。公害基本法は、そういう観点に立って企業者と国と地方と三者でこういう問題の費用を負担する、いまこういう形で進んでおります。産業、企業の場合に投資が公害に対して何%そういう方向に使えばいいのか、こういうような点は実は私いままで考えたことがありませんから、私自身でなしにそのほうの企業関係のほうに答弁を移させていただきたい。

 ただ、三つにおいて責任を分担するという、そのことは私考えております。また、今日まで企業負担が非常に重いから企業が成り立たないとか、あるいは特別な場合に公害基準が非常に重い、こういうような話も聞かないではありません。しかし、これは外国の例もございますから、適当なる公害基準というものはできるだろうと思うし、そういう意味で皆さんのお知恵も拝借していきたい、かように思っております。

○江田委員 専門的な答えはよろしい。私が言いたいことは、そういう社会的費用に耐えられないような企業ならつぶれたらよろしいという、そこまでの明確な態度を持たなければ公害問題の処理はできないということなんです。それも大きな費用じゃない。それをいまでも経団連あたりがぐずぐず言う。そうすると、政府の方針がまたゆがんでしまう。何回これを繰り返すのか、もっとき然たる姿勢をとってくれということをまず第一に言うのであります。

 第二の問題は、公害対策が国と自治体の両方によって行なわれて、その間、二重行政によるところの非能率と混乱が見られることを改めるということであります。公害発生は地域性を持っているのでありますから、国の役割りは強力な技術指導と財政援助を主として、公害規制実施の第一次的な権限と責任は自治体に与えるべきじゃないかということであります。アメリカでは自治体に公害防止の裁量権が完全に与えられておりますし、また、イギリスや西ドイツでも限定された裁量権が与えられておる。これが先進工業国の行き方ではないのか。日本の場合を見ても、最近の東京の美濃部方式とか、いろんなものが出てくるが、やはり自治体というものにもつと権限を与えていかなければ、ほんとうの公害は防止ができぬのじゃないかということは、どうお考えになりますか。

○佐藤内閣総理大臣 大体の方向として、私いいだろうと思います。

○江田委員 根本問題の第三は、公害対策を公衆衛生、都市計画産業政策、農漁業の保護など、関連するあらゆる立場から総合的に推進し得る行政組織を確立し、また、公害規則の具体的実施にあたって関係官庁間の密接な連絡が確保されるようにすることではないかと思いますが、そのためにも、やはり基本的に、最初に申しました社会的費用を払わぬものは存立の資格はないんだということをきちんと腹の中に持ってもらわなければ、こういうことはできるものじゃないと思う。

 さらにつけ加えたいのは、先ほど第二の問題でも触れましたけれども、何としても強力な研究機関が必要だということであります。厚生省公害課の人員要求わずか七名が認められなかったということは、政府はどうお考えになるのか。ある新聞によると、警察官五千名、自衛隊六千名、それに対して七名が認められない。公害課には専門技術者はあまりにも少な過ぎるじゃありませんか。いわゆる一九七〇年問題というものに頭を奪われた結果そういうことに配慮が至らぬのかもしらぬが、そういうことをほうっておくことが社会不安をいよいよ大きなものにするということなんであります。

 さらに私はもう一つ聞いておきたいが、これから深刻になる問題は、企業の産業廃棄物の処理の問題なんであります。企画庁長官、大阪ですからよく御存じでしょう。大阪市の調査によると、普通の家庭のごみの四倍以上の企業廃棄物が出る。瓦れきや鉄ならば土の中に埋めても済みますけれども、合成樹脂の切りくずであるとか廃油なんというようなものは、焼けば有毒ガスが出たり、悪臭が出る。海の中へ捨てても問題になる。土の中へ埋めても問題になる。いまこういうものを土の中へ埋めたり、業者を雇ってそとに捨てさしておるのだけれども、こういうことについて、もはや捨ておきがたいような事態が幾らでも出てくるということなんであります。それに対して一体どういう研究機関を持っているか。大蔵大臣、七名も認められないようなそういう考え方で、あなたのGNPのほうはいいのかもしらぬけれども、二十一番目の国民の生活のほうはどうなるのかということをもっと考えたらどうかということなんであります。こういうことをどうお考えになるか。

 あるいは、自動車の排気ガスが深刻になったということは、きのうの都心の調査でもはっきりしている。アメリカに輸出する日本の自動車が、有毒ガスの防除装置をつけて輸出するのに、なぜ日本でそれができないのか、私は佐藤総理に思い起こしてもらいたい。最近アメリカの司法省は、この自動車の有毒ガスの除去装置について振興を怠ったというので、フォードやシボレーなどの四大メーカーと自動車製造業者協会ですか、これを独禁法違反で告発しているじゃありませんか。アメリカに見習うべき点があればこういう点を見習ってもらいたいと思うのであります。そういう姿勢で今後公害と取り組むのかどうかということをお尋ねしたい。

○佐藤内閣総理大臣 公害対策は、御指摘のとおり、総合的な対策を立てない限り十分の効果があがらない。総合的対策、これは同時に行政的の面からも、またまちまちでは困る。政府自身がやっぱり総合的に一体となっての対策を立てなければいけない、これは御指摘のとおりであります。また産業自体におきましても、産業の社会的責任を十分果たすというその決意がないと、やはりその事業、それが存在はだんだんむずかしくなる、これも御指摘のとおりであります。また、これから問題になるのは廃棄物の処理じゃないかという、これもたいへん時節柄、当を得た御意見だと思っております。私ども、これはたいへんなものだ、家庭から出てくるものの四倍あるいは五倍にもなるかわからない。しかも、そういうものはなかなか焼却だけはできないとか、焼くというようなことができない。ただ埋めるというわけにもいかない。たいへんな問題だと実は思っております。

 そこでまた最後に、これは具体的な問題ですが、自動車の問題について、輸出の自動車には排気ガスについての規制を置いている、国内は一体どうなのか。最近のような状態だと、いまのままではほうっておけない、これだけははっきり申し上げておきます。

○江田委員 私は、時間がありませんから、いずれそういう問題については同僚議員がそれぞれ専門的にまた御質問すると思いますから、最後に大学問題について一言聞いておきたい。

 政府は大学の自治を尊重するといっておりますけれども、しかし、たとえばあの問題になりました東大の十項目の確認書などの扱い方を見ると、どうも大学の自治というものを尊重しようとしていないのではないかという感じを受けるのであります。法制局の見解が発表されましたが、まことに意地の悪いやり方だと思います。まあ、言ってみれば、しゅうとの嫁いびりのようなものであります。重箱のすみをつついたような問題を出して、そうして、しかも最終的には、違法であるとも言えるし、違法でないとも言える、違法であるとも言えない、違法でないとも言えない。ああいう問題の出し方というものは、ほんとうに国民に対して親切な出し方かどうかということであります。すべてに問題があるような出し方をしている。私は、今度一月二十八日に「七学部代表団との確認書について」という加藤代行のこの見解が出ていますが、少なくともこういうものが出てから時間をかけて検討したらいいと思う。それを一片の文書だけ出して、部分的な筋書きだけを見てあわてて結論を出すというようなことはやめてもらいたいと思う。大学というものはそれぞれが自主性を持ってやればいい。全国の大学が一色になる必要はない。それの自主性を尊重していくということが一番の肝心なことだと思うのでありますが、文部大臣はこの本は読まれたかどうか、これでもまだ問題があるというのかどうか。まあ、答えはあとでもらえばいい。私に対する答えは要らない。

 さらに総理は、大学問題については中教審の答申を待ってということを盛んに言われますけれども、一休いまの中教審のメンバーというものを妥当なメンバーと考えておられるかどうか。会長八十歳、副会長七十九歳、全員明治生まれ、平均年齢六十七歳――私は、年をとったからだめだとは言いません。しかしながら、ほんとうに日本の大学をどうしようということを考えるならば、こういう人だけでいいのかどうかということは、もっと考えるべきじゃないかと思う。副会長の七十九歳の人は元文化財保護委員会の委員長だ。全部文化財ですよ、これは。こういうものを一体このメンバーにまかしていいのかどうか。ここにあげられるような人々がつくった大学がいま価値を問われているのじゃありませんか。いまの大学はあまりにも古過ぎるということは、だれでも認めることなんでしょう。それを依然としてこういう連中にやらすということで済むのかどうかということなんであります。

 さらに私は、大学問題というのが、いまはただ紛争という治安的な側面だけがクローズアップされておりますけれども、実は、大学問題というのはもっともっと広範な問題じゃないのか。そのことをもっと積極的に手をつけなかったら問題の解決はできぬということを申したいのであります。

 たとえば講座一つとってもそうでしょう。いまのこの都市をどうするかという都市工学の講座なんていうものは、どういう内容を持っているか、総理もあとでよく聞いてみていただきたい。とても実情には沿わない。

 さらに、私学と国立との差の問題があります。学生の七二%が私学に集まっている。その人々が払う授業料、入学金。これと国立とで、この違いを一体どうするのか。これで教育の機会均等と言えるかどうかということなんであります。

 昭和十年の授業料をもとにして現在の授業料を見ると、国立は百倍上がりました。ところが私立は五百五十倍になっておるのであります。そうして、今度の予算を見ても、国立に対する予算は一二%伸びておりますが、私学に対しては八%しか伸びていない。ところが佐藤総理、勤労学生のことを考えてごらんなさい。いま四年制の大学に十二万六千名の勤労学生が夜間通っておるのでありますが、その中で国立大学が受け持っている部分は幾らかというと、わずかに四・二%であります。恵まれないこの勤労学生が行っている学校はほとんど私立じゃないか。その私学というものを真剣に考えているのかどうかということなんです。教育の改革というものは、確認書がどうとかこうとかいうことだけじゃない、こういうところにあるということをもっと考えてもらいたい。

 たとえば奨学金の問題なんかはどうです。わずか六%しかふえてはいないじゃありませんか。全体の予算規模を大蔵大臣考えてごらんなさい。六%の伸びでいいのか。しかも私はこっけいだと思うのは、育英会の事務補助金は一一%伸びておるのであります。育英会の事務補助金は一一%伸びても、肝心の育英資金は六%しか伸びない。育英会というのは何のためにあるのかと言いたいのであります。

 われわれはこういうようなことを考えるときに、大学の問題についていままでやってきた、その人たちがやったことが価値が問われている古いメンバーの中教審だけにまかしておいて解決がつくかどうか、そこのところを総理に答えていただきたい。

○佐藤内閣総理大臣 いま中央教育審議会においていろいろ案を、基本的なものを出して検討してもらっております。これは昨年の初め時分に相談をしたのだと思っております。それがただいま言われるように、委員が不適当だ、こういう御批判であります。私もまた今回の問題が起きてから後、そういう点はないだろうか。また、他の党からも同じような意味の発言がありまして、どうもいままでの中教審だけではメンバーとして不足じゃないか、また不適当じゃないか、かような御批判をいただいております。そういう意味でこの問題とも取り組みますが、同時にまた、とにかく早く中教審でどういう結論が出ますか、結論の出る方向、これもひとつ早くというような気がいたしておるのであります。ただ、先ほど中教審についての御意見は御意見としてただ聞くだけでなしに、私も共感を覚える面が多分にあります。

 ただ、しかし、一番最初の切り出しの、十項目の確認書についての政府の態度は自治を無視するものだといって、頭からしかりつけられましたが、私は、これは当たらないのじゃないだろうか。私のほうはいままで何もしないといってずいぶんしかられたものなんです。何にもしない、何ごとだ、国費を使いながら政府は何を考えておるのだ、こういう意味のおしかりを受けておる。しかし私は、学問の自由を尊重し、また自治は尊重する、かような立場で今日まできておりますし、この異常な事態についての態度が、政府が何ら発言しない、さようなものであってはならないと思うのです。私は、東大の事件は普通の事態において平常の問題だ、かようには思っておりません。これこそほんとうに異常な事態と思っております。そういう際にこそ政府は政府の責任を果たすべきじゃないか。しかも、その果たし方と申しますか、私ども頭から、この十項目、これは不適当だ、かように申して一方的に取りきめたわけじゃありません。御承知のように、大学に対して適当なる方法だ、かように考えるがゆえに、適当なる助言をした、かような問題であります。助言すらけしからぬ、かように言われては、政府は一体どうすればいいのですか。ただ予算だけ注ぎ込めばいいのですか。そういうわけにはいかぬでしょう。また、政府がこういう点に触れれば、修身の先生だ、一体どういうことです。私は間違っておるというんだ。こういう点は別に私やかましくそれを言うわけじゃありません。また、これが一校だけでなくても、全部が一つの形式、型にはめるという、そういう考え方ではございません。しかし私、どうもものの見方が片寄ってはいないか、かように思います。私自身は片寄らないつもりでおります。

 また、ことに御指摘になりました私学、私学に対する考え方、これをもっと徹底しろ、これは私ほんとうに共感を覚えております。勤労青年に対して、もっとわれわれが思いやりがなくてはいかぬだろう、こういうことを考えると、まだまだ教育の問題としては積極的に各党の協力を得て、ほんとうの国民の学校、国民の大学をつくる、そういう時期にきておるだろう、私はかように思いますので、この点は、とにかく悪いことは悪いといっておしかりを受けますが、私どもそんなに立ち入ってどうこうするつもりはありません。しかし、ほうってはおけない状況だ、かように思っております。どうか各党ともそういう意味で建設的な御意見をお願いをしたいと思います。

○江田委員 最後に一言だけ申しておきますが、なかなか私が考えている質問というものも満足な答弁は得られないし、時間の関係もありまして、しり切れになった点もあるわけでありますが、私はいま時代は大きな変革期にあると思うのであります。この変革の時代に処する政治責任というものは、基本的にどういうものかということ。

 まず第一は、科学文明、技術文明の発達に由来するところの人間の生存と人間性に対する脅威や危険を防止し、あるいは取り除くということをまっ先に考えなければならぬと思います。つまり、核兵器であるとかあるいは種々の兵器の脅威、各種の公害、あるいは化学物質使用によるところの環境の悪化、こういうことをまずいつも念頭に置かなければならぬと思うのであります。

 第二は、科学技術の発達や経済発展の最高の成果が、すべての国民にひとしく役立つようなことをいつも考えていかなければならないと思う。心臓外科が発達して、総理は心臓は強いけれども、総理の心臓が痛んだときには最高の病院に入れても、それは庶民にとってはただ夢だということでは困るということなんであります。

 第三には、たとえば学校の先生とか科学研究者とか、僻地のお医者さんとか看護婦さんとか、あるいは福祉施設の働き手というように、社会の必要がますます高くなり、かつそれに従事する当人も社会のために役立ちたいと考えている仕事がありながら、そういう仕事というものが、いつも職場が置き忘れられておるということ、これを改めなければならぬというのであります。人々の社会に奉仕したいというこの理想と、そうして社会がこのことを求めている必要とがうまく結合するような政治をやっていかなければならぬという点であります。特に私は最近の看護婦さんの問題などを見て、切実にそのことを思うのであります。

 看護婦さんのストライキが方々で出だした。一般の家庭からいうと、完全看護の病院へ入っても、なかなか看護婦さんが回らぬからということになると、一日二千円の付添婦を雇わなければならぬ。それでは長く入院しておれないという問題がある。その看護婦さんが一体どういう状態なのか。いま新聞にも出ていますけれども、一月のうち十三日も夜勤をしなければならぬ。夜勤のときには五十人を一人で担当しなければならぬ。多くの看護婦さんがやめたいと考えることが多いということ、九〇%の人がそういうことを言っている。こういうことをほっちらかしておいてはいけないということなんです。あるいは個人の病院におる看護婦さんは、お医者さんの女中のように使われてはならぬということなんです。もっと世の中が必要としておる職場、この職業のランキングを上げることを考えなければいかぬと思う。私は変革の時代に新しい職業のランキングがあっていいと思う。世の中がほんとうに必要としているこういう人々が、社会的にも尊敬され、また経済的にも恵まれるような、そういう政治をお互いに考えたいと思うのであります。

 これで私の、いまのことは答弁は要りません。意見を申し述べて終わります。(拍手)

○中澤委員 先ほどこの委員会で、江田書記長の質問の中で重大な問題が提起されておる。吉田書簡というものの疑義が一つも解明されていない。いまやイタリアやカナダ等、世界の中国に対する歴史は大きく変動しようとしておる。そのとき、この吉田書簡なるものが明快にならないと、日本の対中国政策というものの前進はあり得ない。

 こういう立場から、本問題は重大でありますから、理事会で協議をされ、本委員会にその結果を委員長より報告されるよう取り計らわれんことを望みます。

○荒舩委員長 これにて江田三郎君の質疑は終了いたしました。


1969/02/03

戻る会議録目次