1977年5月22日夜半、薄暗い慈恵医大の廊下で、佐々木さんと矢野絢也さんとお会いしました。その日午後8時過ぎ急逝した父・江田三郎と、党派を超えた盟友のお二人は、言葉少なに沈痛なお悔やみを述べられました。私も、父の後を引き継ぐ決意をした直後で、ご指導をお願いしました。
83年秋ごろだったと思います。社民連で衆議院選出馬を表明した私のために、わざわざ岡山駅に降り立って、街頭から、「自分が陳情する。民社党は彼を推薦して欲しい。」と訴えられました。気乗り薄だった民社党は、委員長のこの直接行動にさぞかしとまどわれたでしょう。私は、人情味溢れる先輩のはからいに感激しました。
94年ごろ、東京電力病院。こちらの言うことは分かる佐々木さん。「いろいろ課題はあってご心配だと思うけど、野党再編が『がらがらぽん』で進んでます。」と言う私の手を黙って握り返してくれました。
ご冥福をお祈りします。