2000/03/10 追悼二題

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  佐々木良作さんについて

 1977年5月22日夜半、薄暗い慈恵医大の廊下で、佐々木さんと矢野絢也さんとお会いしました。その日午後8時過ぎ急逝した父・江田三郎と、党派を超えた盟友のお二人は、言葉少なに沈痛なお悔やみを述べられました。私も、父の後を引き継ぐ決意をした直後で、ご指導をお願いしました。

 83年秋ごろだったと思います。社民連で衆議院選出馬を表明した私のために、わざわざ岡山駅に降り立って、街頭から、「自分が陳情する。民社党は彼を推薦して欲しい。」と訴えられました。気乗り薄だった民社党は、委員長のこの直接行動にさぞかしとまどわれたでしょう。私は、人情味溢れる先輩のはからいに感激しました。

 94年ごろ、東京電力病院。こちらの言うことは分かる佐々木さん。「いろいろ課題はあってご心配だと思うけど、野党再編が『がらがらぽん』で進んでます。」と言う私の手を黙って握り返してくれました。

 ご冥福をお祈りします。


 
 加藤武徳さんについて

 今日(3月10日)の参議院本会議で、加藤さんに弔詞が朗読されました。加藤さんと父とは、1950年参議院選挙で、岡山県から一緒に当選。政治行動は全く違いましたが、時の流れを感じます。

 加藤さんは司法試験合格者で、議員時代に私に、「合格者で立法に長く携わった者に、弁護士資格を与えるよう法改正しよう。」と説かれました。私は、「司法研修所で修習をを受けられると、他の修習生にも良い刺激になりますよ。」と、自分の経験も交えお勧めしました。

 2年の修習は、きつかったと思いますが、みごとにクリア。弁護士として私と同じ岡山弁護士会に所属され、活躍されました。

 ご冥福をお祈りします。


2000/03/10 追悼二題

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