2014年4月4日 |
2014年4月1日ジョージ・ワシントン大学講演スピーチ(和訳)
ジョージ・ワシントン大学での講演2014年4月1日
私は、日本から参りました参議院議員の江田五月です。今日は超党派の国会議員でつくる「立憲フォーラム」という議員連盟の仲間の議員2人と一緒に参加させていただきました。
まず、日米関係が大変重要な局面を迎えている中、このような場を設けていただき、そして大勢の皆さんにご参加いただき、ありがとうございました。
最初に私たちの立場を簡単に説明します。
皆さんは、日本では戦後のほとんどを自由民主党が政権を担当してきたこともあって、日米関係を自民党との関係で考えてしまうことはないでしょうか。また、非自民・野党は、反米とまではいわなくとも、良好な日米関係の維持・発展を重視していないと思われているかもしれません。
事実、長く野党第一党であった日本社会党は、反米のメッセージを強く発していました。しかし、日本社会党のリーダーだった私の父・江田三郎は、1975年に訪米した際、ニューヨークで講演をしましたが、その時のテーマは「日本社会党はアメリカの友たりうるか?」という問いであり、その回答は「たりうる」というものでありました。
そして40年後、私たちも全く同様の答えをします。「友たりうる」と。いえ、「いままでも良き友だったし、これからも良き友でありたい」というのが、より正確な表現です。
私は、この問いは今、さらに重要性を増すことになったと考えます。それは、安倍晋三首相の発した間違ったメッセージによって、我々の友情が傷つけられているからです。私たちは、相互理解を深め、誤った情報に振り回されることがないようにすべきです。安倍政権が世界に発しているメッセージは、これまで積み重ねてきた自民党や日本のメッセージからかけ離れた、異質なものであり、それを正したい、日本の実像をお伝えしたいと、私は願っております。
日本は、第2次世界大戦以降、世界の人々が大切にしてきた諸価値や目指す方向を共有しており、大部分の日本人もまた、国際協力や隣国との友好関係を通じて、世界共通の価値、すなわち平和と民主主義、そして法の支配を支持してまいります。
私は1941年、第2次世界大戦の開戦直前に生まれました。大学卒業後、10年間近く裁判官を務め、その間に最高裁判所からの派遣で2年間、オックスフォード大学に学びました。1977年から国会議員を務め、この間、科学技術庁長官(Minister of State for Science and Technology)、法務大臣(Minister of Justice)、環境大臣(Minister of the Environment)、さらに参議院議長(President of the House of Councillors)を歴任しました。1998年、日本の非自民勢力の一員として仲間たちと民主党を立ち上げ、現在私はその最高顧問を務めております。わが党は2009年から3年3ヶ月にわたって政権を担当しました。私は今回の「立憲フォーラム」の顧問であるとともに、「未来に向けて戦後補償を考える議員連盟」の会長でもあります。
私の父は、当時日本の植民地だった韓国のソウルにある善隣商業という日韓共学の学校で学びました。農民運動や反戦運動に献身し、3年近く入獄しました。1945年の敗戦は中国で水利工事従事中に迎え、戦後に私たち家族と日本に引き揚げて、日本社会党の国会議員となりました。私は父を誇りに思っております。歴史の多くは主権国家に関するものですが、属する国家の異なる人々が国境を越えて交流を結び紡いでいった歴史も、世界中と同様に、当時の日本人の中にもあったのです。
それでは、アメリカの議会や有力紙で不安視されている安倍政権の歴史認識の問題点について、これからお話しします。昨年の12月26日、安倍首相は靖国神社に公式参拝しました。これはあまりに突然で、私はショックを受けました。また、1993年に発表した「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」(いわゆる河野談話)、1995年の「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)の価値を薄めていくような言動をとり、従軍慰安婦問題には対立的な立場を表明しました。昨年9月25日には、アメリカのハドソン研究所で次のような恐るべき発言、「もし私を右翼の軍国主義者と呼びたいのなら、どうぞ(So call me, if you want, a right-wing militarist)」を行いました。こうした事例はいくらでもあります。
こうした安倍首相の発言や姿勢がどれほど、従来の日本の立場と異なり、本流から外れたものであるか、について説明します。
歴代首相として7年振りに、安倍首相によって行われた靖国神社参拝は、中国や韓国・北朝鮮などアジアの近隣諸国だけでなく、ロシア、台湾、シンガポール、EU、そしてアメリカ政府の「失望した」という声明まで、広範な批判を浴びました。それは、この神社には極東国際軍事裁判(東京裁判)で連合国によってA級戦犯とされた人たちが合祀されていることに、主たる原因があります。合祀が明らかになって以降、先代の天皇は参拝を中断し、現天皇もこの立場を踏襲しています。
ご存じのように、日本は8月14日にポツダム宣言を受諾し戦争が終結したわけですが、その宣言には、「日本国国民を欺瞞し、これによって世界征服をしようとした過誤を犯した者の権力及び勢力は、永久に除去されなければならない」「われらの俘虜を虐待した者を含む一切の戦争犯罪人に対しては、厳重な処罰を加える」とあります。
そして、日本が国際社会に復帰した1951年のサンフランシスコ平和条約では、日本国は極東国際軍事裁判所の判決を受諾すべしと、明確に述べています。首相の靖国参拝は、こうした歴史の修正を進めたいとの彼の意図を示したものというのが、世界の懸念だったと思います。
今年は、第一次世界大戦から100年、日清戦争から120年ですが、ポツダム宣言を受諾するまでの日本の歴史は戦争の歴史と言っても良いほどでした。日露戦争、第一次世界大戦、その後のシベリアと中国への出兵、そしていわゆる太平洋戦争へと続きました。最後の戦争は、1941年の真珠湾攻撃から始まりました。私はこの攻撃に、心から遺憾の意を表します。これらの戦争は、アジア・太平洋地域にはかり知れない犠牲を引き起こし、最終的にはアジア全土で1千万人以上の死者を出し、日本人の死者も300万人を超え、主要都市は空爆によって焼野原となっていました。
日本としては、帝国主義列強の世界分割に遅れて参入したので、こうした戦争に突入せざるを得なかったという考え方もあります。しかし、日本の政治体制がこの時期に極端な軍国主義体制を取ったのは事実であり、これが世界の基本的価値から乖離したものであったことは間違いありません。この誤った歴史を二度と繰り返さず、平和国家として生きていく、というのが戦後再出発するときの日本の基本的な考えであり、近隣アジア諸国をはじめとする世界との国際的な約束でもあったのです。
例えば1995年8月15日に、当時の村山富市首相は次のような談話を発表しました。そこでは「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来にあやまち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し」と述べ、その後の自民党政権もこの談話を継承してきました。
しかし安倍政権は、この村山談話に消極的姿勢を取り、従軍慰安婦に関して「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題」との認識を表明した河野談話に対しては、消極的な姿勢だけでなく、最近は見直しにまで言及しました。結局は、河野談話の見直しはしないと決めたようですが、明日は何が起きるかわかりません。なぜならつい最近、安倍首相側近から談話を見直す可能性に言及する発言があり、再び批判を浴びているからです。政府は来年の戦後70年の機会に、新たな談話を発表する考えを明らかにしており、この内容に世界が注目することになるでしょう。今の安倍首相の指向している方向からすると、この新たな談話に対し世界が強い懸念を抱いても不思議はないと、私たちは思っています。私たちもまた、日本の政界において、同様の懸念を共有しており、それはまた日本の大勢であることを表明するために、今日ここに来たのです。
このように歴代政権は、「痛切な反省」を明らかにしながら近隣諸国との関係を築いて来たのですが、安倍政権になってから、日中、日韓の関係は、首脳会談が持てないまでに悪化してしまいました。中国、韓国もともに、それぞれの国の立場、思惑はあるとは思います。しかし、今の状況を改善するためには、日本側が何らかのイニシアティブを取るべきであると私は思います。
昨年12月、私が団長となった「民主党・未来に向けて戦後補償を考える議員連盟」訪韓団はソウルを訪問し、政治家や外交官、弁護士、慰安婦を支援する市民団体などと対話と交流を行いました。このほかにもこの議連のメンバーの努力により、米国の元POWの日本への招聘、シベリア抑留者支援法の制定、内外の被爆者の支援、長く日本側の所有となっていた韓国の歴史的文化財の同国への引き渡しなどが実現しました。
近隣諸国との関係改善に、近道はありません。誠意をもって、胸襟を開いた対話を重ねるしかありません。こうした努力は政府間に限られるものではありません。政治家や民間の様々なチャンネルを活用して、韓国・中国・東アジア、そしてもちろんアメリカとの信頼を育てていくために、知恵を絞らなければなりません。
最後に、安倍政権が行おうとしている集団的自衛権についての憲法解釈についてお話しします。
現憲法は、戦後の1946年に発布されました。憲法とは何かというと、第一にこれは国家権力を縛るものなのです。これを立憲主義といい、私たち「立憲フォーラム」という命名はこの原則に基づいたものです。時の政権・権力であれば何をしても良いわけではありません。憲法に従って行動しなければなりません。その憲法とは、憲法典に書かれた言葉はもちろんですが、その根底にある基本理念も、また理性の働きによって導き出された確立した法解釈なども含まれます。これがすべて憲法なのです。
第二次世界大戦という悲劇の後、世界は一つの共通した理想に到達しました。つまり、戦争は違法だということです。ただ、自分の国を自分で守るのは、国家に固有の当然の権利ですから、個別的自衛権(individual defense)は認めましょう。しかし、それでも現実にはいろいろな紛争が起きます。それは国際社会が共同で対処しましょう。これが集団安全保障(collective security)です。これが国際社会の共通理念で、それに沿って国連憲章もつくり、日本国憲法もつくったのです。
日本国憲法は、この共通理念に基づいて制定されました。占領時代につくられたので、書かれた言葉は十分ではありませんが、前文に国際協調主義を、九条で戦力の不保持を書いたのです。これらの概念をどう解釈するかは容易ではありませんが、長年にわたって次のような解釈が定着してきました。個別的自衛権は認めるが、集団的自衛権(collective defense)の行使は認めない、というものです。これが、過去の自民党政権時代から、一貫して確立した憲法の解釈です。
しかしいま安倍首相は、さしたる議論もないままに、この解釈を変更しようとしています。彼は立憲主義を無視して憲法を変えようとしているのではないか? 国家権力は憲法に縛られなくなるのではないか? 不戦の誓いから出発した戦後日本の歩みを変更する大きな歴史の転換点になるのではないか? 安倍首相に対するこうした不安・批判の声が、いま日本では広がっています。
安倍首相は先日、「戦後教育のマインドコントロールからの脱却」に言及しました。もし私が彼の意図を次のように解釈したら、皆さんはちょっと言い過ぎだと思われるでしょうか?「勝敗は時の運で、日本は運悪く戦争に負けたが、間違ったことをしたのではない。私たちは神聖な使命を果たそうとしたのであって、この誇りを取り戻そう」と。これは歴史修正主義の立場であり、独善的で受け入れ難い考え方です。決して日本の大勢ではありません。私の解釈は安倍首相の気持ちからそれほど離れてはいないと確信しますし、彼の歴史修正主義について、皆さんが私と同様に危惧を抱いてくだされば嬉しく思います。与党内から未だにはっきりとした批判の声があげられていないのは残念ですが、おそらく必要な時が来たら彼らの大部分から“NO”の声が上がるでしょう。
多くの日本人は世界と価値を共有し、平和と民主主義、法の支配を大切にし、近隣諸国との協調や友好をめざしたいと願っています。そうした人々こそが、日本の本流なのです。
今回は、そのことを是非アメリカの皆さんにお伝えしたく、やって参りました。ご清聴ありがとうございました。
2014年4月4日 | 4月1日ジョージ・ワシントン大学講演スピーチ(和訳) |