2014年12月24日 |
平成26年12月23日
中日韓協力15周年シンポジウム並びに第1回中日韓人文交流フォーラム 於:長春
はじめに― ザオ シャァン ハオ! 尊敬する王忠禹先生、お世話いただいた外交学院と吉林省の皆さま、ご出席の皆さま。まず始めに、本会議にお招きいただいたことに感謝申し上げます。
近年、中国と日本の間でも、韓国と日本の間でも、様々な問題を抱えていますが、それぞれの国から有識者を集めて、このような会議が開催されることは、大変意義深いことだと思います。会議開催の労をとられた皆さまに敬意を表し、お礼を申し上げます。お互いに率直な意見交換を通じ、相互理解が深まり、東アジアを考える上において有意義な示唆が得られる会議となることを期待しています。私の韓国と、そして中国との個人的関わり お話を始める前に、自己紹介もかねて私の父と韓国との関わり、さらに父と中国との関わりにつき、個人的なことをご紹介します。私の父は田舎の貧乏なうどん屋に生まれ、小学校を出ると学業は終わりでした。ところがソウルに嫁いでいた姉が、「ソウルまで来れば上の学校に行かせてあげるよ」と呼び、卒業後一人で海を越えて、「善隣商業」に進み、多くの友人を得ました。旅行で日本に帰った際に、そこでは人力車の客が車夫にお金を手から手に渡していたのを見て、驚いたそうです。朝鮮半島では、客は日本人で、朝鮮人の車夫にお金を投げて渡すのが普通で、植民地支配の現実に大変な違和感を抱き、政治に関心を持ったそうです。その父は戦前、戦争に反対して2年8ヶ月の間投獄され、出所後、つてを頼って中国に渡り、母と幼い私を呼び寄せて、石家荘で水利工事に従事しました。これなら終戦後、中国人民の役に立つからと考えたそうです。戦後、無事に日本まで引き揚げることが出来たのは、多くの中国の皆さんのお世話があったからだと思います。実は私の妻も、戦中の北京生まれです。個人的な事情ですが、このような経験をした日本人は決して稀ではありません。民衆の間の友好交流の歴史があったのです。
そして現在、私が会長を務めている日中友好会館のことについて少しお話します。この組織は公益財団法人で、ホテル経営などの営利事業で得た利益も活用して、中国の留学生寮の運営を行い、日本外務省の委託を受けて、日中間の青少年交流事業を行っています。日中友好7団体の中では最も若い団体ですが、35年以上の歴史を有し、その前史は戦前に及びます。留学生寮を巣立った若者たちは4200人となり、中国の要路に就いています。東アジア共同体 - その推進力としての日中韓 それでは本題に入ります。5年ほど前に私の所属する民主党が政権に就いた当初、「東アジア共同体」の構築が政権により提唱され、盛んに議論が行われたことを、皆さん方でご記憶の方もおられることと思います。しかしその後、日中関係も日韓関係もそれぞれ、いろいろと困難な問題が生じてしまい、今ではこの「東アジア共同体」は死語に近いものになってしまいました。残念に思います。
昨今のことは脇に置くとしても、そもそもヨーロッパとは異なり、東アジアの複雑な現実を考えると、「東アジア共同体」など夢物語だという意見があることは、私も承知しています。ヨーロッパではEUは、いろいろ問題を抱えながらも、一人の共通の大統領を選ぶところまで来ています。そのようなことは、この東アジアにおいては非現実的ということは、直ちに輸入できるものではないという点では、私もそう思います。しかし、そのような東アジアにおいても、少なくとも「経済」の分野では、実にすでに着々と共同体的な関係に向けて現実が動いていることも、皆さまはご存知のとおりです。私は、東アジアの土壌や地政学的環境を踏まえた東アジアらしい「共同体」を目指すという指向性があっても、何もおかしいことではないし、そのような目標があっても良いと思います。現在、進行中の日中韓RCEPなどは、それへ向けた第一歩だと思います。
私たちはお互いの間のわだかまりを捨て、東アジアにおける共生、共創、共栄の関係の構築を目指さなくてはなりません。競争ではなく共に創る「共創」です。もちろんASEANの役割も決して小さくはありませんが、やはり東アジアにおいて、経済をはじめあらゆる面で大きな存在感を持っている日本、中国、韓国の間の協力こそが、こうした関係構築の鍵を握っていると思います。
ヨーロッパにおいては、ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体から今日のEUに行き着くまで、政治家をはじめ各界のリーダーたちの大変な決断と努力がありました。東アジアにおいても、そこで厳しく試されているのは政治のリーダー達の強い意志と高い志だと思います。折々の荒波にたじろぐことなく、それぞれの側に立って煽り立てるメディアやネットに動かされる移ろいやすい世論や国民感情に流されることなく、毅然とした姿勢で困難に立ち向かい目標に向けて歩を進めることができるかどうかです。東アジアにおいてどのようにして共生、共創、共栄へと歩みを進めるかについて、最後にもう一度触れたいと思います。うす明かりが見えてきた日中(政治・外交)関係 そこで日中関係について述べます。このところ、皆さまご存知のようなことから日中関係は長いトンネルの中に迷い込んでしまった感がありました。しかし、先に北京で開催されたAPECの際の安倍首相と習近平総書記の会談を通じて、やっとトンネルの先にほのかな明かりが見えてきた状況だと思います。
もっとも、ただ一回の、しかも短時間の首脳会談によって、両国関係は長いトンネルを抜け出たということではありません。首脳会談に先駆けて取り交わされた4項目の合意は、あいまいで両義的なところも当然ありますが、そこを突いて食い違いを暴き出すのでなく、合意に達したこと自体の重要性を高く評価し、今後はこれを踏まえて、北京会談で得られたモメンタムを生かし、失速させることなく辛抱強く一つ一つ前向きの措置を採っていくということが大切だと思います。その場合、まずは両国政府間で合意された「東シナ海(東海)における日中当局間の緊急連絡メカニズム」の立ち上げを実現すべきです。日本の自衛隊と中国の軍の船舶や航空機が至近距離に接近するというような、こんな危険なことがあって良いはずはありません。こうした事態が起こらないように、両国の当局の間でしっかりした取り決めが必要です。日本はロシアとの間ですでにそのような取り決めを結んでいます。
ひところワシントンの一部では、日本と中国はいずれ戦争を始めるのではないかということが、まことしやかにささやかれました。私たちにとっては「冗談話」としか聞こえませんが、北朝鮮の存在もあり、世界は東アジアの状況をそのように見ているということは知っておく方が良いと思います。
私が会長をしている日中友好会館は、日中青少年交流の実務を担当していますが、一時は中国側の意向で中止、延期に追い込まれました。今春から次々と再開の運びとなり、ホッとしていますが、日中の政治・外交関係が厳しい状況になる中で、大変な困難を経験したのは事実です。日中間の政治・外交関係において難しい問題が起きると、その分野での人の往来に支障が出てくるのは仕方ないとしても、中国側の意向により、それ以外の人の交流を次々と止められます。政治や外交と無関係な、いや困難な時だからこそ必要だと思われる青少年などの交流事業が、直前になって突然中止や延期となると、折角中国の青年たちとの交流を楽しみにしていた日本側の受け入れ先は、つまり訪問先の学校やホームステイ先のご家庭では、大きな困惑と迷惑が広がり、「もう中国との交流はご勘弁を」ということにもなるのです。これは大変に残念なことでした。折角、日本政府が大事な事業としてその意義を認めて用意した多額の予算も消化できず、かなりの額を返納せざるを得ませんでした。同じ時期に日本は台湾や韓国との間でも、同様に困難な問題を抱えておりましたが、こちらでは交流事業は、何事もなかったように予定通りに進められたのです。
政治や外交の分野で問題が起こっているからといって、本来これと関係のない青年交流、文化行事、地方同士の交流にまで、累を及ぼさないで欲しい。「関係ない」という決断をして欲しい。これが、日本側の主催団体の責任者の一人としての切なるお願いです。日韓関係について 次に日本と韓国の関係についてです。韓国においては、一昨年一月に新しくパク・クネ大統領の政権が誕生しました。そして、ほぼ同じころに、日本においても安倍政権が誕生していました。パク大統領のご尊父のパク・チョンヒ大統領も安倍首相の祖父の岸信介首相も、両国関係の発展に力を尽くされた方です。そこで日本においては、韓国の前政権であるイ・ミョンバク大統領の末期に大きく毀損された両国の関係が、お二人の新指導者の手で修復されるだろうとの期待が膨らんだものです。しかし、事実は決してそうはなりませんでした。韓国からご出席の皆さまは、良くご存知のとおりです。
よく言われるように、日本と韓国は本来、多くの基本的価値観を共有しているはずの間柄です。それだから一層、日韓の対立によって両国が失うものは大変大きいのです。そのことはさらに、日米関係をも不安定にしかねません。来年は、日韓国交樹立50周年という節目の年です。両国間で現在トゲとなっている問題について、私は政府関係者ではなく具体的なことを申し上げる立場にありませんが、日韓双方の政府が、大局的立場に立って知恵を出し、これを乗り越え、来年こそ両国間に新しい歴史のページを開いてほしいと願っています。東アジア - 共生・共創・共栄の世界を目指して そこで、これから私たちの東アジアはどこを目指すべきかということについて述べます。
一昔前までは、東アジアの経済発展を語るとき、空を渡る雁の形になぞらえて「雁行形態の発展」ということがよく言われたものです。すなわち、最も発展した日本が雁の一群の先頭に立ち、ついでNIESといわれるシンガポール、韓国、台湾といったところがこれを追い、最後に、中国やASEANの国々がこれを追いかける、そのような状況を言ったものです。
しかし今、特に中国の存在感が大きく増す中で、雁行は全く成り立たなくなりました。雁の一群は隊列を乱し、バラバラになりました。その中で、特に中国、韓国、日本、またシンガポール、台湾といったところは、それぞれ元気に隊列の先頭を行く感があります。しかしそれぞれに、優れたところや弱いところがあります。そうなると、一昔前の雁行の姿ではなく、これらの間では、お互いが長短相補って、全体としての平和と繁栄を目指すべきだと思います。私が言う「共創」という意味もそこにあります。そして「経済」の世界では、そのことはとっくに始まっています。
日韓両国政府の間の取り決めによって、韓国のナンバープレートをつけた車輌の日本への乗り入れが可能となりました。日本から中国、韓国への工場の進出は盛んですし、委託生産など産業内の業務提携も盛んに行われています。日本のデパート業界の人たちが、韓国のデパートの経営手法を学ぶため、ソウルに赴いたという話を聞いたこともあります。文化・芸術の世界では、もはや国境はありません。韓流ドラマの日本での流行は、私もどっぷりと浸かっているほどです。映画や音楽などでは、日韓、日中、韓中の間の垣根を自由に越えて、コラボレーションが始まっています。
昨今、20世紀がアメリカの時代だったとすれば、21世紀はアジアの時代だと、そしてそれを牽引するのは私たち東アジアだということが、盛んに言われるようになりました。たしかに近年、日本も中国も韓国も、国際会議でそれぞれ重要な役割を果たすようになりました。経済の面では、既にお話が有った通り、これら三国が力を増し、世界がアジアを「世界の経済成長センター」と言うのも、むべなるかなと思います。
しかしそのアジアには、特に東アジアには、もう一つ別の顔があります。それは「急速に老いゆく東アジア」ということです。少子高齢化です。この現象は、特に日本と韓国において顕著です。日本では、生産人口が減っていく中、人口の四人に一人は65歳以上の老人という超高齢社会に突入しました。韓国も同様で、高齢化の速度は日本より速いと伺っています。中国でも、高齢化社会の到来は目の前です。
高齢化社会の到来という深刻な課題について、お互いに知恵と経験を共有し、東アジアらしい仕組みを考えることは有益だと思います。その他にも、環境、エネルギーなどの問題もあります。北京や上海など中国の大都市の大気汚染は、隣国の韓国や日本にとっても、他人事ではありません。
しかしこの分野では、日本の技術は今や世界に冠たるものです。私は、環境対策や省エネ分野での日本の知見を中国に存分に利用していただき、日本でも誰もが知っている「北京(的)秋天」を取り戻すことができれば、何と素晴らしいことかと思います。
その他、日本と中国、韓国がお互いに協力して対応すべきテーマは、北朝鮮問題、国連改革、アフリカの貧困への対応など、いくらでもあります。なかでも、国柄が著しく透明性を欠いたまま核兵器の開発を進めているように見える北朝鮮の存在は、この地域の平和と安全の上で大きな脅威です。
42年前、日本と中国が国交正常化を実現したとき、当時の日中双方の政治リーダーたちの間でしばしば、日中間の平和・友好・協力関係は、両国の利益に留まらず、アジアの利益や世界の利益となるのだと言われたことがありました。ところが最近は、ともすれば、日本も中国も、狭い意味での両国関係のマネージメントに目を奪われ、しかもしばしば負の問題への対応に追われて、当時の両国のリーダーたちが語った意気込みが忘れられがちなのが残念です。世界にとっても大切な日中関係や日韓関係という大切な二国間関係を、“歴史”と“島” の問題にのみ終始する関係にしてはならないと思います。
そうして繰り返しになりますが、そこで試されているのは、それぞれの側の政治のリーダーたちの強い政治的意志と勇気だと思います。
最後に、本席には、日本からの参加者もいるので、“歴史”の問題について私の意見を一言申し上げます。ここで“歴史”というのは、20世紀の一時期、日本が中国や朝鮮半島との関係で有した不幸な歴史のことです。あの時期、日本は国の政策を誤り、中国や朝鮮半島の人々に、物心両面において耐え難い苦痛を与えたことは、否定出来ない歴史の事実です。これを誤魔化したり、ましてや開き直ったりするような言動は、国際社会の中で、日本と日本人に対する評価を著しく下げるばかりでなく、私たち日本人自身の品格や誇りを、最も深いところで傷つける結果になりかねないと思います。いわゆる従軍慰安婦問題を含め、私は日本政府が、国際社会の正義と道理にかなった解決のために最善の努力をすると確信しています。
中国には“以史為鑑”(歴史を鏡とする)という言い方があります。大切なことは、そのような負の歴史にも勇気を持って向き合い、そこからより確かな未来に向けた教訓を汲み取るということだと思います。実際、日本はあの戦争の後、「専守防衛」のもとで、核兵器を持たず、足の長い爆撃機やミサイルの類も持たず、平和国家としての道を歩んで来たのは事実ですし、最近では中国も、こうした戦後日本の歩みを評価するようになりました。終わりに 私は、中国や韓国を訪ねる度に、両国の皆さんから多くのことを学びます。中でも、中国や韓国の皆さんの明るさやことに取り組む積極性に強く惹かれます。そして皆さんは、決して表立って泣き言を言わず、常に前向き、上向き、外向きです。その点、日本は特に20年前、バブルの崩壊を経験し、長い間デフレ経済の中で呻吟し、とかく内向き、下向き、後ろ向きでした。しかし日本もようやく、この事態を徐々に脱しつつあるように見られます。
先日終わった「総選挙」で、与党は大きな勝利を収めました。私の野党としての立場から言えば「勝たせ過ぎ」であり、今の政府にはそれに伴う「危うさ」もあると思います。私たちはもち論、しっかりと監視をし、より良い日本に向けて厳しい意見も言わなければならないと思っています。もうすぐ新しい年を迎えます。来年が、日中、日韓、中韓、そして私たちの東アジアにとって、新しいページを開く明るい年になることをお祈りして、私の話を終わります。
ご清聴有り難うございました。シェ シェ! カムサハムニダ!
2014年12月24日 | 2014年12月23日 中日韓協力15周年シンポジウム並びに第1回中日韓人文交流フォーラム基調演説 於:長春 |