2016年1月20日 |
玉龍会 新生玉龍会報 第七号 「一臼先生への報告」
会員 江田五月
会報に寄稿を頼まれ、何を書くか困りました。安保法制の危険性や民主党の行方では無粋すぎるし、毎日そんなことばかりに追われ、随想のテーマになりそうな身辺雑事も特に思いつきません。そこで、河田一臼先生のことを思い出してみました。特に、私の家族との関わりです。
1981年春、妻と長女の真理子と二人の弟と、家族で東京から地元・岡山市に帰ってきました。住宅ローンを組み大借金をして、山田茂宏さんの手により現在の家を新築したのです。茂さんは、当時は建設会社の経営者でした。その後、一臼先生や玉龍会の皆さんをお招きして、一献傾けたのですが、話はそれよりかなり遡ります。
1968年夏、真理子が生まれました。その後、何か月かして私たちが帰郷し、何かの機会に先生に赤ちゃんを見せに行ったのです。結婚の報告の時から、「早くいっぱい子どもを作って、トラックに積んで見せに来い」と言われており、取り敢えずまだ一人ですが、約束の第一歩でした。先生は破顔一笑、本当にうれしそうな顔をして真理子を抱き上げてくれました。真理子は、その後も何回か先生にお会いしているので、懐かしく思い出しているようです。
時は流れ、真理子は結婚して3人の男の子に恵まれました。長男の生は18歳で、大学1年生になりました。「いくる」と読みます。どうしても環境のことを勉強したいと、鳥取環境大学を選びました。出来て10年ほどの新しい大学で、春の連休に妻と訪ねてみると、まわりに飲み屋も雀荘もなく、私だととても暮らしていけません。生は、そんなところが気に入っているようです。
3人の兄弟が通う学校は、とても変わっています。ドイツにシュタイナー学校というのがあり、新しい発想で教育に取り組んでいますが、これが世界中に広がり、日本にも何校かあります。学科ごと、学年ごとに、勉強の進度を決めるのでなく、テーマを決めて様々な角度から知識を深めていきます。例えば、「家を作る」というテーマがあり、木材の成長で理科、設計の仕方で数学、家を取り巻く区域で社会、家の変遷で歴史という具合です。高校課程の修了時に、生の卒業発表を見に行きました。彼のテーマは、「日本型の新しい里山コミュニティーの形成について」というもので、1時間にわたりユニークで聴衆を魅了するプレゼンテーションをしました。
今まで、このような学校は日本の教育法制では認められてきませんでした。ですから生たちは、義務教育では地域の公立学校に籍を置き、卒業証書はそこから出して貰いました。不登校児のための特別な施設との位置付けなのです。高校は卒業資格を得られず、大学入試は大検で受けました。最近やっと、このようなフリースクールにも光が当たり始めています。
その生がこの夏、大学内に自転車修理クラブを作り、クラウド・ファンディングの資金集めで30数万円を集め、市内の放置自転車を30台ほど払い下げて貰い、きちんと修理と塗装をし、遂に市民が自由に使えるシステムを作り上げました。地域コミュニティー再生の手始めです。資金集めには私たちも、本当に若干ですがジジババ馬鹿振りを発揮しました。
真理子は結婚前、勤めを辞めて沖縄に行ってしまったことがあります。「石の上にも3年だ」と諭したら、もう3年務めたと言って、親の意見を聞きませんでした。伊江島の反戦地主のところに住み込んでお手伝いさんになったのです。もう行ったきりになるのかと思ったら、彼を見つけて結婚して本土に帰ってきました。そんな真理子ですから、新しい教育にも手さぐりで取り組んでいるのです。
河田先生、あなたの抱き上げた娘は、こんな具合に育っています。何にでも挑戦し、しなやかな心で困難を乗り越えています。私にも確信はありませんが、多分、立派な次世代を作ってくれるでしょう。楽しみなことです。
2016年1月20日 |
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