1978/03/02 |
84 参議院・法務委員会
(プロ野球のドラフト制度に関する件)
(犯罪被害者補償に関する件)
犯罪被害者に国家保障を
通り魔や無差別テロ事件に巻き込まれて、何の落度もないのに殺傷される――そして被害者、遺族の多くは何の補償もないまま“泣き寝入り”しています。このような実態に対し、犯罪による被害者補償制度の立法化を求める運動もあり、今回、江田議員は、この法制化を急ぐよう主張しました。
質問の要旨=私たちは、社会進歩のために様々な制度をつくり出します。しかし、忘れてならないのは、一方で大きな利益達成のための制度をつくりながら、他方、その陰で大きな損害をこうむる人がいるという事実です。社会はこうした人々のつらさと悲しさに対して、みんなでその気持ちを同じくしていくことが大切です。篤志家の少年保護施設で、その保護の下にいる少年によって殺害された篤志家が自業自得だとするような社会であってはなりません
――瀬戸山法務大臣も自らの考え方を展開、「努力」を約束しました。委員会論議には、激しい口調の挙げ足とりや、責任追及もありますが、じっくりお互いの考えをぶつけ合い、一歩前進の糸口を見出していくような前向きの論議ももっとあって良いと思われます。
○江田五月君 ドラフト制がずっと議論になっておりますものですから、最初に多少大臣にドラフト制についてお伺いいたしますが、いまの円山委員の御質問にお答えになって、多少選択の自由があった方がいいのではないかというお答えをされたわけですが、その前には、プロ野球界で自主的に解決すべき問題であるという趣旨のお答えもあるわけで、私は将来性のある者が能力を生かせなくなっている事実があるかどうかということもそう軽々には判断できない。あるいはひょっとしたら能力を生かせないようになったのは本人のわがままであるかもしれないわけで、そのあたりはそう簡単には言えない。どうも、日本では、法務大臣がこう言ったからこうだというようなことが、まあ大臣の権威が重視されるのは結構ですが、ちょっとそういう行き過ぎの気味があるので、大臣として選択の自由がちょっとあった方がいいのではないかという発言をされたら、それを種にいろいろな改革が何らか心理的に強制されるというようなことがあってはいかぬのだというふうに大臣はお考えじゃないかと思いますが、いかがでしょうか。
○国務大臣(瀬戸山三男君) たびたび申し上げておりますが、完全な素人で、そういう意味で、常識が私にあるか、常識人であるかどうかわからぬけれども、こういういろいろの御意見がありますときに、これはどうして調和を図るかということです。やはり両方の立場を考えて調和の範囲をどう考えるか、ただ一つの私の思いつき的なことを言ったので、ドラフト制そのものにも意味があるように思うのです。しかし、そうかといってそれだけの意味でいいのであろうか。やっぱり、球界は、素質がある若い野球人をどんどん育てていって球界の発展を図られるというのが一つの目標であろうと思うのです。そういう意味で、その方も多少調和を図って生かす道を考える必要があるのじゃないかと、こういうふうに言っておるわけで、これがそうしなさいとかなんとかいう立場ではございません。あえて聞かれますものですから、何も言いませんじゃいかぬと思いますので言っておるわけでございます。
○江田五月君 さらに、ドラフト制はプロ野球界の中で自主的に解決すべきことであるというお話なんですけれども、午前中にドラフト制についていろいろな各委員からのお話があった際に、単にドラフト制だけの問題ではなくて、プロ野球界全体について、まあ経営の方は余りありませんでしたが、選手の処遇、待遇の問題なんかについていろいろな話があったわけで、ある意味ではドラフト制が関係している選手というのは、いまの制度が完全に動いたとしても七十二人しかないわけで、プロ野球の選手のうちのいわばスター的な存在になっている人だけではないだろうかと思うのですが、そういうところには世間の関心もありますけれども、そのほかにも大ぜいの選手が実はいるのだろうと思うのです。ドラフトに関係なく各球団で採用している選手というのはたくさんいるはずでありまして、そういうところの人々の状況というのはそれほど世間の関心を集めていない。いま選手契約が請負契約か雇用契約かというような問題もありましたが、そういうスター的な選手の場合には請負契約的な要素は確かにかなりあろうと思いますが、本当に単純な労務の提供というような選手がまあぼくもよく知らないのですがいるのではないかというような気もするので、そういったいわば下積みの選手の実情というのがどうであるかということは、これはやはり人権擁護局なり労働基準監督署なりの何といいますか権限の範囲に入ってくる問題があるかもしれないので、プロ野球界の自主性に任せるというだけでは済まない問題があろうか。もちろんそういう問題がないかもしれないのですが、プロ野球界の自主性で解決せよということは、そういうところまでも意味しているわけではないのだというふうに思いますが、いかがですか。
○国務大臣(瀬戸山三男君) 素人の私にいろいろ聞かれるものですから、まあわれわれの目につくのはスター的な選手だけですけれども、芝居をやりますにも、やはり主役もあれば馬の足までおらなければ全体の芝居はできない。六球団・六球団、十二球団、しかもプロ野球機構まであるのですから、いろいろな立場で全体が動くようになっておるのだということ。でありますから、そういう目のつかないところ、さっき申し上げましたように、言葉は適切でないかもしれませんけれども、非常に国民の目には映っておりますけれども、全体の姿というものは一種の閉鎖社会みたいなかっこうになる。でありますから、その間にいまいろいろ寺田さんからも問題点を御指摘になりました。私はそういうことはよくわからなかったですけれども傾聴しておったわけです。そういう問題点があると世間から言われる。それが事実かどうかは別問題として、とにかくそういう問題点を指摘される。そういう場合には、さっき申し上げましたように、国民から非常に親しまれておる、国民の野球と言われるくらい今日なっておりますから、やはり国民に歓迎される、ただ王選手が八百号打つだけの問題じゃなくて、全体の運営といいますか、組織というのですか、待遇といいますか、やはりそういう意味で球界でも検討される方が適当じゃないかと、これはこちらから干渉すべき問題じゃないわけですから、世間でいろいろ指摘されるところは反省もし、国民から余り問題にされないような球団にだんだん改革をしていかれることが適当じゃないかということを申し上げておるわけでございます。
○江田五月君 プロ野球の問題はその程度にして、午前中に法秩序の維持のことに関係いたしまして、大臣は、国民の心が非常に乱れてきたというか、すさんできたというか、そういった問題をお取り上げになって、それから刑事訴訟法の特例法の方向に話が発展いたしたのですけれども、その国民の心のすさんできていることということに関して、一方で制度を非常に厳しくしていくという方向もそれはあるかもしれませんが、私はどうも必ずしも妥当ではないのじゃないかと思いますが、それと別に、まあいわば北風と太陽の話じゃありませんが、やはり太陽の方で犯罪被害者補償制度の関係の問題というのも特例法と負けず劣らず非常に重要な問題で緊急の問題ではないかと思います。
犯罪被害者補償関係のことについて少しお尋ねをいたしたいと思います。先ほど宮崎委員の方から質問もございましたが、昭和五十年二月十二日の衆議院の法務委員会で、当時の稻葉法務大臣が、この犯罪被害者補償関係の立法を持っていないのは文明国の名に恥じるという気持ちであるというようなお答えであったわけです。その後、すでに三年を経過しておりまして、いま鋭意準備中であるということなんですが、準備の具体的な内容は、余りそう具体的に細かくは要らないのですけれども、たとえば、遡及の問題であるとか、額の問題であるとか、求償の問題であるとか、いろいろありますが、そういうことについて質問をしますと、そうすると、こういう考え方もああいう考え方もというのじゃなくて、法務省としてはこういう方向で検討しているというようなところまで見解を示される程度にまで準備は進んでおるのでしょうか、大臣、おわかりになったら……。
○国務大臣(瀬戸山三男君) 作業の状態については刑事局長からお答えをさせますが、心の問題を言われましたから、それから刑罰といいますか、そういう締め方を強化することがいいのかどうか。私は、実は、法治国家というものは、心の乱れがなければ法律は要らないと根本的に考えておる。最近のこれは私の感想でございますが、見ておりますと、余りにも経済が発展し、生活が豊かになり、何となく物だけに執着して物質を追いかけることに非常に熱中する社会になってきておる。一面、相手の立場を考えるという社会共同連帯の精神がだんだん薄れてきておる。そこに人の立場を認めないということから、いわゆる犯罪なども起こってくる、こういうことを憂えておるということでございます。これは刑罰だけで賄えるものじゃもちろんありません。しかし、そういう事態が起これば、やはり責任を問うだけの刑罰は備えなければならない。そういう意味でこの法も備えなければなりませんが、これは少し余談になりましたけれども、教育から全部にかかわる問題でありますから、そう簡単でありませんけれども、ここら辺で日本民族がもう少し反省する時期に来ておると、私はそういう立場であらゆる問題を考えておるつもりでございます。
そこで、犯罪被害者補償法もやはりそういう意味で、社会連帯といいますか、心の問題で考えなきゃいけない。これも余談になりますけれども、最近の薬害、新しい物をつくる場合にその結果として人々にあらゆる損害をこうむらせる、これも私は心の乱れだと思います。相手の立場を考えないで、余りに利益追求になるというところに問題がある、こういうふうに考えておる。これもまたむずかしい問題で、きょうはその問題じゃありませんからこれ以上申し上げませんが、そういう前提に立って犯罪被害者補償法を考えると、こういうことでございまして、作業の状態は刑事局長から申し上げることにいたします。
○政府委員(伊藤榮樹君) 先ほどのお尋ねに率直にお答えいたしますれば、大体の準備はできております。要するに、最も理想的な案というものをまずこさえております。しかしながら、先ほども申し上げましたように、財政事情からこれを一挙に実施することはできない。ですから、どの程度の範囲にしぼっていくかと、そういうことをいま検討しておるわけです。
○江田五月君 いま大臣の方から犯罪被害者補償制度の根本に触れるお話をいただいたわけですけれども、私が口幅ったく申し上げるまでもないと思いますが、もちろん私たちの社会というのはいろいろな制度の複合ででき上がっておるわけで、どの制度もそれ一つだけで単独ではうまく機能するわけではない。犯罪の処罰に関しては刑事司法とそれに続く行刑の制度があります。そういう刑事司法と行刑というのを国家が独占して、死刑といいますかリンチは禁止されているわけで、これはもちろんそれ自体としては近代国家の望ましい制度なんですが、反面、いままでお話にあるような刑罰刑の国家による独占によって被害者側の人が非常につらい思いをしているという事実もまたあるわけです。あるいはまた、いま精神障害の人々の治療として社会内処遇というようなことが非常に必要とされているとか、あるいは、非行少年はもとより、一般の刑事犯の犯人の場合にも、可能な限り収容処遇を避けて社会内で処遇していくというような開放施設の採用等も叫ばれているわけで、こうしたことは社会の進歩の一つの方向であることは言うまでもないと思うのですが、同時に、こういうことによっていわれない人身被害者の出ることもまたあるわけであります。社会全体としてそうしたいわれのない不合理な人身被害者が出ることも覚悟の上で一つの制度を採用していかなきゃならないだろう。篤志家による非行少年の保護施設で、その篤志家が、保護のもとにいる少年によって殺害されるというような事件がしばらく前に起きましたけれども、私たちは、そういう篤志家ほどではないとしても、社会全体として、やっぱりある一つの制度を採用するには何らかの覚悟の上で採用していかなければならない。その場合に、そうした刑事司法の制度、あるいは行刑の制度、非行少年の処遇の制度、精神障害の人の治療のいろいろな方法、そういうものを採用する場合に忘れてならないことは、一方で大きな利益の達成のためにそうした制度をとっておいて、他方で今度そういう利益の実現の陰でそのために大きな損害をこうむった人がいるのだという、その事実であります。社会がこうした人々のつらさと悲しさに対して同情の気持ちを持つということを忘れてはいけない。同情というのは、かわいそうだということでなくて、気持ちを同じくしていくということだろうと思います。少年保護の篤志家の死が自業自得だとするようないまの社会であってはならない。私は裁判官当時に多少事件をいろいろ扱いましたが、そういう場合に加害者は人を殺し得ということなのかと被害者の人に本当にしつこく食い下がられるケースというのは何度もあったわけで、その都度、いまの制度はこうこうこういう合理的な制度なんだと説明しても、やはりそれはある意味ではむなしい説明であったと思います。先日、「中央公論」三月号の佐藤秀郎という人の文章がありまして、これを涙して読みましたけれども、そういう方向、本当に真剣に犯罪被害者の救済の立法というのに取り組んでいただきたい。大臣の所信表明は本当に一行半程度しかないので、まあこれは決して真剣でないことを意味しているわけじゃないと思いますが、取り組んでいっていただきたいと思います。
もう一度言いますが、社会はいろいろな制度の複合で相補いながら全体としてうまく機能していくように調整をしていくべきものなんで、いま犯罪被害者の救済の制度がないというのは、刑事司法と行刑についての制度を補完すべき一つの不可欠な制度が欠けているということであろうと思う。これはどうも社会に道徳性といいますか徳性が欠けているということだろうと思います。野党の方から減税が叫ばれておりますけれども、私はいまの国家が本当に国民の気持ちと心を同じくして精神的充実感を国民の一人一人に与えられるようなことをやれば、国民は応分の責任を果たす用意は十分にあると思うのです。技術的な細かなことは別といたしまして、私よりもずっと法曹としても人生の経験の上でも先輩に当たられる大臣に、その基本的な覚悟といいますか所見を承っておきたいと思います。
○国務大臣(瀬戸山三男君) 全体的な考え方としてはいま江田さんがおっしゃったとおりだと思います。ただ、世の中というものはなかなか理想的にいかないところがお互い悩みである。私は心の問題をこういうところで申し上げて恐縮ですけれども、それをあえて言うのはそういう前提のあってのことでございますが、被害者補償法については、一行書いてあったかどうかはいま記憶にありませんが、決してこれはないがしろに軽く考えておる問題じゃありません。足らざるところを補って全体の社会が円満にいけるようにしようという考え方に立っておりますから、いま鋭意努力をしておる、こういうことでございます。
○江田五月君 どうもありがとうございました。
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