1979/05/30 |
87 参議院・連合審査会
元号法案について
○江田五月君 長丁場の最後の十分ですので、どうぞ御勘弁を願います。
賛成の立場からでも、ただいまの円山委員のようにたくさんの疑義が出てくるわけでありますが、私はこの元号法案に反対の立場から、しかしそれほど肩をいからせ、イデオロギー的になることなく多少の質問をいたしたいと思います。
最初に、現在の国民が用いております紀年法について政府が、内閣がどういう認識をしているかということを確認をいたしたいと思いますが、まず、現在紀年法としては元号と西暦と二つの種類のものがあって、それがいずれも事実たる慣習として用いられておるのだ、こういう認識をされているということでよろしいわけですか。
○政府委員(清水汪君) 結論的にはそのとおりでございます。ただ、ちょっとつけ加えさせていただきますと、その場合におきましても多く用いられているのは元号の方だと思います。それからまた、元号には西暦と違いましたわが国における多くの歴史的な背景を持ってきたというようなものであるということは言えるかと思います。
○江田五月君 その元号についてですが、元号がどういうものであるのか、どういう価値をこれに付与するのかということについて国民の中でいろんな意見がある。ある人は元号というのはもう日本古来の非常に貴重な文化遺産であって、いわば何といいますか、拝み奉らなければならぬものだというような意見もあるかもしれない。逆にいわば封建制度の残りかすで早く捨てることができれば捨ててしまった方がいいというような感じもあるかもしれない。あるいはそういうものと全くかかわりなく、いわば価値的には特に何という価値を与えるのでもなく、こういう制度としてずっと使われているからこれを続けていけばいいんだというような感じかもしれない。
そういうことについて内閣として、一人一人の大臣あるいは政府部内の方の御意見ではなくて、内閣として元号というものに何か特別の価値を付与されて、こうして元号法案を出されているのかどうか、その点を伺います。
○政府委員(清水汪君) 私ども現時点におきましては、元号というものは紀年の方法であるというふうに受けとめております。ただ、この紀年の方法という意味におきましては、長い間かかってだんだんと定着をしてきたというような歴史がございますし、またある意味ではきわめて便利なものだというような長所も持っている、こういうようなものとしての元号の機能に着目していると、こういうことでございます。
○江田五月君 先ほど元号よりも西暦の方が使い方はやや少ないようだという認識であるというお答えでしたが、それにもかかわらず西暦の方も相当に頻度が高いわけですね。
ところで、西暦が一般に紀年法として国民の毎日の生活の中で用いられるようになったのはいつごろなんでしょうか、お教えください。
○政府委員(清水汪君) 国民の間に一般的に用いられるようになった時点というものは、なかなかその事の性質上から言いましても、一時点を明確に指し示すということはある意味で困難かと思いますが、明治の半ばなどから次第に多く使われるようになったというふうに理解をいたしております。
○江田五月君 そんなに古くから一般に使われているかどうか、どうもにわかに私は生まれていないのでわかりませんが、いまはもちろん昭和何年ということもよく使われていることはあたりまえでありますが、西暦の方も本当に通常幾らでも用いられておりまして、七九年と普通の会話の中で言えばだれでも一九七九年と思うわけであります。そういうような状態にまで使われ、いわば熟してきているのはどうも戦後ではないかという気がするんですが、いかがでしょう。
○政府委員(清水汪君) そのようなおっしゃいました意味において非常に熟してということであれば、これはごく近々のことではなかろうかというふうに私も理解をいたしております。
○江田五月君 紀年法も一つの文化であることは間違いない。しかし文化というのもいまの西暦の使われ方の熟し方を一つとってみても大きく変わっていくわけです。戦後国民の間にいろいろな事情から使われ出した西暦が、いままだ元号の方が多いにしても、元号にそれほど負けないほどどんどん使われているような、こういう大きな変わり方をするものが文化であると思いますけれども、そしていまこの紀年法が事実たる慣習で西暦と元号と両方が用いられていて、何かこれで大変な不安定があるようなことをお考えなんでしょうか。国民は何かいまの紀年法にそんな不安定を感じているんでしょうか、長官いかがでしょう。
○国務大臣(三原朝雄君) 大方の国民が元号の存続を希望いたしておるということは事実でございます。しかしこの問題について、さて元号はこれは改元されるものであろうということもある程度の理解を願っておると思うわけでございます。改元はだれがいつの時点にやられるであろうというところまでお尋ねしてみますと、実はそれは政府なりだれかがやるだろうということでございます。そういう意味ではやはり元号の存続を希望する国民の方におきましては不安というよりもそういう点を明確に把握しておきたい、そういう願望があると私どもは受けとめておるわけでございます。
○江田五月君 願望のあるなしは別として、いまの元号の使われ方に国民は別に何も昭和がいつなくなるのかということを不安に思って、この昭和を使っていいものか悪いものかというようなことで非常に精神が安定しないというそういう状態は全然ないんじゃないでしょうか。
むしろこの皇位の継承があった場合にどうするか、その手続がまあはっきりしていないというだけのことじゃないかと思うんですけれども、そういうようないわば安定的に国民の中でいま使われており、しかも時代の流れによって大きくどういうふうに動いていくか、国民が一人一人毎日の生活の中で変化をさしていくべき文化の一つの要素としての紀年法を法律で何か固定しなければ安定したように思わない、法律で固定すればそれが安定してみんなの不安がなくなるように思うという、何かそこに非常に法律に対する過信といいますか、法律至上主義といいますか、法律がなければだめだというような妙な信仰があるんではないかと思うんですが、もうちょっと国民の毎日の生活の中で、国民が次第につくっていく歴史といいますか、そういう歴史をつくっていく英知といいますか、そういうものにもつと信頼を置いていいんではないかと思いますが、私は十分しか持ち時間がなかったものですから、もうこれで質問が最後になりますが、その点について長官の御意見を伺って終わりにします。
○国務大臣(三原朝雄君) お答えをいたします。
国民が元号の将来を考えて不安、動揺いたしておるとまでは私は考えておりません。しかし、先ほども御指摘がございましたように、いつかの時期にだれかが決めてくれるものだという考え方であろうと思うのでございます。したがって、その心情なり事情を踏まえてこれを処置していきますのは、私は政府の行き方だと思うのでございます。したがって、その改元のやり方には、いま御指摘のように、文化の流れ、国家の動向、国民の動向というようなものが、あるいは国民の英知というようなものが、そういうものをおのずから解決する一つの歴史的な見通しというようなものも私は考えておるわけでございますけれども、そういう点でこれを考えてまいりますれば、現在時点において国民の代表機関である国会の場においてこれを審議願うということが、最も民主的なやり方ではなかろうかということで、法案としてここに提案を申し上げ、それから、それはまた国民が期待されるいつの時点にだれが変えるかというような、そういう点も明確にここですることができるというようなことで、法案制定に踏み切った次第でございます。
1979/05/30 |