1980/03/25 |
91 参議院・地方行政委員会
銃砲刀剣類所持等取締法の一部を改正する法律案について
○江田五月君 同僚の委員の皆さんからいろいろと御指摘があった点、私もそれぞれに論点だとは思います。しかし、銃を持っておる者大部分の人は善良な人だということでありますが、それはそうには違いないんですが、国民という観点から見ると、国民のそれこそ大大大部分は、銃を持ってもいないし、銃に関心もないわけでありまして、この銃砲刀剣類所持等取締法というのは、銃砲を持つ者の利益の調整を図る業法とはいささか趣を異にする法律であって、議論がいろいろと細かなところに入ってまいりますと、どうしてもこの法律の一番基礎は一体どこにあるのかというところに立ち戻って考えていかなきゃならぬ。その点で、銃砲、刀剣類の所持ということの利益について、一体どの程度の権利性をお認めなのか、どういうものとお考えなのかということを伺っておきたいと思うんです。
とかくこうした法律が議論になるときには、その法律に直接いろいろの利害関係を持つ者の声は強くなりますが、一般の国民の声というのはどうしても弱くなりがちな点があって、幸い私はこの法律についてはどこからも幸か不幸か陳情も何も受けておりませんので、ちょっとそういう点を聞いてみたいと思います。
一部に、国民には憲法上武装する権利があるんだとか抵抗権があるんだとかいうようなことを論拠にして、銃砲を持つ基本的な権利が、たとえば表現の自由とか集会、結社の自由とかと同じように、武器に対して所持の基本的権利があるんだというような主張があるわけですけれども、こういう主張と、いままで同僚委員が基本的人権ということをおっしゃっていますが、これとは関係がないんだと思いますが、公安委員長の御見解をちょっと伺っておきたいと思います。
○国務大臣(後藤田正晴君) 私は、最初御質問にお答えいたしたように、銃砲というものは本来危険なものであるという基本の物の考え方は持っております。ただ今日、一部の方が職業あるいは業務のために持っておる。しかし、持っておる人の大部分はスポーツでございますね。そうしますと、そういった社会的に銃を持ってスポーツとして楽しんでいらっしゃる方が多数あるというのも、これは否定し得ない現実でございます。その数は、まあ一人で何丁も持っている人もおるのかもしれませんが、大体今日八十万丁ぐらいだと思います。そうしますと、そういった社会的実態、これを否定するわけにもいきませんので、そこで、一方非常に危険なものであるという原点は私どもは考えております。しかし、他方いま言ったような点もございますので、そこの調和をどう図っていくかということ。その調和を図る際に、何といいますか、いわゆる規制の際のいろんなやり方の面で人権上に十分な配慮を加えなきゃならぬと、こういうようなことでお答えをいたしておるわけでございます。したがって、私どもこの法の根拠は、やはり一方には危険なものですよと。国民の大多数はそれは縁がないのかもしれない。しかし、八十万という方がこれでともかくスポーツとして楽しんでいらっしゃるんだというこの事実もこの際はやっぱり認めなきゃならぬ。こういう調和の上に立ちまして今回の改正もお願いし、同時にまた、この法律のもともとの立法理由はそこにあるのだろうと、かように考えております。
○江田五月君 私が聞いたことの主要な点といまちょっとずれているんですけれども、最高裁判所の判決でも、国民の基本的人権として銃を持つ権利というようなものが特に認められるわけじゃないんだということははっきりしていると思うんですが、その点を明確に答弁願っておいた方がいいと思います。
○国務大臣(後藤田正晴君) 先ほどの御質疑で答弁を忘れましたが、国民は武装をする権利がある、抵抗権の一つのあれとして武装するんだと、これは私は認められないと思います。さような意味合いで銃を認めるというわけにはまいりません。
○江田五月君 そうしますと、銃砲、刀剣の所持に関しては、何といいますか、普通の財産権の多くても範囲内以上のものではあり得ないと。そうしますと通常の財産権としても、いまもお話しの、銃砲、刀剣というものが非常に危険なものであると、善良な所持者は別にどうということはないわけですけれども、しかし、銃砲が危険なものということに着目しますと、銃を持つ者がいわば文字どおり社会的な強者になるわけですね。これを持たない者に向ければ、それで一発で人を殺傷できるわけです。持っていない者は弱者になるわけです。少なくともそういう危険がいつもはらまれている。抽象的危険性というものを持っているわけであります。
そうしますと、銃を持つ者、あるいは銃に特別の利害を持っている者は、そうした抽象的意味で社会的な実力的な強者になるという点から、もう一度公平を回復しようと思うと、やっぱりいろんな規制を受けるごとはやむを得なくなってくるのではないか。そこに、銃を持っている者が重い保管責任を課せられるとか、あるいはいろいろと報告をしなきゃならぬとか、立入検査を甘受しなければいけないとか、あるいは銃を持つ場合に自分の性格であるとか病歴であるとか、あるいは過去の前歴であるとか、そういうことに至るまでいろいろと調査を甘受しなきゃならないということが出てくるのではないか。そういうことが基礎にあるのじゃないかということですね。これをどういうふうにお考えになるか。
○政府委員(塩飽得郎君) 銃の権利がどういうものであるかとか、その辺の基本的な考え方につきましては、財産権であるかあるいはまた幸福追求の自由権であるか、その辺の御議論があろうと思いますけれども、確かに社会的に危険なものを所持するということで、いま御指摘のありましたような受忍義務、あるいはいろいろな問題を甘受する義務が生じてくるという点も、おおよそそのようなものであろうかと思います。現在の銃刀法も、許可を受けた者、あるいは許可の申請につきましても、かなり厳しい態度で規定されているわけでございますので、そういった点から、銃そのものの国全体から見た管理というものは、うまく運用すればこれは大変効果があり、適切な運用が可能であろうというふうに考えております。
○江田五月君 その国の基本的態度として、銃砲、まあ銃ですかね、スポーツとしての銃の発展ということについて一体どういう態度をおとりになるのか。わが国民は狩猟民族じゃありませんので、私も銃を持って山野を駆けめぐってドンと撃つというのは多分気持ちのいいことだと思うし、やってみたいというような気持ちもしますけれども、まあ狩猟民族でないので、それほど銃に特別のセンチメントを持っている民族じゃないだろうと思います。
さらにまた、狭い国土でありまして、みんなが銃を持って駆けめぐるようになったらこれは危なくてかなわぬ。あるいは、同一民族ですから、そこはやはりお互い同士、武装といっても余りそうそんなことは考えなくてもいいお互いの間柄じゃないか。あるいは、国の治安、先ほど公安委員長がおっしゃっていたとおり、非常にいい国でありますし、どうも銃砲の産業によって国の経済を発展させるという考え方もいかがなものかと思われるようなことでありまして、スポーツとしての銃の発展もありましょうが、国民一般が銃に親しむことを目指すべきだとか、あるいは正しい銃の扱い方をみんなが知るべきだとかいうような態度を特におとりにならなくてもいいんじゃないか。むしろ、もし銃をお持ちになるならば、もし銃にいろいろと御関心がおありになるならば、これだけの厳しい規制を守ってやりなさいよという程度でいいんじゃないでしょうかということを伺っておきます。
○政府委員(塩飽得郎君) 銃は、一部愛好家が大変おられるわけでございますが、やはりスポーツとして見た場合、これは健全なスポーツの一つであろうと思いますし、そういった意味では、スポーツとしてそれなりに発展を遂げるということもそれはそれで結構だと思います。ただその場合、やはり十分な指導を受け、また安全に注意をしてという義務は当然生じてくるだろうと思います。そういうことから、一般的には確かに危険物なのでない方がいいという意見も出ると思いますし、少なければ少ないほど治安上はいいんだという意見も一部では出てくると思います。そういうことで、管理された形で十分安全性、危険性というものに注意した形でスポーツとして発展する、あるいは楽しむということは、これはあり得る話だと思います。しかし、本質的には危険なものであるという認識は、これは当然持つべきであろうと考えております。
○江田五月君 どうも、何か答弁がちょっと歯切れが悪いみたいな気がしますが、野党の同僚委員の皆さんの中でバランスをとるために多少角度を変えた方向から質問をしてみましたが、角をためて牛を殺すというお話がありましたが、何が角で何が牛であるかということをひとつ間違わないようにやっていただきたいと最後に申し添えまして、質問を終わります。
1980/03/25 |