1980/04/22 |
91 参議院・地方行政委員会
犯罪被害者等給付金支給法案について
○江田五月君 衆議院の法務委員会で当時の稲葉国務大臣が、犯罪の被害者救済制度ができていないと、「文明国の名に恥じるという気持ち」だと、「政府の道義的責任としてやるべきものだ」ということを述べられたのが昭和五十年の二月十二日ですから、それからもう五年たったわけであります。昭和五十三年の十月十九日には、参議院の法務委員会で瀬戸山法務大臣が、何とか次の通常国会には出したいと準備を進めているのだと。また、伊藤刑事局長は――これは法務省の。通常国会に提案するという覚悟で最後の詰めをしていると。それがついにまた一年延びてやっとここまで来ましたが、とにかくこうやっていま成立の直前までこれたということは嬉しいことだと思います。
さてそこで、それでも遡及ができないとかあるいは過失を除いているとかいろいろ不十分なところがあるわけで、考えてみれば、この制度を実現にまで持ってくることができたのも、いままでの犯罪の被害者の方々のこれまでの御努力が大きくあずかって力あったわけで、その人たちに何も報い得ないというのは、やはり何とも残念なことと言わなければいけないんです。いま稲葉法務大臣の言葉を引用しましたが、文明国の名に恥じる状態がこれまで続いていたわけでありまして、私は前に参議院の法務委員会で、社会のいわば倫理的な水準がどの程度にあるかということをテストする一つの制度なんじゃないかということを申し上げたことがありますが、いまやっと文明国としての道義的、倫理的な水準にわが国が達しようとしているわけで、ここまで持ってくることに大きく力があった、これまで運動を、この法案を推進されてこられた方々に、お気持ちはわかると言うだけでなくて、もう少し政府の方から、大臣からねぎらいとか感謝の言葉があってしかるべきじゃないかと思うんです。
たとえば、いろいろ社会に御努力くださった方々に叙勲というようなこともありますけれども、どうも叙勲はしてみても後でいろいろ都合が悪かったというような事例もときどき聞かれるわけですが、こういう人たちこそ社会全体で感謝をしなきゃならぬ人たちだと思うのですが、まずその点について、大臣の御意見を伺っておきたいと思います。
○国務大臣(後藤田正晴君) 江田さんの御意見どおり、私自身も感じております。
そこで、いままで御努力をなさっていただいた方に対してどういう処置をするかというようなことで、いま具体的にこうだと言うのは差し控えたいと思いますが、たとえばその人たちに感謝状なり何なりを差し上げて、そして長い間の御労苦に心からの私どもの謝意を表したいと、かようなことも実は考えておるのです。ほかにもいろいろ、この法律の運用に当たりましても、これは乱に流れちゃいけません、どんどん広がりますから。しかしながら、やはり私どもとしては、被害者を救済するといいますか、そういう基本の物の考え方に立って運用に当たるようにやってまいりたいと、かように考えております。
○江田五月君 法律の中身に入ってまいりますが、第二条では、「「犯罪被害」とは、」「人の生命又は身体を害する罪に当たる行為」で、括弧して、刑法のこれこれは含みこれこれは除くと、そして「過失による行為を除く。」となっているわけでありまして、過失を除いているわけですが、この過失を除くことの理由ですね、論理的な理由が何かあるのかどうか。
○政府委員(中平和水君) 過失を除く論理的な理由――どういうお立場からの質問か、ちょっと私十分に理解できないわけでございますが、この制度はあくまでもこれは原因者負担の例外でございまして、したがって、やはりこの問題の起こりから考えましても、通り魔殺人に象徴されるように、何らのいわれのない方が被害にかかって、そして何らの救済の手段がない、現実に民法の不法行為等の制度がありつつもこれが全く機能していないような状況にある。そうして、これはそのまま放置できないという一種の社会のコンセンサスといいますか、それに基づいて、連帯共助の精神に基づいて例外的な制度として打ち立てた制度でございます。したがいまして、そういう観点からいたしますと、やはりこれは故意による犯罪、しかもそれが死亡と重障害というふうな犯罪に限るべきではないか。つまりこのことによって国の法制度に対する国民の信頼感というものを確保してまいると、こういうふうに基本的には考えて犯罪の対象についてまとめたものでございます。
○江田五月君 おっしゃることは、過失を除かなきゃならないという理由にはならないわけで、過失による生命、身体を害された被害の場合でも、本当に気の毒な結果が起こることはもちろんたくさんあるわけでありまして、しかも、この法案だけを見ても、ある程度これ実は過失が入っておると読めなくもないんだと思うんです。「人の生命又は身体を害する罪に当たる行為」で、過失を除く、その部分に、たとえば刑法百八十一条あるいは刑法二百四十条ですか、こういうものによって生命、身体を害される場合もこれは含むわけですね。
○説明員(浅野信二郎君) そういう場合も含むという考えでございます。
○江田五月君 これは結果的加重犯、結果的加重犯というのは故意の場合ももちろんありますが、結果として起こった人の生命または身体の被害について、あるいはそういう人の生命、身体に対する加害について過失、がなければならぬというのがいまの刑法の考え方ですね。
○説明員(浅野信二郎君) 結果的加重犯、結果について故意でない場合というのを当然予期しているわけでございます。
○江田五月君 その限度で過失というのはもう初めから論理的に省かれてしまっているんだというほどのことはないような――あるいは百八条もこれも含まれるわけですね。
○説明員(浅野信二郎君) 百八条、「現住建造物等放火」だったと思いますが、含む考えでございます。
○江田五月君 百八条の行為で人の生命、身体が害された、これはもう一度その人の生命、身体の安全が害されたこと自体はさらに改めてどこかの条文に該当するということにしないというのが普通の考え方ですが、この場合にも、やはりそれでもそうしたことに全く無過失の場合には果たしてそこまで刑法的に評価ができるのかどうか。やっぱりある程度過失的なことが必要だと普通は考えられているんじゃないでしょうか。どうなんでしょうかね。
○説明員(浅野信二郎君) この無過失の場合、過失の場合という御質問でございますけれども、現在建造物放火でそれによって人が亡くなったと、それについて、殺人が成立しない場合もこの対象になるという考えでございます。
○江田五月君 このいま御提案になっている法案の中にもすでにある程度過失というようなものが含まれているんだということをいまちょっと考えてみたわけですが、さて、実際のこの運用ということになりますと、故意と過失、そんなにいつも明瞭に区別できるわけじゃないんで、未必の故意と認識ある過失というようなことをいろいろ議論するわけですけれども、どこで線を引くかというのがこれはもう非常にむずかしい。ある意味では、捜査官の供述を得る技術によるようなところもあったり、非常に微妙なことだと思うんです。
同僚委員の先ほどの質問の中に、たとえば、Aをやろうと思ったらBに行っちゃったということがありましたが、Aをやっつけようと思ってピストルを撃ったらBに当たったという場合、Aを撃とうと思ったら実はBであったという場合、ちょっとこれ違うわけですが、いずれもこれは故意犯でいいんだと思いますが、Aを撃ったらAにも当たったけれども同時にBにも当たっちゃったというような場合もあって、このような場合にはこれは非常にこんがらがることになって、一方は故意で一方は過失だというようなこともあるんですけれども、しかし、AでもBでも構わぬやと思えばこれは両方が故意になって、Aしか当てないと思ったのにAも当たったけれども実はBにも当たっちゃってというと、片方が過失になってとか、その辺の人の気持ちというのはそう簡単にはかり知ることはできない。やはりそこは外形上から見て、たとえばこんなに人がたくさんいるところで散弾を撃てば、それはねらった人以外の周辺の人にも当たるのは当然だというようなそういうケースならば、たとえその本人の、加害者の供述の内容がいろいろなものがあっても、そこは客観的に見て、こういうケースは故意と考えて処理していいんじゃないかとか、いろいろとあると思うんですね。
ですから、余り故意、過失を厳重に、加害者の心のあり方でどっちかに動くというようなことを、ある意味では加害者の胸算用一つでどうにでもなっちゃうというようなことはやめて、そこは常識に従って、むしろ事実を外から見て、この場合はやはり補償すべきだと普通考えられるようなケースは補償していくという、つまり刑罰を追及する場合の厳格な証明というのではなくて、本当にかわいそうな被害を補償していくんだという立場から、過失とか故意とか刑法の要件、刑法の言葉をいわばかりてきてここで議論しているんですから、あくまでそれは刑法の概念であって、ここではもう少し違った観点から故意だ過失だというような言葉も議論をして実際の運用をしていった方がいいんじゃないかと思うんですが、いかがでしょう。
○政府委員(中平和水君) ただいま御指摘のとおりでございます。これは必ずしも刑事責任を追及する場ではございません。ただ、刑事責任を追及していく場合でも、本人の供述いかんで決めているわけではなくて、客観的な証拠を積み上げ、初めてこれは刑事責任を追及するわけでございますので、その辺はひとつ誤解のないようにお願いいたしたいと思います。
そこで本論に返りますが、ただいま申し上げましたように、やはりこれは被害者を救済するという観点から、刑罰の法令を執行するような厳格な証明は必要としない、こういうように考えております。そういう気持ちで私ども運用してまいりたいと思っております。
○江田五月君 さらに、これは給付金を得ようと思うと、三条では、「犯罪被害を受けた者があるときは、」「給付金を支給する。」となっておりますが、これだけでは実は給付金は出ないんで、十条によって、「裁定を受けなければならない。」というわけですね。しかも、先ほどからのお話を伺っておりますと、犯罪被害があったからといって、すぐに国に給付金を支給する民法上の債務が発生するわけではなくて、裁定があって、十一条二項で申請者が権利を取得して、初めて国が義務を負うということになるんで、そうすると、申請ということがどうしても必要なわけですが、申請する側の者は、当該行為が故意によるものだと、過失を超えて故意によるものであるということまでをきちんと申請の際には立証できるような、たとえば書類を添付するとかというようなことが必要なんですか。それともそこまでは別に要求されないんですか。どうですか。
○説明員(浅野信二郎君) この制度によります裁定は、犯罪被害者の救済という観点から行う行政措置でございまして、そういう観点から被害者の方々あるいは遺族の方々の申請に基づき裁定を行うわけでございます。したがいまして、申請に当たりましては、いつ、どこで発生した事案であるということの特定は当然必要になると思いますけれども、それが故意の犯罪行為による被害であるという証明書等を添付するところまで要求することは考えておりません。
○江田五月君 三条の、「被害者又は遺族」の、括弧書きの、「行為が行われた時において、日本国籍を有せず、かつ、日本国内に住所を有しない者を除く。」と。これは日本国籍を有しないし、同時に、日本国内に住所を有しない。その二つの要件を満たす者を除くんだという、そういう趣旨でよろしいんですか。
○説明員(浅野信二郎君) はい。いずれも消去条件で、国籍を有しないという消去条件、国内に住所を有しないという消去条件、その両方が重なったときに初めて除かれるという趣旨でございます。
○江田五月君 金額についてお伺いをしますが、先ほどから準備準備というようなお話がございましたが、もういまの段階ではこの九条の政令は用意をされておりますか。どうですか。
○説明員(浅野信二郎君) 政令の骨子をつくっております。
○江田五月君 そうすると、その骨子によると、これは試算になるのか、最高額、最低額それぞれ遺族給付金、障害給付金、幾らぐらいになっておるんですか。
○説明員(浅野信二郎君) 遺族給付金の最高額が約八百万円、それから障害給付金の最高額が約九百五十万円ということでございます。最低は、遺族給付金にありましては二百二十万、障害給付金につきましては約二百六十万ということが試算されております。
○江田五月君 この額ですが、大臣、命の値段というわけですが、これは非常に算定するのはまず無理だという考え方もあるんです。しかし、まあ無理だと言うなら、それじゃゼロなのかというと、ゼロではいけないから、どうしても算定をしなきゃならぬ。そこでいろいろ無理をして算定をするわけですけれども、大体いま命の値段というのが、非常に大ざっぱなお話で結構なんですけれども、どのくらいだというふうに思われますか。
○国務大臣(後藤田正晴君) それはちょっと私もお答えができないので、ただ率直に言いますと、私大臣になる前ですけれども、この制度の説明に、長官がお見えになったのですけれども、私、安過ぎると、これは。もう少し何とかならぬのかという、実は少し厳しい質問をしたのです。しかし、いろいろ説明を聞いてみますと、われわれの頭には自賠責のことがすぐに出てくるのですけれども、あれは保険ですからこれとはまるっきり違う。そうしますと、具体的に言いますと、いま、警察官の職務の執行の際にこれに積極的に手助けして重傷を負ったり亡くなったりする方がいらっしゃいますね。これに対する給付制度があるわけです。それとの絡み合わせでこの程度が適当だと、こういう説明を聞きましてね。ならばそれでやむを得ぬのかなということで一応了承をしたのです。これは大臣になる前の話です。しかし、私の気持ちとしましては、少しこれは安過ぎるなという気持ちを本当はいまでも持っていることはもう間違いございません。
○江田五月君 この制度の給付金としてはいろいろ考えなければならぬ点がそれはありますが、命の値段というのはいま一千万下るようなことはこれはとてもないですね。命の値段というのが仮に算定できるとしてですよ。自賠責でももう二千万ですか、無過失で死亡の場合には何千万。もう小ちゃな子供だって何千万ということになっているわけで、この額ではやっぱり安い。それはほかの制度との均衡その他いろいろあるでしょうけれども、ほかの制度とこれが均衡した額であるならば、それじゃほかの制度もやっぱり安いわけです。
そこで、この給付基礎額は賃金統計を利用して定められるということを伺っておりますが、その場合の賃金統計はいつの賃金統計をお使いになるのか。被害を受けたときなのか裁定をするときなのかという点をお伺いしたいのです。
○説明員(浅野信二郎君) まあ最高額、最低額はいろいろ物価水準等により変えていくことになると思いますけれども、基本的にはやはり被害を受けられたときの収入をもって、最高、最低の間では収入をもって基礎額を算定することになりますから、最高、最低につきましても同様な扱いにするのが自然ではないかというふうに考えます。
○江田五月君 ところが、たとえば交通事故の損害賠償の算定のような場合には、これもいろいろ説があってどれとはっきりは確定はしていないのですが、通常いま裁判の場合には裁判時というのが多いのですね。余りにも物価がどんどん上がるものですから、事故時のやつを使っていたんでは、裁判が何年もかかったらずいぶん古い話になってもうどうしようもない。それでいろいろ理屈をくっつけて裁判時の賃金の水準を使って額を計算しようじゃないかというようなことがあるのですがね。この額がやはり全体として低いというような印象があるならば、なるべく高い水準に持っていくために、裁定時の賃金統計をお使いになるということは十分検討に値することだと思いますが、いかがですか。
○説明員(浅野信二郎君) この制度の裁定は、できるだけ早くして給付をいたしたいということは先ほども答弁しているとおりでございますが、確かにおっしゃるように、死亡されたことが発見されるのが大変時間がかかったというようなケースも全くないということではございません。ただいま先生がおっしゃったことを考慮して、どういう取り扱いをするか、よく検討してみたいと思います。
○江田五月君 この給付金は国家賠償のような性質のものではない、いわばお見舞いといいますか、慰謝料的な、被害者の方々の気の毒な精神的な苦痛をお慰めするんだというようなお話だったと思いますが、しかし、やっぱり損害賠償と損害賠償の一部に充当されるものにはなるわけですね。八条の一項、二項によりますと、損害賠償を被害者が受けているときにはその限度で給付金を支給しないとか、あるいは給付金を支給したらその額の限度で国が損害賠償請求権を取得する、つまり求償ができるという、そういう規定があるわけですから、やはり損害賠償に充当される性質を持つ金であることはこれは否定できないわけですね。
○説明員(浅野信二郎君) この制度の趣旨は、先ほど局長の方からも御説明しておりますように、社会の連帯共助に基づく給付金でございますけれども、この制度をそもそも行います前提といたしまして、こういう故意の犯罪による被害者の方々が加害者等から損害賠償を受けられないということを前提として、そういう場合を救済するという考え方をとっております。そういう意味でこの八条のような規定が設けられております。その結果、先生おっしゃるように、損害賠償と互換性があるといいますか、そういうような関係も結果的に出てきておると思います。
○江田五月君 そこで、八条の損害賠償ということのこの中身ですが、この給付金はいわば慰謝料的な性格を有するものだと。八条の「損害賠償」と書いてあるこの損害賠償は何かということで、たとえば治療費とか治療のための交通費であるとか、あるいは障害が固定するまでの休業補償とか、こういうものは、これは恐らく犯罪被害による死亡または重障害の結果起こった損害ではないということですから、それは入らないということですね。
○説明員(浅野信二郎君) この制度による給付金は、先生いまおっしゃったように、実損害というものを直接てん補しようということを目的とするものではなくて、いわばこの損害賠償と対置するときは、慰謝料と逸失利益というものと相対して考えてみるべきものじゃないかと思います。そういう点で、いまおっしゃいましたような療養費、交通費等のそういう積極損害というものは入らないと考えております。
○江田五月君 私は、慰謝料にとどめることはできないんだろうか。逸失利益として受けた場合に、その分までこの犯罪被害者等給付金の支給をストップする必要はないんじゃないかと言いたいんですけれどね。お気の毒な人の被害の精神的な苦痛をお慰めするんだということならば、逸失利益として受けたものまで支給をストップしたりする必要があるんでしょうか。
○説明員(浅野信二郎君) 先ほども御説明いたしましたように、この制度は損害賠償が受けられないということを前提として創設するものでございます。そうしました場合には、損害賠償の中にもいま先生いろいろおっしゃったものはございますけれども、慰謝料、逸失利益、これは実務でもどういう割合で分けるか大変むずかしいものだと思いますけれども、そういう損害賠償の額につきまして、やはりこの制度で考えております一定限度額を超えるものを現実に受け取られた方は、この制度がそもそも予定していたような状態でもないというふうにも考えられますから、やはりこういう考え方をとっていくのがこの制度自体では合理的ではないかというふうに思っております。
○江田五月君 大臣、つまりいまのところはこういうことなんですね。この金額自体が、命の値段とかあるいはもう労働能力を完全に失ってしまった人に対する補償としては非常に安きに失するものではあるんだと。だけれども、ほかの制度の関連上この程度しかいまはしようがないんだというような、その程度の金額しか出ていないのに、ちょっと加害者の方が多少財産があったからとか、あるいは自分の家屋敷を売って補償するとか、あるいは少し働いて何十万かたまったからといって持ってきた。それを持ってきたら、今度はその部分は国からの支給の分から引いちゃうというわけですね。八条一項が。あるいは二項の方は、国が先に給付金を出しているから、その出した限度において加害者に対して国は損害賠償請求権を取得する。だから、加害者の方があれこれ工面をして被害者に多少払える余裕ができたというときには、国がぱっとその分を取ってもいいよと、そういう制度になっているんです。制度としてはそれはそれで、これがだめだというところまでは言いにくいと思いますけれども、運用の点で、そういう血も涙もないようなことはやらないようにひとつ考えてほしいと思うんですが、これで質問を終わりますが、ひとつ温かい答弁をお願いします。
○国務大臣(後藤田正晴君) しばしばお答えをいたしておりますように、この制度を生きた制度として運営をしていきたいと、こう考えておりまするので、いずれにいたしましても、衆参両院での審議の経過をよく吟味いたしまして妥当な運営を行っていきたいと、かように考えております。
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