1984/04/11 |
101 衆議院・文教委員会
教育改革について(家庭科共学必修を提案)
○江田委員 おはようございます。
入学式も終わって新学期になりまして、大分所信に対する質疑を待たされましたが、やっと私も衆議院で新入生になったようなつもりで、フレッシュマンのつもりでお伺いをしますので、ひとつよろしくお願いします。
森文部大臣のいろいろな言動を興味を持って注意深く見たり聞いたりきせていただいているのですが、せんだって臨教審の法案が提出されたときのマスコミのインタビューで、たしかNHKだったと思うのですが、なかなかおもしろい、すばらしいことを言われている。初めて言うんだがという前置きで、ひとつ教育について国民から論文を募集してみたらということをおっしゃっていましたね。私は非常におもしろいアイデアと思ったのですが、ひょっとして文部大臣のお考えが、私がおもしろいと思っていることと違っていると困りますので、どういうようなお気持ち、意図でああいうことをおっしゃったのか、御説明願います。
○森国務大臣 江田さんの御質問、大分遅くなりまして、私の責任でもないのですが、おわびを申し上げるわけであります。私も同じように初めての体験でありますので、私もフレッシュに、一生懸命に頑張って日本の教育のために努力をしたいと思っておりますので、江田先生の御指導をまた心からお願いを申し上げる次第です。
今お尋ねのことでございますが、新しい臨時教育審議会設置法案を国会にお願いをいたしたわけでございますが、私が大臣に就任いたしまして、そして教育改革の問題を御提言を申し上げる。本当に毎日のようにお手紙が来るんです。大体平均一日十通ぐらいお手紙が来ます。全然私の存じ上げていない方からです。なかなか全部読み切れませんが、できるだけ目を通しておるんですけれども、教育問題に対して国民の皆さんの関心が非常に広いなということをうかがえる一幕でもあるわけです。
そこで、これから教育改革を、総理も私も申し上げておるように、できるだけ国民のすそ野の広い議論をと、国民の多くの皆さんに参柵してもうえるようなそういう機会は、また新しい審議機関の皆さんでお考えをいただくことになるだろうと思いますが、一つの方法として、たまたまお手紙をたくさんいただいて、書く人にはってはもう二十枚も三十枚も便せんに書いてあるのもあるわけですから、何か国民的に多くの関心がありますだけに、そういう教育に関するお考え方を広くお呼びかけをして求めるという方法も一つの方法ではないかな。たまたまNHKの記者の方が、どんな方法がございますかということでございましたので、幾つかのその場で考えたことの一つとしてそういうふうに申し上げたわけでございます。
○江田委員 まさにそのとおりだと思うのです。今この教育というのは、本当にもう一億総教育評論家なんて言われる。これはある意味でやゆした言葉ではあるけれども、同時にやはりそれだけ国民に関心が深い。国民皆、子を持つ親であったり、あるいは子供の立場というものもあるでしょう。と同時に、これから先の日本が一体どうなっていくのか、世界がどうなっていくのか、みんなに関心があることで、みんなそれぞれにいろいろな思いを持っている、悩みを持っている、希望を持っている。ですから、ひとつ広く議論を大いに沸き起こしてほしいと思うのですが、その中で文部大臣は文教行政に関してはベテラン中のベテランでいらっしゃいますけれども、私なぞは文教というのは全くの素人で、しかし今、国民みんなが関心を持っているみんなの課題であるということを考えるなら、もちろんそういう教育の専門の皆さんの発言は大切ですが、いわゆる素人、しかし本当は素人じゃないかもしれませんよ。いろいろなところでそれぞれ、子供をどう育てるかというのは親が一番関心がある、一番重大に思っている、一番利害関係を持っている、そういう意味でいわゆる素人が、ピントが外れていようが当たっていようが、さまざまなそういう大きな論議の渦を起こしていただきたい。私などピント外れの発言も、ひとつそれなりに大いに参考にしていただきたい。この全員参加の教育改革、新聞も、ある新聞を見ますと、教育をめぐり百家争鳴なんていうことで、いろいろな投書をいっぱい集めておるということですので、全員参加の教育改革を目指していただきたいと思うのですが、いかがですか。
○森国務大臣 教育の成果といいますか、これはなかなか予測しがたいものもございますし、今日までも日本の国民、そしてまた行政、政治、各種あらゆる分野の皆さんが、敗戦の中から今日の日本の興隆を皆目指して大変さまざまな努力をされたわけであります。やはりその基本的な大きなバックボーンというのは教育にあっただろうと思っておりますが、そういう意味でこれから特に、江田さんもそうですし、私たちの世代は、それこそ二十一世紀の中盤ぐらいまでのそういう日本の将来に対して責任がある政治家の立場でございます。
そういう中で日本の教育はどうあるべきなのか。そういう意味で、多くの国民の皆さんの意見をいただきながら、間違いのない日本の将来をきちっと定めておくということがとても大事なことだと考えておりまして、そういう意味で、私も多くの皆さんの声に謙虚に耳を傾けながら過ちのないような日本の教育の行政を担当していきたい、こう思っているわけでございます。
○江田委員 今文部大臣のお言葉の中に出てまいりましたけれども、戦後の教育ですね。大臣が昭和十二年生まれとたしか伺っておりますか、そうすると終戦時が小学校の二年生ですか、ある意味では戦後の大変混乱した時期に教育のスタートを受けられた。私は昭和十六年生まれ、大体同世代ですが、小学校へ入ったのが昭和二十三年。大臣の場合は、恐らく墨で消された教科書をお使いになった。
私の場合にはそれよりちょっと後です。しかし学校の運動場は、かわらのかけらなどがごろごろしている。学校の隅の方は、戦争中に空襲で亡くなった皆さんを積み上げて焼いたような場所がある。骨こそ出てこないようになっていますけれども、ある意味ではそういう劣悪な教育環境。教育の内容も、私、たしか小学校二年のときに、国という字が国構えに或という字を習って、今度三年のときに今の国という字を習って、一円二円の円という字も途中で変わった。そういう時期に教育を受けて、騒然たる教育環境であり、不十分な教育設備、しかし、何かあの当時の教育に私は自分の教育の原点を持っているんですが、文部大臣の教育の原点というのは一体どの辺におありなのか。
○森国務大臣 私も初めて大臣として国会で答弁いたしましたのは、参議院の決算委員会だったんですが、そのときに参議院の社会党の先生から、大臣は戦後の教育を受けた初めての大臣だから、戦後教育がよかったか、戦前の教育がよかったか、どちらかという質問をいただきまして非常に困ったのですが、やはり教育というのはゼロ歳から生涯にわたるものだということ、私は内分の体験上そう確信をしているわけです。
戦後のさまざまな変化はございましたけれども、今江田さんがおっしゃったように、私たちの小学校から中学に至る過程というのは、教育に非常に大きく動かされたわけでございます。しかし、その割には、自分で言うのはおかしいのですが、我々の世代はみんなそれなりにしっかりしていたと思うんですね。それは、やはり小学校に入る幼児教育というのが一つの基盤だったんじゃないかな、確かにそのころは戦争志向の、まさに戦争の激化の中での子供時代でございましたけれども、それなりに物事に対する判断力というのはきちっとついておったような気がいたしております。そういう意味で、いたずらに昔はいいとか今は悪いとか、今がいい、背がいいということではなくて、いいことと悪いことをしっかりと見きわめて、そしてそういう体験を通じながら人間生涯を全うしていきたい、そんなふうに思っているわけでございます。
○江田委員 私は、教育の原点は、私自身にとってはやはり情熱であり、悩みであり、模索であり、何かをやっていこうという触れ合いだという気がするんですね。それは小学校の校庭は石ころだらけだったけれども、僕らは石ころを片づけながら自分たちで校庭をつくった。僕らのちょっと先輩は、新しくできた中学校を自分たちでつくったわけですね。勉強の中身についても、先生方も、社会科なんというのが新しくできて、どう教えていいかわからない。しかし、その中で何か子供たちと一緒にやっていこうと……。地域と学校との結びつきも随分あって、運動会、学芸会なんていうと、それが地域の共通の楽しみの場所で、弁当を持ってござの上に座って、一日子供の下手な演芸を楽しんだなんていうのが、できのよさ悪さじゃなくて、そういう一つの触れ合いが教育の原点じゃないかという気がするのです。これは大臣も同じだと思うのですが、さて、そういう教育が今何かおかしな方向に行っている。それで教育改革。
ところで、大臣は就任のときに、この教育改革については臨調方式でやることを総理に進言するつもりだ、そういうようなことをおっしゃいましたが、これはどういう意味ですか。簡単で結構ですからお答えください。
○森国務大臣 臨調方式という言葉がどうもひとり歩きをして、行政改革と同じように受けとめられているということについては、いささか言葉足りずであったなと思って反省をしておるわけですが、要は教育は、文部省の行政はもちろん中心でありますが、いろんな各行政の部局に関係のあることが非常に多くなってきている、それから長期的なものとして取り組んでいかなきゃならぬ、そういうことも考えまして、政府全体としてこの問題に取り組んでいくべきだ、私はこういう意味のことを申し上げたかったからでございます。
○江田委員 それならいいのですが、しかし、どうも気になる言葉が時にあったですね。今私がここに持っているのは、「内外教育」という雑誌のインタビューで大臣が、「もし教育改革をするということになれば、相当なところから抵抗が出てくると思う。教育臨調――それくらいの構えがないと」、こうおっしゃっている。抵抗を排除して、何かのものを目指してがむしゃらに、切って切って切りまくって教育改革をやる、そういうようなニュアンスに聞こうと思えば聞こえるんですが、そういうことなんですか。それとも、何かちょっと言葉足らずで、意図は別だということなんですか、どうなんですか。
○森国務大臣 それぞれの教育の任に当たっている方々は、自分たちの持っておられることに手を入れられることはやはり嫌なものだと思うのです。例えば四十六年答申がございましたいわゆる先導的試行という、今から見ればみんなが検討しなきゃならぬという立場になりますが、あの当時は国民が大変大きな議論を沸かせたわけでありますが、その当時、幼保の問題が出ると、あるいは就学年齢のことが出てきますと、何となく幼稚園が侵されるのではないか、あるいは学制の年限の話が出ると小学校長会が何となく異論を唱えるというふうに、やはり自分たちが抱えておりますところに手をかけられるということに対しては、どうしても抵抗するということがございまして、抵抗を排除しようという言葉はちょっと私も反省しなきゃなりませんが、まだ大臣になったばかりで、ちょっと言葉の選び方がまずかったんだと思います。先ほどから申し上げましたように、やはり政府全体として取り組んでいかなければならぬ、そういうような意味で私は申し上げたわけでございまして、まあ反対する者を押しのけてがむしゃらにやっていく、そういう意味ではないわけでございます。
○江田委員 それを聞いて安心したんですが、中曽根さんも恐らくそういう抵抗を排除してということじゃないんだろう、文部大臣も、広く国民の意見を聞きながら、国民的な大きな議論の中で方向を探っていくということなんで、ぜひそうしていただきたい。いろいろ雑音があるけれども、そういうものには耳をかさずにじゃなくて、あるいはまた、あらかじめ何か――これは聞いておかなきゃいけないんですが、あらかじめこういう教育の方向にもう向けていくんだということを設定されて、それに向けていろんな段取りだけをつくっていく、そういう教育改革じゃないわけでしょう。みんなの意見をこれから闘わせて、一つの方向をみんなで探ろうということなんでしょう、これは確認ですが。
○森国務大臣 何度か申し上げてまいりましたが、基本的には今まで日本の教育というものは大きな成果を見ているんです。量的にも質的にも充実をいたしておりますし、世界の国々から比較いたしましても、日本の教育はまさに注目を集めている、こう申し上げてもいいぐらい充実をしていると思います。
ただ、いかなる制度もこれで完全だとは言い切れない。これからはやはり二十一世紀を志向する。日本の国の中にも、例えば高齢化社会、高学歴化社会、あるいは情報化社会、あるいはコンピューター時代、いろんなことが考えられる。そういう時代に対応して、今のこの制度だけがすべて真っ当で進んでいくとは私には考えられない。現に、先ほど申し上げたように量的にも質的にもかなり効果が出ているのに、現実の問題としては、先ほど江田さんのお話もございましたように、何か今の日本の教育に対して物足りなさをみんなが感じている。それは一体何なのか。それは結局、国民の物の考え方に社会が対応していけなくなってきている。そういう意味で、もう少し柔軟に、あるいはまたもう少し多様化した考え方、あるいは教育を受ける立場のニーズに対してもう少し柔軟な教育体制はできないものだろうか。全体として、今の教育を踏まえながら、新しい二十一世紀を担う子供たちに対して、また国際社会の中で生きていく日本として、どのような教育があるべき姿なんだろうか、こういうことをそれぞれのお立場の皆さんで広く御協議をいただきたい、こういうことが基本的な私どもの構えでございます。
○江田委員 先ほど大臣、もう毎日のように手紙をいただく、いろんな意見があるとおっしゃいました。私は、いろんな意見だけでなくて、日本の教育全体として大きな問題を抱えているけれども、しかし、それぞれ地方地方で、現場現場で、実はいろんな工夫がやはりあるんだと思うんですね。日本の教育は悪いばかりじゃない、みんな一生懸命やっている。先生方も一生懸命、PTAも親御さんたちも一生懸命、地域の人も一生懸命のところがあって、そういうかなりの成果を上げているところは至るところにゃはりあるんだと思う。そういう現場に学ぶという姿勢がこれから必要なんじゃないかと思うんですね。
一つ、今私のすぐ身近なところにある、これはおもしろいな、大臣にぜひこういうのを知ってもらいたいなと思う例を、これは別に私が申し上げる例が全国でただ一つすぐれているという意味じゃなくて、一つの例として申し上げてみたいんです。
実は私の住んでおりますところ、岡山市に旭操小学校という学校がありまして、その学区は人口がおよそ七千人ぐらいのところなんですが、ここでお年寄りの皆さんがあいさつ運動、子供たちに「おはよう」、「こんにちは」とあいさつをする運動をやろうとやり出したら子供たちが返事しないというんですね。なぜだろう。お年寄りを知らない、知らない人から声をかけられてうっかり返事したら誘拐でもされるなんという時代ですからね。
そこで、お互いに知り合おうじゃないか。学校の方も、それはなかなかおもしろい、地域と学校の結びつきをひとつ考えていこう。それで、六十五歳以上のお年寄りに「ふれあい会」の会員になってください。これが八十何人か会員ができまして、いろいろな催し物に参加をしていただく。遠足に一緒に行く、あるいは学習発表会、運動会へお招きをする、七夕、もちつき、お年寄りの皆さんに昔のおもちゃをつくってもらう、子供たちがそのお返しで肩をたたいてあげる、そういうことをやっていまして、それでこういう文集ができたのですね。後で学校の方から文部大臣に贈呈をさすようにちょっと言おうかと思いますが、この中で、おもしろいですよ。
あるおばあさんの書いていることですが、「今まで六回出席させていただき、遠く離れた孫達のことを想像して楽しい一時一時を過ごさしていただきました。有難うございました。七月六日、三・四年生を対象に七夕祭り、昔の遊び等で過ごした時の思い出について書いてみます。」ずっとこうやっていまして、お手玉、「『わあ、おばあちゃんすごい。』と、おほめに預りすっかり六十年位昔に帰った様で私の方が嬉しくなりました。」そして七夕、「その日、女のお子さんが「おばあちゃん方に犬がいる。」「おらんのよ。」」岡山弁ですがね。「『ねこは。』『おらんのよ。』『何にもおらんの。』『お庭に鯉がいるよ。』というと、『ほんとう。見にいっていい。』『来て頂戴。でもお家の人に言ってからくるのよ。』」そうやって、しばらくして子供たちが遊びに来た。池のコイにえさを上げて、「『食べた。食べた。』『大きいのがいろんなあ。』」こうやって子供たちと遊んで、子供たちがお茶を飲んで帰っていった。何となくほのぼのするのじゃないですか。
それから、三年生の男の子ですが、
きょう、七夕まつりがありました。学区にすんでいる、おじいさん、おばあさんといっしょにやりました。
ぼくたちは、おじいさんとやりました。おじいさんは、やさしく教えてくれました。ぼくたちは、紙でっぽうを教えてもらいました。作っているとちゅう、手を切ってしまいました。おじいさんは、「つばをつけてごらん。」と言いました。ぼくは、つけてみました。つけるとあんまりいたくありません。おじいさんは、やさしいと思いました。
けがしてつばをつけると、つばに化膿防止の効果か何かあるらしい。そんな研究発表もあるようですが、そんなようなことで地域とお年寄りとが結びついていく、学校とお年寄りが結びつく、子供たちがお年寄りの友達を何人つくったなんて競争を始める、お年寄りが一つの生きがいを見つけていく。今大臣、高齢化社会を迎えたと。こういうすばらしい現場の実践というのがあるんだ、これをずっとたずねていこうじゃないか、そんなお気持ちになられないでしょうか、どうでしょうか。
○森国務大臣 今の江田さんの地元の旭操小学校のお話、大変興味深く伺いました。
私は、戦後の教育の中で、地方のそれぞれの教育委員会に教育のいろいろな意味での権限をお任せをしてある、それは学校教育が多様的になっていくという意味で非常にいいことだと思うのです。ですから、その地域地域の実情に合った教育年教育委員会あるいは学校長、教職員の皆さん、そして児童生徒、みんなが一緒になって自分たちの学校を盛り上げていく、そして教育の効果をよくあらしめていく、これは私は戦後の教育の一番いいところだ、そういうように思います。
したがって、今日本の子供たちは、僕たちが考えてみてかわいそうだなと思うのは、やはりお父さん、お母さんは忙しい。どうも日本のこの現代社会というのは、それぞれ独立して核家族になっていくことが何となく文化生活のように一時的に思っていた時代があった。おじいちゃん、おばあちゃんのいないところにお嫁に行くというのは、何か若い人たちの希望みたいであった。しかし最近では、おじいちゃん、おばあちゃんがいてくれた方がいいなという考え方にだんだん若い人たちも少しまた変わってきたような感じもするわけであります。特に幼児教育などというのは、長い人生の経験をしてこられたお年寄りの方から自然な形で教えられる知恵というのが、我々の昔を振り返ってみても、父母に教えられたことよりも祖父母に教えられたことの方が非常に印象に残っているわけであります。そういう意味で、こうした旭操小学校のような、地域全体がお年寄りを理解して、おじいちゃん、おばあちゃんも、どちらかといえば戦後何となく子供たちにそっけなくされておったけれども、こういう学校を通していろいろ多くの、みんな我が孫のように触れ合うことができるというのは私は大変すばらしい教育のあり方だろうと思います。
私自身、自分の生まれ出た小学校を見てみましても、やはりおばあちゃん、おじいちゃんを入れた運動会をやりましたり、いろいろそれぞれの工夫をしているようでございますし、孫とお年寄りの運動会なんというのは私の選挙区でもよくやっておりますが、見ておりましても、非常にほほ笑ましくていいなというような感じがいたします。そうすると、町の中を歩いておりましても、親を全然知らなくても孫の顔を知っていて、「おい、五月君」なんて言っておじいさんが頭をなでている。みんなが地域社会全体に子供たちをよく導いていこうということになる。そういう意味で大変すばらしいことだと思います。ぜひ江田さんを通じて、学校の皆さんにも激励をしてあげていただきたい。こうした考え方でできるだけ地域全体と取り組むということ、いわゆる不良、問題児童というものの対応には、家庭と地域社会と学校の連帯というのが一番大事なことでございますので、文部省としてもそういう方向は大変ありがたいと思っておりますし、またできる限りそういうような方向で指導もしていきたいな、こう思うわけでございます。
○江田委員 確かに核家族の動きに対して一つの反省も起こってきている。しかし、これは国が三世代同居をしろとか、おじいさんと一緒に住めとか言って号令をかけてそうなるわけでもないし、やはり核家族という大きな趨勢はあるんだと思うのですね。ですから、家庭の中でお年寄りと孫と触れ合わさせるというのは、なかなかそうはいかない。そうすると、やはり地域でそういうコミュニティーづくりにみんなが励む。背はコミュニティーづくりなんて励まなくても、強過ぎるくらいな向こう三軒両隣、隣組とかなんとか、私はその当時は小さいから知りませんけれども、そういうのが強過ぎた。今はなくなってしまって、コミュニティーというのをみんなが意識してつくらなければいけなくなってきている。そういう時代ですのでこうした動きが本当にありがたいと思うのですが、しかし、こういう中で大臣、悩みもあるのですよ。
まず、こういう前例が余りどこにでもあるわけじゃないので、それなりに教師も決断をしなければならぬ。ひょっとして教育委員会に怒られるのじゃないかなんということを気にしながら、いや、しかしといって信念を持って決断をする、これは決断をします。ですからよろしい。しかし、カリキュラムが込み過ぎていてなかなかその時間がとれないというような問題、あるいは予算がもうどうにもしょうがない。この旭操小学校の場合には、学校全体の予算から二十万何とかひねり出したんだけれども、それを老人クラブの予算の方から出してもらってどうやら使わずに済んだとかいう話ですが、予算的にも非常に困る。
これは一般的要望で、そういうこともひとつお考えになりながら手当てをしていただきたいと思いますが、特に困るのがお年寄りがけがした場合ですね。あるいはお年寄りですから何かの拍子に事故が起きた場合に、これは一体どうなるのか。例えば学校安全会は子供たちだけということですけれども、そういう学校での教育の場で事故が起きたときに、先生はいろいろ手当がありますけれども、地域の皆さんが入ってきて学校での一つの行事をやっているようなときに事故が起きた場合に、学校安全会では無理ですかね。そうでなければボランティア保険とか、そうしたことで何か知恵を絞ってみるという態度が今文部省に必要とされているのじゃないかと思うのですが、いかがですか。
○森国務大臣 今お話がございましたような行事だけでなくて、学校を中心とした社会教育におきましても、できるだけ参加者の皆さんの健康とか安全に配慮するというのは当然のことだろうと思いますが、今御指摘をいただきましたように、教育行政の中でこうした立場の特別の補償制度、これはやはり教職員そして児童生徒というふうにある程度限られているわけでありますから、それを社会参加の皆さんへも及ぼすということ、現実の教育行政の中でそれを組み入れるということは困難だろうと私は思います。詳しいことが必要でございましたら政府委員から答弁をさせますが……。
○江田委員 教育行政という小さな枠じゃなくてもっと広く、だって教育改革なんという内閣全体にわたるようなことをお考えなんですから、教育行政と今の行政のいろんなシステムの中で、こうやったらあそこが問題、ああやったらここが問題なんというちまちましたことじゃなくて、こういうものに対して本当に安んじてそういうことをみんなでやっていただくために、国の方は心配のない体制をつくるよういろいろ勉強してみますと、そのぐらいのお答えがあっていいと思うのですが、どうですか。
○高石政府委員 学校管現下における補償については先ほど大臣が御答弁申し上げたとおりでございますが、例えばスポーツ保険というのがありまして、スポーツ活動を重視している際に、自主的な形での保険の仕組みができ上がっているわけでございます。したがいまして、一般的なボランティア活動だとかそういう面について、スポーツ保険と同じような形での自主的な保険制度ができれば一つの前進かと思うのです。そこまでいくためには、検討していかなきゃならぬ問題がいろいろあろうかと思います。
○江田委員 問題を変えまして、地域の実情に合った教育、それぞれの地域地域での教育実践というのが大切だ、そういうものが教育を生き生きさせるという、そういう認識を大臣がお持ちであることを伺って本当にうれしいんですが、それにしては先般「中野区教育委員会の委員の選任に関する事務の改善について」五十九年三月五日付、文部事務次官、東京都中野区長殿という、これは地方自治法に基づく勧告ですか、お出しになった。どうもそれぞれの地域の教育実践に対して、文部省が余計なくちばしを差し挟んでいるんじゃないかという気がするんですが、この点はちょっと文部大臣と対立をするかもしれませんけれども、なぜ一体こういうことをおやりになったんですか。
○森国務大臣 今申し上げたように、それぞれの教育委員会のもとで生き生きとした教育をやるということは大変私は結構なことだと思いますが、やはり日本の国は法治国家ですから、法律の枠の中でやるということが基本的な姿勢じゃないでしょうか。教育行政を進めるに当たっては、教育基本法、学校教育法あるいは地教行法、それぞれの法律があって、その法律の中で柔軟にやっていくということでなかったら、法治主義ということを否定することになるのではないか。そんなことは江田さんが一番よくおわかりになっていると私は思うのであります。そういう意味で、文部省といたしましては、かねてからこの問題については違法であるという見解を表明してきたところでございます。
○江田委員 違法であるか違法でないかというのも、これもいろいろ見解が分かれる場合があるんですね。憲法九条についてもいろいろな解釈がある。やはり見解が分かれる場合に、余りかたくなに考えてしまってもどうも困るので、恐らく文部省は区長の教育委員選任権が阻害されるというお考えなんだと思います。
ところが、これは教育委員の場合じゃありませんけれども、裁判所の判断が、東京の場合ですが、区議会が区長を選任するという制度の時代に、投票をしてその投票結果を参考にして区長を選んだ。だから、区長についてだれがいいかという一種のアンケートのような投票を行ってみて、その結果を参考にして区議会が区長を選ぶという、そういう制度を採用したときに、東京高等裁判所もそれから最高裁判所も、そういうような制度は違法でない、こういう判断をしておるんですね、この最高裁、高等裁判所の判断、裁判所の判断というのがやはり法律の判断については最終的な判断だということは、これは法治主義ですね。それならば、その判断を尊重されたらいかがですか。
○森国務大臣 それは区長を選ぶということに対しての法を皆で定めたんだろうと思いますが、教育委員を選びますのは、教育委員を任命制にするということは法律で決められているわけでございます。したがって、参考にする――当時は尊重するとかいろいろ変化をしたようでありますけれども、やはりこれは区長の権限でありますから、たとえ参考ということでありましても、端的に言えば区民の税金を使って、そしてまあ一応公選のような形で選挙をして、その選ばれた順位を全く無視して選ぶということは区長としては恐らくしにくいはずでございましょう。したがって、区長が教育委員を選ぶという権限はやはりそこに制約を受けるということになるので、それは法に触れる、我々はそう考えているわけであります。
○江田委員 区民の税金を使ってとおっしゃいますけれども、教育改革にお金が一銭もかからぬなんて、大臣も思っていらっしゃらないわけですよね。これで区長の参考のための投票というのは、五十九年度の場合の予算が三千五百万円だそうですね。三千五百万円程度で区の教育に対する区民の参加ができて、みんなが区の教育について関心を持って、すばらしい教育制度ができるならば安いものじゃないですかね。私はこれは違法じゃないと思うのです。違法じゃないところか、むしろすばらしい区民の知恵だと思うのですが、もし違法だとおっしゃるなら、なぜとことん違法だからやめろというふうに文部省は頑張らないんですか。頑張っておられますか。
○高石政府委員 第一回目の準公選の際にも、文部省は東京都を通じてそういう見解で指導してきたわけです。今回も、区の方で条例を議決する前に文部省の見解を明らかにするということで勧告を出してきたわけです。
ただ、法律的にいろいろ区とそれから国が争うということについては直接的なルールがない、裁判にこれを持ち込むというようなルールがないということで、基本的に文部省の姿勢は、この制度は違法であるということで見解を明確にしてきているわけでございます。
○江田委員 前回のとき、区議会が議決をして、区長がそれに対して再議に付して、もう一週区議会が議決をして、そして区長が都知事に対して審査の申し立てをして、都知事がその審査を却下する裁定を下した。
さて、地方自治法にすごい規定がありますね。たとえ住民に選ばれた知事であっても、その知事に対して所管の大臣がある行動をとるように命令して、もしその命令に従わなければ、最終的には知事を罷免させることができるような制度がありますね。なぜそういう制度をおとりにならないんですか。
○高石政府委員 確かに御指摘のように、地方自治法の形態で国の機関委任事務につきましてはそういうルールがあるわけでございます。ただ、今回の教育委員選任の準公選について地教行法の解釈をする立場にある文部省、文部大臣、それはその意思を明確にしているという立場でいろいろ行政指導をしてきたわけです。
そこで、地方自治法の規定に基づく機関委任事務と考えて、そういうルートでそれが処置できるかどうかという問題が残るわけでございます。この問題は、地方自治法の解釈については自治省が有権的な解釈をするわけで、自治省にもいろいろ問い合わせをしておりますけれども、自治省の見解はこれについてまだ検討していかなければならないということで、それが機関委任事務になるという判断を明確にしていないという段階でございます。
○江田委員 かなり言いわけでして、三年前ですか、この問題が起きたときに、都知事の裁定の権限が国の機関としての権限であるかどうかというような検討はされてないんじゃないですか。そこまで、職務執行命令、地方自治法百四十六条ですか、までやらなければというようなことまではお考えになっていなかったんじゃないですか。そうじゃなくて、見解は違うけれども、しかし、しばらく情勢の推移、様子を見ていこう。行政指導という形で、指導に従わなくてもそれはそれで、地方でやっていることだから、別に違法だという見解を変えるというところまではいかなくても、様子を見るのもまた結構じゃないかという程度の気持ちじゃなかったのですか。どうなんですか。
○高石政府委員 第一回目のときに、御指摘のように、ぎりぎりいっぱい争って最終的には区長の罷免権までいくような決心でやるかどうかと、そこまでの詰めた議論を徹底してやられなかったという点は御指摘のとおりだと思うのです。
ただ、第二回目の中野区の投票をやるという状態が実は全国的に、関西においてもそういう動きが出てきたということで、これは中野区だけではなくして、かなり全国的な問題として波及するという状況を憂慮しているわけでございます。したがいまして、そういう段階になれば、なお一層これに対して強い対応をしていかなければならない。先ほど先生御指摘の三千五百万という話がありましたが、これを全部の市町村三千に掛けて、ないしは都道府県までそれをやると一千億ぐらいの金がかかるわけですね。だから、そういうような形でやるのが、本当に準公選にそれだけの金を投資する値打ちがあるのかという議論もあろうかと思うのです。
○江田委員 時間がありませんから、もっともっと本当は突っ込みたいのですが……。
私がびっくりしたのは、「自由新報」五十九年二月二十八日号がありまして、「教育の中立性守れ」、これは自民党ですが、「二月八日開催の都連・区議運協は、中野区の教育委員準公選制度撤廃めざし、戦い抜く決議を全会一致で採択した。」非常に勇ましい。私は、教育の政治的中立それ自体がどういうものであるかは別にして、政治によって左右されちゃならぬと思うのですが、こうやって自民党が都と区と、都連・区議運協というのはよく知りませんが、都連の中の区議運協という機関という意味ですかね、そういうところで決議をして、その決議に影響されて文部省がああいう勧告を出したんじゃないか。これはもう時間的な推移を見ても、まことにぴったりなんです。それで政治的中立てすか。
○高石政府委員 自民党の東京都連の決議とは全く関係ないことでございます。暮れからいろいろこの問題についてどう対応していくかというのを検討していって、区の方に予算の条例が出されるというタイミングをとらえて勧告をしたわけでございまして、全く関係ございません。
○江田委員 どうせそうお答えでしょうから、それはしょうがないですけれども、しかし、私たちは、普通に考えれば、中野区の皆さんは、皆やはり非常な不快感を持っていますよ。しかも中野区で準公選ということによって、随分教育についての区民の関心も高まってきた。準公選はよかったというのが、今、中野区だけじゃなくて、ある程度教育について心配をしている皆さんのこれはもう一致した見方じゃないか。法律的に仮に凝固があるなら、それはそう法律を変えればいいじゃないですか、そういうことができるように。
やはり国会というところは法律を変えることもできるわけですから。みんなが教育について関心を持つ。教育委員会の議論もみんながそこで傍聴できるような議論をやってきた。しかもみんなが傍聴できるようにわざわざ夜やるとか、あるいは委員会もかなり頻繁に開いていくとか。大体普通だったら、だれが教育委員か知らないですよ。ああやって投票ということによって、教育委員がだれであるかということがみんなにわかっていく。この人に言えば教育について何かが発言できる、何か自分の言いたいことが言える。文部大臣のところへ投書が来るからいいじゃないかと言うけれども、そうはいかないんで、やはり自分のすぐ地元の教育委員のところにいろいろなことを言っていく。そういう教育についての、妙な教育の過熱はいけませんけれども、関心を持っていく制度、これに水をかけるようなやり方というのは森文部大臣らしくないと思うのですね。
その点は水かけ論の点もありますから置いておいて、臨教審ですが、臨教審は、私はやはり多く広くいろんな人がここに入って議論をする、そういう臨教審にしなければならぬと思うのです。今まだ国会で審議も始まってない段階ですけれども、各党のいろんな対応があって、しかし私は、臨教審については、土俵に上がる前に、上がるのはいいとか嫌だとかという議論になってしまうと、これはまず教育改革スタートから不幸になってしまう。そうじゃなくて、やはりみんなで土俵に上がろうじゃないか、その中で議論しようじゃないか。なかなか最終的な教育の結論についてみんなで一致したコンセンサスを得るというのは困難なことです。しかし、こういう場で議論をしようという、そういう方法についてのコンセンサスは、一生懸命がんばればできるかもしれない。ですから、各党が土俵に一緒に上がれるような、そういう努力を最後までひとつ粘り強く文部大臣、やっていただきたいと思うのですが、いかがですか。
○森国務大臣 今の江田さんのお尋ねの点、御意見の点、ちょっと二つあるような気がします。
私が間違っていたらお許しをいただきたいのですが、設置法案を国会にお願いをして御審議をいただき、一日も早い御採決をいただきたいわけでありますが、それまでに至ります過程としまして、各党のできるだけの御意見をと、幅広く参加するようにというお話であったというふうに受けとめておりますが、今、党を通じまして既に法律は国会へ出さしていただいておりますので、向山民主党から各党にお願いをして、いろいろと御議論をいただくような御努力をいただいておる、こういうふうに承知をいたしておりまして、当然、法案を旧会で御審議いただく際におきましても、各党の皆さんの御意見というのは十分に踏まえて、そしてその法案審議のプロセス、結果を得て所掌事務からすべてが決まってくるわけでございますので、まずひとつ入れ物をつくっていただくといいましょうか、機関をつくっていただく、そこからスタートすべきだ、こういうふうに考えておりますので国会の御議論を私たちはむしろ期待いたしておる、こう申し上げておきたいと思います。
○江田委員 法案をお出しになる前に十分に各党との間のお話し合いをなさっていなかったという点について、私たちは非常に遺憾に思うのですが、しかし、それは今言っても、もう出されているわけですから、今後最大限、とにかくみんなが参加できるような教育臨調としてスタートさせるというために努力していただきたい。
そのためには大臣、日本の教育について、文部省はもちろん重大な責任を負っている役所です。同時に私は、好むと好まざるとにかかわらず、日教組というのもやはり日本の教育について大きな責任を負った組織です。非常に大きな役割を好むと好まざるとにかかわらず果たしているわけですから、文郡大臣、この際かみしもを脱いで日教組の皆さんと腹を割っていろんなことをひとつお話しになってみる、日教組に会いに行かれる、そういうことをやったらいかがかと思いますが、どうですか。
○森国務大臣 日教組の委員長には、私は大臣に就任いたしましてからも比較的早い時期にお目にかかって、いろいろと御意見も交換をさしていただきました。この問題であろうとなかろうと、必要があるということでございましたら、やはりお話をするということはやぶさかではございません。ただ、常時、文部省事務当局が日教組と事務的にいろんな問題で協議を重ねてきておるわけでございますので、今後とも事務的に関係者がいろんな形で意見の交換を随時していくということは、私はこれからもあると思いますし、そういう方向で進んでいただきたいと思います。もちろん日教組だけではなくて、いろんな教職員の代表の杵さんいらっしゃるわけでありますから、日教組も含めていろんな教職員団体の皆さんの御意見を伺うことに私は決してやぶさかではないと考えております。
○江田委員 臨教審という議論の場に日教組の皆さん、どういう資格でというのは、それはいろいろあるでしょうが、少なくとも日教組によって代表される一つの物の考え方、あるいは勢力、そういう皆さんもこの臨教審という議論の場の土俵に上がって、そこで議論をしていただくことを大臣は希望されるんですか、されないんですか。
○森国務大臣 どういう方々にこの臨時教育審議会に御参加をいただくかということは、教育審議会がスタートいたしましてからお願いしていかなきゃならぬことでございますが、日教組と限らずに、幅広くいろんな皆さんの御参加というものは私ども、期待をいたしておるところであります。また、広く現場の先生方のお話を伺うということも大事でございましょうし、父兄という立場の御意見を伺うことも大事だと思います。いずれにいたしましても、現時点におきましては具体的にどのような方をということは申し上げる時期ではない、こういうふうに考えております。
○江田委員 人の特定の問題じゃなくて、臨教審というのは、それは委員二十五人以内、だけれどもやはりそのすそ野は広いわけですね。いろんな議論がずっと同全体に起こっていって、その何か中心に臨教審があるという、そんな構想でなければ……。臨教審の二十五人程度の委員の皆さんが、どこか文部省の奥座敷で勝手に何か気炎を上げて、円木の教育は、今の若者はけしからぬとか言っている、そんなことじゃ教育改革はできないわけですから、やはりそこは大いにお考えを願いたいと思うのです。
まあ、これはこの程度にしまして、次に移りますが、外務省、来年が「国連婦人の十年」の十年目。そこで、婦人差別撤廃条約の批准が問題になっている。この婦人差別撤廃条約について、日本の国内の条件整備で、国籍法、男女雇用平等法がありますが、きょうはそれは伺いません。そうじゃなくて、教育課程の問題で家庭科の問題があるというふうに伺っておるのですが、この点について、婦人差別撤廃条約の批准のために日本の教育課程のどのあたりが問題になっているか、問題と思っていらっしゃるか、お答えください。
○遠藤説明員 お答え申し上げます。
婦人差別撤廃条約の第十条、ことに(b)項と(c)項というのがございますが、その二項が今先生御指摘の点に当たるかと思いますが、この条約の求めておりますのは、まず一つは、男女双方について同一の教育課程の機会が与えられること、それから(c)項は、男女の役割についてのいわゆる定型化された概念の撤廃、これをすること、こういう二点が挙げられておりまして、現在の日本の体制といいますか制度等々を見ますときに、教育の面につきましては、家庭科の学習につきまして男女の間での取り扱いを異にしておる、この点がこの条約を批准するに当たりましての問題ではないかというふうに思っております。
○江田委員 それは、家庭科について男女が別の取り扱いになっているというのは、高等学校もそうですが中学も実はそうですね。高等学校、中学あわせてという御見解ですか。
○遠藤説明員 そのように解しております。
○江田委員 さて文部大臣、さきの三月二十四日でしたか、参議院の予算委員会で、この問題に関する質問で、婦人差別撤廃条約の批准に障害とならないように知恵を絞るというお答えがあったと思うのですが、この高等学校の家庭科女子必修という問題をどういうふうにお扱いになるつもりですか。
○森国務大臣 家庭科につきましては、日本の教育におきまして、大変長い歴史とそれぞれの伝統を持って展開をしてきたわけでございます。今、江田さんから外務省にお尋ねのように、それが女性生徒の必修ということになって男女差別撤廃条約に触れるということでございます。
日本の今日までの教育から見て、私は個人的にはそれが負担だというふうには実は考えていなかったわけでございますが、条約を吟味していけば確かに触れるということになるとすれば、なるほどとうなずけるわけでございます。しかし、先ほど申し上げたように、日本の長い歴史の中で出てきました家庭科という教科でございますので、どういう方向にこれを改善するか、差別撤廃条約の批准の妨げにならないようにするにはどうしたらいいのか。そのためには、この教科全体を一遍検討してみなければならぬし、各方面の御意見もいろいろ伺わなければなりません。
確かに今日までは、女性に対する差別だというふうな形で私たちのところにもいろいろな意見は来ておりましたが、今先生から御指摘ございましたように、先般、私どもとして妨げにならない方途を見出さなければならぬ、こういう国会答弁をいたしました途端に、随分いろいろな方からまた逆の投書が来ております。きのうも大分参りまして、家庭科をなくするのじゃないかとか、女性にとって家庭科は最も大事なんですということもございましたし、特に子供たちを持つ母親の立場からも、家庭では忙しくてなかなか教えられない面を学校で教えていただけることにむしろ大変感謝をしていたくらいなのに、大臣は家庭科を廃止するんですかというような、そんな極論のお手紙まで来まして、実は私もちょっと困ったわけでございますが、決してそういうふうに廃止するということではなくて、もう少し、どういう形で教科として生かしていくかというようなことを、新たに関係方面の皆さんの御意見を伺いながら検討を始めたい、したい、こういうふうに申し上げたわけでございます。
具体的にどういうように取り組んでいくかにつきまして、必要がございましたら初中局長からでも答弁させたいと思います。
○高石政府委員 まず、高等学校の場合と中学校の場合に若干取り扱いに差があるわけでございます。したがいまして、全く同一に条約上の抵触の問題について論ずるのはどうかというふうに感じている次第でございます。
そこでまず、高等学校の家庭科一般の取り扱いにつきましては、基本的にはその検討会議をできるだけ早い機会に発足させまして、できれば年内にその方向を出したい。それで、今後の具体的な作業としては、次の教育課程改定の際に、他の教科とのかかわり合いがありますので、その出された方向に従って具体的な教育課程改定の作業をしていく。一般的に言いますと、問題を提起して教育課程を改定するのに大体十年ぐらいかけているわけです。これは戦後、通常の場合でございます。それくらい慎重にやっているものですから、批准前に具体的実態ができ上がっているということは非常に難しいと思いますので、せめてそういう方向づけをしておきたいというふうに思っております。
○江田委員 少なくとも批准前に一つの方向づけくらいはしないと、これは批准が泣くと思うのですがね。
検討会議とおっしゃったのですが、どういう構成、アウトラインあるいはアイデアぐらいで結構ですが、どんな構成になるのですかね。
○高石政府委員 まだ具体的にその構成まで大臣とも相談しておりませんが、家庭科関係について理解のある関係者、それから婦人問題についての専門家、それから一般の学者、そういうような人から成る協力者会議という形のものを設けて検討していったらどうかということを考えているわけでございます。
○江田委員 一つ提案ですが、その検討会議に女性を半分入れたらどうですか。
○森国務大臣 いろいろこれから検討いたしてみますが、そういう考え方もできるかもしれませんが、女性が見るより男性が外から見た方が案外公平な意見が出るかもしれません。大変お考えとしては一考察あるべしと考えて、一応参考に承っておきます。
○江田委員 大臣、国の各種審議会の委員に女性が今どのくらいいるか。数字は調べればすぐわかるのですが、大臣御存じかどうか、ちょっと聞きたいのです。どのくらいいると思いますか。
○森国務大臣 全体的にどれだけあって、どれだけかというようなことになると、私も残念ながら藩学でございましてそこまで承知しておりませんが、国際婦人年のときにそうした提言というのですか、お考え方のまとまりがあったようでございまして、大体審議会で二割ぐらいですか、そういうことを一つの目安として女性の方に参加してもらうようにというふうに、当時政府が何かそういうような話し合いを決めたようでございます。
○江田委員 それが現実に今どのくらいと、まあ感じですが、どのくらいになっていると思いますか。
○森国務大臣 今、江田さんからもたまたまこの問題でもお話あったように、やはりその機関によって違うんじゃないかなと思いますが、そうですね、大体一割から二割、二割いっているかどうか、その辺はちょっとわかりませんが、大体そんなところじゃないかなと思います。
○江田委員 いや、中身のことはいいのです、調べればすぐわかるのですから。
この国連婦人の十年の行動計画ですが、これだと目標は一〇%というのですよ。二割入れて差し上げたいという大臣のお気持ちは本当にありがたいのですが、一〇%が目標で、しかし実際には四・九%だというのですね。ですから、せめてこの家庭科の分くらいでぱっと稼いで女性の委員の割合をふやさないと、今婦人週間ですから、そのくらいの気持ちでひとつやっていただきたいと思うのです。
さて、家庭科について、これは廃止をするのかというような心配のお便りがあったということですが、私は、むしろこれは男女とも家庭科はきちんとやはり学んでいった方がいい、学んでいかなきゃならぬ、そういう時代が来ているように思うのです。今、核家族の時代あるいは高齢化社会を迎えていくというときになって、身辺自立の学問としての家庭科というもの、やはり男も少なくともそういうもののある程度の素養がないとこれから暮らしていけない。
実は高等学校の先生がついせんだって、私の高校の先生ですからもうかなりのお年ですが、奥さんに脳出血で倒れられたんですね。もう見ていて、何というんですか、本当に悲しいですよね。そのくらいのお年の男になりますと、愛情は降る星のごとくです。お母ちゃん、お母ちゃんとへりで呼びかけて、一生懸命リハビリの手伝いをしようとする。しかし、スプーンで口へ持っていって御飯を食べさせることさえできない。おなかを押して便を出させることさえできない。つまり、そういうような感覚がないのですね。これは一つの感覚の問題なんで、男がやはり単身赴任なんというのも今はいっぱいある。
年をとって奥さんに先に死なれたら、これは哀れです。二十一世紀というのはそういう時代になっていくわけですね。ですから、何も高校のとき、中学のときに習ったスパゲッティーのつくり方で、六十になってスパゲッティー食うとかいうのじゃなくて、そういうような感覚、これをやはり身につけさせていくためには、男女とも家庭科というものはきちんと学んでいかなければこれから生きていけない時代なんだ、そういう程度の感覚を政治家もこれから持っておらなければいかぬのじゃないかと思うのですが、いかがですか。
○森国務大臣 現在も、これは必修ではなくて自由選択として男子も履修ができるようになっておりますし、今ここに数字がございますが、年々男子の家庭一般の履修者はふえているようでございます。五十五年〇・三九%が五十八年度では〇・七八%というふうにふえておりますので、いささか男性の女性化という傾向もあるわけですが、一緒に理解をしておるような気がいたします。
これから家庭科全体をなくするとか、家庭科が必要でないということではなくて、むしろより重要なものであるというように、全体の教養を高めるという意味では大変大事なことだと思いますし、恐らくこれを教科の中に入れてありますのも、やはり女性がこういう仕事をすること、あるいはお母さんがこういう仕事をされることに対して、子供として、男性として、むしろ女性をいたわり女性を尊敬する、差別ではなくてむしろ女性を大事にするという気持ちからこうした共学共修の問題が出てきておるのだろう、こう思っております。
教育課程全体の中の家庭科教育の位置づけというものもございますし、家庭科教育の実績というものも踏まえなければ――これは慎重な検討が必要だと考えておりまして、先ほど局長から申し上げたように、そういう方面に詳しい方々で検討会議を開いて、ぜひ過ちのないような形にしたいと思っております。
○江田委員 この問題についていろいろ深く研究されている方から見ると、今の大臣の答弁はやはり問題だと思われると思うのですよ。恐らくお気づきにならないだろうと思いますけれども、男性の女性化という面があるとおっしゃった。世相の評論としては確かにそういうこともありますけれども、男であるからこう、女であるからこうというふうに、男女の性による役割の定型化をしていてはいけないのだというのが婦人差別撤廃条約の基本なんですね。そういう性の違いによる役割の定型化について根本的な変更を迫っていかなければならぬというのが、この婦人差別撤廃条約です。
私なんかもそんなことを言いながら、実際には家庭に帰ると時々女房に、あなたはわかってないなんて言われるのですけれども、少なくともそんな気持ちを持たなければいかぬ。非常に昔流の言葉を使えば、男らしい男がどんどんできていく、女らしい女がどんどんできていく、そのことが悪いわけじゃないのですよ。そうじゃなくて、家庭、家庭でそれぞれの家庭のあり方があって、尽くし型の女性が一生懸命尽くす。飯、ふろ、寝るで男は済むという家庭があっても、そんなものはけしからぬからそれは国が変えろ、そんなことを言っているのじゃないのです。
人間としてのそれぞれの個の役割というのがいろいろあるわけで、男が台所に入るのは恥ずかしいことだなんということはなくしていかなければならぬ。女が社会参加でどんどん職場に出ていく、それはやはりちょっとはしたないぞ、結婚したんだからやめろなんということはだんだんなくしていく。やめる人がいたっていいけれども、やめない人はどんどんやっていけばいい。そういう意味で、家庭科というのがかなり重要なポイントになっているのじゃないか。
私はもっと進んで、何か家庭科というとすぐに被服だ、調理だと、裁縫と炊事のようにみんなが思っちゃうからそれが問題なんで、実は女の子にしか教えないから被服と調理になってしまうのです。文部省の指導要領には、家庭科は被服と調理でございますなんということは書いてないですね。むしろ指導要領は、中学はちょっと悪いように思うけれども、小学校と高等学校ではもっといいこと書いてありますよ。人間としての自立、そして家庭と社会の役割、家庭の中での構成員のいろんな役割、そういうことをずっと学んでいくんだ。
ですから、そういうことを考えれば、これからの二十一世紀の社会をしっかり背負っていく家庭をつくっていくためには、やはり生活教育といいますか、単なる被服だ、調理だということを超えた、一体人間というのはどういう自立をしていくのか、自立した人間がどう連帯していくのか、それがどういうふうに社会をつくっていくのか、そして自然の中でどう人間が生きていき社会が存在していくのか。そうすると、例えば今しつけの問題が出ていますが、しつけなんというものもそういう観点からとらえ返してこの生活科の中で扱っていく。あるいはセックスの問題も非常に今混乱していますが、こういうものもきちんと人間として位置づけて扱っていく。あるいは生活をしていく人間として、こういう社会的な基本的ルールがあるんだということをその中でちゃんと教えていく。もちろん調理にしても裁縫にしても、あるいは家庭の中のハウスキーピング、いろいろありますが、こういう問題も教えていく。
さらには、これから生きていく上には、例えばエコロジーといった基本的な考え方、これはだれもが持たなければいけない。資源を大切にしていくとか再利用していくとか、あるいは食品に色がきれいなのがいいというんじゃなくて、あるいは農薬をどんどん使ったのがいいんじゃなくて、そういう基本的な素養、あるいはまた公民として例えば経済活動の中で家庭がどう役割を果たしていくかとか、クレジットなんというのがどんどん来る、うっかりサラ金に手を出したらどうなるかというようなこととか、そういうようなことを――これは点数を上げるための教科教育、やれ、こうこうやって、テストをやって、はい何点ですと、三段階でも五段階でも成績がつく、そういうものじゃなくて、生活教育というものをひとつ一番基本に踏まえた教育を考えていかなきゃならぬじゃないか。そんなものは家庭の役割だなんて言う人がいますけれども、今その役割を家庭が果たせないでしょう。家庭がそうなってない。それどころじゃなくて、家庭という私的な営みを越えて二十一世紀の社会をどうつくっていくか、その社会の基本的な単位の家庭をどういうふうにつくっていくかという、ある意味では非常に社会的な課題なんです。
私は、生活教育という面から、ひとつ教育の教科のあり方を基本的に考え直してみることを提唱いたしますが、文部大臣のお考え、感想みたいなものをお聞かせ願いたいと思います。
○森国務大臣 先ほど私も答弁申し上げましたときに、長い歴史と伝統ということを申し上げました。確かに家庭科というのは、何となく、今江田さんがおっしゃったような概念というのは日本人全体が共通して持っていることは間違いないと思いますが、もう既に台所というのは随分変わってしまいました。まあ我々の子供の時代は掃除機さえもなかったわけでありますし、ぞうきんを絞って、バケツに一生懸命絞って、洗って、そして廊下をふく。今はもう貸しぞうきん、固有名詞を出しちゃいけませんけれども、ダスキンの時代とか、あるいは電子レンジ、冷凍庫の時代でありますから、一々自分らでつくらなくても、出してきて温めればいいという時代に変わってきている。あるいはまた、コンピューターは恐らくこれから家庭の中に、台所の中にもやっぱり入ってくるでありましょうから、ワープロも含めながら、そうしたものをこなし得るということも大事なことでありましょう。
それから、今先生がお話しなさった中で、ああ、すばらしい御意見だなあと思いましたのは、生命あるいは人間尊重、人間教育という面から考えまして、世の中の仕組み、理屈あるいは道徳に至るまで、むしろ家庭等そういう中で教えていく。環境問題、あるいはまた先ほどおっしゃった性教育なんかも、かえってその方がなじみいいかもしれない。そういう意味では、私は、この家庭科というのは家庭教育という全般的な面から見まして、これからむしろ多岐多様にわたる学問をやっていけるという意味で、とても大事な学問だというような感じがいたします。特に生徒間の理解、それから先生と生徒間の関係も、かえってそういう教育の中でむしろほのぼのとした人間愛ができてくるのかもしれません。そういう意味で、今の先生からの御指摘は大変示唆に富むすばらしい御意見であるというふうに私も受けとめさせていただきました。
要は、もともとは男女がお互いに理解し、尊敬し合っていくということが家庭科の教育のやはり原点であろうというふうにも考えております。むしろ幅広く、いろんな角度から家庭科全体を眺めるということも大変大事なことだというふうに考えまして、十分文部省事務当局も今の先生の御提言等も踏まえて検討さしていただきたい、こういうふうに思います。
○江田委員 これは非行の問題ともいろいろ関係していましてね。父性の不在だ、つまり家庭に父親的なものがない。またその父親という役割、性によってと言うことはちょっとひっかかる言い方ですけれども、そんなこともあって、実は今考えてみると、例えば、大臣はどうでしょうか、僕なんか家庭参加を一番してないかもしれませんね。多分女房が子育てにいろいろ頭を使っているんだろうと思いますけれども、今、日本じゅうで、飯、ふろ、寝るで、そしてゴルフで日曜日は費やして、何か父親というのが家庭参加の資格を持ってない。そこに子育てノイローゼになったりいろんな問題が起きている。あるいは子供たちが父親的なものに触れずに育っていく、そういうことが家庭内暴力につながっていく、そういう家庭経営に参加をする資格を男に与えていくというようなことからも、やっぱり必要だと思うのです。
さて、時間もだんだんなくなっていくので話を変えますが、昨今レコードレンタルにつきまして裁判所の判決や決定が幾つか出たりでちょっと議論になっており、人の注目を引いたりしておりますが、昨年、貸しレコードに関して暫定措置法が成立をいたしました。この暫定措置法では権利者の保護が規定され、同時に、その保護との兼ね合いで貸しレコードという業種が成立をし得ることが公認をされたという画期的な法律ですけれども、許諾権の及ぶ期間が政令で定められるということになっておるのですが、この政令、六月二日というと、そうゆっくりしてはおれないと思いますが、どういう段取りになっておりますか。
○森国務大臣 昨年、暫定法を当文教委員会でお願いをいたして、各党の御協力をいただきまして可決をさせていただいたのですが、当初この法案の検討を、当時たまたま私は自民党の方の著作権のプロジェクトチームの座長というのですか委員長をいたしておりまして、いろんな意見を双方から伺いながら判断をいたしたということもございまして、各党の皆さんにも大変御理解、御協力をいただいたことに、立場は今ちょっと変わっておりますが、お礼を申し上げたいわけでございます。
関係団体の意見を今踏まえて調整をいたしておりますが、そういう経緯もございますので、私が余り直接この問題に言及することはちょっと遠慮した方がいいな、こう思いますので、文化庁次長からでも答弁をさせたいと思います。
○加戸政府委員 暫定措置法に基づきます政令の期間でございますが、先国会におきまして当委員会の中に置かれました審査小委員会の小委員長報告で、関係者の意見を尊重して定めることとされておりますので、その後、鋭意、権利者団体、具体的に申し上げますと、日本音楽著作権協会、芸能実演家団体協議会並びにレコード協会、使用者側といたしましてはレコードレンタル協会側、この四団体から意見を聴取してまいりまして、おおむね四団体間の意見の合意がほぼ得られましたので、近々のうちに期間を定めさせていただきたいと考えている次第でございます。
○江田委員 もう既に相当この準術も進んでいるはずで、近々というのはまさに近々なんだと思うのですが、今この場ではっきりしたことを言うわけにはいかないのですか。
○加戸政府委員 御承知のように、政令は閣議で決定されますので、近い閣議で決めさせていただきたいと考えております。
○江田委員 「許諾権の行使に当たっては、公正な使用料によって許諾することとし、関係者の間の円満な秩序の形成を図る」政府はそういうことを目指して「適切な措置を講ずべきである。」という、これは参議院での附帯決議でもあり、同時に、そういう趣旨のことが小委員長報告にも盛られておるわけですが、その「関係者の間の円満な秩序の形成を図る」ための話し合いというものがどう進んでおるか。
どうも、聞きますと、貸しレコード側はレコードレンタル商業組合ができて、これはテーブルにのっておる、あるいは著作権の側はJASRACがテーブルにのっておる。しかし、レコード協会の方がその許諾使用料を定めるテーブルにもついておらないというように聞くのですが、その辺の指導はどういうふうにされていますか。
○加戸政府委員 この関係者団体、関係者間におきます協議の問題につきましては、法律が成立しました直後から、文化庁といたしましては、この関係団体との間のいろんな事前のお話し合いあるいは相談等をさせていただいたわけでございますが、当初はそれぞれの団体におきまして、この暫定措置法の性格、目的等に関します考え方の違い等もございまして、まずそういった考え方の食い違いをなくしていきたい。特に本委員会等での小委員長報告等の内容を踏まえまして、この円満な秩序の形成のためにまず基本的な考え方の差をなくしていくということからいろいろ進めまして、具体的には、レンタル側にいたしましても実は商業組合が設立されましたのがつい三月末という時点でございましたが、それ以前の段階でも事実上の代表者との間の相談をさしていただいたわけでございます。
今の許諾権の行使に伴います使用料の問題といいますのは、思惑がそれぞれ違うわけでございますが、基本的に、まず日本音楽著作権協会側といたしましては、この使用料の認可を文化庁長官から受ける必要がございますので、まずプライスリーダー的な役割に立ちまして先に話し合いに入ったという状況でございまして、当初かなり言い値の食い違いがございましたが、最近の情報によりますと、両者間の金額の間につきましては、大分詰まってきつつあるというぐあいに承っております。
それから、隣接権者側といたしましての芸能実演家団体協議会並びにレコード協会につきましては、まだ公式のテーブルには着いておりませんが、非公式な形での接触でお互いの間の感触の打診、意見の交換等は行われておりまして、日本音楽著作権協会側におきます使用料のおよその詰めにほぼ連動した形で、そういう話し合いもだんだん進んでいくものと期待しているわけでございます。
○江田委員 これは、ですから、許諾権の行使というものが公正な使用料によって許諾をする、そういうことによって健全な、関係者間の円満な秩序をつくっていくという方向で文化庁も指導するし、各権利者団体もそういう方向で新しい円満な秩序をつくっていくために努力をすることが期待されている、こう文化庁はお考えである、これは間違いないわけですね。
○加戸政府委員 先ほどお答え申し上げましたように、当委員会に附置されました小委員会の小委員長報告の趣旨を体して、文化庁としても指導さしていただいているということでございます。
○江田委員 通産省に伺いますが、通産省の方は、レコード業界それからレコードレンタル業界、この両方を管轄していらっしゃるんだと思います。今の文化庁の基本的立場は、著作権という一つの権利あるいはその隣接権、こういう権利をめぐっての権利関係の円滑な調整ということでしようが、通産省はまた別の観点から、産業秩序を一体どういうふうに混乱なくつくっていくかという観点だろうと思います。そういうレコード業界とレコードレンタル業界間の円満な産業秩序の形成ということについて、どういう基本的なお考えでいらっしゃるか。
○山浦説明員 通産省といたしましても、健全な産業秩序がこの過程におきまして形成されるということは望ましいものと思っております。
○江田委員 今、話し合いがきちんとできていっているということならばいいんですが、どうも私たち聞くところによると、話し合いのテーブルに着く団体もあるけれども、まだ依然として話し合いのテーブルにも着かないというような、レコード協会がどうもそういう態度であるというようなことも聞いたり、それでは困ると思うのです。円満な産業秩序の形成という立場から、通産省も、この国会の附帯決議で言う「政府は」「講ずべきである。」というこの政府の中に入るわけですから、何らかのイニシアチブを発揮される、リーダーシップを発揮されるべきじゃないかと思いますが、いかがですか。
○山浦説明員 本件の問題につきましては、レコードレンタルの使用料でございますから、第一義的には暫定措置法の運用をめぐる問題であると思っておるわけでございますが、通産省としましても音楽産業が健全なリサイクルに乗るということが望ましいと考えております。そういう意味でも、国会の附帯決議にありましたとおりに、関係者の健全な秩序が形成されるということをうたわれておりますので、通産省といたしましても、文化庁と十分連絡をとった上で業界を指導していきたいと思っております。
○江田委員 話し合いがつかないままで六月二日を迎えたら、これは一体どんなことになるのですか。
○加戸政府委員 私どもといたしましては、六月二日の法施行までの間に両者間で適正な金額に妥結を見ることを期待し、またそのような指導を行っているところでございます。
先生御質問のように、仮に六月二日までの間にまだ食い違いが残り得るとした場合、しかしながらその差の――およそ金目の話でございますので若干の高低のぶれはあろうと思いますが、仮に話がつかなかったといたしましても、それは一定の利用許諾を与え使用料を支払っていただくという前提での話し合いが正常に継続されておる限りにおきましては、それはわずかの期間の差でございますので、当然利用関係が絶たれるということにはならないと思っております。
○江田委員 形式的には、この使用料についての話がまとまらずに、公正な使用料が定められてそのことによって許諾権が行使されたということになっていなければ、貸しレコードというのが暫定措置法上違法になる、そして犯罪行為を形成する、犯罪の構成要件に該当するということになってしまうわけですが、そこはしかし、この貸しレコード側の方で誠意を持って対応し、一方、権利者のどの部分ががあえてそういう話し合いのテーブルにもなかなかのってこない、テーブルにのってきても誠意がないということで終始をした場合には、これは健全な産業秩序の形成の面から、あるいは著作権、著作隣接権をめぐる健全な秩序の形成の面からいっても、貸しレコードというものが、構成要件に該当するからといって直ちに違法性を備え、責任の要素も満たしてしまうということではなくて、例えば可罰的違法性がないとかあるいは期待可能性がないとかいうような形で、犯罪になって直ちにやめなければならぬというようなことになってしまうことはない、こう考えておいていいですかね。
○加戸政府委員 現時点では、まだあと二カ月近くあるわけでございますので、話し合いがつくことを期待し、またその強い指導を行ってまいりたいと思います。仮定のケースでございますが、仮に六月二日までの間に金額が詰まらなかった場合におきまして、文化庁といたしましては権利者側に対して、そういった話し合いの継続中の場合でございますれば、許諾についてはまず与えていただきたい、それでその金額の話はもうちょっと持ち越しというケースもあり得るだろう、そういう観点の指導を行いたいとは思っておりますけれども、仮に今の先生の御質問の具体的な可罰的違法性等の問題につきましては、そういった考え方は当然とられるのではないかというぐあいに想定はいたしております。
○江田委員 最近、宮城ファミリークラブに対する裁判所の仮処分判決、それからもう一つが、高速ダビングをやっているものに対する裁判所の仮処分決定が出て、どうもそういう裁判所の決定やら判決やらに対するマスコミの報道などで、貸しレコードというのはまるで悪だ、悪い、こういうように裁判所が言ったかのごとき報道がありますが、一方は、やはり経済的利益の関係調節の問題ですよというのが、この宮城ファミリークラブの判決の基本なんですね。もう一方の決定の方は、高速ダビングを店内に備えておる業省に対することなんで、どうも新聞報道というのが妙な印象を与えておって、これでいいのかなと思うのですが、どうですかね。
○加戸政府委員 裁判所の、しかも私人間のことに関します決定でございますので、当方から感想を申し上げることはちょっと差し控えさしていただきたいと思いますが、基本的に、貸しレコード問題に対応いたしましてこの暫定措置法を成立させていただき、あるいは今国会にも著作権法の一部改正案を提案させていただいている。そういった流れの中でのそういった方向の判決ということでございまして、そういう意味では、貸しレコードに関します一つの秩序といいますか、そういう形成へ向けての一つのステップとして私どもは受けとめているということでございます。
○江田委員 ひとつ文部大臣、いろいろありますが、大いに期待をしておりますので、小さいこと、大きいこと含めてこれからいろいろ提案もさせていただきたいと思いますので、大いに頑張っていただきたいと思います。
これで質問を終わります。
1984/04/11 |