1984/05/11

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101 衆議院・文教委員会 

視聴覚教育、実習助手の問題について


○江田委員 教育改革を目指してのすばらしいやりとりが続いておりますが、多少角度を変えて、今の教育の持っているあるいは抱えている問題点について伺ってみたいと思うのですが、それは視聴覚教育という点なんです。

 視聴覚教育の重要性が認識され始めてもう随分久しいんだろうと思います。大臣の小学校、中学校時代はどうでしたでしょう。多分私の中学校のころに幻灯か何かがあって、断層であるとか地層の反転であるとか、理科の地学ですか、そんなようなものを幻灯で見たようなことをうっすら覚えておりますけれども、最近はもうそんなものじゃ恐らくないんだろう。どんどん進んで、幻灯あるいは八ミリ、十六ミリ、そういうものはもうとっくの昔で、今はもうテレビがどこでもあるという時代なんだろうと思います。教科も、理科はおろか、もうありとあらゆる教科に行き渡っているんだろうと思いますが、そういう時代に、恐らくもっともっとこれが進んでいくときにきているんだろうと思う。科学技術がどんどん進んでいく。エレクトロニクスの発達であるとかニューメディアの時代であるとか高度情報化社会だという、そういう新しい時代に入ろうとしておる。

 そういう中で電電三法がきのう、本会議で趣旨説明があったわけですね。電電三法についての問題点はいろいろあるので、大いに議論しなければいけません。しかし、そういう電電三法が出てくる客観的状況、条件というものが出てこざるを得ない一つの大きな時代の変化というものがあるので、こういう新しい時代、高度情報化時代というものが学校教育の中にもこれからどんどん入ってくるんじゃないか。例えば通信が自由化されることになると、そういう第三の波といいますか、新しい波を学校教育もかぶらざるを得ない、あるいはもうすでにいろいろなところで入ってきているんじゃないかという気がする。そのあたりの具体的なことが一休どうなっているかということを、少しずつ聞いていきたいと思うのです。

 まず、テレビです。これは今、小中高等学校でどの程度普及をしているのか。いかがですか。

○宮野政府委員 五十八年度の調査で申し上げますと、テレビ受像機がある学校は、小学校は九九・六二%、中学校は九九・〇三%、高等学校は九八・五三%の学校が持っていることになっております。これは抽出調査でございますが、抽出調査の結果、推計したところではそういうことになっております。

○江田委員 テレビはディスプレーの装置ですが、それだけでは足りないのです。NHKその他の現に放送されているものを聞くだけならそれはテレビだけあればいいのですが、恐らくそれだけじゃなくて、ビデオデッキも相当行き渡っているんじゃないかと思います。ビデオデッキの方はいかがですか。

○宮野政府委員 ビデオテープレコーダーは各学校にかなり普及しておりまして、小学校については八二・六四%、中学校については九二・二七%、高等学校については九八・四〇%ということになっております。

○江田委員 これはおもしろいですね。テレビの場合は小学校の方が多くて高校の方が少ない。ビデオテープレコーダーの方は小学校よりも高校の方が多くなっている。これはどうしてそうなるのですか。

○宮野政府委員 いろいろな事情があろうかと存じますけれども、テレビ受像機を各教室に置きましてテレビを視聴しながら授業を進めるということにつきましては、実際に放送局で教育番組をやっていただくことがまず基礎条件になるわけでございますが、小学校、中学校の義務教育につきましては、カリキュラムに従って比較的との学校でも見られるような視聴番組が現実に行われているわけでございます。それに対しまして、商等学校になってきますと、NHK等でもいろいろ試みていただいておりますけれども、それぞれの学校によって教科課程というのが、科目も多様化してまいりますし、内容もいろいろなレベルのものが出てまいりますので、現実にテレビを視聴して視聴覚教育を行っているということになりますと、やはり小中学校の方が実際上は行われているというのが実態であります。

 それに対しましてビデオの方は、ビデオを使いまして実際にそれぞれの学校で先生が、こういうテレビ番組は生徒に見せたらいいんじゃないかということで録画してやるようなことがかなり自由に行われますので、学習内容がいろいろ多様化している高等学校なんかにそちらの方が進んでいるんじゃないかというふうに推察するわけでございます。

○江田委員 ついでに、コンピューターの普及率はどうですか。これは学校運営とか教師の給料のこととか就職状況とか、そういうことじゃなくて、教材としてコンピューターがどの程度入っているのでしょうか。

○宮野政府委員 先ほど申し上げましたテレビやビデオに比べましてコンピューターは、特に小中高の学校ということになりますと、大型のものではなくてマイクロコンピューターということになりますが、この保有状況はまだ進んでいる状況ではございません。これも昭和五十八年度の調査でございますが、現実に今持っておる学校という保有率は、小学校では〇・五八%でございます。中学校がややふえまして三・〇九%でございます。それに対しまして高等学校は五六・三八%ということになっておりますが、この間の事情は、高等学校へまいりますと、例えば職業高校では、商業科とか工業科では、コンピューターに現実に授業の中で取り組んでやっている学校が多いものでございますから五六・三八%ということになるわけであります。

 そこで、今申し上げました数字は、コンピューターのハードをどれだけ持っているかということであります。それの使い方ということになりますと、先ほど先生のおっしゃったように三種類ほどの使い方があるわけで、一つはCAIと申しましてコンピューターを使って授業を進めるという、コンピューターを授業を進める道具にするという使い方でございます。それから、いろいろな成績管理とかいう学校の管理運営の方に使うというやり方がございます。それから、直接コンピューターについて児童生徒に教えるというコンピューター学習という三種類ぐらいの使い方があるわけでありますが、その中で今先生のおっしゃっておられるのは、恐らく一番最後のコンピューター学習ということを想定されておっしゃったんではないかと思いますが、それについてはまだまだこれからの問題ではないかというふうに総括的には思うわけであります。

○江田委員 こちらの意図まで酌んでいただきましてありがたいのですが、そうじゃなくて、そこまで基礎がずっとできてきているので、これからの教育の方法が変わってくる基礎が整いつつあるんじゃないかということを申し上げたいのです。

 つまり、先ほどテレビの場合に、教育番組の放送がなされていることが基礎条件だとおっしゃいましたけれども、そうじゃないんじゃないか。今まではテレビが放送される、それをキャッチしてディスプレーに映像が出てきて、そのときにちょうど生徒が見て、それが授業時間に組み込まれていた。そうじゃなくて、これからはもっとビデオデッキまで整備される、さらに高校の場合ですとコンピューターまで入ってくると、基礎条件というものが放送されているかどうかじゃなくなって、もっとがらっと変わってしまう。ビデオソフトの利用の可能性が質的に飛躍する、ふえてくるわけですね。

 しかも、それがもっとこれから、今の通信の自由化というようなことになってくるとまだ変わってくる。学校にそれぞれビデオソフトがなくても、あるいは学校にそれぞれ置いておくこと自体が非常に不経済になって、どこかにビデオソフト自体は集中的に管理をしておって、そしてそこから、コンピューターがあれば、ディスプレーの装置があれば、後はもう端末機一つの操作でどんどん出てくるようになるわけですね。そこまで変わってくるんじゃないか。そういう動向、そういう一つの傾向がこれからだんだん明らかになってくるんじゃないかと思うのですが、そういう大きな方向についてどういう判断をされておるか。壁がけから紙芝居、さらに進んで幻灯、そして映画、それがテレビ、ビデオが入ってきて変わってくる。そこまではまだ教育の現場としては受ける側ですね。だけれども、さらに変われば、今度は教師の方もそうしたさまざまなメソッドを自分で自由に操って、自分が一つのソフトをつくる技術を持たなければならぬというところまでいくんじゃないか、こういう大きな変化の時代にあると思うのですが、大臣、感想といいますか、どんな感覚をお持ちですか。

○森国務大臣 私は科学の方は大変弱い方でございまして、江田さんのときは幻灯というのを思い出しておりますし、私の時代は視聴覚らしきものは何があったかな、紙芝居くらいあったかな、そんな思い出しかありませんが、基本的には文部省としては、視聴覚教材を教材あるいは教具に計画的に利用することを奨励いたしておるわけであります。そしてまた、視聴覚教材を使用して教育が行われている、科学技術の発展に伴って学校教育の中に利用されていく、それがまた多様化している、そういう意味において適切に利用した教育の促進を図る、これが文部省の考え方でございます。

 ただ、今あえて江田さんが感想はとおっしゃってくださったので、おしかりをいただくかもしれませんが、正直な気持ちを申し上げると、そういう教材、コンピューターやテレビあるいはワードプロセッサーみたいなものを一体教育のためになぜ使うのか、そこのところをどうも私は納得していないのです。もちろん小学校から高等学校までありますから、社会の中がコンピューター化時代ですから、それに対応して、社会に出ておろおろしないようにワープロやコンピューターやそんなものが駆使できるように技術を身につけて出なさいよ、そのことを小学校から順を追って、心身の発達の度合いに応じてある程度マスターさせていきますという親切な教育が必要なのか、それとも、実際には先生がやるべきことを、そうした教材をある程度使って先生の仕事が少し楽になっていくからいいのか、私はもちろん、これは小学校段階をある程度頭に置いておるのです。

 この間、国会でも答弁したのですが、総理と仙台の太白小学校へ行ったのです。一年生がみんな机にそれを持っておるのです。それでピッピッピッピッやっているわけです。何をやっているのかわからないですが、何かゲームみたいなことをやっている。そういうことに非常に敏感な子供達が出てくれることは、将来社会に巣立っていくためにはいいのかもしれませんが、ボタンを押すことよりももうちょっと、ボタンを押すためへの判断を、よく共通一次の試験の批判が出るように、あるいはマル・バツ式の試験の批判がよく我々の時代は出たわけですけれども、何か瞬間的に判断をすることばかりが上手になるというよりは、ボタンを押してどうなるかということを十分頭で考える、そのことが教育じゃないかなと私は思っておるのです。カシオミニでぽんぽん固有名詞を使っていいのかどうかわかりませんが、ぽんぽんと出てくることよりも、そろばんの玉を四つ積み上げて、もう一つ積んだら、四つしかないから、線を引いた上が五つに値する玉だから、それを入れて下へ四つおろした。六足すときに、下へもう一つ入れたら五と五が重なったから、これは外して隣の十桁の一つを上げた。私は、そういう考え方をやっていくことの方が教育だと思っているのです。

 もう一つは、私は常に申し上げておるのですが、教育というのは、教科書と学校という場所を利用して先生の人格に触れることじゃないかと思うのです。だから、余りにもそういう教育器材、近代的なものが先行しますと、今言ったような考えること、判断すること、そして先生が教科書やその教科書に書かれていることを一つの中心にして、先生の人格や先生の持っておられるいろいろな知識を子供たちにどんどん継承させていく、そういうことが逆になおざりになっていくのじゃないか、私はそういう点で非常に心配をしておりますので、「読み書きそろばん」という一番基本的なことをもっと大事にしていく教育でなければならぬのじゃないか。コンピューター化時代に進めば進むほど、それに余り乗るのではなくて、そこにどうせ入っていかなければならぬのですから、技術的な習得はいつだって、高等学校へ行ったってできるわけで、中学の後期だってできるわけですから、むしろそういう、社会に入れば入るほど人間としての一番大事な基本的なことをもっと教えることの方が大事じゃないか。これはあえて感想を言えとおっしゃったから、その論議について私は感想を申し上げさせていただきました。

○江田委員 大臣が力説されることは私はよくわかるのです。そのとおりだと思います。しかし、恐らく誤解があるのだろうと思うのです。

 新しいさまざまな教育のメソッドがどんどん進んでいく、それが教師の省力化につながっていって、それで教師はどこかに寝ていていいんだ、テレビのボタンをぽんと押しておけば後は一定時間テレビが生徒を教えてくれるのだ、そういうことになったらこれは教育じゃないですね。まことに無味乾燥なものになってしまう。しかし、時代としてはそういう新しい技術が学校の中に入ってくる。それは教材の業者なんかがしょっちゅう学校へ来て売り込んだりするようなところに――今家庭にどんどん売り込んでいますが、教育ママなんかが教材屋さんにおどされたりして随分高い金を払ったりしていますけれども、そういうのが学校にどんどん来るでしょう。そういうことになって、なおかつ学校教育というのは生徒と先生との人格的なぶつかり合い、つながり合い、そういうものがこれからどうやって保っていけるのだろうか。

 そうなると、教師の省力化じゃなくて教育の方法の多様化といいますか、ただ教師と生徒、教師が口でいろいろ言う、あるいは黒板に下手な絵をかくだけじゃなくて、もっとさまざまな方法を使っていろいろなことを、生徒に知識の伝達にしても教えていける。あるいは単に知識の伝達だけじゃなくて、例えば道徳なら道徳にしたって、教師が妙なお説教をするよりは、すばらしい映画か何かを見せた方がよっぽどいいということがある。それも、今度は一つのカセットをぽんと入れて終わるまでというのじゃなくて、時々区切りながら、あるところ画面をばっと出したら次には教師が自分で出てくる。教室のぐあいによってここはやはり画面じゃだめ、自分が出なけりゃだめだというときには、すぐ教師が出てこれるというノーハウを身につけていかないと、今のようなエレクトロニクスの時代に学校教育はむしろ立ちおくれてしまって、それなら塾の方がいいじゃないか、学校は行って適当に時間を過ごして寝てくるところ、本当の教育はどこか塾でもっときめの細かなものでやっていこうということになってしまったらどうするのですか。これはそれこそ文部大臣として、この大きな変化の時代に取り残されてしまってえらい責任を負うということになってしまうのじゃないですか、どうでしょう。

○森国務大臣 私は誤解はしていないのです。そういう教育機器を使うということにはいろいろな面があるでしょうということを申し上げたわけです。

 その一つとして、例えばそのことが先行してしまうと先生との触れ合いかないがしろにされるという面も心配されます。便利になって、先生がある意味では省力化になることもいいと思うのです。その省力化になって残った時間をいろいろな形に使えることはむしろいいと思います。しかし、ともすればそういうことだけが前に先行してしまうのじゃないかということを恐れるのです。

 確かに将来、これからの子供たちの時代は、もう本当にコンピューターが駆使される世の中になるでしょう。だから、そこに入っていきやすくしてやるには基本的なことを教えなければなりませんが、どういうコンピューターやロボットの時代に入るにしても、人間なんですから、一番大事な人間の基本的なことだけはしっかり身につけておかないと、むしろかえってコンピューター化時代に間違いをするのじゃないか。

 簡単なことを選べば簡単です。最近はピアノなんかは弾がなくても、ピッピッピッとランプがついて、そのランプのとおり押していったら、ジャイアント馬場が「僕も弾けます」なんてテレビでやっていますけれども、それも一つの楽な方法で、ピアノが弾けない我々から見れば大変いい機器だけれども、それじゃみんながそれをねらったら本当のピアニストは出てこないわけですから、ピアニストになるか、将来はピアノなんかをやらないで電子機器だけでやるか、有島先生なんかはお得意のピアノをやっておられますけれども、それは子供のころにある程度先生に触れて実際に苦労することを学ぶことが大事だと私は思うのです。そして中学や高校、だんだん進むに従って、僕はピアニストになろう、音楽家になろうと思うかもしれぬ。しかし、最初から電子機器で簡単なことを教えられてしまったら、そういうことをやろうとする人が出てこなくなるのじゃないかと思うのです。ですから、確かにおっしゃるとおり、コンピューター学校や何とか技術院や専修学校へ行けばそれでいいのかもしれませんが、だから学校をやめてそっちに行くというのじゃなくて、それはそういう時代に専門的に進むならそういうのをやればいい。

 そういう難しい社会になればなるほど取り残されるのじゃないかと江田さんは御心配になったようですけれども、取り残されないためにも、人間として一番大事な基本的なことはどんな社会に入っても同じだろうと私は思うのです。そのことをもっとできるだけ初等教育の中に、さっきから何回も申し上げていますように、断っているように、中学校、高校と発達段階によって違いますが、初等段階はできるだけ基本を教える方がいいのじゃないかということを、感想を言えとおっしゃったから私は感想を申し上げたのです。

○江田委員 大臣の言っていることを否定するのじゃないのです。しかし、誤解じゃないのだろうけれども、どうも何か理解が足りないのか、ちょっと違うような気がしてしょうがないのです。

 これは時間を余りとってもいけませんが、こういうさまざまな副教材がこれから山ほど出てくる。しかも、その副教材も固定された副教材じゃなくて、ある程度情報のフローとなって学校の中に入ってくるような時代に、よもやこれを中身について規制をしていく、あるいは検定をその副教材にまでやる、そんなお考えは毛頭お持ちでないと思いますが、いかがですか。

○森国務大臣 そうした補助教材は、文部省として検定するという考えはございません。

○江田委員 さて、私がさっきから言っているのは、生徒に今のコンピューターとかその他の新しい技術を早く習得させることをやれと言っているのじゃないので、そういうものがふえてきているときに、教育の方法が今までのような方法、教師と生徒の一対一のやりとり、一対一というか一対四十なり四十五なりという、これまた問題ですけれども、そういう方法のほかにいろいろな方法が出てくる。さまざまな方法を駆使できるような先生にならなかったら、これからやっていけないのじゃないかということを言っているわけなんです。

 そういうさまざまな器材の購入といいますか、学校と器材とのアクセスの問題ですけれども、今、義務教育費国庫負担法ですと、これは実際に買い入れることでなければ小学校はそういうものを備えることができない。しかし、これからはもうそうじゃなくて、例えばリースであるとかあるいは使用料を払うというような方法であるとか、そういう教材購入のシステムをそろそろ見直さなければならぬときが来ているのではないかと思いますが、いかがですか。

○高石政府委員 御指摘のように、教材につきましては国庫負担制度を持っておりまして、一定の教材基準をつくってその範囲内で二分の一の負担をするという仕掛けにしてあるわけでございます。したがいまして、その対象としてどういう視聴覚器材を対象にするかというのは、時代の変化で見直していかなければならないというふうに思っております。現在の時点では、いろいろな視聴覚器具としてのテレビ関係、それから録音機関係、そういうようなものまでやっておりまして、マイコンまではいっていないというところがあるわけでございます。

 ただ、先ほど大臣からお話し申し上げておりますように、そういう機器を導入していくという流れに沿って対応していかなければならないことは基本的にあるわけですが、どういうふうにそれを教育の場で本当に利用するように位置づけていくかというのは、相当考えていかなければならぬ問題だと思うのです。

 これは教材じゃございませんけれども、例えば鉛筆削り器が家庭、学校、全部整備された結果、ナイフを使わない、リンゴの皮がむけないというふうになっちゃったわけですね。やはり、これはそういうものに全く依存してしまうような体制が行われるということになると問題だから、視聴覚教材の導入についてはそういう教育効果ということを考えて慎重にやっていかなければならない。しかし、時代の変化で改善していくべきものは改善していかなければならないというふうに思っております。

○江田委員 そうですね。鉛筆削り器でも、鉛筆削り器という大きな流れがある。そういう流れのプラスとマイナスとをよく見て――ナイフが使えなくなるという。しかし鉛筆削り器は入ってくる、鉛筆削り器は入るな、ナイフで削れと言ってもそうはいかぬ。そうすると、ナイフを使うことを一体どこで覚えさせるかという知恵を絞らないと、入ってくるなど言ったって入ってくるわけですから、これは本当に慎重といえば慎重、しかしある意味では大胆にやっていただきたいと思うのです。

 次に、もう時間がなくなってしまいましたが、社会人入学について前回聞きまして、文部大臣からも積極的な答弁をいただきましたが、先日ある通信教育を受けている感心な青年から、一遍スクーリングというのをぜひ見てくれ、今の普通の昼間の大学と比べてスクーリングに来ている生徒は、皆もう目を輝かせて一生懸命やっている、ここに教育があるのだ、そういう訴えを聞きまして感心したのですが、そんな話をしながら、彼は、それにしても大変なんだ、スクーリングに行くのに同僚からの目もある、そう皆が歓迎してくれるわけじゃない、それにまた費用としても、かかる費用自体は仕方がないけれども、その間は休まなければならぬ、随分給与をカットされるんだ、何とかならぬかという訴えがありまして、これは通信教育にしても放送大学にしても、スクーリングを受ける間の給与のカットはやはりどう考えてもかわいそうだと思うのです。いろいろな方策をお考えかと思いますが、文部省はどういう方策がおありですか。

○宮地政府委員 お話の大学における通信教育について、スクーリングは通信教育では三十単位が必要なわけでございます。それに対する文部省としての施策はどうかというお尋ねでございますが、このスクーリングに出席することが通信教育の学生にとって大変大事なことでございます。

 一つは、毎年度、通信教育の学生が在職する官公庁、会社等に対しまして、出席希望者に対して便宜を与えていただくようということで、大学局長名で依頼の通知は出しております。大体七千社くらいのところに各大学を通じて出しております。

 それから、スクーリングの実態に応じまして日本育英会の奨学金を貸与いたしております。五十九年度で申し上げますと、夏季等特別の時期のスクーリングの場合は一期間について六万五千円、通年スクーリングの場合は私立大学と同額の、自宅通学にあっては月額三万一千円、自宅外通学にあっては月額四万一千円を貸与するということになっております。

 具体的にはそのような施策でございますが、例えば労働省で実施をいたしております生涯職業訓練促進給付金制度というようなものもあるわけでございまして、私どもとしても、そういうようなものももっと積極的に活用をいただくようなこともあわせて今後通知の中に盛り込むとか、そういうようなことで、より一層積極的な対応をいたしてまいりたいと考えております。

○江田委員 労働省にも同じことをお伺いいたします。どういう方法を用意されておりますか。

○金平説明員 労働行政としましては、去る五十年から有給教育訓練休暇奨励給付金制度というのを設けております。これは公共職業訓練とか、それから学校教育法による高等学校、大学、高等専門学校のような学校教育、それから専修学校とか各種学校の行うような教育で、職業人としての資質の向上に資すると認めて労働大臣が指定するものとか、ほかにもございますが、こういったものを労働者が受ける場合に年次休暇以外に事業主が教育訓練休暇を有給で出す、そういう場合を助成するという意味で給付金制度を設けているわけでございます。昭和五十六年度まではそういう休暇制度が、事業所内で就業規則とか労働協約という形で行われる、そして結果的には事業所内における一つの私的な権利のような関係できちっと奨励されるようにということで考えておりましたところ、なかなか実態には合わないということで利用が進んでいなかったわけでございます。

 そこで、昭和五十七年から制度改正をしまして、事業所内で労働組合の意見を聞いて決めた事業内の職業訓練計画をもとにそういう休暇を与えるような場合には助成金を出すというふうに改正しましたところ、五十七年に比べまして五十八年は、まだ完全に集計いたしておりませんけれども、約四倍くらいに利用がふえてきている。例えば利用する企業の数は五十七年が三百八十くらいでございましたけれども、五十八年は千三百ぐらいにふえてきている。金額的にもふえてきている。四倍ぐらいになっております。そういうことで、一つは制度改善の効果が非常にあったなということで喜んでおりまして、その利用促進を一層図ってまいりたい。こういう制度があるということをまず知ってもらうということで、PRが大事だと思っておりまして、いろいろなところでいろいろな機会に利用促進を図っております。

 また、この事務を現在のところ県に委託してやっていただいておりますけれども、県の主管課長会議の際などには、少なくとも今年度あたりは県内にある三百人以上の大規模事業所、これは全国で約九千八百ございますけれども、これを全部当たって利用を促進しろというような檄を飛ばすとか、工夫改善をいろいろやっております。

○江田委員 もう時間がなくなりましたが、今のちょっとした工夫で、五十七年から五十八年には有給教育訓練休暇奨励給付金が四・二四倍にふえる。どこにネックがあるかをよく見て、いろいろこれからも工夫をして、さらにふえるように、普及していくようにしていただきたいと思います。先ほど、教育は聖域であるべきなんだ、教育が一体どの程度大切にされているかがその内閣の質をはかるバロメーターなんだというお話がありましたけれども、どんどんふえたら困るんだと大蔵省はひょっとしたら考えているのかもしれませんが、そういうことに負けずに、こういう有給教育訓練休暇奨励給付金制度などというものは必ず守って、さらにふやしていただきたい。

 それから文部省も、これは労働省の方の仕事だからということではなくて、事業所に、ぜひ通信教育などに行かしてやってくれというようなことをお願いしたりするような際には、ついてはこういう制度もありますよとか、そういう労働省の制度なども、よその省のことであっても、やはり通信教育などを安んじて受けることができるようにいろいろな工夫をしていただきたいということを要望して、質問を終わります。


○江田委員 冒頭、まず敬意を表したいと思います。
 実習助手の問題は、第九十四国会に提案をされて、昭和五十六年ですか質疑もあったようで、長い間の懸案でございますが、この問題について提案をしてくださいました提案者の皆さんにまず敬意を表したい。

 と同時に、議員立法についてきちんとこうして質疑の場を設けてくださいました委員長にも、敬意を表したいと思います。

 議員立法をきちんと質疑をし、検討を加えていくという当委員会の慣行というのは、これからも大切にしていかなければならぬと思っております。

 さて、この実験とか実習とかの役割なり意味というものが、時代の流れに伴って最近ますます増大をしてきているんじゃないかということを私は考えます。科学技術が非常に進んできている。恐らく科学技術の進歩の度合いというのは、日進月歩というよりもむしろもう秒進分歩というようなものじゃないかと思うのですが、こうやって科学技術が進歩していけば、そういうものに追いつくための能力を大いに学校教育でも涵養していかなければならぬ。実験とか実習とかいうものはまさにそのための役割を果たすのじゃないかと思うのですが、学校現場でも恐らくこの実験・実習の役割が増大しているんじゃないかということを探ってみるために、幾つか質問をしてみたいのです。

 まず第一に、きょう午前中も伺ったのですが、高等学校でコンピューターが一体どの程度入ってきているか、これは文部省の方、お答えください。

○高石政府委員 これは昨年一月の調査でございますが、コンピューターの設置されております学校は、公立学校で四九・八%、私立学校で三二・二%でございます。特に工業や商業の学校ではその設置率が多くて、例えば公立の商業科でのコンピューターを設置している学校の割合は七五・七%になっております。

○江田委員 もちろん、そこに入っているコンピューターがすべて教材として使われているわけではないのでしょうが、つまり学校の管理運営に使われているというコンピューターもあるのでしょうけれども、やはりそこに一つの大きな時代の流れが見られる。

 もう一つ、これも私は全く素人でよくわからないのですが、例えば遺伝子工学が随分発達してきている。遺伝子工学自体の持っている問題性はいろいろあるにしても、この遺伝子工学の発達というのは、例えば農業高校の実験・実習に影響を与えないものですか、あるいは何か与えるところがありますか、どうでしょう。

○高石政府委員 遺伝子工学の事例で申されましたが、いわゆる先端技術と高等学校の教育のあり方の問題だと思います。
 高等学校レベルの職業教育においては、先端技術まで教えるということは現実問題として非常に無理があるわけでございます。したがいまして、その前の基礎、基本的な内容、先端技術を将来学び、ないしは利用することのできるための基礎、基本的な教育をしっかり身につけさせるということが教育上必要であろう。そのために必要ないろいろな器材とかないしは教育をしていくというような形で、高等学校における職業教育は展開しているわけでございます。

○江田委員 素人ですからよくわかりませんけれども、例えば種なしスイカなんというようなものをつくるということになりますと、これは染色体のことや何かをちゃんと勉強しなければどうしようもないわけですね。あるいは最近ホルモン剤も随分あって、トマトに、花にちょっちょっとかければ必ず上手に実をつけるとか、接ぎ木の細胞の活性剤を使うとかいろいろな技術があって、そういうものが先端技術とどういうふうにつながっていくかというようなあたりまできちんと、少なくともそういう広がりを持った実験・実習であるという観点を持っておかないと、これからの実験・実習になっていかないんじゃないかと思うのです。

 そうやって科学技術が大いに発達をしてくると、実験とか実習とかに携わる教師の側、それが教諭であれ実習助手であれ、自己啓発といいますか研修といいますか、大いに自分自身を高めていく、勉強していく、そういう必要が今高まっている、そういう時代だと思うのですが、文部省の方ではどう認識されていますか。

○高石政府委員 その点については御指摘のとおりだと思います。

○江田委員 教諭だけ頑張ってもらえればいい、実習助手は補助の仕事だからいいんだということではないですよ。今のお答えはそういうことでよろしいですね。――それなのに、この実習助手の皆さんに、そうした今の大変な変化の時代に追いつき、これを自分のものにしていくために努力をしてもらわなければならぬのに、努力に報いるような制度になっていないのではないか、こう思います。

 例えば給与の点は一体どうなっているか。教育職俸給表の第(二)表三等級、このカーブはほかのカーブと違って随分低いじゃないですか。文部省、どうですか。

○高石政府委員 時代の変化に応じて実習助手の受け持つ領域が広がっていく、そしてより研修を積まなければならない、御指摘のとおりでございます。そこで、そういう実態に応じてちゃんとした希望が持てるような形での処遇をしていくことは基本的に大切なことだと思います。

 具体的には給与のことになろうと思います。基本的な身分保障は先生方と同様な形で保障されておりますので、あとは給与の問題だと思います。したがいまして、三等級の格付が教諭に比較いたしまして低いというのは、またそのとおりでございます。また、一般の事務職員との対比においても若干不利になっているのではないかという点もございます。したがいまして、そういう面の給与上の待遇改善という点については、文部省も力を入れていかなければならないということで、人事院に対してその処遇改善、三等級が頭打ちになるのをもう少し起こしてもらうように一昨年来お願いをして、今努力を続けているところでございます。

○江田委員 しかし、なかなからちが明かないですね。給与の面というだけじゃなくて、教諭への道を開いておかなければならぬ。教諭への道は開かれておるのだという先ほどのお答えもありましたけれども、実習教諭の免許状を取得する道は開かれておる、それも全部じゃないけれども開かれておる。しかし、免許状を取ったからといってすぐに教諭になれるわけではない。そこは都道府県の問題だとおっしゃいますけれども、提案者の方はそれは逃げだぞ、こうおっしゃる。都道府県の問題ということだけで済むのですか。教諭への道は本当に開かれていると文部省の方ではお考えなんですか、どうなんですか。

○高石政府委員 先ほど来議論がありましたように、学校に教諭の職と実習助手の職が今後とも必要である、そういう前提が一つあるわけでございます。したがいまして、実習助手という形で学校に必要な職種として存続し、設置をしていく以上は、その実習助手を全部なくして教諭にしてしまうということは適当でないというのがまず前提にあるわけでございます。しかし、今度は実習助手個人の立場になりますと、将来教諭への道が開かれているということになれば、そのための免許状を取得していくという励みも出てくるでありましょう。そしてその結果、教諭の免許状を取得すれば具体的に教諭として発令されていく、採用されていくというような道が開かれていけば、そこである意味では教諭と同じような形の処遇が得られるということになるわけです。

 そこで、各県が具体的にどういう形でそういう具体的な免許資格を取った人々を教諭として採用するかしないかというのは、これは県内の事情がいろいろあるわけで、文部省が一律にそういう者を全部教諭に採用しろと言ってもこれはなかなかできぬ話でございます。そこはそれぞれの県が、欠員の状況とか教科構成等を考えて採用の道を考えていくということになるわけでございますので、取った以上は全部教諭になれる、その保証はあるかという質問を受けると、それはそこまでの保証はございませんということをお答えしたわけでございます。

○江田委員 今の局長のお答えですと、実習助手というのはどうしても必要なんだ、だから教諭への道を開いたって、今まである教諭の枠の中へ潜り込むならどうぞ潜り込みなさい、だけど潜り込む余地がなければそれは無理ですよということですね。一つは、それでは実習助手の、少なくとも私が聞いている限りの現実を十分認識していただいていないということ。もう一つは、やはりそういう将来の励みというのだと、これは青い鳥をどうぞつかまえてください、だけど青い鳥はどんどん逃げますよ、馬の前にニンジンをぶら下げるならどうぞぶら下げてください、だけどニンジンはどんどん前に行きますよというのと同じことで、それてはやはり励みにならないと思うのですね。

 実習助手は必要なんだという今のお話ですが、実際問題、実習助手と教諭と職種が一体どの程度違うというふうに御認識ですか。

○高石政府委員 これはそれぞれの学科によって違うと思います。例えば農業であるとか工業であるとか、それぞれその内容によって違うと思うのです。

 したがいまして、具体的に実験や実習をやる場合の必要な教材の維持・管理ないしは薬品等の整備、それから実際上、例えば農業でございますと農薬で具体的なものを、植物を植えるとか栽培するとか、そういうものについての仕事を見本として示す、いろいろあるわけでございまして、一般的な教諭の持っている職務内容のほかに、ある意味ではそれを補助していく職種が必要であるということで、明治以来と申しますか、旧制中学校ができて以来ずっと置かれてきた職種であるわけです。ですから、教諭と全く同じ仕事をするわけではないわけですね。やはり教諭と違った、教諭の職務を助けるというような形での職務内容があるわけでございますので、そういういわば実態の必要性から実習助手というものが置かれておりますし、大学においてもそういう形での理工系なんかでは助手というものが置かれていろいろやっているわけでございますから、高等学校レベルにおいてもそういうことが当然あるわけでございます。

○江田委員 大学の例をお出しになっておっしゃるのですが、これはかなり違うんじゃないですか。
 それと、薬品の管理だとか整備だとかあるいは農業においても植えるとかおっしゃったのですけれども、教諭はそんなことはしなくてよろしい、実習助手がやるんだ、実習助手は実習・実験の準備とか後片づけをやるんだ、本当にそうなっておるのですか。実習助手というのは実習の準備、後片づけをやる職務なんですか。もう一遍ちょっとはっきりお答えください。

○高石政府委員 これは学校教育法五十条で、「実習助手は、実験又は実習について、教諭の職務を助ける。」というわけですから、当然教諭が実際上当たる場合があるわけでございます。それを助けるという形の仕事をしていくので、教諭は一切そんな実験・実習に関与しなくていいということには考えていないわけでございます。

○江田委員 職務を助けると言うのですが、確かに「助ける」と書いてある。それは助手という名前だから助けるということになるのでしょうけれども、助けるなんという概念は非常に多義的な概念なんで、私はむしろ実験とか実習とかというものは一体何だろうかということを考えたら、例えば今の薬品の管理、整備、発注したりすることは生徒じゃできないでしょうけれども、農業にしても植えることや何かは、何か今の話だと実験や実習の外にあることのような認識のようですけれども、そうじゃなくて、実験・実習の周辺のさまざまな仕事ですね、準備をしていくあるいは後片づけをする、そういう実験・実習そのものの周辺にあるたくさんの仕事というのも、学校教育の中で非常に重要なんじゃないだろうかという気がしているのです。

 一体、実験・実習というのがどういう意味で教育なのかということですね。私は、実習なり実験なりというのは、一つの切り刻まれてカセット化された単位を学ぶのじゃなくて、準備の段階からずっとあって、そして実際にいろんなことをやって、結果を見て、その後ちゃんと片づけていく、そういう包括的な体験をするということ、これが大切な九で、実験・実習の倫理というのはまさにその包括的な体験をするというところにあるんじゃないかと思うのですが、文部省いかがですか。

○高石政府委員 現に農薬とか工業の実態で言いますと、教諭の人と実習助手の仕事が全く同じであるというふうに現場で思っていらっしゃる方は少ないと思うのです。やはり教諭は教諭としての一つの役割分担を持ち、実習助手は実習助手としての役割分担を持って仕事をされているのが現実だと思うのです。したがって、そういうところに着眼して、教諭の資格を持つ教諭とその手助けをする実習助手を伝統的に置いてきているわけでございます。

 問題は、そういう実習助手の方々の将来の処遇の改善であるとか待遇の改善であるとかいう点については、これは前向きに積極的に対応していかなければならないというふうに思っている次第でございます。

○江田委員 私が聞いたのは、実験とか実習とかというのを、そういうふうに準備や後片づけを全部切り離して真ん中のところだけとらえて、それを先生と生徒はやればいいんだ、後は全部実習助手に任すんだ、そういう実験・実習のとらえ方はいいんですかと。もしそれがいけなくて、そして現に学校の現場では、準備や後片づけは全部実習助手がやっているというんだったら、これは変えなければならぬと思う。学校の現場では実はそうじゃなくて、もう準備も後片づけも、生徒も先生も一緒になってやっているんだということなら、それはそういう方向へ大いに伸ばしていかなければならぬということになるんで、実験とか実習とかをどう認識されておりますか、どういうものであるべきだと考えていらっしゃいますかということを聞いたのです。

 提案者の方に伺いますが、文部省の方は何かそういう厳然とした違いがあるんだというお答えですが、現実を提案者の方はどう認識されておりますか。

○中西(績)議員 今、文部省の局長の答弁を聞いておりますと、言葉にもありましたように、明治以来こうしたことが続いておるということを言われたわけでありますけれども、私はここに問題があると思います。

 と申しますのは、以前は教諭と雇員との関係ですね。教職ではなかったわけです。したがって、教諭と雇員との関係を依然として頭の中に描いて、そのための職種としてのあり方を追求していけば、今の文部省の局長の答弁のようにせざるを得なくなってくるわけですね。ところが、近来とみにまたそのことが復活しまして、実習助手の諸君は何をしてはならない、何をしてはならないということで、実際に教育活動の中で大変重要な役割を果たしておったのですけれども、それを全部切断をし、枠をつくって、その中には入れないという体制をつくり始めておるわけです。こういうところに今、文部省が答えましたようなかたい殻が依然としてあるとしか言いようがありません。

 そこで、私たちがこれを提案しましたのは、先ほども申し上げましたように、例えば農業高校における実態がどうなのか、工業高校における実態がどうなのか、あるいは先ほど出ました障害児学校における実態がどうなのかというようなことで、ずっとそれぞれを追求してまいりますと、まさに指摘ありましたように、教師と実習助手が一体的に授業時間を構成し、その中における実習助手の役割あるいは教師の役割というものが厳然としたものでなくなってきつつあるわけですね。そのことは、例えば職業高校なんか一番いい例なんですけれども、班編成をして、その中で教師と実習助手の皆さんが一体的に授業を、教育活動を支えておる、その中で初めて実現できるものがたくさんあるわけです。ところが、今指摘されるように、もし分離をしたような形でやったとしますならば、実験・実習というものはほとんど不可能になってくるのではないかと私は思っております。

 そういうことで、今御指摘のとおり、私たちが今まで長い間積み重ねてきたこうした実態をさらにどう助長し、そしてその中における人間的な取り扱い、さらに身分の問題からすべての問題が解決していくようにすることによって、今問題になっておる非行の問題においてもあるいは暴力問題においても、すべてがそういうところで一休的になったときに解消できるし、真のねらいがそこで解消できると私は思っております。

○江田委員 私は、今高石局長のお答えを聞いていまして、文部省に非常な失望を感ずるのです。実験とか実習の準備は助手の仕事です。そしてもうきちんと前もって点検された器具に、例えば薬を注いで、試薬を入れて何か起こるのを見て、後片づけするのは助手の仕事ですと、そういう教育の思想が随分続き過ぎたから日本の教育は変になっちゃったんじゃないか。そういう周辺の事情を全部切り離して、はい、これが内容です、このことだけ覚えればよろしい、このことだけやればよろしい、そういうことが教育を随分ゆがめているのではないか。むしろ、実験なら実験でも、前もって器具の点検をする。器具に異常がないかを調べる。器具に何かちょっとおかしなところがあった場合に、それがおかしいのか、おかしくないのか、自分で調べてみる。あるいは、実験が終わった段階では何も起こってなかったけれども、例えば後片づけになってほっと見ると、シャーレの中に何となくバクテリアがぶつぶつ動いていたとか。今までの科学の発展の経過というのは、そういうときにあっと驚くような発見をして科学が進歩してきた、発展してきたということが随分あるんじゃないですか。教育というのは、そういう周辺部分までずっと含んだ幅広い人間の営みじゃないかという気がするのです。それが何かもう決まり切った、型にはまった、そして、こうやれば必ずこうなりますという、一つのでき上がった公式を教えるだけの教育というふうになってしまっているところに大きな問題があるんじゃないかと思うのです。

 そういうことじゃなくて、教育の現場は実習助手も教諭も一緒になってやっている、しかもそれを区別する合理性も別にないということになれば、これはやはり今回のこの議員立法のような方向で実習助手という制度を廃して、そしてその部分を教諭の定員の中に組み入れて教諭の枠をふやして、そして実験・実習というものの時代とともに増してくる価値をますます高めて間違いのないものにしていくという今回の提案は、大切な提案だと思うのです。

 最後に提案者に。これは社会党提案ということですが、ずっとお話をしてくだされば、恐らく自民党の議員の皆さんも、それはそうだとわかってくださる方がたくさんいると思うのです。私、まだ政治の素人ですのでよくわかりませんけれども、そういう根回しといいますか、広く共同提案者を募るというようなことが今回の提案ではちょっと欠けているところがあるんじゃないかという印象を持つのですが、その点だけ伺って、質問を終わります。

○中西(績)議員 お答えします。
 今江田委員の方から指摘のありました点、確かに重要であります。ただ残念ながら、私たち過去二回にわたってこの討論をしてまいりましたし、特に昨年の場合には採決をぜひということで要請いたしたわけでありますけれども、自民党の皆さん、なかなかそこまでまだ理解をし得ておりませんようで、討論いたしましても後で議事録を見ていただくかどうかわかりませんし、こうして出席なさっている方は非常に少ないわけですから、これからやはり私たちが手を尽くして十分説得し、そうした中で、今指摘のあったように、全党的にこうした教育問題についてはぜひ意思統一なりができればしていくことが大変重要でありますから、これから十分私たちも留意をしておきたいと思います。


1984/05/11

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